狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

終戦日

2008-08-17 21:11:56 | 怒ブログ

8月15日は終戦日(ボクは敗戦忌という季語で俳句を使ってきた)である。
曹洞宗家庭暦では「終戦日」若しくは「敗戦日」とは書いていない。
平和祈願日 旧ぼん 戦没者追悼式、月遅れ盆、三りんぼうとあるだけである。
ボクがあのいわゆる「玉音放送」を聞いたのは中学3年せいの頃。はっきり
と放送を整列して聞いた記憶は残っているが、現在の環境では当時のことの復元は非常に困難になってきた。風化というやつだろう。
新聞記事なども、当時の状況は決して正確に反映しているとはとでも思いない。
朝日の「天声人語」をコピーしておく。
人の数だけ、戦争があった。兵士50人の手記を編んだ『父の戦記』が、先ごろ朝日文庫から復刊された。1965年に週刊朝日が募ったものだ。中に、南仏印(ふついん)のサイゴンで終戦を迎えた元中尉の作がある▼その日、兵舎では激論と痛飲が繰り返されたという。住民に加勢し、フランス軍と戦おうとする者もいた。逃亡、自決、抑留。何が正義で、何が卑劣か見えぬまま、隊長として全隊70人を集める。日本刀を抜いて、叫んだ▼〈我々が一刻も早く帰還しなければ、敗戦の祖国は一体どうなるのだ。一時の感情に走って道を誤るな。逃亡する奴(やつ)は俺(おれ)が斬(き)る〉。手記には「自分の行動が無性に腹立たしく、恥ずかしくさえ思われた」とある▼過日、別の手記が公開された。終戦の直前、東条英機元首相が心境などを残した直筆メモだ。「もろくも敵の脅威に脅(おび)え、簡単に手を挙ぐるに至るが如(ごと)き国政指導者および国民の無気魂」と、悔しさを時の政府や国民にぶつけている。「新爆弾に脅え、ソ連の参戦に腰をぬかし」など、随所に徹底抗戦への未練ものぞく▼「新爆弾」にやられた広島と長崎をはじめ、国土は焼け、民は窮乏を極めていた。外地では、補給を断たれた兵が銘々の処し方を問われた。この期に及んで戦争を正当化するメモは、戦後の感覚からは読むに堪えない▼元中尉の戦争と東条の戦争。誰を主人公とするかで、一つの史実も別の物語になる。昭和という時の巨木に生い茂った、何億もの慟哭(どうこく)の葉。勇ましいだけの裸木に戻さぬよう、一枚一枚、静かに語り継ぎたい。

天皇陛下のおことばは次の通りである。

本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。 終戦以来既に63年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。
 ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。