狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

長崎市長のことば

2008-08-11 11:51:23 | 反戦基地
  

長崎等市長が市議会で、質問に答えて「歴史家の記述を見ても、私自身の軍隊経験からも、天皇の責任はあると思う」と述べたのが発端で、長崎市は、街宣車の騒然たる街と化してしまった。あげくの果て、市長は右翼の短銃に撃たれ重傷を負う始末となった。
この時、市長宛に「批判抗議するもの」「指示激励するもの」の文面の手紙、ハガキ、電報等が7,300通に達したという。1988年12月の出来事である。
これらの手紙は、「長崎市長への七三〇〇通の手紙」の表題で、径書房という小出版社から発行された。もちろんこの出版物は、初版6刷という空前のベストセラーになったが、その中の1通をめぐり、解放同盟の抗議と要求で、絶版に追い込まれる事態も発生した。さらにこの事件の総括ともいうべき「長崎市長のことば」という岩波ブックレットも発行されている。
あれから約20年の歳月が流れ、この問題も風化の一途を辿っているようだ。最近タブー視される言論が多くなりつつあるような傾向を懼れる。
朝日新聞は1988年12月19日付紙は「長崎市長の発言と言論の自由」という社説をかが掲げ『天皇制に関することを含めて、思想、表現の自由は憲法で保障されている。日本を再び「言論の不自由」国にしてはならない』と結んでいる。
写真は、「感謝のことば」と題した小生が出した手紙への礼状と、「長崎市長への七三〇〇通の手紙」誌と当時の新聞切り抜きである。