狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

「一億相哭の秋」余聞

2008-08-03 21:40:39 | 反戦基地
           
朝日新聞でみる世相50年非売品朝日新聞社(1972年刊)より
live doorハイクブログというサイトがある。ボクは投稿が多い方かも知れぬ。ボクを『お気に入り』に登録されている方に出会うと、感謝感激のあまり、なりふり構わず、駄句を返句したり「コメント」などを投稿している次第である。この「狸便乱亭俳句」若いお嬢さん方にファンが多いようだ。(ほんとうなのだ!!)

過日、8月が近くなったので、「敗戦忌」を詠んだ。
 人間の襤褸なりけり敗戦日    谷人
ボクはこれまで「人間襤褸」という詞を多用してきた。
これは、原爆作家大田洋子の著作名を流用したものであるが、爆撃に遭った惨状を表す詞はこれを措いて他に見つからぬ。ボクの町は1945年6月10日の空爆で500人以上の死者を出した。
 大津留公彦さんという方から返句とコメントを頂戴した。

実吼え夾竹桃いや盛る     大津留公彦
『小田実を偲ぶ会に出てテレビ番組を見てファンになりました。季語終戦日を敗戦日としているひ人を探してここに来ました。』

 有難い話である。
大津さんは『大津留公彦のブログ2』という硬派ブログを発信なされていて、このボクの愚句をサイトに紹介されている。
 その中で、ボクが書いた1945年8月15日付朝日新聞社説の全文までネットサイトから引用なされて、

日本にとって運命の日、1945年8月15日。終戦日の朝日新聞の社説です。ここには戦争への反省はありません。この社説に対しその後朝日はこれを否定する見地を表明したのでしょうか?
表明してなければ今それをやるべきでしょう。
過ちはどんなに時間がかかっても改めなければなりません。アジア民族解放の戦争であるとかこの言葉は難しいですがこの社説の立場は今のネット右翼の論調そっくりです。
戦前の立場のDNAをこの社説もネット右翼も見事に引き継いでいる。

と厳しく批判なされた。

 ボクは朝日新聞の代弁をするような立場ではないが、かつて朝日新聞社要職にあった畏友I氏から恵贈された
朝日新聞社史の「序」の一節を紹介しておきたい。

 
朝日新聞の百十一年の歴史は、その綱領にもうたわれましたように、私たちの先輩が、不偏不党の立場で言論の自由を貫き、正義に基づいて暴力や腐敗と闘い、真実を公正迅速に報道し、進歩的で中正な、また寛容で品位と責任のある評論を展開しようと、心を砕いて苦闘してきた足跡でもありました。しかし残念ながら、太平洋戦争の一時期などのように、この創刊以来の伝統が守り切れなかったり、逸脱して大きな汚点を残したりした事実も、消すことができません。
 その意味でこの『社史』は、いたずらに自社の業績を自画自賛する、お手盛りの履歴書では決してなく、客観的に誇れるものは誇り、同時に、過ちは過ちとして包み隠さず記述して、この冷静、客観的な史実の編集から、私たち朝日人の実りある反省と、将来への明るい展望を引き出せる、歴史的な〝教書″になれば、と願っております。