狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

ならせ餅

2008-01-05 06:32:33 | 日録
           
旧臘、28日だったか。所用(俳句会報届け)で友人I君宅を訪れた時の事だ。
玄関先にに、大きな臼と杵が置いてあった。I君は出てこなかったので、倅さんと会話を交わした。
「これ使うのぉ?」飾り物の臼にしては水洗いがしてあって、使ったような形跡である。
「毎年これで搗くんです。」
「誰が"捏ねとり"をやるんですかね?」倅さんの話では、近くに本家があって、そこで一緒に搗くので、捏ねとりは本家任せとのことであった。I君の家は農家ではない。先代の時分家し、夫婦揃って小中学の教職にあったが、今彼は病院に入退院を繰り返している身だ。

 だがしかしー、今どき?町で臼餅を搗くのは、昨秋I大農学部の学園祭でもやっていたが、あくまで商工会員の、イベントとしての餅搗きである。一般家庭で、昔式に餅搗きをやるのは、この町ではI君宅ただ一軒ではなかろうかとさえ思った。
 あいにく、カメラ代わりの携帯電話を持ってこなかったので、残念ながら撮って来なかったのを悔やんでいる。

 餅搗きは暮れに正月用の餅を搗き、更に14日にならせ餅(まゆだまとも云う)を搗いて一応の区切りである。写真は、そのならせ餅である。町史にも「村」だった
頃の民俗としての年中行事が編まれているが、わが町が明治100年記念として発行した「町の生い立ち」(昭和43年)にある「まゆもち」を引用してみる。

十四日、「まゆもち」この朝餅をつき、小さな丸もちとして楢の木にならせ、大黒柱に結びつけさらに米俵(土蔵のないうちは土間)にかさねておいた。かまどの神などに供えた。まゆのよく出来るのを祈ったのであろう。このもちも二十日の風にあわせるなといって十九日にとって雑煮とする。


このブログで一月一日国旗日の丸を掲げたお宅が、2代続けて小中学の校長さんを勤めたことを紹介したが、I君も父親の代から2代揃って校長職にあった。
何か彼も国旗を立て、14日のならせ餅の伝統を受けついでやっていそうな気がしてならなかった。