狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

新米について

2007-09-22 10:36:59 | 日録
朝詣りの本堂に新米が奉納されていた。今朝は2袋だけであるが、これから収穫期の盛りになると、これまでの例では、かなりの量のお米がこの場所に積まれる。

 田舎に住んでいると、小生のように農家でなくとも、都会に出ている身内のものなどに、新米を送って悦んでもらいたいのが人情と云うもので、ボクも都内に住む伜夫婦に嘗て毎年送っていたことがあった。仲秋の今頃である。
 あまり感激した素振りが無いので、
「新米の味はどうだったかね?」と訊ねてみた。答えは、最初の1~2回は美味いと思ったけど、東京で買っても味はそんなには変わらないし、たくさん送ってもらっても、置き場所にも困るので、無理しなくていい。と素っ気無かった。

 そう言われて見れば、新米、新米と大騒ぎして刻を争って手に入れ、自らも食するのであるが、成るほど伜たちの言い分に、理解できないことはない結論に達した。

 オレですら、ほんとに美味かったと思うのは最初の一回きりで、その後、
 「これ新米?」などと妻に聞き返すこともあったのだ。
 新米ならどれでも同じではない。早稲は敬遠されるし、晩生のコシヒカリが珍重されるが、同じコシヒカリでも、収穫された土地によって、買うほうは価格差を付けるらしい。業者は、その家の収穫の場所をちゃんと心得ているのだ。カベトチ(粘土質)或いは、砂地の田で獲れた米が良いとされる。

 しかし、現在の米は、昨日刈った稲が、今日食膳に並ぶようなわけであるから、収穫された籾は乾燥機で1夜で乾かし、玄米になると、直ちに保冷庫で貯蔵される。
 それを買って来て、1回搗きの精米機で精白したものを、無保冷の米櫃に貯蔵するわけだから、変質も早い。旨いのは、わずかの期間となる。
 それに、今は何所の家庭でも食べる量が非常に少ない。子供たちは給食がある。マンション住まいの伜夫婦が、喜ばぬ理由は以上のようなことによるのであろう。

杉村楚人冠の「続々湖畔吟」に〝新米〟というイッセイがある。今の人には到底理解できないことも多いと思う。しかし戦後10年ぐらいの頃まで、新米は楚人冠の指摘の通り、古米より安値だったのである。ボクですら知っている。
 恐らくこれは、天孫降臨の時代から、2千何百年続いてきた豊葦原瑞穂の国の新米事情であろう。
  新米

九月の中ごろになって、新米が出て来た。つやつやした色をしてゐて、ねッとりとした落ち着いた味がある。以っての外に旨い。

新米は水を引きにくいので、飯にしてもふえない。随って経済上不利益だと、細かい人はいふ。さうかと思ふと、新米は脂肪(あぶら)が多いから、消化がよくないといふ人もある。併し食って旨いという点に至っては、何人も否やはいはない。

それほど旨いものならば、それが時と共に段々まずくなっていくに任せずして、何とかその旨さを保存する方法を講じさうなものだが、今日までそんなこと考へた人があると聞いたこともない。自分は年々新米を食べる毎に、科学全盛の今日、せめて次の端境期まで存続させる方法が、もう出来てもよさそうなものと、思はざるを得ない。

米と同じ憾を、私は新茶にも持ってゐる。新茶のもつ味、新茶の放つ香、新茶の見せる色、これらは苟くも新茶を愛するものゝ誰しも賞玩に堪へぬところのものであるが、その新茶は色も香も味も半年ならずして消えて行く。日本の緑茶の得意先といへば、何処よりもアメリカであるが、アメリカでも緑茶の賞味せらるゝのは、主として新茶の時代だけで、古くなってはとんと珍重されない。それほど大切な新茶の香味でありながら、これを保存する方法が今に何人にも考へられないといふは、人間も存外愚なものと、浅ましくなる。

もッとお座のさめる事は、これを商売人にいはせると、新米々々と新米を旨がって喜ぶのは素人だそうな。米を元に商売しているくろうとの身になって見れば、新米は水引が悪くて飯がふえない上に、お客が旨がって余計に食やがるから、とても勘定が引き合わないというのである。お客が食やがって引き合はないなぞ、よくもづけづけとそんな口が利けたものと驚かれるが、とてもの事お客がまづがって食やがらなかったら、尚引き合ふまい。




新茶が出ると、新茶は古茶拠り価画高いが、新米が出た時は、新米は水引が悪くて、おまけにお客が余計に食やがって損だからとて、値が安いに至っては、小千谷縮じゃないが、人の腹の底が見えすく。(昭、7、9、26)


杉村楚人冠:(1872~1945)新聞記者。随筆家。本名広太、別号縦横。和歌山県生まれ。我孫子手賀沼湖畔に移り住んだ。現在我孫子に杉村邸、楚人冠公園がある。