狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

四月一日

2007-04-01 22:11:28 | 阿呆塾
以前この「ブログ」に書いてあるかも知れぬ。しかし一年以上ブログを書き続けて(更新と言うべきか?)いると、重複することは免れない。まして小生の年齢では致し方がない。其の場合は、ご勘弁を願う。

 戦後間もない頃、T君という身寄りのない青年(小生より少し年上)が、拙宅の家族の一員として同居していた事があった。彼は明治商業(現明治大学付属)卒のインテリ青年であった。文学青年と言ったほうが適切かも知れぬ。

 当事ボクは彼も加わって、仲間を募って、文学雑誌を創った。謄写版刷の雑誌であった。 田舎の雑誌としての「内容」は、「ヒューマニズム」だとか、「唯物論的弁証法」などが誌面を飾っていて、レベルはかなり高かったように思う。誌名は「十次元」であった。

 今日はそれは論旨ではない。

T君が僕の親友A君に「はがき」を書いた。

 <A様。突然ですが、お知らせです。Tani君がトラック運転中。相手トラックと正面衝突。重傷を負い付近の病院に担ぎ込まれましたが、介護の甲斐なく死去致しました。とりあえずお知らせ致します。>

だいたいこんな文面だったそうだ。
A君も魂消たが、A君のお袋は涙を流したと言う。

 今は「エープリルフール」を知らない人はいないだろうけれど、当事は殆どの人は知らなかった。A君早速『香典袋』にお悔やみ料を添えて飛んできたらしい。
拙宅に近づくにつれ、それらしい気配は何もなかったから、
「計られた!」と初めて思ったそうだ。はがきが着いたのは4月2日だったそうだからである。

「よっぽど、当てつけに「香典」を置いて、恭しくお悔やみの挨拶をして来ようかと思った!」今もA君の語り草になっている。

 T君は数年亡くなってしまった。静岡県の創価学会員墓地に眠っている。