狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

天皇の戦争責任

2005-09-24 13:59:59 | 反戦基地
長崎市長への七三〇〇通の手紙―天皇の戦争責任をめぐって(径書房1989年5月5日発行)
《「天皇の戦争責任はあると思います」
1988年(昭和63年)12月7日、長崎市議会における本島等長崎市長の発言が報じられた途端に、それは思いも及ばぬ大きな波紋を呼び起こしました。

「暴言を撤回せよ、さもなくば一命をかけて天誅を下す」という憤激の電報が、すでにその夜半、市長にあてて発信されました。明けて8日には、電話、電報による抗議が次々に届き始めます。…》
 
これは「刊行に当たって」と題する編集部の巻頭の言の1部です。
この本は事件があった翌年(1989年)径書房・原田奈翁雄によって出版されました。
本の表紙カバーには七三〇〇通の手紙、ハガキが並べられて、それを整理しているところが大きく写し出されています。  

そして本の帯には次のように書かれています。
《天皇の戦争責任ある!ない! 長崎市長に噴上げた激しい両論。それぞれの戦中戦後体験のにじむ痛切な証言。日本人すべてにつきつけられる重い課題に、あなたは何と答える?
「血の噴き出る「証言昭和史」市長発言に対して批判抗議するものも、支持するものも、書き手ひとりひとりの人生をふまえ、熱い心情にあふれている。「天皇」、そして「戦争」、二つのことがら、二つのことばが、どれほど深く国民の胸の底にわだかまわり、しこっているかを、1文字1文字が痛いほどに物語って、この手紙集は、日本人自身の血の噴き出る「証言昭和史」というほかはない。」 NHKスペシャル放映「拝啓長崎市長殿」》 

一口に七三〇〇通といっても、どのくらいの量になるのか実感は涌きませんでしたが、この本の表紙の写真で見て、あまりの膨大な書面の量に驚かせられました。私のハガキもこの中に1枚混じっているのだ…、ひそかに自分がしたことについての誇りを抱きました。
この事件も本のことも、歳月とともに風化し、今はすっかり忘れてしまう所でした。

アメリカは、2001年、9月11日の同時多発テロ事件を口実に、かつて日本が中国で犯したような、誤った武力攻撃をアフガニスタンで開始します。そしてさらに2003年には、国連決議もないまま、戦線はイラクへと拡大していきました。
あれから4年、小泉はこれまで積極的に、ブッシュによるアメリカの「大義なき武力攻撃」を支持し続けています。

復興支援という美名の下に、イラクに派遣されている自衛隊を、堂々と戦争することが出来る軍隊に憲法改正しようとしています。こんどの総選挙で小泉自民党は圧勝し、国民も国会議員も郵政民営化という小泉マジックにかかってしまいました。憲法改正の見え隠れの状態をそのまま黙認してしまったのです。国民も戦争体験者は次第に少なくなり、議員に限って言えば一人もおりません。国民も戦争のことなどは、歴史教科の中の小さなスペースの中で知るだけになってしまいました。

小泉の靖国神社参拝問題は、8月を過ぎて旬を過ぎ沈静化してしまいました。
しかし毎年積極的に参拝を続けている石原東京都知事も、A級戦犯の合祀には異議があるとした上で、次のように述べています。

《極東軍事裁判が、勝者による敗者への報復を含めた催し物だったことは自明だが、しかしなお、我々はあの戦争の責任者の存在について、あの裁判の正当性を非難することだけではすむのだろうか。どの世界でも会社を潰してしまって責任を問われぬ経営者などいるものではない。》(9.5付産経新聞)

石原は、天皇の靖国参拝を強く求めていると聞きますが、これまで天皇の戦争責任については全く触れておりません。

それはそれとして、私は自衛隊がすでに海外派兵をしてしまっているという、明らかに憲法に違反するような既成事実が出来上がり、野党である民主党までが憲法改正をほのめかしている現状では、改正は当然の成り行きとなると思っています。

だからこそ、あの時本島市長に宛てた手紙のときのように、反戦の手紙や、憲法9条を護る意志表示としての、はがき・手紙・ファックス・電子メールが、首相官邸や、創価学会本部を埋め尽くした時、私は流石の小泉も、神埼も、前原も憲法改正を残念せざるを得ないことになると信じます。