狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

勲章

2005-09-06 14:15:15 | 怒ブログ
 前に小生は「断腸亭日乗考」というタイトルで、
《永井壮吉こと荷風先生は昭和二十七年十一月三日、おそらく辞退されそうだという巷間の話とは裏腹に、あっさりと文化勲章の授与を拝受したのであった。》と書いた。

 このことに関して半藤一利が、筑摩書房PR誌「ちくま」に十八回にわたって連載した「荷風の戦後」の最終回(九月号)で 文化勲章受賞のあとさきを詳しく述べている。

《昭和二十七年十一月三日に、七十三歳の荷風は文化勲章を授けられた。文部省(現・文部科学省)大臣官房人事課長の十月七日付け書状によると、
「貴台には多年わが国文化の発展のために貢献され、その勲績の顕著なゆえをもって」というのが受賞の理由である。
 さっそく東京新聞十一月六日の匿名批評「大波小波」(署名・浅木夢路)が冷やかしている。だいたい文部省の小役人が十年も後輩の志賀直哉や谷崎潤一郎より後回し〔ちなみに御両所は二十四年に受賞〕にしたのは可笑しいのだ、と一発かまして以下、
「おそらく芸術院もことわった荷風はきっと文化勲章もことわるだろう。自分たちがやるようなつもりでいる勲章にケチをつけられてはたまらぬというのは、官僚根性からすれば当然の理屈である。しかしこれが単に荷風のポーズにのせられた文学の半可通の妄想にすぎぬことが今度の荷風の行動でハッキリした。荷風は元来明治の良家の子弟である。(略)だから彼は勲章もすきだし、でるところへでればそこらの役人などよりずっとエチケットも知っている。そういう簡単なことが見抜けなかったのは、役人たちに自信がなかったからである。(以下略)」》とこの覆面子の批評を「紙つぶて」として紹介したのち、荷風に勲章をあげたいと考えたのは「昔の弟子」の久保田万太郎であったことや、中央公論の嶋中鵬二がその根回しに動いたこと「中央公論八十年史」、や小門勝二氏の「実説荷風日記」を引用して書かれている。

「十月二十五日。陰。正午島中氏高梨氏來話。島中氏洋服モーニングを持ち来たりて貸さる。来月三日余が宮中にて勲章拝受の際着用すべき洋服を持たざるを以ってなり。」(小生写書きの『断腸亭日乗考』が十月三十日 となっているのは写し誤りである。)文中の島中氏とは中央公論社社長・嶋中鵬二氏のことを指す。

《荷風先生がすんなり受賞した理由は、よく言われているような勲章とともに下付される百万円のためでも、天邪鬼のためでもなく、『断腸亭日乗』こそがわがライフワーク、どんな栄誉や勲章を受けようとも、どうして恥ずべき所あらんや。この自負と自信である。ここに荷風の本音があった。》と半藤一利は持ち上げて書いているが、そういうものでしょうかね。
《…『日乗』にはなにやらかにやら祝い事の数々が続くが略とする。全体を見渡すと、結構、爺さん、嬉しがっておるわい。とそんな感じが行間から滲み出ている。ただし、その後に荷風さんは勲章をどうしていたか、といえば、新聞紙にくるんでそのへんにほっぽり出したまま、ほとんど見向きもしなかったそうな》作者はそう結んでごまかしているように聞こえるが果たしてどうか。

 文化勲章の辞退者はノーベル文学賞受賞の大江健三郎ただ一人ということも何だかうなずけられるような気分にもなる。

 ところで小生はここで再び永井荷風の古い物語を長々と書く積りは本意ではなかった。考察はあくまで『勲章』という奇抜な装飾具についてである。
 わが故郷にも、あるいはゆかりのある方が、過去ノーベル賞を頂いたり、勲一等に叙せられたりした。まことに御同慶の至りである。
 しかし、ノーベル賞は兎も角として勲章について言えば、「軍人」や「葦原帝」がこの拝受を無上の栄誉とし、身体中に隈なくこれを纏い、写真に納まる姿は絵にはなるだろう。だが現代の政治家が勲一等菊花大綬章に大騒ぎするその感覚は如何なもの乎。

 ここで小生は必然的に芥川龍之介の次の言葉が頭の中に浮かんできた。
《軍人は小児に近いものである。…この故に軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似ている。緋縅の鎧や鍬形の兜は成人の趣味にかなったものではない。勲章も―わたくしには不思議である。なぜ軍人は酒にも酔わず勲章をさげて歩かれるのであろう?(侏儒の言葉)》
 ただ今の小児は勲章などはちっとも喜ぶ玩具ではない。

 閑話休題(オット、むだばなしはさておいて)。
 日本列島はいま選挙戦真最中。わが選挙区は無風であるけれど、今回は異変が一つできた。宗教団体が自民党候補の選挙運動をかって出ていることだ。この宗教団体の選挙活動は凄まじいことで有名だ。他の政治団体と違って「布教活動」の大義名分が、選挙活動を有利とされているらしい。わが町のちょっとした広場や、至る所の交差点には自民党候補の看板と小泉自民党総裁、神埼公明党代表の写真のたて看板が、ずらりと並ぶ。社民党もはもう諦めきった体で見当たらないし、元自民党員なのに、今回無所属で立候補した父親が防衛庁長官の経歴を持つ某候補は、無所属のため応援する人も少ないのだろうか、法定の掲示板以外はほとんど看板らしいものが見当たらない。共産党だけは自民党、公明党からやや離れた所に、小さく縮こまって立っているのが実情である。

 そこで勲章に話題を戻そう。
 元公明党の竹入委員長、矢野絢也、運輸大臣まで務めた二見伸明氏の消息である。この中で竹入・二見の両氏は創価学会を破門になっていると聞く。
 二見元運輸大臣が勲章をもらったかどうかは不明だが、学会が竹入氏を嫌う理由には、氏が勲一等勲章を貰った事と、朝日新聞に回想録を書いたことに起因するらしい。
 因みに、この宗教団体の名誉会長池田大作先生は諸外国でさまざまな叙勲、名誉教授、感謝状をもらっているが、何と日本国内からはほとんどそれらがなされていないという。勲章の功罪は思わぬ所に落とし穴があるものである。
 
 問題の朝日新聞の切りぬきを添付してみた。これは朝日新聞得意の「虚偽報道」ではない。宮沢りえの写真広告を重ねたのは他意ではなく、これも朝日新聞の1ページ大の新聞広告で勲章とはまったく関係はない。時代考証の為並べたと思っていただきたい。

宮沢りえ 篠山紀信「Santa Fe」1991・11月13日全国の書店で発売。予約受け付け中。定価4,500円B4版変形140ページ朝日出版社。(当時これの入手は頗る困難だったそうだ)
「秘話55年体制のはざまで―竹入元公明党委員長が政界回顧」 1998、8,16~とある。