極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

ヘキサグラム巡礼の明日

2013年06月20日 | 時事書評

 

 

【ぱらぱらと寺山修治】

 


          森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし

     わが息もて花粉どこまでとばすとも青森県を越ゆる由なし

        生命線ひそかに変へむためにわが抽出しにある一本の釘

 

 

 

 

 

   つくるは受話器を取り、沙羅の電話番号を押した。時計の針は四時少し前を指していた。コ
 ール音が十二回あり、それから沙羅が出た。

 「こんな時間に本当に申し訳ないと思う」とつくるは言った。「でもどうしても話をしたかっ
 たんだ」
 「こんな時間って、いったいどんな時間?」
 「午前四時前だよ」
 「やれやれ、そんな時間が実際にあったことすら知らなかったな」と沙羅は言った。その声か
 らすると、彼女の意識はまだうまく戻っていないようだ。「それで、誰が死んだの?」
 「誰も死んでいない」とつくるは言った。「誰もまだ死んじやいない。でもどうしても今夜の
 うちに、君に言っておきたいことがあったんだ」
 「どんなことかしら?」
 
「君のことが本当に好きだし、心から君をほしいと思っている」

  電話の向こうで何かを探すごそごそという音がした。それから彼女は小さく咳払いをし、吐
 息のようなものを洩らした。





 「今、話してもかまわないかな?」とつくるは尋ねた。
 「もちろん」と沙羅は言った。「だって午前四時前でしょう。何でも好きなことを話せばいい
 わ。誰も聞き耳なんか立ててはいない。みんな夜明け前の深い眠りについている」
 「君のことが心から好きだし、君をほしいと思っている」とつくるは繰り返した。
 「それが午前四時前に電話をかけて、私に伝えたかったことなのね?」
 「そうだよ」
 「お酒は飲んでいる?」
 「いや、まったくの素面だよ」
 「そうか」と沙羅は言った。「理系の人のわりにはずいぶん情熱的になれるのね」
 「駅をつくるのと同じことだから」
 「どんな風に同じなの?」
 「単純なことだよ。もし駅がなければ、電車はそこに停まれない。僕がやらなくちゃならない
 のは、まずその駅を頭に思い浮かべ、具体的な色と形をそこに与えていくことだ。それが最初
 に来る。何か不備があったとしても、あとで直していけばいい。そして僕はそういう作業に慣
 れている」
 
「あなたは優れたエンジニアだから」
 「そうありたいと思っている」
 「そしてあなたは夜明け近くまで、私のためにせっせと休みなく特製の駅をつくってくれてい
 るわけね?」
 「そうだよ」とつくるは言った。「君のことが心から好きだし、君をほしいと思っているから」
 「私もあなたのことがとても好きよ。会うたびに少しずつ心を引かれていく」と沙羅は言った。


  そして文章に余白を設けるように、少しだけ間を置いた。「でも今は朝の四時前だし、鳥だっ
 てまだ目覚めていない。私の頭もまともに回転しているとは言えない。だからあと三日だけ待
 ってくれる?」
 「いいよ。でも三日しか待てない」とつくるは言った。「それがたぶん限度かもしれない。だ
 からこんな時間に君に電話をかけた」
 「三日で十分よ、つくるくん。工期はきちんと守るから。水曜日の夕方に会いましょう」
 「起こしちやって悪かった」
 「いいのよ。午前四時にもしっかり時間が流れていることがわかってよかった。もう外は明る
 いのかしら?」
 「まだだよ。でもあと少しで明るくなる。鳥たちも啼き始める」
 「早起きの鳥はたくさんの虫を捕まえることができる」
 「理論的には」
 「でもたぶんそこまで見届けられないと思う」
 「おやすみ」と彼は言った。
 「ねえ、つくるくん」と沙羅は言った。
 「うん」
 「おやすみ」と沙羅は言った。「安心してゆっくり眠りなさい」

  そして電話が切れた。

 

                                       PP.344-347                         
                村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

 


 

「十王村五角堂から」(『ペンタグラム巡礼の明日』)で掲載したように、この物語のバックグラ
ンドに多角数
と暗示という形でシンボリックな意味が万華鏡のように埋め込まれている。あるいは
「楽譜をめくる黒衣の女性の手に指が六本あることを。その六本目の指は小指とほとんど同じ大き
さをしていた」というふうに素数と暗示として。つくるの青春期に登場する人間関係のペンタグラ
ム(五角形)に埋め込まれたは、六・七・・・とやがて変化し成長を遂げていくようにだ。
例えば、神聖幾何学図形に顕れる、五芒星-pentagon(ペンタゴン)・ 六芒星-hexagon(ヘキサゴ
ン) 七芒星-heptagon(ヘプタゴン)として展開するが、例えば、五芒星は六芒星は風水や陰陽道
でも五芒星、七芒星と同じく古来から魔除けなどに使用されてきたし、古代では、絵が文字になっ
ていたが、「火」という文字の頂点を結べば五芒星に、「水」という文字の頂点を結べば六芒星に
また、「光」という文字の頂点を結べば七芒星に変化し「光」は「虹」に変化し、「光」と「虹」
は古代文明やピラミッドの謎と関係するといわれいる。

 

ここで、六芒星(ヘキサグラム)は、元はヒンドゥー教の曼荼羅のシンボルで、神と人との間に創
造された完璧な瞑想状態を表す。この状態を保てると、輪廻からの解放、あるいは涅槃の状態に

でたどり着くことが出来る(ヒンドゥー説)。もう一つは、David(日本語のダビデ)のヘブライ語
の綴り
から「D-W-D」のシンボルが成り立ち、また、"D" はギリシャ語のデルタ「Δ」のように
書かれていたため、この「D-W-D」の組み合わせを今で言うロゴのようにしてダビデを表すシンボ

ルとなったという説がある。錬金術では二つの三角形はそれぞれ火と水を表す。他に、上の三角形
男性、下のが女性を表し神聖な男女のエネルギーの結合。上の三角形とその周りにできる小さい
三角形
三つで水、火、空気、地を表すとか。 宗教によってはカルトのシンボルにもなる。六芒星
の秘密、その偉大な力とは、気があたると、すぐに六芒星の九字が切れ、自動的に除霊作用が働き
疲れ知らず、邪気知らずで魔除けになると信じられてきた。
龍(エネルギーの象徴)と併せて、この六
芒星は、「籠目(かごめ)/籠目(かごめ)/籠の中の鳥はいついつ出やる/ 夜明けの晩に鶴と亀が
すべった/後ろの正面誰」と日本の歌のカゴメは、海鳥ではなく、六芒星の篭目を意味し、かごめ
は竹に龍、カゴメは、過去の目という解釈、そして、囲め、そして
、封印、そして身ごもる、は身篭る、
竹に龍で、カゴメは篭目。そして篭の目は、六芒星を籠目紋とし、伊勢神宮のシンボルとしても使われ、地
元の住人の子供の着物のえりに、このシンボルを縫い付ける風習が残っている。

 


さて、「7」という数字は、完了・調和の数字。古代から祝福・勝利、堅固さ、神秘、知識、学問
研究、分析、
瞑想を暗示。また、七芒星は、古来より邪気や魔を破る鉄壁な力があるものとして神
聖視されてきた。暗闇に集
う「悪」や「魔」を破壊する最強の魔法陣の1つ。サークルに描かれて
いる七芒星は「調和・バランス」を
司る三角形の魔法陣と、「安定・グランディング」を司る四角形
の魔法陣からなりたっているとか。このシンボルを持つ人に
勇気と希望の光を与え、思い描いた通
りの人生を作りあげることが出来るよう導き、本来、描くことの出来
ない『七芒星』を描くことは
「不可能を可能にする」ことを表し、五芒星が精霊や天使をはじめとする
使者を呼び出す働きがあ
り、2つが描かれることで、「不可能を可能にする使者を呼び出す」ことを意味す
ると信じられて
きた。

このように考えていくと、完全な関係性(法輪あるいはチャクラ)と不全な関係性としての多角形
ポリゴン)との葛藤という言葉や夏目漱石の『草枕』がおもいだされたが、物語はいよいよエピ
ローグに向かう。「チャクラ」というサンスクリット語の延長に、竹下雅敏なる人物とネット上で
遭遇し暫し時間を割き寄り道することとなったが、奇想天外ということと博学に少なからず衝撃を
受ける(下写真クリック)

 


 

 


 

 

 

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