気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く4 その9  身延町から南部町へ

2018年06月15日 | ゆるキャン△

 セルバ身延店から国道52号線を引き返して南下、波木井身延地区まで移動しました。波木井の分岐で街区の支道にそれて、上図の身延郵便局に行きまして外観を撮りました。
 この郵便局の建物が、原作コミック第5巻7ページ1コマ目に、建物の一部を変更して登場します。各務原なでしこが斉藤恵那に誘われて年末年始の年賀状のアルバイトをする郵便局のモデルです。付近の景色の描写もそのままですし、二人がお昼の休憩時間に川辺で弁当を食べるシーンは、近くの波木井川の川原です。

 おそらく、設定ではその近くに斉藤恵那の家があるのでしょう。公式のキービジュアルでも斉藤恵那は身延橋の下で愛犬チクワと散歩していますので、波木井身延地区が地元であるようです。

 

 道なりに進んで身延高校の横から表道に抜け、そのまま身延山久遠寺の総門をくぐり、上図の三門の横の参拝者駐車場に車を停めました。今回が初めての訪問でした。

 

 門前の参道わきに観光案内所があり、そこで久遠寺および山上奥之院までの距離と所要時間を尋ねました。ロープウェー利用で片道一時間はみておくといいですよ、との答えでしたが、それだと今後のスケジュールを大幅に圧縮してしまいます。そこで三門下から参道石段を望んだのみで参拝を諦めました。

 

 帰りに門前町の椎茸専門店「武州屋」に立ち寄り、土産物を買いました。女将さんが上図の「しいたけ茶」をサービスして下さいましたので、有り難く頂戴しました。
 椎茸を粉末状にしただけのシンプルな食材ですが、私は昔から気に入っていて、各種のしいたけ茶の品物をよく買っています。大洗では、アッサムが居る「国井屋」さんでいつも買っていました。

 

 今回は、キャンプ用の食材としても買いました。煮物や蕎麦などの茹で汁にこれを混ぜると椎茸風味のスープになります。御飯を炊く際に入れておくと、椎茸風味の御飯が出来上がります。普通にお湯に入れれば、お吸い物になります。けっこう色々使える便利な食材の一つとして、個人的にはとても重宝しています。
 キャンプでは、パスタやうどんの茹で汁に混ぜるとか、焼肉などにふりかけてタレ替わりにするとか、寒いときに飲んで温まるとか、様々に使えます。とりあえず3個買いました。1個620円ですが、1個で一ヶ月以上は使えますから、調味材としては安いほうかもしれません。

 

 身延山から降りて国道52号線をさらに南下、上図の「ゆばの里」に行きました。文字通り、身延特産の湯葉に関する体験施設および販売施設です。
 この施設が、「ゆるキャン△」デジタルスタンプラリーのスタンプポイントになっており、キャラクターパネル5枚が全て揃えられているということです。なぜこの場所に、と思いつつ、入ってみました。

 

 入口を入ってすぐ左手に5枚のパネルがやや窮屈そうに並べられてありました。全部が揃っているのを見るのは今回が初めてでした。

 

 まず、これまで一度も実物を見たことが無かった、大垣千明のパネルです。笛吹フルーツ公園ドーム内にも置いてあるそうですが、私が現地へ行ったのはパネルの設置前のことでした。

 

 犬山あおいのパネルです。山梨県大阪事務所で初めて実物を見、次いで前回のレンタカー巡礼時にセルバ身延店のパネルも見ています。みんな同じデザインです。

 

 各務原なでしこのパネルです。京都の叡山電鉄コラボで出町柳駅にて初めて見て、こちらでは本栖湖浩庵にて見ました。

 

 志摩リンのパネルです。京都の叡山電鉄コラボで鞍馬駅にて初めて見て、山梨県大阪事務所でも見ました。こちらでは四尾連湖水明荘に置かれているそうですが、私が現地へ行ったのはパネルの設置前のことでした。

 

 斉藤恵那のパネルです。前回のレンタカー巡礼時に「栄昇堂」さんで実物を初めて見ました。

 

 「ゆばの里」を辞して再び国道52号線を南下、塩沢トンネルを抜けてすぐに左折して塩沢地区の街区に降りると、右手に上図のスーパー「オギノキャロット南部店」があります。
 このスーパーが、原作コミック第6巻30ページ4コマ目に出ている「ハギノ」の元ネタです。各務原静花が「すぐそこの」と表現しており、各務原家が南部町塩沢地区の富士川寄りに所在することがうかがえます。

 

 塩沢地区から南部橋を渡って東岸エリアに移動し、JR内船駅前に停めました。駅のお手洗いを借りました。天気予報では雨になっていましたが、この時点ではまだ降り出していませんでした。残る訪問地は一ヶ所だけでしたが、雨が降れば翌日の午後に組み込む積りでした。

 とりあえず、南部町から県境を越えて静岡県富士宮市へ行くルートが国道469号線であることを地図で確認しました。その富士宮市側での桜峠越えというのが、かなりの難所だと聞いていましたので、雨が降らないうちにそこだけはクリアしておきたい、と考えました。
 そして県境を越え、桜峠へ向けて車一台やっと通れる道を慎重に進み、きついカーブの連続に緊張を解けぬまま、思ったより多い対向車との擦れ違いに苦労しました。峠を越えて下山しても道の厳しさは変わらず、ナビも右左折ばかり指示してくるので、しまいにはどこに居るのかがわからなくなり、とうとう激しい雨が降り出して視界も一気に悪くなりました。

 仕方が無いので道端の広いスペースを見つけてそこに停車し、雨が弱まるまで休憩を兼ねて待機しました。セルバ身延店で買っておいたお握りやコーヒー缶が役に立ちました。食べて飲んで、落ち着いた頃に雨が小降りになりましたので、再び走って、まもなく交通案内標識から国道139号線に向かっていることを知りました。よし予定通りだ、迷わずに何とか来られた、と思い、残る一ヶ所の訪問地は今日はもう無理だ、明日にしよう、と決めました。 (続く)

 


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継続高校 BT-7(フェイズエリカ仕様) 作ります!! その1

2018年06月14日 | ガルパン模型制作記

 ガルパンコミックの「フェイズエリカ」に登場する継続高校チームのBT-5を作るのが、思いのほか楽しかったので、似たようなのを作りたい気分になりました。自然にBT-7の存在が脳裏に大きく感じられてきました。
 BT-7は、周知のようにBT-5の改良版として登場した車輌です。継続高校チームにおいてはBT-5やBT-42と共に快速を生かした遊撃部隊として使用されており、黒森峰女学園チームとの試合においては中央突破による攪乱を試みて成功しています。

 

 適応キットはタミヤから1935年型、1937年型の二種類がリリースされています。劇中車は1937年型ですので、上図のミリタリーミニチュアシリーズ327番の製品が対応します。キット自体は、BT-5が完成間近の時に京都駅前のヨドバシで買ってまいりました。これで「フェイズエリカ」の継続高校チーム所属車を再現してみることにしました。

 

 左が製作ガイド、右が解説シートです。いずれも一度目を通してから、再度じっくり読みました。組み立て制作の参考になる情報が結構ふくまれていますから、ガルパンの劇中車を再現するにあたっても色々と得る所は少なくありません。

 

 タミヤ製品に共通の、適度なパーツ割りです。半分ぐらいがBT-42のパーツと共通です。BT-42はフィンランド軍が捕獲したBT-7を改造して砲塔部分を大型化したタイプで、車台部分はほとんどBT-7のままです。
 なので、今回これを組むことにより、ずっと組み立てを中断しているBT-42の製作再開に向けてのウォーミングアップにもなれば、と思いました。

 BT-42は、継続高校チーム車輌の第一弾として、劇場版視聴の余韻がまだ残る2016年6月にタミヤのキットにて制作を開始しました。当時はフルインテリアでの制作を目指して操縦席および車体内部までは一応の再現を行ったものの、搭載エンジンの種類と形状が分かりませんでした。
 そこでパロラ軍事博物館に英文で問い合せの手紙を送り、それとは別にメールアドレスにも投稿しました。ところが返事が無く、三か月後に再度手紙とメールを送りましたが、返信は無いままに一年が過ぎました。
 それで製作意欲が失せてしまい、フルインテリアでの制作も頓挫して、さらに一年が経過して今に至っています。要するにほぼ二年間も中断したままであります。

 これはさすがに駄目だろう、何とかしなければ、と焦りさえ覚え始めていた時に、モケジョさんたちの継続高校チーム車輌プチブームがあり、それに何となく突き動かされるようにBT-5の製作をズベズダのキットにて実施したのですが、それが今度のBT-7の製作意欲に繋がりました。当然、BT-42にも気持ちが向いてゆくことになり、ようやく製作再開の契機が掴めそうだと感じました。
 それで、今回の製作は、BT-42の組み立て再開のスイッチを入れるため、という目的をも伴う作業になるわけです。砲塔以外はほぼ共通するパーツでBT-7を組むことで、BT-42の組み立ての感覚を取り戻しておこう、と考えた次第です。既にフルインテリアでの制作を諦めているので、BT-42も今後は他の車輌と同じ通常の組み立て工程に切り替えて二年越しの完成を目指したいと思います。

 ということで、今回のBT-7の製作は自身にとっても大変に有意義なものとなる、と感じました。

 

 ですが、組み立てそのものはストレート組みで充分です。上図のように、劇中車は完全にタミヤキットがモデルであるようで、外見や細部は全く同じに描かれています。そしてキットでは付属している車体前部のチェーンが劇中車にはありませんので、そのぶん組み立てが楽になります。

 問題は、BT-7のボディカラーが不明である点です。コミックのカラーページにはBT-7は出ておらず、継続高校戦車道車庫前に勢揃いした中で他とは違う色調のトーンで表現されています。BT-42のグレー、BT-5の青味がかかったグレーとは明確に違う、暗めの色を思わせる表現です。
 これを継続高校チームの元ネタであるフィンランド陸軍の基本4色(ライトグレー、グレー、グレイッシュブルー、グレーグリーン)に照らし合わせますと、最も明るいライトグレーとは違いますし、BT-42がグレー、BT-5がグレイッシュブルーですので、残る暗めの色グレーグリーンが該当することになります。
 これをふまえて、今回の「フェイズエリカ」版のBT-7の車体色はグレーグリーン系とし、それに近いカラーを検討することにします。

 

 ステップ1では、サイドパネルを組み立てます。

 

 タミヤのキットは、とにかく楽です。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ2では、車体を組み立てます。

 

 パーツは最低限に抑えられていますので、気が大変に楽です。

 

 組み上がりました。海外メーカーのキットの大変さが、改めて思い出されました。 (続く)

 

コメント (3)
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ゆるキャン△の聖地を行く4 その8  常幸院とセルバ身延店

2018年06月13日 | ゆるキャン△

 旧下部中学校正門から道なりに下に降りて、常幸院の駐車場に停め、境内にお邪魔しました。本栖高校直下のスポットであり、御住職が積極的に「ゆるキャン△」ブームを盛り上げるべく、町内の「ゆるキャン△」案内標識設置に尽力されたと聞きます。いまでは巡礼ファンの大多数が必ず訪れる聖地横の新聖地として有名になっています。

 

 本堂には、このようにキャンプ用の折り畳みアルミテーブルに組み立て式グリル「B6君」を組み合わせて、アニメの「メタル賽銭箱」を再現してあります。松ぼっくりもしっかり並べてノリノリです。横には「ゆるキャン△」スタンプもスタンバイ、絵馬への記入時に自由に押せるようにしてあります。手描きの町内マップも配付しています。

 

 今回は、絵馬を購入して願い事を書くことにしました。志納料は500円です。

 

 マイカー巡礼の最中でしたので、何よりも交通安全が第一でした。あわせて道中の無病安泰を祈念して記しました。

 

 正門横の裏側に設置されている絵馬掛けに吊るしておきました。その後、庫裏から出て来られた御住職の深山光信師と少し話しました。「ゆるキャン△」を知ったきっかけは、本栖湖の浩庵さんからの連絡であったといい、巡礼者がそちらにも行くかもしれないから云々、ということであったそうです。浩庵さんとは知り合いであるそうです。
 つまり、1月のテレビ放送によって本栖高校への巡礼者が増えだす直前の時点において、既に常幸院側の応援スタンスは整えられていたということのようです。こういうアニメに合わせたノリノリ感、巡礼者の来訪に対するオープンな対応、というのは、人気のあるアニメ聖地ならばどこでも見られる二大要素です。この二大要素が実現出来るかかどうかで、聖地の人気が大きく左右されるようです。

 深山師は、五条ヶ丘が昔は武田氏の狼煙台であったらしい、とも語りました。五条ヶ丘とは、旧下部中学校および小学校の建つ丘陵先端の高台を指します。「五条」は江戸期までは「御城」と表記していて、中世戦国期以来の在地勢力の拠点が存在した歴史を示しており、その麓の「御屋敷」などの地名は、かつての常葉地区が甲斐国における一つの行政区として機能していたことをうかがわせます。

 ネット上でも閲覧出来る「旧下部町誌」によれば、甲斐常葉の地には、在地勢力として甲斐源氏加賀美氏系の常葉氏、ついで武田氏家臣の馬場氏が在り、いずれも「御城」に城館を構えていたと述べられます。この場合、「御屋敷」はその公的政務空間である「政所」または「会所」を指すことが多いので、常葉氏および馬場氏が甲斐国守護武田氏の配下の行政単位として現地を統治していた状況が推測出来ます。

 そして、江戸期になって在地勢力が消滅した後、徳川政権の支配構造に転じて「御城」の地名は改変されて「五条」となり、「御屋敷」の地名だけが変えられずに残されました。在地勢力が無くなったので、その拠点を示す「御城」の表記は不要となり、当て字の「五条」に変更されました。表記の変更にとどまったのは、在地勢力が完全に消滅していたため、徳川政権としては、地名そのものを完全に変更して歴史を抹殺する必要が無かったためと思われます。
 ですが、行政単位としての施設は必要です。全国どこでもそうであったように、いまでいう村長または自治会長に相当する名主が任命されて、江戸幕府の統治システム下において現地の政務にあたります。その拠点が「御屋敷」であり、これは従来の「政所」または「会所」をそのまま再利用したようです。だから「御屋敷」の地名だけが変えられずに残されたわけです。

 常幸院を辞した後、その「御屋敷」の跡地に寄ってみました。かつて下部町役場が置かれていた場所で、いまは公民館が建っています。地域行政および自治の中心地であるという点は、今も昔も変わっていないわけです。地名表記が中世戦国期以来変わっていないのも、この「御屋敷」が行政拠点であったことを示しているからです。
 一般的に、「御屋敷」とは在地武士の居館などを意味するとされますが、それはやや誤った認識です。中世戦国期の日本では、「御」の字は朝廷や幕府に関連する公的な存在につけられるものでした。「屋敷」と書けば、それは単なる住居ですが、「御屋敷」と書けば、大部分は公的施設を意味します。いまど言えば役場や公民館、公会堂にあたります。
 同じような言葉に「御館」がありますが、これは本来は幕府直属の御家人の地域統治のための居館を指します。私的空間としての住居は「城」とか「館」とか呼ばれて「御」の字がつかないのが普通でした。

 例えば、甲斐国においては武田氏の居館であった躑躅が崎を「御館」と呼びました。武田氏が室町幕府将軍旗下の守護職に在ったからです。戦国大名として有名な武田氏ですが、本質的には甲斐国守護職に任ぜられた文武両轄の政務官であったのですから、その居城に「御」がつくのは当然です。
 したがって、武田氏の家臣はみな公的な意味で甲斐国内各地域の統治管轄者とみなされます。その一人であった常葉氏および馬場氏も例にもれません。その本拠を「御城」と呼び、「御城」のすぐ下に「御屋敷」があったことは、その現地統治の様相をよく物語っていると理解出来ます。

 なので、「御城」および「御屋敷」の下に広がる街道筋の旧下部町街区が、中世戦国期以来の古い形態をとどめているであろうことは、すぐに察しがつきました。戦前の田園地域だった頃の航空写真を調べて江戸期以来の地形と状態を確認し、道や地割が中世的様相をとどめているのに改めて驚いた次第です。
 ただ、古い石造遺品たとえば石仏、墓塔、道標などが道端に見当たらないので、江戸期に街区が甲州街道の支道の宿場町として再編成された際に整理されてしまったものと推測されます。中世戦国期以来の街区がそのまま維持されていれば、道や路地には「物陰」と呼ばれる軍事的空間の痕跡が残っている場合が多いですが、それすらも見つけられませんでした。

 つまり、現在の旧下部町街区は、江戸期の町並みとして再整備されたものが今に面影を伝えているわけです。常幸院も、現在の境内地は江戸期に移転して再整備されたものかと思われます。古い地割を見ますと、「御屋敷」のすぐ横に広い方形空間が痕跡をとどめているので、これが中世戦国期の寺の位置ではないかな、と思う次第です。

 

  下部町役場跡の隣の東前院をのぞいた後、かつては「関道」と呼ばれ、江戸期からは表記が「石等」に変更された旧街道筋の「関口」を右折して橋を渡り、甲斐常葉駅の前から常葉川ぞいに旧街道筋を進みました。国道300号線常葉バイパスとの合流交差点を通ってすぐの左手に自動車販売店がありました。上図の奥に見えるスズキの看板がそれです。

 

  その営業所のウインドーにも「ゆるキャン△」案内標識が貼ってありました。横には例の手描きの町内マップもあり、それによれば、これが町内の南端にある「ゆるキャン△」案内標識です。甲斐常葉駅から850メートル、本栖高校まで1.6キロ、歩くにはちょっと辛い距離です。

 

 国道300号線を進んで富山橋を渡り、富士川の西側へ移動し、上沢の信号交差点で右折し、国道52号線を北進して上図のセルバ身延店に行きました。前回に続いて二度目の訪問ですが、スーパーなので買い物も色々と出来て便利です。

 

 犬山あおいのパネルも健在でした。

 

 「ゆるキャン△」販売コーナーは、前回よりも拡大されて陳列数も増えていました。ほうとうに至っては独立棚に豊富に積まれていて、人気商品であることがうかがえました。公式のグッズは殆ど揃っていて、アニメグッズ専門店にも負けていない充実ぶりでした。スーパーだから出来ることです。色々な商品を仕入れて販売するスーパーは、こういうグッズ類の販売ポイントしては最適で、下手なショップや土産物屋よりも「売る力」があります。

 

 なので、スーパーをアニメに登場させて聖地とする、という手法はけっこう当たると思います。ノリノリでコラボすれば、いくらでも販売展開が出来ますし、ファンも集まりますから、知名度も上がります。売り上げもかなりとれますから、コンビニ各社がアニメとのコラボ企画やキャンペーンに積極的なのも頷けます。

 

 そしてセルバ身延店さんは、この通り手描きのキャラクターPOPも作って大いにノリノリです。アニメファンはこういうのが大好きですから、リピート率は上がりますし、ノリノリで遠方からも来てくれます。
 地方のスーパーが全国区の知名度を獲得した、稀な事例だと思いますが、それに至るまでの蓄積の大半はお店の方々の努力によるものです。ここまで頑張って初めて、アニメ聖地としてのポジションが得られるわけです。それと比較すれば、甲斐常葉の本栖高校エリアは、もう少し努力、一工夫が必要だろうと思います。

 

 今回は、「ほうとう」と「カレーヌードル」と公式缶バッジ2個を買いました。カレーヌードルは地元で幾らでも買えるのですが、しかしここセルバ身延店で買わないと話になりません。それがアニメ聖地というものです。

 

 お肉の売り場をのぞいてみましたら、焼肉焼き鳥のコーナーに「ゆるキャン△」POPがしっかり据えられてありました。人気にあやかって売る気マンマンですね。楽しくなるぐらいにノリノリですね。世間はこういうのをわりと馬鹿にしたりしますが、しかし普段より売れて知名度も上がりますから、馬鹿にする方が愚かです。

 今回、宿がキャンプ場でのテント泊であれば、これらの品は買っていた筈でした。でも、天気予報は午後から雨ということでしたので、この日の宿はキャンプ場から旅館に変更していました。それでお肉は諦めて、弁当や飲み物等を買いました。

 

 しかし、美味しそうだな・・・。アニメ劇中のシーンをうまく使って効果的なPOPに仕上げています。これらの焼肉焼き鳥は、家でフライパン等で焼いてもいけるはずですから、「へやキャン」モードで食べて楽しむのもアリですね。

 

 車に戻る途中で、隣のコメリの建物とあわせて撮影しました。このコメリの建物もアニメに出ているからです。

 

 このシーンです。マークが変えてありますが、間違いなく同じ建物です。バイト帰りの犬山あおいがコメリ横の道を歩いていますので、犬山家の場所がゼブラの南にあることだけは分かります。JR身延線の波高島駅が通学の最寄駅であるので、おそらく下山地区あたりに家があるんじゃないかな、と想像しています。 (続く)

 


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継続高校 BT-5(フェイズエリカ仕様) 完成です!!

2018年06月12日 | ガルパン模型制作記

 塗装作業の続きです。唯一の車外装備品であるスコップと予備履帯を塗りました。金属部分は28番の黒鋼色、木製部分は43番のウッドブラウンです。

 

 塗料が乾いた後に車体に貼りつけました。

 

 ルーパーカバーのネット部分を、28番の黒鋼色で塗りました。

 

 排気管は、42番のマガホニーで塗りました。

 

 以上で、塗装作業が完了しました。継続高校は、フィンランド軍ティストのチームですので、車体色についてはモデルカステンのフィンランド軍カラーセット4色を基準におくのが良いだろうと考えます。今回のBT-5は「フェイズエリカ」のカラーページの描写をもとにグレイッシュブルーとしましたが、BT-7はこれに対してグリーン系、アニメ劇場版に出ているBT-42はグレー系、になりますので、継続高校チームの車体色は車輌ごとに異なるわけです。

 

 砲塔をセットしました。

 

 デカールは、モデルカステンの「ガールズ&パンツァー デカールVol.4」の各サイズの継続高校校章のうち、右上の2枚を使用しました。砲塔の左右側面に貼ります。

 

 砲塔左側面に貼りました。ピストルポートはあらかじめ平面状にヤスって均しておきしたので、デカールのセッティングも楽でした。BT-7やBT-42でも校章マークの位置にピストルポートがありますから、その形をなるべく平板状に直して、デカールを貼りやすくする必要があると思います。

 

 砲塔右側面に貼りました。

 

 以上で、デカールを貼り終わりました。

 

 薄くつや消しクリアーを吹き付けて、完成としました。

 

 旧式車輌特有の角ばった輪郭が、かえって力強さを感じさせます。それに速そうに見えますが、実際に履帯装着で時速52キロ、履帯を外して装輪にて72キロを出せる、快速戦車です。劇場版でBT-42が見せたすばしっこさは、BT-5から受け継いだDNAの一つでした。

 

 大きな排気マフラーが目立ちます。BT-5の改修型や後継のBT-7からは延長型排気筒2本にまとめられてシンプルになり、それがBT-42にも踏襲されています。実車や従来のAFVモデルでは、排気管は錆びている状態になっていますが、これをアニメ調のカラーでは茶色系の単一色で表すことが普通であるので、焦げ茶かマガホニーのような色でまとめることになります。

 

 さて、継続高校チームのミカにお出ましいただきました。こうでないと、折角のBT-5が絵になりません。ねんどろいどぷちシリーズを買っておいたのも、こういう使用法があるからです。

 「フェイズエリカ」では、隊長がトウコ、副隊長がリリとなっています。ミカはチームのエースという位置付けになっていますので、次期隊長候補でもあったのでしょう。そして劇場版においては隊長になっていますから、トウコやリリはおそらく卒業したのかもしれません。

 

 以上で、継続高校チームのBT-5がコミック「フェイズエリカ」仕様にて完成しました。製作日数は、2018年5月10日から5月25日までの27日でした。組み立てに11日、塗装に2日、塗装後の組み立てに1日かかりました。
 このキットは、5月8日から11日にかけての「ゆるキャン△」聖地マイカー巡礼にて持参した3つのキットの一つで、宿で組み立てました。さらに海辺のキャンプ場でのディキャンプでも組み立てました。

 今回のズベズダのキットは、BT-5の適応キットとしては現時点で唯一の存在です。他に選択肢がありませんから使用しましたが、パーツの歪みや反りが余り無かったので、ある意味助かりました。ただ、パーツの下拵えと仮組みは欠かさずに丁寧に進めましたので、パーツの合わせも割合にうまく進み、思ったよりも楽に組めました。

 コミック「フェイズエリカ」の劇中車は、今回のズベズダの製品がモデルになっている筈です。殆ど素組みでこしらえた今回のキットと全く同じ状態で劇中に出ています。つまり、何も考えずに気楽に作れるわけです。海外メーカー製品の入門キットに挙げてよいのではないかと思います。

 


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ゆるキャン△の聖地を行く4 その7  杖突峠から本栖高校へ

2018年06月11日 | ゆるキャン△

 5月9日の朝は雨のまま明けました。6時前に起きだして、昨晩から組み立てていたガルパン戦車プラモデルの続きをやり、7時過ぎに食堂に行って朝食をいただきました。
 部屋に戻り、雨が強くなってきたのを見て出発時間を予定の7時半から一時間ほどずらすことに決めました。天候が回復すれば、長野県側の「ゆるキャン△」聖地である高ボッチ高原、霧ヶ峰を午前中にドライブする予定でしたが、雨がなかなか止まないので、諦めて次の機会に回しました。

 そうなると時間が余るので、温泉に行ったり、プラモデルの続きをやったりして過ごしました。雨がようやく止んだのが8時40分、すぐに出発しました。

 

 宿を出て、最初に立ち寄ったのがファミリーマート駒ヶ根アクセス店でした。

 

 このお店は、アニメでは旧サークルケイの姿を思わせる外観で登場しています。「こまがねの湯」でミニソースカツ丼を食べた後でうたた寝し、寝過ごした志摩リンが、慌てて陣馬形山キャンプ場へ向かう途中でここに立ち寄り、ジューシー豚まんを購入しています。ホットサンドメーカーに挟んで焼いて食べたアレです。アレは私も実際にトライしてみましたが、本当に美味しかったですね。ただ、カロリー高めです・・・。

 さて今回はアレではなく、普通に飲み物、昼食用のお握りなど数点を購入しました。高ボッチ高原、霧ヶ峰行きを中止したため、ルートも変更して、杖突峠経由で諏訪谷へ抜ける最短コースに変更しました。そのまま諏訪から中央自動車道経由で一気に身延町の甲斐常葉まで移動することに決めましたが、途中に食事処が無さそうだし、甲斐常葉に着いてもコンビニすらありませんから、お握りとかパンとかを買っておいた方が良い、と判断した次第です。

 コンビニを出て、そのまま国道153号線三州街道を伊那市街まで北上、市街地の手前の沢渡で川を渡って三峰川の南を川沿いに東進して高遠まで行きました。高遠市街で国道152号線に入り、杖突街道を北上して杖突峠を目指しました。
 このルートは、劇中で志摩リンが駒ヶ根の光前寺まで行ったルートを逆にたどるものでした。駒ヶ根から杖突峠まで車で一時間ちょうどでしたので、志摩リンのビーノだとそれ以上かかっていることになります。リンちゃんもよく走るなあ、と感心してしまいました。

 

 杖突峠には、9時50分に着きました。時折雨が降り、峠への登り坂では靄にも包まれましたので、峠からの眺望は絶望的だな、と諦めました。とりあえずは志摩リンが走った道を体験出来れば良し、でした。
 上図は、杖突峠の展望所および休憩所、カフェです。

 

 アニメにも登場しています。建物の外観もそのままです。志摩リンは、試験休みに各務原なでしこと南部町のキャンプ場へ行く予定でしたが、なでしこの風邪によって中止となったため、ソロに切り替えてこの杖突峠経由で伊那谷へ向かったわけでした。

 

 案の定、眺望は完全に駄目でした。いつかまた、晴れの日に来ます。

 

 アニメで志摩リンが眺めていた景色です。

 

 展望所から休憩所、カフェの建物を振り返って仰ぎ見ました。この建物もアニメに出ています。

 

 このシーンです。志摩リンは、展望所とそのベランダの二ヶ所から景色を眺めていたのです。

 

 志摩リンが居たベランダの内側は、カフェスペースになっています。ちょうど開店したところでしたので、挨拶して入れさせていただき、ちょっと寒いのでココアを注文しました。

 

 志摩リンが立っていた場所です。お店のお姉さんも「ゆるキャン△」はよく知っていて、コミック第3巻の該当ページを嬉しそうに示しつつ、「ここなんですよねえ、このベランダにリンちゃんが立ってたわけなんですよ。1月からなんやら巡礼の若い人が増えてね、みんなこの場所で撮影とかするんで、何なのかなあ、と不思議だったんですよね。そしたら、こういうアニメがテレビでやってます、って教えてくれてね、ほんとにびっくりしたんですよお」と語ってくれました。
 なので、GW期間中は沢山の巡礼客が訪れたそうです。アニメ効果恐るべし、ですね。

 

「こちらのチーズパンいかがですか」と勧められましたので、1個買いました。これが大変に美味しくてびっくりしました。これは巡礼中のおすすめグルメです。

 杖突峠には30分ほど居て、10時20分に出発しました。諏訪谷へ下りてそのまま中央自動車道諏訪インターに行き、一気に山梨県へ移動しました。双葉ジャンクションから中部横断自動車道に進んで六郷まで進み、そのまま下に降りて県道9号線を走りました。
 甲斐常葉までは下部隧道と呼ばれる山越えルートを通りましたが、カーブも高低差もかなりきついものでした。下部側におりて本栖みち国道300号線に合流したときに、ホッとしたぐらいです。

 

 甲斐常葉の旧街道筋に入ってまもなく、右手に見えた上図の自動車販売店のウインドーに、「ゆるキャン△」案内標識が貼ってあるのに気付いて車を停めました。

 

 ここにも貼ってあるのですね。全部で15ヶ所にあると聞いていましたが、かなり広範囲にわたっているようなので、車やバイクでないと回るのが大変かもしれません。

 

 さて、本栖高校つまり旧下部中学校跡に着きました。時刻は11時58分でした。杖突峠から一時間40分かかったわけです。結構な距離ですが、それを志摩リンは原付ビーノで走ったりしているわけです。
 ともあれ、マイカーでの巡礼が叶いましたので、感慨もひとしおでした。

 

 学校正門の向かいには、麓の常幸院方面へ連絡する階段があり、普段は閉鎖されているようでしたが、そこに「ゆるキャン△」聖地巡礼者向けの案内マップやノートがボックスに入れて設置されていました。

 

 こんな感じです。下に掲示されている手描きの案内マップには、15ヶ所の「ゆるキャン△」案内標識」の位置も示されており、これがあればスタンプラリー感覚で標識巡りを楽しむことが出来ます。案内マップは常幸院本堂でも配付しています。

 個人的には、もう少し踏み込んで、スタンプも配置して欲しかったな、と思います。案内標識を貼ってあるポイントの幾つかに現地限定のスタンプも置いて、スタンプを全て押したら、甲斐常葉限定の「ゆるキャン△」ポストカードが貰える、というような仕掛けがあっても良かったんじゃないかな、と思います。
 その場合、スタンプは北と南の自動車販売店、下部薬局、甲斐常葉駅、常幸院、の5ヶ所に置いておけば良いでしょう。それぞれの場所に入ってゆくキッカケになりますし、お店の方との会話も生まれますし、それらによって思い出がより深まると思います。

 

 ボックス内には交流ノートもありました。

 

 お約束の松ぼっくりもありました。「ゆるキャン△」の定番アイテムですね。

 

 案内標識のアニメ画は、本栖高校野クルのテント体験シーンでした。これらの案内標識は今年2018年の12月いっぱいまで掲示されるようですが、風で飛ばされたりして無くなっているものもあると聞きました。夏場になれば強い日差しにさらされますので、アニメ画像は変色してしまうかもしれません。早めの巡礼をおすすめします・・・。 (続く)

 


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継続高校 BT-5(フェイズエリカ仕様) 作ります!! その4

2018年06月10日 | ガルパン模型制作記

 ラストのステップは、装輪走行状態の19、履帯装着状態の20のいずれかを選択します。ここでは劇中車にしたがって20を選び、履帯を組み立てます。

 

 組み立て前の履帯パーツです。組み合わせがしっくりいかないところもあり、事前の調整が必要でした。

 

 車輪に巻き付けて組み立て、一ヶ所だけ接着しないで取り外せるようにしました。塗装してから組み付ける予定です。

 

 車輪に巻き付けて仮組みした状態です。後端の起動輪と履帯の内側突起の組み合わせ如何で履帯全体の組み立て状況が左右されます。やや遊びがありますが、接着すれば自然体でおさまります。

 

 最後のパーツB25を組み付けます。

 

 これで塗装前の組み立て工程が全て完了しました。

 

 砲塔をセットしました。きつくて回りにくいので、内側を少し削ったりヤスったりして調整しました。上図では、砲塔上の機銃基台がついたままですが、後で取り外しています。

 

 車体色はコミックのカラーページのそれに合わせました。フィンランド軍のグレーに近いカラーで、継続高校チームのジャージの胴部分の色に近い感じですが、やや青味も入っているようです。
 色々探して検討した結果、ミスターカラーの337番のグレイッシュブルーFS35237が最も近いようだと判断しました。ちょうど手持ちの中にあったので、それでいくことにしました。

 

 車体と車輪と装備品を全て337番のグレイッシュブルーで吹き付け塗装しました。履帯は28番の黒鋼色で塗りました。写真では明るい色に見えますが、実際はもう少し暗めのカラーです。

 ガルパンの各チームの車体カラーをみると、サンダース大付属高校チームやプラウダ高校チームのように車体色を同一か同一系統でまとめる、聖グロリアーナ女学院チームやアンツィオ高校チームのように二色でまとめる、の二通りがあります。
 大洗女子学園チームは車輌も寄せ集めの混成ですから車体カラーもバラバラですが、「フェイズエリカ」の継続高校チームも似たようなパターンであるようです。コミックのカラーページを見る限り、BT-5もBT-7もBT-42も車体色が異なっており、T34/76、T35/85、Ⅲ号突撃砲などはそれぞれの迷彩になっています。バラバラなのは間違いないでしょう。
 ということは、アニメ本編に登場しているのがBT-42のみである現時点では、他の車輌は基本的に自由なイメージでカラーリング出来るわけです。モケジョさんたちが面白がっていたのもその点でしょう。

 ですが、私の製作においては、基本的にフィンランド軍の指定カラーに合わせる方針です。モデルカステンの塗料セット「フィンランド空軍カラーセット」の4つのカラーを参考にしつつ、劇中車に近い色合いを見定めてゆきたいと思います。

 

 さて、転輪のゴムタイヤ部分は、ポスカの黒で塗りました。

 

 転輪を車軸に組み付けてゆきました。定規をあてて、並びが一直線になるようにチェックし、歪みが出ないように注意しました。

 

 転輪を全て組み付け終わりました。微妙なズレが出るかなと思いましたが、車軸を組み立てる段階で慎重に計測確認しつつ進めていたのが幸いしてか、ピッタリと全ての転輪が着地して綺麗にまとまりました。 (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く4 その6  こまくさの湯とミニソースカツ丼

2018年06月09日 | ゆるキャン△

 宿の「国民宿舎すずらん荘」へは、朝食のみ一泊のプランで入りました。夕食は、上図の「早太郎温泉こまくさの湯」で湯上り後にいただく予定だったからです。
 「早太郎温泉こまくさの湯」は、アニメ第9話にて志摩リンが入浴に立ち寄った場所のモデルです。

 

 アニメでは「こまがねの湯」となっていますが、看板の外見や字体はそのまま忠実に再現されています。駒ヶ根市に所在する温泉施設であることは、こちらのアニメ画面のほうがより分かり易いです。

 

 施設の外観です。実はこの「こまくさの湯」は、「国民宿舎すずらん荘」の姉妹施設で、宿泊者は200円で利用出来ます。それでこの日の宿を「国民宿舎すずらん荘」に決めた次第です。
 「こまくさの湯」の公式サイトはこちら。「国民宿舎すずらん荘」公式サイトでの案内ページはこちら

 

 アニメでもそのままの外観で登場しています。このアングルは横の傾斜駐車場あたりからのものでしょう。

 

 食事処も併設されていて、夜20時まで受け付けていますので、夕食が出来ます。「国民宿舎すずらん荘」の宿泊客の多くがこちらも利用しているそうです。だから素泊まりや朝食のみ付きプランが人気の宿なのか、と納得しました。
 左下のメニューは、志摩リンが食べた「ミニソースカツ丼」です。ノリノリでしっかりアピールしています。

 

 志摩リンが立ち寄った温泉施設のモデル地であることは、現地でも周知されていて、入口にはポスターもしっかり貼ってありました。しかし、天気が良くなかったせいか、巡礼ファンらしき方は一人も見かけませんでした。

 フロントでの受付時に、若いお姉さんに「「ゆるキャン△」ですか?」と訊ねられました。この日は私が最初の巡礼者であったそうです。「国民宿舎すずらん荘」の利用券を出すと、「お泊りいただき有難うございます」と応じてきました。姉妹施設という触れ込みになっていますが、運営主体は共通で、実質的には「国民宿舎すずらん荘」の別館なのだろうな、と推測しました。

 

 なにしろ、公営施設でなければ確保出来ないような、駒ケ岳中腹の大田切川沿いの一等地を広く占めています。温泉の露天風呂からも、食事処からも大田切川の清流がよく見えます。

 

 食事処は、アニメではこのような状態で登場しています。その後に室内レイアウトが変更されたようで、劇中では奥に見える座敷スペースが、右側に移されていました。

 

 食事処では、食券を買って入ります。既視感バッチリの自販機とメニュー看板です。

 

 アニメでも、このように登場しています。湯上り後の志摩リンにならって、私も一時間余りの入浴の後に、夕食利用で入りました。

 

 座敷スペースのテーブルです。「ゆるキャン△」ファンは、この席につかなければなりません。

 

 志摩リンも座敷スペースを利用したからです。この時は川に面していましたが、現在は位置が変更されています。

 

 当然、ミニソースカツ丼をチョイスしました。620円なり。

 

 これが「こまくさの湯」食事処のミニソースカツ丼です。初めていただくのですが、既視感はバッチリです。

 

 アニメでも、このように登場して志摩リンが美味しそうに食べています。この画像にみえる左上の黄色のものは、カツにかけるレモンなのかと思っていましたが、実際にはタクアンだったようです。

 

 食べ終えて30分ほど休憩し、小田切川のせせらぎを聴きつつまったりと過ごしました。退出の際に上図の光景をみて、ああ、この廊下だったのか、と気付きました。

 

 アニメで各務原なでしこが旅の僧に扮して早太郎とともに歩み去ってゆくシーンが、この位置なのでした。もちろんこれは志摩リンの夢の中の場面です。早太郎は、壁のポスターから抜け出して志摩リンの食事を食べてしまいますね・・・。

 

 こちらの温泉はアルカリ性単純温泉ですが、浸透圧がかなり高いようで、体内の水分が減って喉も渇きました。そこで上図のブルーベリー飲料も買って、ロビーで飲みました。

 

 ロビーのソファです。ここも志摩リンの居た場所です。

 

 アニメでは、このように湯上り直後のホンワカ状態のリンちゃんが座っていました。受付の若いお姉さんの話によれば、若い方はだいたいソファで同じ位置に座るので、一目で巡礼ファンと分かるそうです。食事処でも皆が同じミニソースカツ丼を注文するそうです。

 アニメファンというのは、本当に分かり易いですね・・・。 (続く)

 

コメント (2)
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大学選抜チームA41センチュリオンの公式キット

2018年06月08日 | ガールズ&パンツァー

 

 このたびの静岡ホビーショーにて、商品見本が展示されたプラッツの大学選抜チームA41センチュリオンの公式キットです。ボックスデザインも上図の通りとなったようです。

 これに関して、サークル仲間のTさんやモケジョさんたちが色々と話題にしていましたが、その大半は不平不満でありました。とにかく遅すぎる、の一言に落ち着くのでした。
 そもそも最初の発売予告が、劇場版ロングラン上映中の頃で、最初は2016年夏ぐらいにアナウンスがあったのですが、その後、何度も発売予定日の変更、延期が繰り返され、とうとう一年余りを経てしまっています。

 プラッツの公式キットにしては、新規開発パーツを軸とした新製品である、というのが珍しかったせいか、多くのガルパンファンは、私やサークル仲間の人々も含めて予約で購入している人が多い、と聞いています。私自身は駿河屋さんで予約しましたが、その後、何度も発売日変更の連絡があり、それすらも慣れっこになってしまっています。
 なので、今度はきちんと6月30日に発売、との予告がありますが、半信半疑です。土壇場でまた延期になるんじゃないのか、とさえ思ってしまいます。度重なる延期のおかげで、製作の意欲すら減退していますから、手元に届いたとしても、しばらく積んでおくことになりそうです。

 そのことを話したら、モケジョさんたちも一様に頷いていました。
「アイスクリームやっと買えたと思ったら、もう溶けちゃってる、みたいなの。完全にアウトだよね」等と話していました。まったく、アウトであるわけですが、劇場版における島田愛里寿の見事な戦いぶりに敬意を表して、ここは笑顔で発売日を待つことにしましょう。

 アマゾンでの案内情報はこちら

 


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ゆるキャン△の聖地を行く4 その5  志摩リンが行かなかった場所

2018年06月07日 | ゆるキャン△

 駒ヶ根地域は、駒ケ岳の山裾に広がるリゾート地として明治期より発展してきた歴史があり、「ゆるキャン△」にて志摩リンが行かなかった観光名所も幾つかあります。光前寺のすぐ北側の高台上にある、上図の駒ヶ根市民俗資料館の建築などは、その代表的な例です。

 

 この洋館スタイルの建物は、旧駒ヶ根市役所庁舎といい、駒ヶ根市の前身の上伊那郡赤穂村の村役場として大正十一年(1922)10月に建てられたものです。
 当時としては非常に斬新かつ豪華な近世ヨーロッパ風の建物で、類例は全国でも数えるほどしかありません。現地へは、建物の一部、つまり正面本館部分を移築して文化財に指定し保存しています。

 

 外観は近世コロニアル様式でまとめられています。コロニアル様式の日本建築の類例としては、神戸北野通りの旧ハンセル邸(シュウエケ邸)が挙げられます。
 そして内部は、上図のように近世ルネッサンス風に造られています。村役場クラスの建物でこれだけの意匠を持つ事例は稀です。日本におけるルネッサンス様式の建築は、大部分が石造の大型建築で、代表例を挙げると、日本銀行本店、京都国立博物館本館、などがあります。

 

 旧駒ヶ根市役所庁舎の右隣には、上伊那地域の江戸期農家建築の代表例とされて国の重要文化財に指定されている旧竹村家住宅があります。

 

 長屋門の通り口に掲げられる説明板です。東日本に現存する江戸期の民家建築としては最大級の規模を持つことで知られますが、このクラスの古民家は西日本では割と多いです。
 どちらかというと、東日本の古民家は機能に応じて建物を分ける傾向があり、母屋なら母屋、厩なら厩として別々に建てるケースがよくみられます。西日本の古民家は母屋も厩も一つの棟にまとめてしまう形式が多いので、必然的に規模は大きくなります。

 

 したがって、この旧竹村家住宅は、東日本にたまに見かける西日本スタイルの古民家建築の例であるとも言えましょう。

 

 このように、下便所が別棟として建てられています。厩や便所や倉庫などの空間を別に建てるやり方は、歴史的には中世戦国期の在地領主層の館クラスの形式の系譜上にあります。一定の敷地内に幾つかの建物をこまごまと並べており、建て替えや改装も簡単に出来ました。西日本では全ての空間を一つの建物の中におさめていますから、部分改装や修理であっても、屋根を全部取り外さないと不可能、といったケースが多かったようです。その意味では、建物を分散させる東日本方式のほうが合理的であったと言えそうです。

 屋根は、御覧のように「コバ葺き」と呼ばれる板葺きで、竹棒と石で押さえる一般的な形式です。中世戦国期の日本の町屋および民家の大多数が、この「コバ葺き」でした。いま日本の古い景色の象徴みたいに言われる藁葺きは、もともとは社寺建築の一様式で、これが江戸期に豪農クラスの富裕民の民家に採り入れられたものです。

 

 外回りの外観も立派です。手前の二間部分が厩、中央が母屋、奥が座敷にあたります。それぞれの部分が外からも識別出来るように、戸口や柱などの構造材の構え方が異なっています。

 

 正面大戸口から入りました。このように広い土間と囲炉裏があり、その上手に板敷の台所があります。土間と台所の間には間仕切が設けられないので、空間が最大限に広く感じられます。この方式は東日本の古民家に多く、間仕切を多用する西日本の古民家とは異なります。

 

 天井板もありませんので、御覧のように豪壮な梁組(はりぐみ)が見渡せます。土間での炊事の煙を早く屋外に逃がすには、天井を開放するのが良いですが、これは土間や台所の空間を母屋と一体にしている故の措置です。土間や台所が別棟になっている古民家では、たいてい天井板が貼られています。西日本の町屋建築はだいたい天井張りが多く、土間や台所は出入り口または敷地の奥の庭に面しているケースが一般的です。
 このように、古民家の内部構造を見てゆくことで、日本の各地域の暮らしの様相がよく理解出来ます。

 

 母屋の座敷部分です。畳敷きの部屋が並びます。このあたりは現在の住宅とあまり変わりません。従来の日本民家の座敷部分を、いまの住宅では「和室」という形式で採用しているからです。それ以外はどちらかというと洋風スタイルにまとめているのが、いまの日本の一般的な民家の傾向です。

 

 なお、こうした大型の古民家は、かつての日本では一般的だった大家族制のありようをも伺わせます。核家族化が進行した現在の日本では、一世帯あたりの人数が最低限になっていますから、住宅建築が小型化して、マンションやアパートが増えてゆくのは当然です。

 

 駒ヶ根市民俗資料館を出て、いったん宿の国民宿舎「すずらん荘」に入りました。元の計画では、この日は陣馬形山キャンプベースにてテント泊する積りでしたが、天候がおもわしくない上に、この日の夜は大雨になるとの予報があったため、第二候補としておさえてあったこちらの施設に決めました。光前寺の近くでもあり、「ゆるキャン△」聖地巡礼のための宿としても最適です。
 国民宿舎「すずらん荘」の公式サイトはこちら。 (続く)

 


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継続高校 BT-5(フェイズエリカ仕様) 作ります!! その3

2018年06月06日 | ガルパン模型制作記

 ステップ13の工程に入りました。左右の前部フェンダーを組み付けます。これをやっておかないと、ステップ10で保留にしたヘッドライトの取り付け位置が定まらないのです。それぐらい、今回のキットの製作ガイド図はイラストが大雑把で、パーツの接着位置が分かりにくいところがあります。

 

 左右の前部フェンダーを組み付けました。内側に半円形の窪みがあるところに、ヘッドライトがくるようです。これに関しては帰宅してから実車の写真を参考にして取り付け位置を決めることにしました。

 

 続いて、関連のパーツ群を次々に切り離して準備しました。ディキャンプ中の屋外での組み立て作業は、風に吹かれるので涼しく、そして接着剤の匂いも鼻にきません。疲れたら顔を上げて、海を眺めて、コーヒーでも飲めばいい気分転換になります。

 

 ドンドン進めてゆきました。パーツの合いが良いのが、気持ち良いです。

 

 ここで、ステップ11および12で保留にしていたパーツB18を左右とも取り付けました。やはり製作ガイドの指示位置より上にズレるうえ、角度もやや浅く取り付けるのが正解でした。

 

 ステップ13の工程が完了しました。

 

 ここで、再度、左右のフェンダーが水平になっているかを確認しました。意外と見落としたままになっていて、後で斜めになっているのに気付いて慌てて修正したりする箇所です。

 

 さらに、車体前部の装甲パーツB3の取り付け状況を再チェックしました。パーツの合わせを下で優先してピッタリ接合したため、上端に段差と隙間が僅かに生じました。これは後でパテをひいて埋めることにしました。

 

 ディキャンプを切り上げて帰宅し、続きをやりました。ヘッドライトの位置を再確認し、取り付けました。ライトのカバーも付けましたので、塗装時には全て車体色に包まれる予定です。

 

 ステップ14では車輪を取り付けます。ステップ15から18までは砲塔を組み立てます。砲塔においては上面のループアンテナは劇中車に無いので不要です。すなわち、A15とA16が不要です。また吊り上げ用フックのA6は、ガイド図では横から接着するように示されますが、ボックスアートの図では上に立てているので、そのように取り付けます。これは劇中車でも同様でした。

 

 車輪類を組み立てます。このうち両端の誘導輪と起動輪はその後車軸に組み付けますが、転輪4つは塗装後に取り付ける予定です。

 

 仮組みして全ての車輪をセットしました。幸いにもズレはあまりありませんでしたが、ダボ穴が小さいところが幾つかあって、ピンバイスで拡張するなどの調整が必要でした。

 

 砲塔の組み立てに移りました。上図のステップ15の段階では、パーツA9およびA10がはまりにくいことが判明し、それぞれをヤスって薄く調整したうえで組み付けました。

 

 砲身が組み上がりました。砲身の砲口は、ピンバイスで開けて仕上げました。

 

 砲塔本体の組み立てに進みました。これも箱組みですので、一つ一つ丁寧に下拵えして、仮組みして合いをチェックしました。

 

 組み上がった状態です。吊り上げ用フックのA6は、上図のように立ててセットしました。ハッチ後ろの機銃取り付け基部とみられる円筒形パーツは、ガイド図に従って取り付けたものの、劇中車に無いことに気付いて、後で取り外しました。
 また、砲塔左右のピストルポートの突起は実車写真では板状になっているものも見られるので、そちらに合わせてヤスリで平たく均しておきました。劇中車ではその上に継続高校の校章マークがつくので、突起を平たくしておいたほうが、デカールも貼りやすいだろうと考えたからです。 (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く4 その4  早太郎おみくじと庭園

2018年06月05日 | ゆるキャン△

 光前寺本堂外陣脇の詰所売店で、上図の「早太郎おみくじ」を売っていました。志摩リンが500円で買ったあのおみくじの元ネタで、実際に500円で売られています。

 

 アニメの「早太郎おみくじ」は可愛く描かれています。実物と全然違います・・・。か、かわええ・・・。

 

 でも・・・ 500円するのか君たち・・・・

 

 結局、買いました。結果は吉でした。今まで大吉とか中吉を引いた事がありませんから、私の運なんてこんなものでしょう。なにしろ、大凶を高確率で引くアホですから・・・。

 

 結んで、おしまい。

 

 10数年ぶりの参拝でしたが、風情は昔と変わりませんでした。いいお寺です。山裾の深い原生林に包まれる雰囲気が、よく遊びに行った奈良県の室生寺を思い出させます。

 

 折角なので、これまで拝見の機会を得ていなかった庫裏の庭園も見て、休憩することにしました。5月30日から上図の庫裏中門が修復工事に入るため、12月ぐらいまでは門前駐車場からの臨時迂回路が設けられて庫裏庭園へ回る形になるそうです。
 御覧のように、門の建物は相当傷んでいるようで、僅かに右に傾き、屋根の両端も少し下がっていました。垂木が老朽化して屋根の重みに耐えられなくなってきているのでしょう。

 

 庭園といえば、光前寺の境内全域が杉林の中にあり、苔も多く広がるために「光前寺庭園」の名で国の名勝に指定されています。狭義の庭園は、上図の庫裏客殿の裏にある築山泉水庭を指します。

 

 庭園の他に客殿の展示コーナーにて、弁天堂の修理前の元の部材などを見学出来ます。

 

 弁天堂が国の重要文化財に指定されたことを証明する文部大臣発の公式文書です。指定年は平成十年で、建物だけでなく、内陣に安置される厨子も附けたりとして一括指定されています。

 

 遠州の霊犬「悉平太郎」の木像が祀られてありました。これには驚きました。信濃の早太郎は、遠州では「悉平太郎」と呼ばれ、これに関する説話も、光前寺側の伝説内容より細かく、長くなっています。

 それによれば、「悉平太郎」つまり早太郎は、光前寺にて一匹の雌の山犬が産んだ五匹の子犬のうちの一匹で、ひときわたくましく育ったそうです。やがて母親と四匹の子犬は山へと帰っていき、一番たくましくて利発だった子犬が寺に残りました。山犬の親子をずっと見守っていた和尚は、少し不思議に思ったものの、この一匹が寺に残ったことをたいそう喜び、これを「早太郎」と名づけて慈しみ育てた、ということです。

 傍らの説明文によれば、静岡県浜松市の足神神社の付近にも、「悉平太郎」つまり早太郎の墓があるそうです。
 ちなみに、原作コミック第5巻にて、志摩リンが静岡県磐田市に向かい、「悉平太郎」を祀る見付天神こと矢奈比賣神社に参拝していますが、アニメ本編ではそこまで至っていません。二期が実現すれば、「悉平太郎」も登場するかもしれませんね。

 

 客殿裏手の庭園を望む縁側に回り、築山式池泉庭園を見ました。なかなか立派なしつらえです。築山部分が自然地形を生かして長く造成されているあたりは、中世期庭園の特徴の一つです。

 

 園池の東西で表現が異なっており、拡充整備が行われたのかもしれません。局部的には後世の改変のあともみられますが、中世期の手法および意匠が地割り、石組み等にみられます。上図の石橋の形式も中世のものです。

 

 庭園に注ぐ水は勢いも良く、音をたてていました。背後の山の湧水を取り込んでいるそうです。要するに光前寺の境内地そのものが庭園の素材になっており、長野県を代表する中世期の複合的庭園群として、県内では初めて文化財指定を受けています。

 

 庭園見学は有料であり、茶菓子のサービスも含まれています。参拝見学客が客殿内を一通り回って庭園を鑑賞し終えると、休憩処の座敷にて上図の茶菓子が出されます。
 お茶の右に置かれた「法楽」の紙包みが、菓子の麦落雁です。これを一口かじり、お茶をゆっくりと飲んで菓子の甘味とともに味わうわけです。

 

 退出して、中門をくぐって境内に戻りました。上図では、中門の屋根が左側で下に歪んでいるのが分かります。

 

 庫裏への道と伽藍への参道が合流する地点に、上図の参拝案内所があります。アニメでも登場し、志摩リンが熊出没の注意書きにビビっていましたね。

 

 このシーンです。案内所は閉まっています。案内所が閉まっている時は、三門下の事務所売店が開かれているのだそうです。 (続く)

 


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継続高校 BT-5(フェイズエリカ仕様) 作ります!! その2

2018年06月04日 | ガルパン模型制作記

 ステップ6と7では背面部分の組み立て、ステップ8と9では前部ヘッドライトの組み立て、ステップ10では車体外板の取り付けを行います。このうち、ステップ10での車体外板B1およびB2は、後のステップ13にて左右フェンダーを取り付ける段階まで仮組みのままにとどめました。どう見ても、左右のフェンダ―の後部のパーツとの合わせがズレているように思えたからです。

 

 ステップ6では、排気マフラーとみられる部品を組み立てました。

 

 ステップ7では、背面部の各種のパーツを取り付けてゆきました。

 

 車体背面部が組み上がりました。

 

 次の休日、お気に入りの赤穂市丸山海岸キャンプ場へ出かけてデイキャンプを楽しんだ折、製作の続きをやりました。作業に疲れたら、チェアに深く座り込んでコーヒーを味わいつつ、蒼い海原をのんびりと眺める。これがまた最高なんですな・・・。

 

 海岸に打ち寄せる波の音を聴きつつ、ステップ8から作業に入りました。外でプラモデルを作るというのは、何か新鮮味があって、自然と気合が入ってまいります。

 

 ヘッドライトを組み立てましたが、ガイドのイラストの指示がいまいち分かりにくいため、接着を保留にして次に進みました。ヘッドライトの左右にフェンダーのパーツがくるので、それの取り付け時に、ヘッドライトの接着位置もつかめるだろう、と考えたからです。

 

 ステップ11と12で左右のフェンダ―を組み立てます。それぞれのB18は、車体との貼り合わせ関係がよく分からないため、この段階ではB21を取り付けるだけにして、B19およびB20に組み付けるのも保留にしておきました。
 ステップ13では、左右のフェンダ―等を取り付けますが、さきにステップ10にて貼り付けを保留していた車体外板のB1およびB2を貼りつけてから作業に入りました。

 

 ステップ11および12で、左右のフェンダ―を組み立てますが、車体に仮組みしてチェックしたところ、B19およびB20の長さが必要以上にあることが判明しました。

 

 ですが、ガイドの指示にしたがっていったん取り付けました。車体への組み付け時に余分な部分をカットして調整することにしました。B18も、B21を取り付けただけにしました。

 

 ステップ10にて貼り付けを保留していた車体外板のB1およびB2です。これを先ず貼りつけることにしました。

 

 ズレも隙間も無く、案外にビッタリとはまりました。初版分では各所に隙間が出来るらしいので、この2015年再販分においては相当の手直しが施されているようです。全体的に見て、組み立て易い感じになっているようです。

 

 車体上面パーツのB10もピッタリとはまりました。

 

 そして、左右フェンダーの組み合わせがうまく行きませんでした。やはりB18およびB19の寸法が必要以上に長いのでした。上図のように、B18およびB19の外側を約1ミリほどカットしました。

 

 これで左右フェンダーの組み付けもなんとか出来るようになりました。

 

 左右フェンダーが水平になっているか、あちこちから見てチェックしました。

 

 上図では、右側フェンダーが僅かに下に落ちているのが分かります。流し込み接着剤を再度ひいて、水平になるように調整しました。 (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く4 その3  早太郎の面影

2018年06月03日 | ゆるキャン△

 光前寺の三重塔は、江戸期の塔婆建築としては小規模のほうに属しますが、現在の伽藍諸堂宇がいずれも再建を繰り返して規模を縮小しているようですので、むしろ堂々として見えます。建っている場所は、おそらく創建以来の位置を動いていないようですが、礎石の移動の痕跡が見られませんので、元の建築の規模を受け継いでいるものと思われます。
 現在では、境内景観の重要なアクセントとして中池と墓地とに囲まれ、鬱蒼とそびえたつ老木に寄り添うかのような姿を見せていて、どこから見ても絵になります。

 

 三重塔の背後に墓地が広がりますが、その入口付近に由緒ありげな石祠が並ぶ一画があります。

 

 説明板には、大坂の陣にて豊臣方真田幸村配下として二度の陣に参戦して散った、地元出身の十一人の武士たちの碑、とあります。脱帽黙礼のうえ、もののふの魂と志を偲んで合掌しました。

 

 その横に、霊犬早太郎の墓があります。立派に祀られています。以前にこの寺に参拝した際にこれを拝した記憶がありませんから、今回が初めての実見と言えます。

 

 「ゆるキャン△」アニメ第9話でも、そのまま登場しています。鏡餅形の墓石の両側に彼岸花が添えられているのが秋を感じさせます。

 

 鏡餅形の墓石というのは、初めて見た気がします。それ以前に、動物の墓所というものを初めて見ました。

 

 早太郎の墓の付近の景色です。背後に三重塔が見えますが、アニメの同シーンでは描かれていません。

 

 このシーンですね。早太郎の墓に手を合わせる志摩リンです。

 

 もう少し離れて見ますと、三重塔のほうが大きく見えますので、早太郎の墓の所在があまり目立たなくなります。アニメで三重塔を省略したのは、そのためでしょうか。

 

 同位置で後ろを振り返って、本堂を見ました。そのまま近寄って堂内外陣にあがりました。

 

 外陣の右側壇上には、早太郎の彫像が安置されています。いつの時期の作かは示されていませんが、室町期または江戸期かもしれませんし、明治期以降かもしれません。

 

 早太郎伝説の説明です。物語に仕立てるべく色々と脚色がなされているのかもしれませんが、要するに700年前、鎌倉時代の光前寺の山に早太郎と呼ばれる信州最強の「山犬」が居たこと、それが遠州の見付村で娘を浚っていた悪党(老ヒヒに擬されている)と戦って倒したものの、自身も重傷を負ったこと、そして光前寺に帰って住職に報告したのち死んだこと、その供養として大般若経が写されたこと、という流れのようです。

 周知のように「山犬」とは、江戸期までの日本では猟犬として飼われるケースもありました。鎌倉期や室町期には武士が「山犬」を警護役に付けていた事例もあり、盗賊の追捕にも使用したことが知られます。「信濃の早太郎」は、そういった猟犬もしくは警察犬のような存在であったのかもしれません。

 

 しかし、この彫像は実際の犬よりもものすごく精悍に表現されています。ジャーマン・シェパード・ドッグみたいですが、中世期の日本にドイツ原産の牧羊犬が居たはずはないでしょうし、かといって実際の早太郎の姿を忠実に写し取っているとも言われていませんので、想像で作られたものかもしれません。

 

 ですが、そのままアニメに出ています。細部までよく再現されています。

 

 本堂外陣壇上にて、斜めに前を向いて安置されていますが、以前はまっすぐ前を向いて安置されていた様子が数年前の参拝写真などでうかがえます。

 

 アニメでも、まっすぐ前を向いて、志摩リンと相対しています。アニメ制作スタッフが数年前に取材に行った時はこの安置状態であったようです。

 

 改めて見ていると、かなりの老齢の姿に表現されていることに気付きました。早太郎のことを指す「山犬」がニホンオオカミまたはオオカミだと仮定すれば、その寿命は野生であれば約5、6年、人間に飼われていれば約15年ぐらいであったことになります。光前寺の和尚に可愛がられていたのであれば、飼われていた可能性もありますが、その場合は約15歳に限りなく近かったことでしょう。

 要するに、この彫像は実際の早太郎の姿を写したものではないかもしれませんが、その最強クラスの「山犬」の晩年の姿を推定表現しているようには見えます。信濃に名をはせた霊犬早太郎の面影を、この像にみてとっても、あながち間違いではないのでしょう。 (続く)

 


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ガールズ&パンツァー もっとらぶらぶ作戦です! 10

2018年06月02日 | ガールズ&パンツァー

 5月23日に発売されました、「ガールズ&パンツァー もっとらぶらぶ作戦です! 」の第10巻です。ついに10巻に達しましたが、この種のコミックとしては大したものです。
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 この巻は、「最終章」第1話劇場公開後に出ましたので、当然ながら大洗女子学園サメさんチームが初めて登場しています。もちろんBC自由学園チームの面々も初登場・・・、いや、そちらは9巻の末尾に出ていましたね・・・。

 個人的に面白かったのは、カバさんチームの高知イベント旅行でした。四国は割とよく行くので、高知へも何度か行きましたが・・・、桂浜の坂本竜馬像って、そんなに大きかったとは初めて知りました。いつも遠目に見ていて、近くまで寄ったことが無かったものですから・・・。

 あと、気になったのが、間に何回か入れてある、鉄橋のある川のイラスト。あれ何だろう・・・。

 


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ゆるキャン△の聖地を行く4 その2  光前寺の早太郎

2018年06月01日 | ゆるキャン△

 光前寺三門の石段下に進みました。ここで境内地が一段高くなります。本堂を中心とする伽藍の境界であることが地形でも示されています。
 このように中心伽藍域を一段高く造成することで、仏教空間の神聖さを表す考え方は、奈良時代までの古代寺院ではあまり見られず、平安時代からの天台宗および真言宗の拠点寺院に多く示されます。とくに真言宗では「壇場」という呼称を用いて明確に定義づけていましたが、天台宗ではそういった呼称はなく、むしろ根本教理の「一念三千」において概念として位置づけていたようです。

 

 アニメでもほぼ同じアングルで出ていますが、石段が実際より長くなっています。より伽藍境界の高さが強調される結果になっていますが、伽藍域の高さがあればあるほど、聖域としての概念も高められます。
 ただ、アニメ制作陣がそこまで意識していたかは疑問です。単に石段の数を増やしただけでしょう。

 

 左手には、鐘楼が見えます。昭和35年に当山開基千百年を記念して再建されたものです。大梵鐘は1340キロを測ります。

 

 アニメでも登場しています。細部まで忠実に再現されています。木柵のロープなどもちゃんと描写されていますので、写真画像をもとにしてアニメ画を起ち上げているのかもしれません。

 

 三門に至りました。何度見ても見事な組物です。伊那谷を含む南信地域においては最大規模の三間二重門で、入母屋造、杮葺とします。もとは二階建の鐘楼門でありましたが、江戸期の文政元年(1818)に焼失し、嘉永元年(1848)に再建されました。棟札によれば、造営にあたったのは、美濃国中津川の工匠横井和泉藤原栄忠とその一門でありました。

 この三門は、光前寺においては中心伽藍の正門と位置づけられています。同時に、本堂への参道を区切る結界線上の重要な建造物であり、参道から本堂本尊を直接見ることが出来ないようになっています。つまりは視覚的な障壁の役目を持っており、元の建物も現在の建物も二階建てであるのはそのためです。

 

 三門下の寺務所売店は閉まっていました。

 

 アニメでは、ここで志摩リンがおみくじの早太郎を買っていました。

 

 三門をくぐって中心伽藍域に入りますと、中池の石橋を渡りますが、その右手の林間に上図の弁天堂があります。数度の罹災で主要建造物の建て替えを余儀なくされた光前寺において最古の建造物です。
 江戸期の天保十二年(1841)の「寺徳分限帳」の記載により、寛文元年(1661)の造営と分かります。もとは向かい側の十王堂の位置に建てられていましたが、その後に現在地に移されています。

 

 小さい一間四面の建物ながらも造りは正統的手法を示します。柱は円柱とし、正面に格子戸、側回りは落板壁と板戸でまとめています。柱上に組まれた斗栱や木鼻は最低限の形で屋根を支え、全体として室町期の手法が表れています。こういった建築遺構は全国的にも稀で、国の重要文化財に指定されています。

 

 屋根は、もとは杮葺でしたが、昭和38年に銅板葺に改められています。保存措置の上では、仕方のないところでしょう。
 内部に厨子入りの弁財天と十五童子を安置しており、格子戸ごしに拝む事が出来ます。

 

 経蔵です。江戸期の享和二年(1802)に建てられたものです。霊犬早太郎の供養のために旅僧が奉納した大般若経が所蔵されています。

 

 経蔵の前から本堂を見ました。

 本堂は江戸期嘉永四年(1851)の再建になります。おそらく三門とセットで再興事業が行われたもののようで、細部の建築意匠に幾つかの共通項が見られます。内陣には秘仏本尊の不動明王像および八大童子像を祀ります。
 この寺の秘仏本尊は七年に一度の開帳が行われており、最近は一昨年2016年に開かれています。したがって、次の開帳は2023年であることになります。写真を見る限り、本堂と同じ江戸期の作と思われます。

 

 本堂に向かって左側の高台には、三重塔が建ちます。南信地域に現存する唯一の三重塔建築として貴重です。江戸期文化五年(1808)の再建で、諏訪の宮大工、立川二代和四郎冨昌と弟の四郎治らによる造営です。内陣には五智如来像が安置されますが、普段は非公開です。

 

 三重塔の建つ高台の下には、上図の霊犬早太郎の石像があります。

 

 いわゆる狛犬ふうではなく、実際の動物の姿かたちにかたどってあります。ただ、犬にしては吻に段がないので、キツネかオオカミのようにも見えます。
 早太郎に関しては、寺の記録や諸文書において「山犬」と記されます。江戸期までの日本において「山犬」といえば、普通はニホンオオカミのことを指したようで、近畿地方でも奈良県の吉野、和歌山県の熊野などでもニホンオオカミを「山犬」と呼んで畏怖し信仰した歴史があります。

 ニホンオオカミは、いまこそ絶滅して久しいですが、かつての日本においては百獣の王者として君臨し、生態系における頂点に位置した最強の獣でありました。柴犬とかのイヌとは全然違いますので、江戸期までの人々もそのことはよく分かっていて、普通のイヌは「犬」といい、ニホンオオカミは「山犬」と呼んで区別していたそうです。同時に「山犬」とは「山の神」であり、山の自然の守り神という認識がありました。
 いわゆる神社の狛犬も、古くは山犬と同義であったといいますから、そのモデルはニホンオオカミであったと推測されますが、まだ諸説があって史的位置は定まっていません。

 なので、いわゆる早太郎伝説において、老ヒヒを倒した早太郎とは、普通の犬ではなく、ニホンオオカミであった可能性が考えられます。犬ならばヒヒに負けるかもしれませんが、ニホンオオカミならば、獰猛な土佐犬も猛牛も怯んで逃げるほどの不気味な迫力と強さを誇っていましたから、狡猾なヒヒを圧倒し倒しても不思議はありません。
 そして何よりも重要なことは、長野県がかつてはニホンオオカミの生息圏の中心であったとされている点です。中世期の人々が「信濃の早太郎」と呼んだその存在は、ひょっとすると、ニホンオオカミの中でも最強クラスのボスだったのではないか、と思います。

 そしてさらに重要な事は、ニホンオオカミは人間に対しては絶対に危害を加えない、むしろ人間を山の脅威から守ってくれる神のような存在である、という認識を江戸期までの日本人が持っていた、という点です。
 とくに光前寺のような山岳寺院系の拠点においては、背後の山に普通にニホンオオカミが生息していたことは想像に難くなく、むしろ寺の住僧たちがこれを崇めるなどの接点があったのだろう、と個人的には推測しています。
 早太郎伝説において、早太郎は光前寺の和尚さんにヒヒ退治を報告して息絶えます。おそらく、早太郎は中世期の光前寺の裏山に棲んでいたニホンオオカミであり、光前寺の和尚がこれを敬い、食物を与えていたのではないかと推測します。

 奈良県に住んでいた頃に、東吉野村のニホンオオカミ伝説に興味を持って色々調べて、古老に話を聞いて回った事があります。
 ニホンオオカミが自然のなかで生きて行くにあたってどうしても不足するのが塩分であったので、時々人里に塩を求めて降りてくる、それを人間たちも分かっていて、山犬が吠えた夜には戸の外に塩を積んだそうです。そしてニホンオオカミはそれを舐めて山に帰り、後日、イノシシやシカなどを倒したのをそのまま人里に持ってきて、御礼代りに置いて立ち去る、ということだったそうです。

 昭和の初め頃までは、木こりや山師や猟師たちの戒めにも「山犬には刃を向けるな、山犬には逆らうな、山で道に迷ったら、山犬に頼れ」というのがあったそうです。
 なぜかというと、ニホンオオカミの習性として、人間がニホンオオカミの縄張りに入った場合、それを遠巻きに監視し、人間が縄張りの外に出るまでずっと後をついていく、というのがあったそうです。人間が道に迷っていると、一度姿を現したうえで、正しい方向に導いて、縄張りの外に出るまで引導する、というのがニホンオオカミの習性だったそうです。だから、「山で道に迷ったら、山犬に頼れ」ということであって、「送りオオカミ」という言葉の本来の意味もそれであったということです。
 ニホンオオカミは絶対に人間を襲わない、しかし人間が縄張りに入ると邪魔に感じるらしく、出て行くまであれこれと動きます。これを人間の側からみますと、ニホンオオカミに山で出会ったら、まず安全である、道に迷った時にはちゃんと麓まで案内してくれる、という認識になります。後ろにニホンオオカミがついてきていれば、まだ山の中であって、いなくなれば、無事に帰れたということです。そういう関係が、昔は日本人とニホンオオカミとの間に続いていたわけであり、各地に山の神として「山犬」を崇める風習が点在するのも、その歴史によるものだろう、と思います。

 なので、個人的には、「信濃光前寺の早太郎」というのは、当時の信濃国内で最強の老剣士ならぬ老ニホンオオカミだったのだろう、と強く思っておる次第てす。
 ちなみに、現在、東京の国立科学博物館に所蔵されているニホンオオカミの剥製、早太郎の石像によく似ているんですね・・・。 (続く)

 

コメント (1)
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