光前寺の三重塔は、江戸期の塔婆建築としては小規模のほうに属しますが、現在の伽藍諸堂宇がいずれも再建を繰り返して規模を縮小しているようですので、むしろ堂々として見えます。建っている場所は、おそらく創建以来の位置を動いていないようですが、礎石の移動の痕跡が見られませんので、元の建築の規模を受け継いでいるものと思われます。
現在では、境内景観の重要なアクセントとして中池と墓地とに囲まれ、鬱蒼とそびえたつ老木に寄り添うかのような姿を見せていて、どこから見ても絵になります。
三重塔の背後に墓地が広がりますが、その入口付近に由緒ありげな石祠が並ぶ一画があります。
説明板には、大坂の陣にて豊臣方真田幸村配下として二度の陣に参戦して散った、地元出身の十一人の武士たちの碑、とあります。脱帽黙礼のうえ、もののふの魂と志を偲んで合掌しました。
その横に、霊犬早太郎の墓があります。立派に祀られています。以前にこの寺に参拝した際にこれを拝した記憶がありませんから、今回が初めての実見と言えます。
「ゆるキャン△」アニメ第9話でも、そのまま登場しています。鏡餅形の墓石の両側に彼岸花が添えられているのが秋を感じさせます。
鏡餅形の墓石というのは、初めて見た気がします。それ以前に、動物の墓所というものを初めて見ました。
早太郎の墓の付近の景色です。背後に三重塔が見えますが、アニメの同シーンでは描かれていません。
このシーンですね。早太郎の墓に手を合わせる志摩リンです。
もう少し離れて見ますと、三重塔のほうが大きく見えますので、早太郎の墓の所在があまり目立たなくなります。アニメで三重塔を省略したのは、そのためでしょうか。
同位置で後ろを振り返って、本堂を見ました。そのまま近寄って堂内外陣にあがりました。
外陣の右側壇上には、早太郎の彫像が安置されています。いつの時期の作かは示されていませんが、室町期または江戸期かもしれませんし、明治期以降かもしれません。
早太郎伝説の説明です。物語に仕立てるべく色々と脚色がなされているのかもしれませんが、要するに700年前、鎌倉時代の光前寺の山に早太郎と呼ばれる信州最強の「山犬」が居たこと、それが遠州の見付村で娘を浚っていた悪党(老ヒヒに擬されている)と戦って倒したものの、自身も重傷を負ったこと、そして光前寺に帰って住職に報告したのち死んだこと、その供養として大般若経が写されたこと、という流れのようです。
周知のように「山犬」とは、江戸期までの日本では猟犬として飼われるケースもありました。鎌倉期や室町期には武士が「山犬」を警護役に付けていた事例もあり、盗賊の追捕にも使用したことが知られます。「信濃の早太郎」は、そういった猟犬もしくは警察犬のような存在であったのかもしれません。
しかし、この彫像は実際の犬よりもものすごく精悍に表現されています。ジャーマン・シェパード・ドッグみたいですが、中世期の日本にドイツ原産の牧羊犬が居たはずはないでしょうし、かといって実際の早太郎の姿を忠実に写し取っているとも言われていませんので、想像で作られたものかもしれません。
ですが、そのままアニメに出ています。細部までよく再現されています。
本堂外陣壇上にて、斜めに前を向いて安置されていますが、以前はまっすぐ前を向いて安置されていた様子が数年前の参拝写真などでうかがえます。
アニメでも、まっすぐ前を向いて、志摩リンと相対しています。アニメ制作スタッフが数年前に取材に行った時はこの安置状態であったようです。
改めて見ていると、かなりの老齢の姿に表現されていることに気付きました。早太郎のことを指す「山犬」がニホンオオカミまたはオオカミだと仮定すれば、その寿命は野生であれば約5、6年、人間に飼われていれば約15年ぐらいであったことになります。光前寺の和尚に可愛がられていたのであれば、飼われていた可能性もありますが、その場合は約15歳に限りなく近かったことでしょう。
要するに、この彫像は実際の早太郎の姿を写したものではないかもしれませんが、その最強クラスの「山犬」の晩年の姿を推定表現しているようには見えます。信濃に名をはせた霊犬早太郎の面影を、この像にみてとっても、あながち間違いではないのでしょう。 (続く)