行政書士中村和夫の独り言

外国人雇用・採用コンサルティング、渉外戸籍、入管手続等を専門とする26年目の国際派行政書士が好き勝手につぶやいています!

本当に自信のある者は、何も隠さない?

2010-11-05 00:22:04 | 行政書士のお仕事

 今でこそ、同業の実務研修会が東京会本会、支部、任意団体などで頻繁に行われるようになりましたが、私が開業した頃の1999年当時では、研修会の開催は極めて少なかったのでした。

 まして、インターネット検索なんて便利なツールも無く、入管局などの官公庁自身もその申請に関わる情報公開が積極的ではなかった時代ですから、自らが必死でその知識を体得するしか手はありませんでした。

 当然ながら、徒弟制度さながらに新人を使う大ベテランの先生方も相当数いらっしゃったように記憶しています。

 ところで、私はどのように業務を体得したかと言えば、

 入管実務で言えば、当時大手町にあった申請窓口(当時は、就労(企業勤務などの在留資格)審査部門、永住審査部門(日本人の配偶者などの身分系の在留資格)等に別れていた)の前の長椅子で申請を待つあいだ、そして、申請が終わってからも、黙って聞き耳を立てて、実務の勉強をしていました。

 A~D案件という入管の内部的な評価分類の存在や、不許可や問題となりそうな事例、或いは、受理して貰え無いような特殊例など、数々実際の申請例をカウンター越しから聞こえて来る外国人申請人と審査官とのやりとりの生の会話から、実際に聞いて覚えたものでした。

 このように苦労して実務を覚えた一方で、当時の東京会国際部では年に2回程、統括官クラスの担当者を呼んでの講演を行っており、私としては本当に心待ちの研修会の一つでありました。

 それは、実際に現場審査官達の口々からこぼれる言葉をヒントとして、実際の役に立ちそうないくつもの糸口を嗅ぎ取ることが出来たからでした。

 研修会のあいだ、彼等の一言一句を聞き漏らさずに耳を澄まして聞いており、「これだっ!」というような、実際に実務に使えそうな数々のヒントを聞き取った記憶があります。

 ですから、彼等の話の表面的な説明内容よりも、その口調や語り口、或いは表情などから、彼等のスタンスや入管局としての考え方などを読み取ろうとする習慣が今でも身に付いています。

 ところで、当時の国際部長のE先生は、こういった場に限らず、ご自分のノウハウを惜しみなく後進の者に公開していました。

 それは、おそらく業務に自信がお有りになったからだと思います。それは、E先生をお見かけする場がこういった官公庁の現場のみならず、学界、官界などの幅広い会合の場でもお見かけするからです。

 私自身もそのようなE先生を見習って、ここ2~3年は後進の方々へ、積極的に自分の拙い実務経験を提供するようにしています。

 もっとも、私はE先生ほど、行政書士としての造詣が深い訳でも無いので、申請実務上の経験や知識を、乞われればお教えする程度です。

 但し、私のバックグラウンドにあるビジネス経験やビジネス感覚だけは、どうしてもお教えする事ができません。実は、この部分が最も実務に役に立っているのですが・・・。ですから、行政書士の実務上の経験や知識を提供し、公開することにはまったく抵抗がありません。

 むしろ、後進の方々に早く肩を並べて頂き、お互いに切磋琢磨して語り合いたいと思うようになっています。そしてその方が、楽しいじゃないですか!

 その昔、自分が苦労したからこそ、若い方々にはそんな無用で、無駄な苦労や回り道はして貰いたくないと思うのです。

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謎の少女?の写真

2010-11-01 23:22:50 | その他

 移行型の任意後見契約を、急遽私と締結した94歳の老父が、

 有料老人ホームに移ってから、早8ヶ月余りが過ぎました。

 食事の用意から、健康管理、レクレーションに至るまで

 ほぼ24時間、プロの介護士さん達や看護師さんに

 フルケアーして貰えるのですから、自宅で同居して

 訪問介護サービスを受けるよりもこんな安心なことはありません。

 最初は、ホーム内の人間関係の構築で、相当神経を使っていた

 老父でしたが、やっとそんな共同生活にも慣れたみたいです。

 そんな老父の家財を処分する為に、実家で片付をしていて、

 下の謎の少女の写真を偶然に発見しました!

 老父の初恋の人、???

 Photox

 当たらずとも、遠からずですかね・・・。

 実は、この少女、老父の亡き妻、つまり私の母なのです。

 たぶん、年齢から想像して、70年程前の写真だと思います。

 母が生前、どこかに仕舞い込んで見つけられなかった

 戦前の数々の貴重な写真の一つです。

 当然ながら、私や妹も一度も見た事がなかった

 写真ばかりでしたので、大変驚きました。

 なぜなら、私の母のイメージは、ちょっと太めで

 朗らかな普通のおばちゃんだったからです。

 

 昔、祖母や叔母に言われた事があります。

 祖母 「カズオ君(私のこと)のお母様は若い頃はとっても

     可愛かったのよ!」

 私     「あ・・・あ?・・・。はい・・・。」

 叔母 「信じていないのでしょう? 今でこそ、太っちゃっているけど、

      昔は、誰もが認めるほど、本当に可愛かったのよ!」

 私   「いえ、まあ、そうゆう訳ではありませんが・・・。ちょっと想像が・・・」

 祖母 「お父様(祖父)も、お祖父(曾祖父)様も、サーちゃん(母のこと)を

     本当に一番可愛がっていたのよ!」

 私   「あ、そうなんですか。でも、・・・」

 てな感じでした。

 今頃になって、証拠写真発見される!ってかんじですかねぇ。

 母が生きていたら、今日の11月1日で85歳になります。

 59歳の時、夕食後に具合が悪いからと言って

 早めに横になって、家の寝床でそのまま

 翌日のお昼頃、突然の心不全で亡くなりました。

 親孝行らしいことは、何一つできませでした。

 唯一、なぜか母が珍しく嫌がった海外出張の仕事1件を

 キャンセルした程度です。

 あれから、もう26年以上の月日が経ちました。早いものです。

 その分と言っては何ですが、老父には、当面は100歳を

 目指して、出来る限り長生きして頂きたいと思っています。

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コメント (2)
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