<鼻歌で散歩>

くも膜下出血で受け死にかけました。鼻歌を歌って散歩しながら体力つけて100まで生きるつもりです。

夢と現実の境を行ったり来たり

2020-05-13 18:10:39 | ガルマルの鼻歌で散歩
クモ膜下出血で入院中は夢を見てそれが現実だと思って周りの人に話していたことがあります。例えばある日病院のベッドに知り合いが来ました。それで言うのです。「いいか、生物は最初に生まれた時は原始的なものだった。それがどんどん進化してクモになったんだ。その時にできたのがクモ膜だ。だからクモ膜で出血を起こすとくも膜ができる以前に戻ることなんだ。だからお前は話すこともできないし、歩くこともできないのだ」というのです、その時は私にクモ膜のウンチクを話してくれたのは知っている人だと思いました。すぐに誰か分からなくなりました。このことを見舞いに来てくれた人に得意そうに話していました。目を開けたり、目をずっと開けていただけで周りの看護師さんや理学療法士さんが驚いていた時期です。突然小難しいことを言ったのでびっくりしたそうです。その時は現実だと確信していました。ただすぐにそれが誰だったのがわからなくなったのです。今考えれば現実的な夢を見ていた可能性が高いと思います。それにしてもくも膜は生物が進化してクモになった時にできたものではありません。
その頃私は自分がどこにいるかも、くも膜下出血を起こしたことさえ知らなかったのです。周りの人に「あんたはくも膜下なんだよ」と言われてあまり深く考えずにボーっと聞いていたんだと思います。
これは回復期のことですが、回復期のことはほとんど記憶にありません。出血したせいで一時的な記憶を保存していく機能が極端に減ったのではないかと思っています。一時的な記憶は海馬に送られて長い記憶になるのでしょうが記憶できる量が小さくなって海馬に送られる前にどんどん短期記憶から捨てられたのでしょう。それで残った記憶が何もないんだと思います。そんなわけで夢で見たものでも現実だと思ったのかもしれません。回復期から維持期にかけてもこんな夢と現実が混ざったことが続きます。