asano.net

読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

16日目:ホーチミン3日目。-iPhoneをスラれる-

2014-06-07 13:21:50 | 旅行
怒りでここに書くのもかなり気が進まないが、頑張って書く事にする。

結論を言うとiPhoneをスラれました!
盗難には気をつけていたけど、思った以上に巧妙で、本当に気づきませんでした。
カメラが壊れたのに続き、カメラ代わりとなっていたiPhoneが無くなり、本当に心が折れそうです。
昨日色々考えたけど、ちょっと計画の変更も考えています。

本当にどうしようか考えたけど、最後にこの日記を書いているMacBook Airが壊れたり盗まれたりしたらギブアップします。。。
かなり辛いが昨日のことを書く事にします。


○クチトンネルツアーに行く

ホテルをチェックアウトして、7時40分に近くのTNKトラベル事務所の前に集合した。
現地の人が突然話しかけてきて、また変な人に絡まれたかと思ったが、彼は日本語ガイドで一緒にバスに乗るという。
彼はティムさんと言って、現在30歳だが、21歳くらいから3年間日本にいたので日本語がしゃべれるという。
んで色々日本語でベトナムの事とかを話していた。

クチトンネルは、ベトナム戦争時に、南ベトナムの防衛拠点となった場所で、ここがベトナム戦争でのベトナム側の勝利に大きく貢献した場所だという。
南ベトナムの首都のサイゴンの目と鼻の先、ここをゲリラとして防衛できたことで、大きくサイゴン突入の拠点となったのだ。
ここはアメリカ軍の空爆に耐えるため、トンネルを作って防空壕代わりにしつつ、軍の司令室や兵器の生産、食料の調理、その他支援物資の生産など、または敵の偵察や住居も含め、色々な施設を何十キロにも渡ってトンネルでつなげてゲリラ活動に有効に活用した場所である。ちなみに入場料は88000ドンくらいだったと思う。

バスに乗って8時過ぎに出発、休憩を含め、11時半くらいにクチトンネルの観光名所に着いたと思う。
ティムさんに案内されて、まず日本語の映像を観た。
ベトナム戦争に関して、とても多くの情報が得られて、とても面白い映像だった。

その後、観光を開始する。
まずは枯れ葉が落ちている何の変哲もない場所に連れてこられ、この中に隠れているトンネルを観た。
ぱっと見分からず、枯れ葉を除いてやっと小さい穴?が出てきた。
人一人がやっと入れるくらいの大きさで、自分の体型でギリギリの大きさだった。
とても狭いトンネルの中にも入ったが、先は暗く、全く進む気になれなかった。
ここを当時のゲリラは普通に進んだと考えると本当にすごいと思う。


トンネルの入り口に入る


トンネルの中に入る


その後は色々なトンネルの痕や、ベトコンの作るブービートラップや、兵器というかトラップを作るための生産工場を見たり、服や靴を作っている所や食料を作っているところ、会議室や、戦車の展示などもあり、結構面白く見れた。
一番面白かったのは、実際にトンネルを進んでみる所で、100mのトンネルを進んだが、中腰でずっと歩くのはとても辛く、100mだけと思ったが、思ったよりかなり長く、全然息が続かなかった。
暗い所もあり、かなり不安になりながら進んだが、こんな暗いくて狭い所を普通に行き来していたベトコンの人たちは本当に凄いなと思う。
かなり汗だくだくで外に出たが、外の光が本当にありがたく感じた。


ベトコンのブービートラップ


女性のベトコン


ベトコンの戦車


途中で射撃場があり、射撃も初めてやることができた。射撃は1発35000ドンで、10発から打てるので350000ドンだった。
ショットガンっぽいのを打ったが、思ったより射撃時の反動は少なかったと思う。
でも音がうるさすぎて、普通にヘッドフォンをしなければ打てなかった。兵士はなにも耳に付けずに打ってたのだろうか?

んでその後は当時食べていた芋とお茶が出され、少なからずランチ的な感じになった。
芋はあんまり美味しくなかったが、お茶が美味しかった。
んで13時半にクチトンネルツアーは帰路に着き、ホーチミンには14時半過ぎに着いた。


○戦争証跡博物館の続きを観たりする

クチトンネルツアーが終わった後は、一昨日にも行った戦争証跡博物館で降りる事ができた。
自分は途中までしか観ていなかったので、ここで降りて、残りの展示を見た後、昨日出したデジカメが修理されているか観に行く事にした。

んで16時半くらいにカメラショップに着いたが、今日中には難しいとの回答だった。カメラは分解してあったので、また2、3時間後に取りにくると言い、自分は荷物を預けたTNKトラベルの事務所に行き、MacBook Airだけを出して近くの喫茶店で海外発のドヤリングをしていた。

んで19時くらいになってカメラショップに取りに行き、一応はカメラの状態になっている形で渡される。
おそらく結構分解されてたし、結局タダで観てもらったことになるが、もう元には戻らないなと思う。


○iPhoneをスラれる

19時半を周り、またTNKトラベルに向かって歩いていた。
日はもう既に落ちていたが、人は全然いっぱいいて、街の明かりも明るかった。
そんな中、ちょっとだけ人気が少なくなった公園の横の道を通っていたのだが、前から変な女性?(おそらくニューハーフ)っぽい人が近づいてきた。
なんか良くある客引きみたいな感じで、ハイ!とか挨拶をしてきたが、最初無視していたが、その後、腕を掴んでホテル!ホテル!と叫び出した。

自分は抵抗し、先に進んだが、結構力が強い。
そんでパッと腕を話したかと思うと普通に歩いて行った。
おそらくこの時に左の腕にしがみついてきたので左のズボンにあったiPhoneを取られていたのだが、自分は怖くて気が動転していた。

何かされたかと思ったりもしたが、ズボンの辺りに触られた感触がなかったので、変な人だな、コエ~って思ってそのまま歩いて行った。
思えばこの時左のiPhoneを確認すればどうにかできたかもしれないが、本当に触られた感触がなかったので怖かった事もあり、ドキドキしながら戻った。

iPhoneが無くなったのに気づいたのは代理店でちょっと着替えをしている最中だった。
iPhoneが無いと焦ったが、この時点でもう後の祭り。後で思い返してみると、さっきの一件がやけに左側から抱きついてきたり、パッと離れたりして挙動がおかしかった(そもそも人物もおかしかった)ので、この時にやられたんだ!!と気づいた。

ニャチャンに向かう夜行バスももう時間だったので、気が動転したまま支度をしてバスに乗った。
んでバスに乗って落ち着いて考えていた。
ここでニャチャンに向かってももうカメラもないし、何も観光できない。というか今ニャチャンに向かってもこの一件が気が気でずっと寝れないだろう。どうする?どうする?と思ったが、結局このバスは出発する前にキャンセルし、今日もホーチミンに一泊する事にした。今思えば、この決断が不幸中の幸いと言えるものだったと思う。

結局その後、代理店で色々電話とかをしてもらい、保険の手続きとかをして、昨日までのホテルを取ってこれからどうしようと落ち着いて考え、auの電話の停止手続きをした後、色々スカイプとかで家族に相談とかしていました。
ちなみに保険を申請するのにも警察の盗難届などの書類が必要で、これはやはりホーチミンの公安に行かなければ発行はしてもらえないとの事。なので、ホーチミンに残ってこれからの対応について考えるのが正解だったのだ。

本当にiPhoneが無くなったのは今までで一番精神的にきつい。
カメラが壊れたのもかなり辛かったが、その代替として活躍していたiPhoneが無くなり、それ以外にも今まで毎日手足のように使っていたiPhoneが無くなったのは今までで一番のショックだった。いや人生で一番かも知れない。
色々な事ができなくなって本当に今心が折れています。。。


本当に壊れるもの、無くすものやトラブルが多いので、本当にこの旅行は呪われているんじゃないかと思い始めました。。。
いまの心の支えは最後に残ったMacBook Airです。
これが使えなくなったら、精神的にもうギブアップ、日本に帰国します。。。


ちょっとこの傷はどうやったら癒えるのかは分からないが、また落ち着いたら色々日記を書きたいと思います。。。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする