『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

発想の転換が可能性を開く⓻

2018年04月07日 | 学ぶ

  ブログを読んでいただいているみなさんへ。
 
「殺人犯はタブレット」について、さまざまなご意見をいただきます。しかし、真剣に子どもたちの現状を見据え教育に携わっているひとりとして、今回のような「教師側の『精神性の根幹』や『倫理観』にかかわる事件」は、やはり捨て置けません。
 政界の隠ぺい問題の論議が喧しいですが、今回はそれどころではありません
。子どものときからの「隠蔽教育」です。子どもたちの成長後の姿・社会を考えてください。「すべて最悪の事件が起きる背景には、その『最悪』を生み出す『くさった現実』が、既に根深く浸潤していること」が通例です。不幸にも友が遭遇してしまった事件の経緯を、もう一度ていねいに辿ってください。


 「小学校低学年で思わず手を初めてしまった『窃盗』」に対して、親が「その犯人である自らの子どもの『指導』や『立ち直り』、『行く末」に、まず目を留めることなく、『保護責任』という『社会に対するけじめ』も果たすことなく』、『自らの保身や体裁のみ』を頭に「事件の隠蔽と責任逃れを図る」。
 しかも、その手段として、自分たちのみならず、自らの同僚や子どもも含め2年間世話になった「窃盗された当の被害者」に、「子どもを使って盗聴して捏造したテープ」を聞かせ、「相手の人格を否定する言辞」を弄し、自分たちの「逃亡」と「責任放棄」の「スケープゴート」にする。
 
それによって「他の保護者がだまされ誤解」し、水谷が「4年以上手塩にかけて育て上げた生徒たちが、事情も知らずやめる」羽目になる。これが一連の流れです。
 画策・実行した犯人は教職です。この事件に潜む、果てしなく重大な意味が、心ある先生方には、よく分っていただけると思います。
子どもたちを教育・指導する「環境」「資質」「感覚」が、死に瀕しています。目をつむっては通れません。教育は次代を担う「地球の後輩」たちの「成長の総て」にかかわります。「他人事」ではありません。「たいせつな子どもたちが、現にその中で今育ちつつある」わけですから、見過ごすわけにはいきません。


 ぼくたちのころには考えられない、「教育界の倫理観の破綻、善悪基準判断の問題点」が露呈しているわけです。心ある先生方、そして子どもたちの教育に「生命」をかけている先生方、指導者のみなさん、周囲を見回し、指導する側の「適性」と「必要条件」に、もう一度厳しい目を向けてください。
 水谷の身に起きた「この上もなく卑劣なできごと」に対する抗議です。未来ある、多くの子どもたちの指導と教育に携わるべき公教育界の「まぎれもない現状」であることを、ぜひ正しく認識・判断してください。この重要性は何度云っても言い足りないことはありません。理解していただける人が、まだまだ、たくさんいることを信じています。
 ほんとうに、これで指導や教育が成立するのか? 子どもたちの心身ともの健やかな成長が持続可能なのか? ぼくにとってはフィクションですが、水谷にとっては「紛れもない現実」です
 
4月21日のブログから、こんな汚い現実や詐欺まがいの捏造画策事件に背を向け、子どもたちとの明るい学習指導・発展的な指導の探索に邁進しましょう。
 
ぼく宛に来た水谷の手紙。先週の続き(後半)を掲載します。なお、「付箋番号②とは、『許せない順・2番目』という意味だ」という水谷の言葉は、先日お伝えしました。

殺人犯はタブレット

付箋番号②玉川 海への手紙Ⅱ
 
守るべきこと
 薄っぺらな、自分たちの体裁や見栄のためだけに企てられた、とんでもない策謀。そうですね、玉川さん
 しつけや教育の整っていなかった自らの子どもの窃盗事件を、何とかごまかして「なかったことにしたい」(無理です、そんなことは。その時点で一般常識人、良識人とは言えません。倫理感ゼロです)。だから、その迷惑をかけてしまった「当の盗まれた被害者」に罪をかぶせるその時点で既に、「あなた方に身についていない」一般常識から考えて、「ふつうの人」ではありません。わかってますか?
 良識人なら、「子どもとともに心の底から謝り、自らの子育ての失態と子どもの罪の許しを乞う」ものですそれが「常識があり、子どもを思う日本の親」です。しかも、あなた方は親であるだけではありません。二人とも「子どもを教えなければならない責任ある立場」です。


 その方法が、また。勉強に行かせている小学生の子どもに「タブレット端末」を持たせ授業のようすを「盗聴録音」する。しかも、その中から録音した相手のセリフを、自分たちの都合のよいように切り貼り、編集する。その編集目的は、「いかに相手が人」であるかの「証明になるような創作」。さすが、ご主人は「素晴らしい国語力!」です。しかし、「力の使い道」を完全にまちがっています。
 半年近くを、高々「エアガンの窃盗」といった「いたずらの隠蔽(!)」捏造に使ったその時点で既に、子どもたちのことを思い、指導する責任と情熱を、きれいに忘れています。ほんとうの先生なら、子どもたちの国語の指導の、さらなる向上を目指し考察と努力を続けています。それが「正しい」先生です。指導者として、あってはならない「努力?!」はまだ続きます。
 捏造音声を、今度は一緒に塾に通っていた子どもの保護者たちに聞かせ、自分たちがやめざるを得なくなった理由がわからないように、そして罪がばれないように、その音声の拡散とともにデマ情報を流し、「彼女らに塾をやさせめるように」仕向ける最後には、成否確認のために、こっそり立ち聞きしたり、不法侵入して、結果や様子を探りに来る。いやはや、何をか云わんや。
 犯行を脚色したテレビドラマでも見られないほど、ひどい話です。さらに、こうして事件の経緯をたどる度に思うのは、「ふだん、相手と顔を合わせているのに、当たり前の顔をして画策していた凶悪さ」、これも尋常ではありません。あなた方も人生もう半ば、20年近く教員生活をしているはずです。 子どもに厳しくするのが『苦手』であろうと、市内の中学校で担任をもち役職にもつくようになった。しっかり指導計画も立てなければいけないのに、長時間かけて立てたのは、何の計画ですか?


 「こうした教育界・教育者の変質」自体が、いくら考えてもまだ理解できないし、教育界の行く末・子どもたちの成長に、今回ほど寒気を感じたことはありません。「市の学力低下問題」以前の、「人を育てるための指導・人間教育に対する根本的な破綻」です。
 「卑劣で情けない人間にならないように長年子どもたちを育て築き上げてきた『信頼』と、半生をかけた『夢と努力の証』」、「その思い」を、こんな理不尽な凶行で、ふいにするわけにはいきません。あなた方に仕掛けられた、それも「後ろから切りかかる」というような卑怯な冤罪に対する自らの「無実」の証明のために、確認できる「どえりゃあややこしい」事実を積みあげる度に、これらの解明が終わったら、『粉砕器にでもかけ、二度と姿を見ないように粉々にしないと、たまらんな』。そう思い続けてきましたしかし逆に、解明が終った今、あなた方に邪魔されてしまった、ささやかながら「正当な子育ての牙城」を絶対崩してはいけないという思いの方が強くなりました
 同じ職業でも、あなた方の指導ではそんなことは関係がありませんか? 頭に浮かびませんか? 「ヒトを育てている」という自覚より、「生計の資」が優先? それが当たり前? それでは、子どもたちがかわいそうです。それなら、他の「銭儲け」、もっと儲かる仕事をなさい。 ぼくが今の指導をはじめた理由は、「生計の資」ではなく、「死ぬまで、どう生きるか」です。「自分の生まれてきた意味は?」です。あなた方は、考えたことがありますか? わかりますか、その差が? その塾に、今回、思いもかけぬ「汚泥」をかけられたわけです。

 「優れた学力には『ふさわしい人格』がともなわないと、『クソ』」だ。「あなた方に『切り貼り』され、上手に「ぼくの『人格否定』のために利用された捏造データ」の言葉遣いで云えば、ぼくの考えは、こうなります。「人格・学力ともに優れた子どもたちを育てよう」と、強く心に決め、開設した塾と学習指導です
 ぼくの指導スタイルや方法は、「あなた方がわかろうとわかるまい」と、すべて、その信念から発しています。ぼくの「信念」で、ぼくの「生命」ですから、「卑劣な悪意と手段で、汚水まみれにされ、糞尿や汚泥で汚され、そのまま固まるのを、黙って見過ごすわけにはいきません。糞尿や汚泥の中にまぎれてしまった「磨けば光る玉」を、もう一度みんなに、発見してもらわなければなりません
 「共犯のご主人(あなた方のやったことは、れっきとした犯罪です。わかってますか? 罪状5件)」宛の手紙にも書いたように、昨年の夏、彼が親せきの店で缶ビール片手にテレビを見ていたとき、リラックスしたようすだったので、「あなた方の子ども」の話にふれました。ぼくは、わざわざ、「姉(長女)の方の問題点」を挙げ、逆に、弟に対する『正直な告白』を期待したのですが、「なしのつぶて」でした。その後、夏の終わり、あなたにも「何か、ご相談していただくことはないですか?」と答えを振りました
 ふたりのうちの一人でも「正常な感覚」をもち、「いや~、実は、この間、エアガンを持って帰ってしまって・・・」という正直さがあれば、次の「生活指導」や、「より大きく子どもが成長するたいせつな階段」を、一歩一歩しっかり前に進めることができたのではありませんか? それが教育で、教育者が採るべき姿勢です。 

 根っからのスポーツウーマンのはずですね、子どもを教える立場ですね
 子どもたちの未来に対する義務、教育者としてのプライドと責任感は、どこへ行ってしまったのですか?
 「天の与うるを取らざれば反って其の咎めを受く」ということわざがあります。「好機を逃してしまうと、かえって災いを招く」。ことわざは「人倫の鏡」です。
 ぼくは、窃盗犯罪の確証をつかんでから、「どうすべきか」を考えました。そして、まず「あなた(方)の誠意」に期待しました。
 なぜか? あなたがたは「意識・無意識は別として」人間だからです。 職業柄、「当然もっていなければならない正しい倫理観をもっているだろう」と想像したからです。
 そうした「『正常な(というより、ぼくに云わせれば、それがふつうの)倫理観』が身についていなければ、どこの子どもであろうと、子どもを正しく指導したり教育することはできない」と考えているからです

 玉川さん。先生や親が守るべきものは何でしょう? 「犯した罪を隠す」ことですか? 「臭い物にふたをする」ことですか? それが「無垢の子ども」を育てる倫理なのですか? 「一人前の社会人を育てなければならない責任ある」先生の指導なのですか?
 そうではないでしょう。罪は罪です。だから、犯してはいけない。犯したら償うべきです。被害者がいるわけですから。
 自分だけの問題じゃないんです。それが、われわれが生きている社会です。これからも続いていく社会です。
 あなたたちが、その「指導の最後の砦」とも云うべき、「わが子の指導判断」でそれができていなかった。とすれば、おそらく勤務先でも、それらを徹底させていることは考えられません。それが、教育や子育ての現状、教育界の「今」ですか? あなたがたが通った最高学府の教えなのですか?
 親が、それぞれ自分の子どもをしつけ、きちんと指導し教育さえできれば、世の中で問題は起こりません。ところが、なかなかそうはいきません。人間はまちがいを犯すし、失敗もします。だから「次はしないように、指導し教育すること」が基本原則です。保護者と先生のつとめです


 他に誰ができますか? しなければ、犯罪者か犯罪者予備軍の拡大再生産です。欠かせないもの、守るべきは「再発防止の指導と教育」です。
 「事件の後、まずやるべき」は、「その現実をきちんと受け止め、子どもの指導に正しく関与できなかったという反省に頭を巡らせ、今後わが息子が二度と過ちを犯さないような教育と指導を、どう徹底していくか」に、最大限の精力と努力を傾注すること」でした。それが、ほんとうに『子どもの未来』を守る先生や親の義務であり、責任です
 「隠すこと」ではありません。ましてや、「人に罪をかぶせること」では決してありません。わかりますか? 自らが責任を取らないで、どうして子どもが「責任をとる人」に育つのですか

水谷は、この後、相手二人が、まだ自らの子どものような年頃であることを思い出したのか、冷静に説得を進めています。
 
天は高きに処(お)って卑(ひく)きに聴く
 『自分たちの罪を隠すために、人を罪に陥れる』というのは、最も卑劣な行為です。そういうとき、「天は高きに処(お)って卑(ひく)きに聴く」という判断を下します。
 「天帝は高いところに居ながら、下界の人の言葉を聴き、人間の善悪に対して厳正な判断を下す」ということです。よくかみしめてください。
 「邪悪さを排除することができない」僕たちは、「必ずそういうイメージをよりどころとして」、正しい判断を下さなければなりません。それが「ヒトの成長」です。まず、それを教えることがたいせつです。それが「心ある親」のしつけです
 これらのことわざが伝えるのは「受験知識」ではありません。賢明な先人たちが、「人間の愚かしさ」に出会い、それらを目にし、「おそらく後世にも、こうした愚行を繰り返す『バカ』が出てくるだろうから、注意してあげよう」という思いやりです。

 ことわざや慣用句、漢文・古文・歴史、いや「学習するものはすべて、先例に学んで、より良き人生、より良き社会、より良き未来を創造するために存在」します。先生であれば、受験用の暗記を教える前に、まずその意味をしっかり考え、きちんと伝えてくださいあなた方が育てているのは「人間」です。「受験生」ではありません
 今回の「鼬の最後っ屁」のような、「悪意ある情報の拡散」がもたらすものは、畢竟、自身の「カタストロフィー」です。また、「自らの良心に恥じるような行為」は精神衛生だけではなく、自らの健康も大きく損ないます。
 人間には良心があります。ありますね。

 「良心にそぐわない行為や行動」に対しては、やがて良心が激しく抵抗します。その行為や行動が心の中で「黒く大きく」育ち、心のゆがみはもちろん、身体の不調や病気の原因になります、「生まれつきの悪魔」でなければ
 交感神経の緊張です。交感神経の極度の緊張がつづくと、自律神経の不調が慢性化・常態化し、それが病気のもとになります。人間の生命活動は、交感神経と副交感神経のバランスが保たれることで正常に行われます。これは健康維持のイロハです。
 思い出しませんか? 夏以降。後半は窃盗事件の隠蔽と捏造データの制作と拡散に奔走していましたが、最初は、よく途中で具合悪くなって、どこかに姿を隠し、休憩(?)をしなければなりませんでしたね。夏前の「窃盗の事実」を「隠しきる」のがしんどく、「長い時間、顔を合わせられなかった」のでしょう。

 そうです。それが、決して無くしてはいけなかった、あなたの「かけがえのない良心」です。そのときこそ、その「人間らしい心の訴え」にしたがうべきなのです。それが、「一番楽で、楽しく、まっとうな生き方」です
 ところが、あなた方二人のやったことは、『窃盗の隠蔽』と『退塾の見かけの理由』づくり。自分たちの「見え」や「立場」を守るために、何とも手の込んだ、「タブレット盗聴による『でっち上げ人』肉声捏造データの拡散」と「そのデータによる『デマ退塾教唆』」でした
 「良心の行動」・「正義に基づく行動」には、『齟齬』は起きません。起きようがありません。「心の揺れ」もなく、態度も堂々としたものです。
 懇意にしている、「あなた方が教唆した」保護者のお母さん(生徒のおばあちゃん)に、今回のぼくに対する誤解を解くために、事件の経緯を説明しました。「『何があったのか』、娘さんから盗聴のこともお聞きになっていた」お母さんに、「盗聴は犯罪です。盗聴した文言を第三者にばらすと、犯罪になります!」と伝えました。正直なお母さんは、急に落ち着きがなくなりウロウロ、じっとしていられないようでした。それが普通の人です。常識人です先生であるあなたは、同僚が「卑劣な方法」に困惑し、困っていたことを知りながら、その同じ手を使った、自分たちの保身だけのために。正常な倫理感とは云えません。


 「悪意ある犯罪」や「嘘」、「捏造」は、やがて「中身」が現れます。「ほころび」や「ぼろ」が出ます。政界や実業界の数々のスキャンダルをごらんなさい。思い出しなさい。犯人たちは、それらの露呈を恐れ、さらにバレてしまうような、「余計な行動」に出る。あるいは『頭隠して、尻隠さず』状態になる。
 身近な例。「『でっちあげ話や悪意のある音声捏造情報』を振りまいたことがばれるかも」という心配から、話を『立ち聞き』しようとした(あなたのご主人、古田さんの合格のお礼あいさつのとき)。塾と「関係を絶ってからまで、防犯カメラの付いている『二重の扉』を抜けて、『様子を窺いに』来なければならなかった(あなた。「高見かれんちゃん」の退塾如何の偵察)。
 ふたりとも、その「『不自然さがわからないほど」、『策略の結果』が気になり、周囲が見えなくなってしまっていること」・「悪意によるいびつな判断や行動がそうさせること」に、早く気づきなさい。子どものころ、親にその「人倫のしくみ」をきちんと教えられないと、今回のようなことが起きます。そして、その後も連鎖します。覚えさせるべきは、「天は高きに処(お)って卑(ひく)きに聴く」です。

 水谷は、玉川 海への手紙の最後を、次のように結んでいます。

天は自ら助くるものを助く
 ともあれ、
 「天は自ら助くるものを助く」ということわざがあります。意味が正確には理解されていない場合も多々ありますが、「独立独行、依頼心なく、奮闘努力するものを、天は助けて幸福を与える(「広辞苑」より)」という意味です。ぼくも、「独立独行、依頼心なく、一生懸命奮闘努力してきた」のですが、今回のような「理不尽」や「悪意のデータ捏造画策」が、これ以上まかり通ると、友人の教員連中やあちこちの仲間たちに助けを求めなければならないことも出てきます。大事(おおごと)です。既に「犯罪」だからです。それほど馬鹿じゃないと思いますが、捏造した卑劣な情報拡散は、「天に唾する行為」であることを自覚するように。あなた方の行動を知らないわけではありません。


 戦うときは、「戦う相手」や「敵」をまちがえないようにしなさい。玉川さん。あなた方が戦わなければならないのは、まず、「自分たちの邪悪な心」です。それにきちんと目を向けなさい。それが教育者としてのプライドであり、職責であり、正しい指導の実践です。

 「優秀で、人格も優れた子どもたちを育てよう、たくさん増やしたい」という思いは、ぼくの中で未だ燃え尽きていません。「自ら責任がとれる行動」ならともかく、自分が関与しない、「事実を捻じ曲げた悪意の火の粉」は、降りかかれば、やはり、きれいに払っておかなくてはなりません。「会社を辞め、生命をかけて20数年続けてきたかけがえのない指導や職業」に泥を被せる、これ以上の「悪意の捏造情報の拡散」は絶対しないように。


 世の中のことをわからない人(世間知らず)もたくさんいますが、まじめに一生懸命生きている人には、「ちゃちな」ごまかしは利きません。社会や人生を見る目の鋭さ・深さが、まったくちがうからです。つまらない行為や行動に早く終止符を打って、『正しい素直な心』をとりもどしてください。後悔のない、「お二人の」仕事と人生のために
 「天を怨みず人をとがめず」(論語)ということわざもあります。「目をつぶること」も、やぶさかではありませんが、良心が残っているなら、まず菅原・古田・高見さんの三人の保護者に、事実を正直にきちんと説明し、状況を原状に復しなさい。話せば、おそらく相手は分かってくれるでしょう。その方が、「わけのわからないうちにこうなってしまった」相手方も「心の処理」が容易です。
 それが、あなた方が今抱えている「黒いわだかまり」や「心の澱」が溶け、平安とカタルシスを手にできる、唯一の方法です。


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