『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

夢へのワープ  ④

2015年05月02日 | 学ぶ

レジェンド参考書と「学体力」
 亡くなった友人が天国から紹介してくれた青年。
 中学入学後不登校になり中退、今年京都大学理学部に合格できたM君の数学指導法、続きです。
 積みあげた学習ができていなかったので、まず中高一貫校用のテキスト(「中高一貫校をサポートする体系数学」数研出版)を使用し基礎力の徹底を図る、という方法でした。ゆるぎない確固とした土台を培うことからのスタートです。それが、あらゆる学習の基本です。

 そして、この方法は、かつて大学紛争のあおりで入試が中止になり、経済的に困難だった自らが体験した(せざるを得なかった)方法でした(ぼくの時代は前記のテキストはなく、公立の学校で使っていた同じ数研出版の教科書です)。
 数学の場合、「公式や定理を丸暗記し問題演習を」というのが、『普通の勉強法』です。しかし、ぼくは性格上「なぜそうなるのか」を究め、納得がいかなければ『落ち着かず』、前へ進めませんでした。
 たとえば、「根の公式の丸暗記」に労力と時間を使うのではなく、「解を何度も開いてみる」という具合です。公式や定理が導き出せる、その「しくみ」を繰り返し、徹底理解していきました
巻末の問題演習まで、そうした方法をおそらく三回以上(今は三周というようですが)繰り返したでしょう。
 教科書の表紙に手垢が目立つようになった頃、今もありますが、同じ数研出版の「青チャート」で問題演習してみると、おもしろいほど解けました。国立・教育学部という文系でしたが、予備校には一度も通わず(えず)、模擬テストを一回も受けず(られず)、翌春無事合格できました。

 M君もこの基礎トレーニングのあと、「大学への数学」(研文書院)とZ会の受講で、京大理学部への切符を手にしました。他、うれしいことに僕がすすめた懐かしい「モノグラム」(科学振興新社・フォーラムA)も少し使っていたようです。ぼくの場合も、その数十年後のM君の場合も、この方法で受験数学は十分でした

 奈良の有名高校の教師をしている友がたくさんいましたので、この方法の現在の是非を問うてみると、「今でも十分だ」という答えです。「それときちんとした学校の指導があれば、受験なんて、何でもない」と返ってきます。
それじゃあ、今の子は「なぜできないのか」。「なぜ予備校へ行かなくてはならないのか?」ぼくは、そこに、現在の学習法・受験勉強の大きな問題点がある、と思っています
 
学体力の欠落
 それは親子共々の、依頼心・安心料・責任転嫁のなせる業です。つまり「誰かに頼りたい」、「誰かが何とかしてくれる」、「うまくいかなければ誰かが悪い」という「心の構え」の蔓延です

 小学受験・中学受験を経て大学まで、受験という受験を、「誰かに頼って」『どこかに預けて』乗り越えてきたことの「弊害」です。いや、受験だけではなく、時代の大きな流れが、そういう方向で流れてきているのでしょう。
 「甘えるところ」が無く、『頼るところ』がなければ、それぞれが頭を使って方策を探り最大限の努力をし、「戦わ」なければならないところです。ところが、いつも誰かがそばにいて、「必要なこと」あるいは「しないで済むこと」まで、すべてまかなってしまう。それを商売にする。そんな環境が当たり前になってしまっていて、もはや、だれも不思議がらない
 そんな中で「学習すること」は『受験』とほぼイコールになり、学習の過程で培うべき「考えること」や「考える力」の養成もどんどん受験寄り・受験一辺倒になってしまっているような気がします。勉強に限らず、本を読み、何日も考え続けるという経験をした子はどれだけいるのか?

 「問題を見つけて、考える」のではなく、「与えられた問題だけを考える」、それ以外は用がない。そんな具合です。
 そうした学習続きでは、一生を生きていくのに必要になる、自ら学び考える力=「学体力」さえ、身につける機会やタイミングが生まれません。これは、思ったより簡単で、小さいころから、ひとりでやることが多くなるほど育っていく力です
 考えることや考える習慣をきちんと身につけてさえいれば、大学受験も余裕をもって乗り越えられる。これからは、そんな子どもたちの登場が待たれるのではないでしょうか。そういう子どもたちを育ててみたい。今頭にあるのはそんなことばかりです。

 
小学生の算数指導で、日ごろ心がけるべきこと
 さて、学体力をつけるために、あるいは考える力をつける一つの方法として、日ごろの算数指導(勉強)で心がけるべきことを少しお伝えしておきます。
 九九や計算問題に対しての習熟は言わずもがなですが、3~4年生になり、文章題が出てくると、子どもたちが答えを出す過程での式の使い方・立式した考え方を確認し、もう一度辿らせていくことがたいせつです

 計算が得意になった(できるようになると)子どもたちは、満足に確認をせず、計算方法だけを覚えて、考えないで(機械的に)類似問題の答えを計算してしまうことがよくあります。
 答えを導き出す時に「何をどう考え、式が出来たか(つくったか)」をたどらせてみること。それによって『問題をよく読むこと』や『式を作るまでの思考過程』が反芻できます。解答に至る考え方を確認する習慣がつきます。いつの間にか式ができて答えがあったというレベルとは格段に違う数学のセンスや学体力が生まれます。もちろん緻密な思考過程も養うことができます。団ではもっともたいせつにしている算数指導法のひとつです

ロングマン(英英辞典)を常用する
 さて、それではM君の英語の指導法です。M君は英語のほうが苦手のようでした。当初グレードリーダーの簡単なレベルを手渡して読ませても、きちんとは読めなかったのです。

 英語の参考書を使い、単語集を使い、問題演習を重ねれば、受験には間に合うかもしれません。でもぼくは自分が大学へ行った時の苦い思い出がありました。受験には合格したものの、英語のリーダーさえ満足に読むことができなかったのです。あれだけ「英語」を勉強しても、こんなに読めないとは! それが情けない実感でした。そうなってはほしくない

 M君の能力の高さは分かったので、彼には、ぜひ入学しても原書をそれほど苦労せず読むぐらいの実力はつけてほしい。英語の講読と受験学習を同時進行で進めたい。他は桐原書店の有名な英文法問題集と、これも懐かしいレジェンド「和文英訳の修業」をすすめ、講読は簡単な原書を中心に一緒に読んでいくことにしました。
 そして、ここでも、ぼくの経験した方法が役に立つだろう、という手ごたえがありました。英英辞典の常用とCDの聞き流しです。

 「単語の知識を増やすこと」と「英語の感覚を身につける」には、英英辞典を常用して単語調べをすることが一番だという確信がありました。数年前、京大に進んだY君が高校2年の時、英語がどうもよく読めない、という悩みを打ち明けたので、始めた方法でした。彼とは一緒に「老人と海」を講読しました。


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