「三者懇談の案内」例から
今週は子ども達との稲刈りの写真を多数掲載しました。
先週、中学受験に対する志望校選択の判断基準について触れました。以下は、冬期講習案内の一節です。(一部改変)
団員保護者のみなさま
毎年のことですが、受験をする子どもたちを送り出す時、ぼくの不安を振り払う心の支えになるのは、「自分が精いっぱいやったか」という確認です。
最近は、中学受験までたいてい4年間指導することになりますが、その間様々な活動や行動をともにし、受験に向かう子どもたちに何を教え、何を指導してきたか。中学に進んで、きちんとついていけるだけの心や態度・学力を養えたか、ということの振り返りです。それが整えば、受験はいずれにしろ、「ただの一里塚」です。受験するのに、もっともたいせつな準備は、そういう「姿勢の確立の手助け」だとぼくは考えています。
自身がテストで一度もあがったことがなかったのも、いつも「できるだけのことをやったから」という受験前の確信でした。受験塾や予備校に行くことができたわけではなく、学校以外だれかに指導を受けたわけではありません。一人での取り組みを繰り返してきました。
ぼくだけではなく、人生は誰にとっても、ほんとうは「ひとりの戦い」です。厳しい戦いを勝ち抜くには、やはり裏表のない不断の努力です。「そうした気概と力をもった子に育ってほしい」と、願いながら日ごろ指導しています。
あまり余計なことを考えず、残された日々、「やるべきこと」と「目標」に向かいましょう。ぼくたちはみんな、「毎日一生懸命やること」しかできません。いずれにしろ、その結果が大きな成長の糧や自信になります。(以下略)
毎回このような案内を保護者に配布しています。「受験及び受験生・受験勉強に対する意識の変革を図ること」で、子どもたちは素晴らしく成長するという確信のもとで指導を重ねています。
それでも、個別の事例になると、やはり「勉強」が「余裕のない受験勉強の域」にとどまってしまう状況から抜け出ることはなかなかむずかしいようです。ほとんどみんな「それ以外の勉強(法)を教えられた経験がない」から、当然のことかもしれません。「自らの経験からしか判断できないぼくたち」は、視点が全く変わった発想や考察には、なかなかなじみにくいのでしょう。
以前の「困ったお母さん」の例、「田植えより勉強を教えてほしい」を思い出してください。「田植えも勉強も、同じ人が同じ頭でやる取り組みである」ということがわからない。何をしても、自らがする行動によって、絶えず脳の発達・進化・変化が生まれているという認識の欠落です。
科学上の大発見や真理の多くは、「いわゆる常識」の奥からひっそり顔をのぞかせたように、一度は「学習というものの奥」を丁寧に見直し、再考してみるという姿勢が必要ではないかと思います。
ぼくたちの「学習」は、他の動物の多くとちがう誕生の、たとえば成長過程で「すぐには立ち上がれず摂食行動や防御姿勢もとれない」ヒトの、自らの生きるべき術をできるだけ早く確立し、早く身につけるために進化してきた行動パターンのはずです。決して「抽象的な概念の習得から始まった行動」ではありません。
そこに大きな秘密があるはずなのに、「『学習の一部である勉強』のしくみ」しか取りあげられていない、ほとんどそれらの行動様式しか研究対象とされていないのが現状ではないでしょうか。それらの学習の「もっと以前」に、ヒトは「学習」を最も有効な「生きる手段」にするべく進化を重ねてきたはずです。
先週の「稲刈り」の帰途、団の指導について「『課外学習』の周辺学習がおもしろくなってきた」と伝えてくれたお母さんがいました。感激でした。指導の狙いはそこにあるからです。
先の課外学習「二上山の三つの石」で見つけた小さな宝石が、実は「酸素やケイ素がもとになってできているもの」という事実が子どもたちに理解されたとき、彼らの中で化学記号の暗記や計算式から始まるのとは全く異質の「科学の世界」が生まれます。子どもたちは酸素と云えば『呼吸』でしか知らないし、ほとんどの子は「気体」という認識しかありません。これによって呼吸と宝石、酸素の姿や関係性が激変します。
長い人類の歴史で、ぼくたちはこうした感覚で科学に開眼し続けて来たのではないでしょうか。酸素やケイ素という術語や原子記号・化学式が元々あったわけでは決してありません。子どもの場合、抽象事項や述語からおもしろさや興味は広がりません。それは一部の「クイズマニア」だけです。
子どもたちが「『そうした時代』から生きることをはじめる」と考えれば、「何がたいせつか」、「どう指導すべきか」がはっきり見えてくるはずなのですが・・・。
人生が大きく変わる「小さなきっかけ」1
「ぼくは重度の睡眠時無呼吸症候群だったことを知らなかった」、という話をしました。最近はある程度名前や症例もポピュラーになりましたが、ぼくの場合検査を受けてみると、最長79秒(!)という長時間無呼吸(呼吸をしていない)状態を一晩に何十回も繰り返す重症でした。無呼吸が79秒と云うのはどんなものか?
あたりまえですが、一晩中、「約一分二十秒の間、『息を止める』ことを何十回も繰り返している」ということです。おどろきませんか?
ぼくがその危険性をアドバイスしても、軽くしか考えていない人が結構います。若い時は体力があるので身体はもち、日ごろの生活も十分維持できます。しかし健康に大きな影響を与えているのは変わりません。その状況をもう少しわかりやすく、「夜毎、何十回も首を絞められ放されるという拷問をされている」と云ったらわかるでしょうか。
いつも「酸素不足」だから、当然新陳代謝が滞り、疲労物質の除去もできないし、もちろん熟睡なんかとんでもない。息が苦しくなって、恐ろしい夢を見、動悸と寝汗で目を覚ますなんてことがしょっちゅうでした。
また、ぼくの場合は熟睡を示す4のステージが一回もありませんでした。これらの症状も、この病気を知らなかったら、「悪い夢を見た」とか、「疲れやすい」とか、「お酒を飲み過ぎた」という軽い判断で見過ごされてしまうことがほとんどでしょう。ぼくの場合もそうでした。逆に、かつては「いびきをかいていれば、熟睡している」と考えられていたものです。
小学生のころ、何度も溺れている夢を見ました。水のなかでもがいて上にあがろうと手足をバタバタさせようとするのですが、動かず、水面に出られません。もう駄目だと思った時、目が覚めるのです。そのころ、そんな病気があるとは誰一人知らず、「どうしてこんな怖い夢を見るのだろう」という不思議な感じで終わることが毎回でした。
小学生のころからぼくは電車通学をしていました。ある時、友だちのお母さんと乗り合わせました。母の隣に立っていた僕の顔を見て「目の周り、真っ黒やん!」。「母は今日は疲れてるから」ぐらいの認識しかなかったのでしょう。「病気がまだなかった(!)」わけですから。
その「隈」は小さいころからの「ぼくのトレードマーク」みたいなもので、シーパップ治療をするまでとれませんでした。いつも歌舞伎役者のまねをして下手な化粧をしているようなもんです、ハハッ。
その疲れや「隈」は、この病気を病気と認識できるまでは「原因不明」で、体質や年のせいとしか解釈できません。つまり、子どもたちにとっては(あるいは、この病気や症例を知らないお父さんやお母さんにとっても)、「原因を追究されない(!)異変」なのです。ぼくが子どもたちの日ごろの変化についても、きちんとしっかり見てほしいのは、こういう例があるからです。
「睡眠時無呼吸の潜在患者」である内は当然「その病気を治療すれば身体がどう変化するのか」に想いが至りません。しかし「いつも眠たい」、「しんどくてやる気が出ない日が多い」、「集中力が続かない」、「毎日怖い夢を見る」…。睡眠時無呼吸の子どもたちは、こういうことが常態化するわけです。当然「思考力や前向きな気持ちの減退」、「怖い夢を見ることによる暗さ」等、性格形成にまで影響が出てしまうでしょう。「本来は元気良い子に育つはずが、暗くて元気のない子に育ってしまう…」。
今治療をすることで体調がよくなり、前後の体調の大きな相違に気づいた僕は、こうした隠れた阻害因が、子どもたちの健やかな成長と人生を大きく変えることになるかもしれない悪しき可能性を危惧するのです。
「大きな鼾をかく」、特に「いびきが途中で止まる」、さらに「太っている」、「首が短く太い」、「顎が小さい」、などの心当たりがあれば、念のため検査を受ける(させる)ことをお勧めします。こうした視点は、受験勉強に対する注意喚起よりはるかにたいせつなことだと考えています。
人生が大きく変わる「小さなきっかけ」2
以前、今年中学に進学したOBと、入学後すぐグレードリーダー(写真)を読み始めたことをお伝えしました。文法や単語もまったく知らないところから始めて週4回一時間ずつ、現在12ページまで。
最初単語を英和辞典で調べるのにも時間がかかって右往左往していたのに、半年を経過すると、自学がすっかり板についてきました、次はロングマンの“Basic English Dictionary”を引いて講読をすすめたいと計画しています。
かつて夏目漱石は、「語学養成法」で、学生たちの英語力が自分たちのころより、かなり衰えてきたという現状について、次のように感想を述べています。
われわれの学問をした時代は、すべての普通学は皆英語でやらせられ、地理、歴史、数学、動植物、その他いかなる学科も皆外国語の教科書で学んだが、われわれより少し以前の人になると、答案まで英語で書いたものが多い。
理由は、日本語で教育をやるだけの余裕や設備が整っていなかった。日本語での教科書が存在せず、教える先生がいなかった。だから外国語の教科書を使い外人の先生が教えたので、「英語を教わる」というより「英語ですべての学問を習っていた」からできるようになった、特に漱石より少し前の人たちはテストの解答も英語で書いていた、ということです。つまり、英語漬けだった環境が、現在(漱石が年をとった頃)はすっかり変わってしまったという認識です。そこに英語力衰退の原因の一つを求めています。
参考にすれば、たとえ時代が変わっても、初学者が辞書を引きながら、かんたんな本(英文)を読むのも、それほど無茶ではないと考えられないでしょうか。江戸時代はそうだったでしょう? それによって、「英文を読むことばかりか、日本語の書き方まで『感じてくれる』」はず。そんな思いでぼくは指導を始めました。「受験方式じゃない英語の読書(自学)」を始めてほしい、というわけです。
H君は、最初短い英文を日本語に直すのも四苦八苦して、「たどたどしい」ものでした。
「君がこの小説を書いているとすれば、今の云い方で何を言おうとしているかわかってもらえるか?」 「最初はどういう話で始まり、どういう状況で話が続いてきたか?」 「今どこで誰と誰が何をしているのか?」等々と指導を続けていきました。彼の口から次第に日本語らしい日本語の訳も出てくるようになりました。意味をとらえた、相手(ぼく)にわかる日本語が出てきます。
「どうだ、H。おもしろくなったか?英語」。
「はい、おもしろいです」。
「!」
「先生、学校(N学園)の実力テストの成績、返ってきました。26番でした(約150人中)」。
ニコニコ笑って自分から話してくれました。もう安心です。もちろん、こうしたすすめ方ができるようになるまでには、「人知れぬ苦労(!)」があります。それは保護者と本人とぼくとの信頼関係の構築です。
特にH君の場合、難関中高一貫校や大学まで数多くの学校を統括されている理事長のお孫さんです。ぼくの方法論と指導に対する確信と自信が一層要求されました。彼は大手受験塾の指導に嫌気がさして、勉強が嫌になっていたから余計です。
最初入団してくれた時は、渓流教室のバーベキューの後始末の指導から始まりました。以前のブログで触れたことがありますが、「バーベキューの網を洗っているのに、肝心の網に注意をしないで、ただ無目的に束子でこする」というような行動パターンがあったのです。
最近の子たちはお手伝いや家での作業等の経験が少ないので、「何のための行動か」という目的意識をもてなかったり、「作業の目標が見えなくなっている」ことが多いのです。そのまま成長すると「自らの行動に対して、メタ認知がはたらきにくいという致命的な欠陥」になりかねません。そうした指導から始めるわけです。
よく見られる考え方や視点の狭い保護者や関係者であれば、ぼくが「なぜ叱っているのか」の理由が見つからないかもしれません。しかし自ら行っている作業や行動に対するメタ認知がはたらかず、目的意識も見えなければ、それを最も必要とするだろう、テストの解答や学習が順調に進むわけがありません。
最近の子育てでは、そういう方向からの視点は存在せず、それゆえ指導もまったく欠落しているのではないでしょうか。それらを補っていくことは普通なら当然のことであるにもかかわらず。そうした指導の継続による成長が、理解のある保護者のみなさんに十分認識されてこそ、強い信頼関係が生まれます。
「受験頭(?!)」のお父さんやお母さんや先生には理解することがむずかしいかもしれません。「難関校に進んだ」はよいが、「学校の勉強を応援するのではなく(実際はテスト指導もし、質問にも答えますが)、いわば、英語の本が読めるようになる指導を進めている」のですから。
しかしそこで、たとえば大学へ入った時点で、入試問題の解答に終わらず英語の本を何の苦労もなく読み続けられれば、どれほど実りの多い、未来を見通せる学生生活を送れるか、と発想する余裕はあったでしょうか?
また、先のH君の報告にもあったように、すでに「学校の勉強は学校の勉強でちゃんと進めてくれている」こともわかると思います。保護者との理解が整えば、子どもたちの成長は、こう進みます。
これが、やがて難関大学へ進学するOB諸君の途中経過なのです。人生が大きく変わる「小さなきっかけ」二例です。
学習指導に悩む若いお父さんやお母さん・先生方、何か困ったことがあれば、ご遠慮なくご相談ください。一緒に問題解決しましょう。