『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

石ころと星・宇宙の誕生と死23

2017年10月21日 | 学ぶ

 今週は新しくなった立体授業のテキストの一部紹介しています。

川遊びと読書の関係 
 もうずいぶん前になりますが、長女に「子どもたちの指導をやらないか」と打診したとき、「わたしはパパのように、いつも子どもたちのことを考えていられないから…」と、やんわり断られました。
 娘にそういわれるまでは意識しなかったのですが、そういえば団を始めてから、子どもたちの学習や指導のことが、いつも頭から離れません。そうだ、写真をやっていた時もそうだった、恋愛もそうだった(そんなこともあったのです!ハハ)・・・何をするときも、いつも、ずっとそうだった・・・。子どもたちには可哀そうなことをしてしまった・・・反省しきりです。
 さて、今日所用でタクシー移動をしている際、どういうわけか「ぼくが本を読むようになったのはなぜか」と、ふと疑問がわきました。小さいころ家にはほとんど本がなく、学校も田舎の小学校で、当時図書室や子どもが手にする本など、あまりありませんでした。
 つまり、まわりには本がなかったのに、「Cパップの器具をつけた上から」苦労しながら眼鏡をかけ(不便です)、眠くなるまで本がないとどうしょうもなくなっている現状はなぜか? それが不思議になったのです

 周囲の本をよく読む子どもたちのことを考えてみると、よく読む子には共通した特徴があります。まちがいなく周囲の影響が大きなポイントです。保護者がいつも本を手にしている、あるいは、さまざまな本をおもしろそうに読んでいる。たいてい、こういうバックグラウンドが垣間見えます。まず、何よりも子どもに大きく影響するのは、おもしろそうに本を読むおとなの姿です。
 もちろんお父さん・お母さんが読まなくても、兄弟やおじいちゃん・おばあちゃんの影響を受ける場合も大いにあります。そして、そういう家庭には、当たり前ですが、身近に本があるので、子どもが手に取ってみる機会もたくさんあります。本になじむためには、格好のアドバンテージです。


 「うちの子は本を買ってあげてもちっとも読まない」という嘆きをよく聞きますが、そういう場合、「買ってあげるだけで、誰も家庭であまり本を読まない(読んでいない)」ことがほとんどです
 あるいは、テレビはガンガン、周りはワアワア。それでは、自ら手に取ってみようというタイミングもなければ、本がおもしろそうなイメージも浮かびません。「何冊かを読み続けて、よく意味がとれるようになり、おもしろさがわかり、そして本が手離せなくなる」、という本にのめり込むパターンの、はるか以前の問題です。


 本を読むには「落ち着いて、あるいは静かに振り返るという経験や習慣」がたいせつになります。静かな雰囲気がなく、物思いにふける習慣もなく、テレビや音楽・足音が、ガンガン・ドヤドヤしているなかでは、誰も本を読もうとは思わないし、読めないでしょう。読書に向かわせようと思えば、手近に本があるだけではなく、そういう雰囲気づくりもたいせつになります。

 さて、それでは家に本がなく、年がら年中、朝から晩まで川遊び、魚とりや魚釣りをしていたぼくは、どうして本を読むようになったのか? 「漁師になっても不思議じゃなかったなあ、ハハッ」。タクシーの道すがら、そう考えて、ふと思い至りました。
 木漏れ日の中、山奥の静かな小川で、気づかれないように魚を追っているという行為は、魚との繊細な駆け引きと試行錯誤(つまりメタ認知の行使)の連続です。水音を立てないように、足を忍ばせ、動きを見ながら、そっと魚を追い込む、という繰り返しです。

 また山中、野池の傍らの木陰で小さな水音に耳を澄ませ、浮子の動きを見逃さず見守る、という行為は、相当な集中力が要求され続けるはずです。ちなみに、そのころ高い木の上からリスもおりてきました。いずれも自らの企てや行動の振り返りと修正の連続です。脳のはたらきのトレーニングです
 これらの行為を日々繰り返していれば、落ち着いた静かな雰囲気の中で、試行錯誤をともないながらメタ認知を強化し、集中力を養うという、まさに「読書に入り込むための格好のトレーニング」になっています。ぼくが幸運だったのは、田舎で、一人で過ごせる川遊びや魚釣りでの精神作用やイメージトレーニングがあったので、きっかけさえつかめば、すぐ読書に入れる状態だったのかもしれませんね。
 「バタバタ・がやがやという、小うるさい友だち関係」や、時には「煩わしいだけのやり取り」の外遊びしか知らない子どもたちが、家に帰ってもなお、テレビ・音楽・おしゃべり、ワンワン・ギャンギャンという、騒がしい世の中では、本に見向きもしなくなる(しない)のは、いわば当然かもしれません。読書好きにするには、「読書に向かわせる環境や条件」をもっと考えてみる必要があるようです

 


A君への手紙

 先日は課外学習の応援、ありがとうございました。助かりました。
 さて、お母さんにはいつもお心遣いをいただき、感謝しています。お礼の連絡をして、最近の君のようすを訊ねると、言葉を濁されていたので、少し心配になりました。


 どうですか、悩み。まだ先が見えないのかな? 大丈夫ですよ、そんなことは。
 ぼくはいろいろな人や子どもたちを、もう長い間見てきて(笑い)、よくわかったことがあります。それは「感受性が豊かで頭が良い、まじめな人ほど悩みが大きく、重い」ということです。


 まず、いつも言うように、君はたぐいまれな頭脳、素晴らしい能力をもっています。ぼくの見る限り、出会った人の中ではトップクラスです。中学校2年までしかきちんと勉強していないのに、いくらぼくの指導があったとはいえ(ハハ、少し云わせてください)、19歳からの2年間の学習で京都大学の理学部なんて、ふつうじゃありません。そんな人は日本中探しても、あまりいません。
 まずその能力に自信を持ってください。君の能力の大きさがその大きさゆえに、世の中の役に立つには何をするべきかと、今真剣に君に「相談」しているのです。若いんですから、君の心と二人で(!)心行くまで相談にのってあげてください。数日前読んだ本、こんな一節に出会いました。
 釈尊が、この世の苦悩と、自分のなすべきことに悩み続けて、それらを解決してゆく過程の考察です。
 
 釈尊が、その出家に際して胸奥にいだいていた課題は、他でもない、苦の問題でありました。その苦なるものはいかにして存するものであるか。いかにして苦なるものは生起するのであるか。
 (「釈尊のさとり」増谷文雄著 講談社学術文庫より)
 

  苦とは何か。
 
 「比丘(びく)たちよ。苦の聖諦(しょうたい)とはこれである。いわく、生は苦である。老は苦である。病は苦である。死は苦である。嘆き、悲しみ、苦しみ、憂え、悩みは苦である。怨憎(おんぞう)するものに会うは苦である。求めて得ざるは苦である。総じていえば、この人間の存在を構成するものはすべて苦である」(前記書p42)
 
 つまり、生そのものが苦である・・・。そんな大変な、しんどい世の中なら生きていたくない、という人がたくさんいるかもしれません。
 そうではありません。それは、「ことば」に縛られ、「苦」を「苦」と規定してしまうから、たいへんなのです。よく考えてください。
 みんながそういうふうに生まれついているのですから、それは「苦」ではありません。「生」なのです。他と比較するから「苦」になるのであって、比べることがなければ「苦」になりません。
 

 ぼくは、長い間生きてきて、「少し賢く」なりました。
 人生は決して良いことばかりではないし、悪いことばかりではありません。たとえば、悪いことだと思っても、もしそれに耐えることができれば、それだけ強くなるわけですから、次はもっと大きな悩みにも立ち向かえるでしょう。人生そのものが苦であるとするなら、そんなうれしいことはありません

 また、こうも考えるようになりました。一見よいことに見えても、見方を変えれば必ず悪いことが隠れているはずで、欲望に任せて動いているぼくたちにはそれがよく見えないのです。それが「苦」のはじまりです
 簡単に言えば、自動車の発明は便利だったが、それによって歩くことがなくなり、荷物を運ぶことがなくなったわけですから、体力や心肺機能は落ちるわけです。また時間は節約されたかもしれないが、ゆっくり見て感じる、という感受性は鈍麻していきます。二酸化炭素の排出などの環境汚染は最大の苦です。

 このように、ふだんはなかなか見えてこないのですが、苦と楽は、実は「相反するものではありません」。「苦を苦と見る」ことばかりではなく、さらに「苦に(から)入ること」をやめれば、苦は苦でなくなる。連鎖を断ち切れる。僭越ですが、釈尊はおそらくそういう発想に至ったのではないでしょうか
 
 悩みが深ければ、人はさらに大きくなれます。悩みが大きければ、ひとはいっそう優しくなれます。ぼくたちは、悩みや問題を解決しようとする志向や努力によって、ひとつずつ成長していきます。
 君は「先生になりたい」と云っていましたね。悩めば悩むほど、人の気持ちがわかる良い先生になれます。悩むことを気に病むことはありません。見えないことを苦しむ必要はありません。
 それは君の頭がよく、感受性がいっそう鋭い証拠です。生まれたばかりの赤ちゃんは最初よく見えません、みんな忘れていますが。自信をもってください。

 寒さが募ります。からだに気をつけてがんばってください。
 もう一つ大きくなった、君の姿、期待しています。
                                                         南淵喜浄


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