『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

夢へのワープ   『ゲームセンター』から京都大学へ①

2015年04月11日 | 学ぶ

 団はブログや簡単なホームページ以外での募集案内はしていません。生徒諸君の入団のきっかけは、「お母さんやお父さんが通りすがりに団の看板を見る」、または「団を卒業してくれたOB諸君の保護者の伝手から」というぐあいです。

 入団テストはありません。大手塾のように、選抜した優秀な子どもだけを指導しているわけではありません。たいてい「石石混交(!笑い)」です。しかし、ほとんどの子どもは「磨けば光る石」です。可能性にあふれています。紹介した実績をあげてくれているのはそんな子たちです。
 多くの場合そのことに気づきません。例えば学習指導でも、指導する側は、わかったかわからないかもきちんと確認せず、わかるまでフォローするということをしません。考えさせ、答えを追究させるという指導をつづける人は稀でしょう。いくら選りすぐった「玉」ばかり預かっても、過保護で育てられ努力することを知らず、学体力が整っていない子は磨かなければ光りません。人間は部品の集まりではありません。「大量生産」で育てるわけにはいきません。一つ一つに目配りし、きめ細かな配慮が必要です。

 開設以来まったく一人の指導展開で、日ごろの授業から、すべての資料づくり・課外学習や立体授業の企画・実施など、やらなければならないことがたくさんあります。そんな中、ひとりひとりに目が届き、「きちんと責任をもって指導を」と考えれば、生徒は10名前後が理想、多くて20名が限界だと思います。
 一方で、もう一つの問題があります。保護者のみなさんの協力体制です。指導方法や指導方針に理解がなく、指導に対する家庭での日ごろの協力体制が整わないと、「実のある」指導はできません

 これは塾に限らず、どこの学校や教育機関でもそうだと思います。つまり、「子どもを何とかしたい」という「父と母の切なる願いと指導に対する信頼」があり、「その思いに答えようとする指導する側の熱意」が整ってはじめて、子どもは彼方の学力の宇宙、「夢の国」にワープします。子どもにかかわるすべての人たちが、その原点に立ち戻らないと、今起きている教育問題、子供の健やかな成長は望めず、学習問題の解決はできません。

 さて、それぞれ大きく羽ばたいたOB諸君と保護者と成長のようすについては、機会を見つけて、これからも書くこともあると思います。今回は、団のOB教室で二年間受験勉強し、今年京都大学理学部(化学専攻)に合格したM君との不思議な縁についてお話しします。センター試験で860点を取った、あのM君です。
「ブチみたいな生き方がしたかったわ。ほんま」
 紹介欄のように、ぼくは奈良県の山奥で生まれました。
 小学校6年生の三学期に、進学を考えた母に電車で30分あまりの橿原市に越境させられ、中学・その後の進学高校と、いわば学校の「はしご」をして、その後東京の大学に進みました。当時は僕の住んでいた田舎から目指す人が少なかった(同年では奈良県から確かひとりしか行かなかったと、聞きました)東京教育大です。

 小さいころから、あちこち飛び歩いた学校生活でした。長く行動をともにした友人が少なく、生来の気むずかしさと、人見知りからの煩わしさもあり、心置きなく思い出話や付き合いを交わす友人は(自慢ではありませんが!?)決して多くありません(「友人」という定義にもよると思いますが)。
 ヘビースモーカーで数年前若くしてなくなったN君は、そのなかの貴重なひとりでした。「ブチ(ぼくのあだ名です)みたいな生き方がしたかったわ、ほんま」。想い出や子どもたちとのやり取り・夢を話すたび、彼は口癖のように繰り返していました。思えば、過去形で話す言葉尻が何かを暗示していたのかもしれません。

 有為転変・艱難辛苦・変幻自在・・・一部紹介したように、喩えようもない「ぼくの不思議な人生」を賞賛(?)してくれる、彼は数少ない理解者でした。桜井の大きな材木店の跡取りで、建築関係の知人が多くいました。現在の団の教室を改装するとき、少ない予算のなかで、できる限り、希望に沿うように尽力してくれたのも彼でした。
 毎年数回は食事をしたり酒を飲んで、気の置けない話で盛りあがっていたのですが、しばらく、まったく音沙汰がなくなり、心配していた矢先です。携帯に久しぶりに「N」という着信がありました。
 慌てて出ると、「・・・Nです。・・・携帯のアドレスに先生のお名前がありましたので、ご連絡させていただきました」。女性の声でした。
 「・・・実は昨日Nがなくなりました・・・」。奥さんです。「・・・」。まだ暑い9月の初め、一瞬にして汗がひきました。「一年くらい前から入院していたのですが、誰にも言ってくれるな、ということでしたので・・・」。

 

「ブチや!」。奥さんの耳元でささやいた天国の親友
 再度奥さんから電話をもらったのは、葬儀の数ヶ月後でした。葬儀ではことばを交わしたものの、照れ屋のNらしく、それまで紹介されないままで、奥さんとはあまり話したこともありませんでした。怪訝に思っていると、
 「・・・実は親戚に登校拒否、ほとんど引きこもりのような状態で学校に行っていない子がいるんですが、なんとかしてもらえないかと思いまして・・・」。
 「えっ?」思いもかけなかったのでびっくりしました。奥さんは、すぐ言葉を継いで、
「主人が私の耳元でささやいたんです。私の肩の近くで・・・『ブチや、ブチに頼め!』と・・・」。   どんなことがあっても、引き受けなければならないと思いました。
 奥さんの甥っ子で、中学受験までは、おとなしかったけれど、しっかり勉強もして、無事私立の難関校に合格したものの、その頃運悪くお母さんがおじいさんの介護で家を留守しがちになりました。中学二年生から学校を休みがちで、ほとんど通学しなくなり、退学することになったようです。
 「高校卒業の単位だけはとっておかなくてはと、家庭教師をつけたり、なんとかなだめすかして、通信教育のNHK学園で単位だけは取れたが、その後はぶらぶら、引きこもり同然で、近くのゲームセンター通いをしている・・・。何とかならないか」と従姉妹から相談を受けたというわけです。 

 すぐ彼のイメージが浮かびました。大切に育てられ、ひとりで何かを始めるということを知らないまま育ってしまった、感受性の鋭い子。おそらく自分の能力を持て余して、使う方向や表現方法がわからず、悶々とした日々で、途方に暮れている・・・。まるで団を始める前、数十年の間、自分探しをして右往左往していた自分を見るようでした

 小学生の頃から団で育った子以外、原則としてOB教室の募集はしていませんが、親友のN君が「天国から名指し」をしてくれたのです。彼にぼくのような数十年の遠回りはさせたくありません。感受性が強く、頭の良い子であれば、自らの能力を開花・発揮すべき道を速やかに目指すべきです。ぼくは、できるだけ早く彼を連れてきてくれるように伝えて、電話を切りました。

 一年でセンター試験750点超、二年目の今年、860点越えで京大理学部に無事合格したM君の指導とつきあいは、こうして始まりました。夢へのワープ、素晴らしい成長の足取りを、指導のようすとともに紹介します。 

なお、学習探偵団では新入生を募集しています。
 腕白ゼミ(特進2年生・3年生)・基礎課程・充実課程・発展課程(それぞれ若干名)。
 卒業生のようす・クラス編成・指導法は、ブログ各編・ホームページをごらんください。 


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