『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

お父さんとお母さんのための「母親教室」 ⑮

2015年09月26日 | 学ぶ

『不幸な』学習―目の輝きや好奇心を失っていたH君
 前回、「子育て」の外的・内的環境の変化によって、『健全な』子どもらしい子育てが、よりむずかしくなった。そして、ぼくが『健全な子どもらしい子どもを育てたい』と指導している、課外学習や立体授業での指導例を紹介します、と結びました。

「健全な子どもらしい子」、まずそのようすを考えてみましょう。
前回、大手受験塾から転塾し順調に学力を伸ばしはじめたH君を紹介しました。実は、そのH君とは、彼が3年生の頃から顔なじみでした。やんちゃではないけれど、当時はそれなりに活発に、課外学習での「見るもの」・「話すこと」に目を光らせて、子どもらしい好奇心を見せていました。
 ところが、件の大手受験塾に通うようになってから、スケジュール等の関係で参加が遠のき、改めて参加してくれた今年の初め。会っていなかった期間は約二年間です。ぼくは彼の変化にびっくりしました

 「積極的に『もの』に向かわない」、「動作や行動」に子どもらしい機敏さや好奇心あふれる様子が見られず、覇気もない・・・子どもの「健やかな成長」に反する、すこぶる「不健全な方向」です。「感想」を付き添いのお父さんにぶつけても、団の指導や指導方法を、未だ他塾と差別化できなかったお父さんは、その変化の重大性も意味もそれほどわからないようでした(現在はちがいます)。

 この点が、「子育てでいちばん気をつけなければならないところ」です。「毎日見ている」ので、お父さんやお母さんは、子どもたちの「変化」に「うとく」なります。テレビで、よく「絵や写真が気づかないうちに変わる。どこが変わったか」というクイズがあります。あれと同じです。感覚の「盲点」です。少しずつ微妙に変化していけば、それが大きな変化になっても、なかなかわかりません

 お父さんの「告白」が始まりました。「大手受験塾の宿題の多さや指導が嫌になって、(おとなしい子なのに)通塾をはげしく拒否するようになった」というわけです。ぼくにすれば、それは当然でした。
 「受験に合格するためだけ」の学習対象、学習内容、学習指導。問題演習のくりかえし。「学習する意味」が手に入らず、「学習内容の奥行きや広がり」もわからない。「わかることのたいせつさ」や、勉強や研究の「さらなるステージ(先端科学ではありません)」への誘いもない。「次」が見えない「勉強」です
 今や「巷(?!)」では、それが当然のようになってしまっていて、あまり意識されておらず、受験合格にかまけて、問題を正面から取りあげることもほとんどありません。が、そんな授業が延々と続けば、「好奇心が強く、感受性の鋭い」大抵の子どもは、途中で嫌になります(これについては「ファインマンとエジソンの~」ブログ各編をごらんください)。それでも、「受験だけのため」に「苦行」は続きます。嫌になって当たり前です。

 「こうした変化に早く気づき、手を打つ」ようにしないと、勉強(学習・学ぶこと)が、結局受験のための手段でしかなくなります。「勉強はおもしろくない、意味もない。受験や成績のために仕方なくやっている、習慣だ」という悲惨な結果に終わります。多くの子どもたちは、こうして『学習そのもの』も終えてしまうことになります。
 このあたりの「感想(!)」は、お父さん・お母さん・先生方(?)の多くも、我が身を振り返れば、よく納得できる(?!)話かもしれません。長い時間をかけて『苦しんできた』結果が、ほとんど意味をもたない。何とも、情けない話、無駄な時間の使い方です。
 なお、団のOB教室生の進学中学と大学進学先を紹介しておきます。

「『進学中学』によらず、りっぱに成長を果たしていること」が現認できると思います。「学ぶことのおもしろさや、そのかけがえのなさ」をわかってくれたからです。子どもたちにとって、まずたいせつなことは、受験や受験先ではなく、「学体力」の養成と「環覚」の育成。そして「大きな夢」の芽生えです
 ちなみに、現在H君は紹介のように学習のたいせつさやおもしろさに目覚め、順調に成長しています。毎日迎えに来られるお父さんにも、「明らかに生き生きとしている」ことがわかるようです。道すがら、二人でさまざまな話をしながら帰っていると伺いました。よかった、もう安心です。
 

 みなさん、「受験問題の解法や指導に「生命(?)」と「豊かな未来(!?)」を賭けるのではなく、子どもたちの、「学ぶおもしろさの掘り起こしや学習する意味」の考察・指導に、「おとなとして、先生としての生命」を賭けましょう。「健全な子どもらしい子」を育てるために。より多くの子どもたちの大成のために。

学習指導の紹介
 さて、学習指導については、今まで、あまり紹介できませんでした。指導の一例(算数)を紹介します。考えにくい問題を、子どもたちに指導するときの資料です。

 「業界」では、難問を「代数や面積図を使って解く指導法」が主流のようです。ぼくはまったくやりません。たとえば、つるかめ算や過不足算では、黒板で「ツル」と「カメ」や『棒人間』が活躍します。速さの問題、通過算では、近鉄特急の模型やフォルクスワーゲンのミニチュアが登場します。
 以下の引用は、物理はもちろん、数学でも驚愕の力を身につけていたファインマンの著書の一節です。「勉強」に対する彼の考え方の一端がわかります。参考のために。
 
 できの悪い三つ年上のいとこが、代数ができないので、家庭教師に来てもらって説明を受けています。それを傍で聞いていたファインマンが言います。
 「それなら、答えは4だろ?」。いとこは、「ああ、そうだよ。だけど、お前は算数でやったんだろ? 代数でやらなくちゃだめなんだよ」。
 ファインマンは「そんなんじゃできるわけがない」と、かみついています。要は「Xがなんであるか」を突き止めることだ。「代数」は、自分が何をしているか意味が分からずとも、一連の操作を繰り返して答えを求めることができる方法だ。仕立てあげられたきまりだ・・・。意味が分からないまま勉強している、それがぼくのいとこが代数(数学)をマスターできない理由だ。
(“What Do You Care What Other People Think?” Richard P. Feynman W.W.NORTON 本文抄訳と文責は南淵)
 強調になりますが、つまり、「『その数の操作をする意味』が分からず(理解が行き届かず)、公式や操作の方法を覚えてできるようになっても、『頭がよくならない』」と「読みかえる」ことはできませんか? よく行われている、公式や決まりきった解法の暗記は、「頭のよさ」とは別物で、「受験のための便法」だという、ごく当たり前の判断です

 ぼくは、団を始めて数年後読んだ、このファインマンの言葉に、大いに力をもらいました。それまでも、子どもたちには「操作や方法、解答までの意味を、できるだけかみ砕いて考える方法」を取っていたからです。面積図・代数に頼るのではなくて、「丁寧に考えを進めることや操作の意味を把握する(させる)」こと。何よりも「意味が分かること!」を最優先です。 
 以下は面積図や代数ではありませんが、考え方を進めるときの指導資料です。(平成15年度五ッ木・進々堂テスト問題を使用)続編をアップしてあります。


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