『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

発想の転換が可能性を開く24

2018年08月04日 | 学ぶ

小学生の学習導入~学習の抽象性について
 ぼくは学習をはじめた小学生の学習について、よく抽象の学習という文言を使います。「表現」というものは、そもそも抽象ではないか、と単純に考える方も多いのではないでしょうか。
 団の立体授業では小川や一級河川の川辺などで、餅鉄を磁石で探したりガーネットやサファイアなどをパンニングして採取します。時にはそれらの川岸で青い粘土の層が見つかることもあります。

 つまり、現実の環境には、さまざまな川や水の流れがあり、その景観も多種多様で、川原にある石は、例えば、「堆積岩だけではない」わけです。それぞれ気の遠くなるような長い年月に様々な生成過程や「体験!」を経て、現在の姿になっているさまざまの石があるわけです。「抽象の石」ではありません。その石には過程も過去も未来も存在します。
 火成岩の中に含まれている石英やガーネットの細粒は、子どもたちの採取の楽しみであり、その生成過程を彷彿させる「かけがえのない存在」でもあるわけです。そこには、やがて学習対象になる珪素や金属元素の存在があり、火山活動や地殻変動があり、水の流れや水蒸気、気温や風による「介入」があります。

 現状の学習指導では、子どもたちは、それらを実際に見た経験もほとんどなく「異性が気になり、異性のからだに爆発的な興味をもつようになってから」堆積岩や火成岩のなりたちやしくみを「受験」と「単位」のために学習しなければならないわけです。こんな理不尽(!)そのものの学習がありますか? 
 何も知らされないまま「わけのわからない石」と「水着のかわいい女の子」が現れたら、「よく見たい」と思って石の方に近づくのは、よほどの「オタク」か、頭のおかしい、寂しい子でしょう。女の子の場合なら、「石」の横にアイドルや韓流スターを据えれば、よくわかります。つまり、そうした「勉強」は多くの場合、「次のステージ」を目指すことにはいたらない、とってつけた学習です
 子どもたちの学習は、今おおむねこんなスタイルで進んでいると考えても、「まちがい」と云えないことは、学習状況に一生懸命目を向けて解決を図ろうとしている先生方には自明でしょう。

 「実際は、遠い昔から、現実世界を眺め、対象を手に取り、さまざまな細工を加え、利用し・・・」というその対象にかかわる「『先人』たちの多様な経験とともに、その存在の認識と成り立ちや仕組みの解明を続けてきて、今の科学が存在し、生活があり、我々の(子どもたち)の学習内容があるわけです
 このように、学習内容は現実世界のものが、ごくごく「抽象化」されたもので、指導や指導内容のなかでは、その過程にあったそれぞれの時代や人間とのかかわり・感激・感動がほとんど見えてこなくなっています。子どもたちが「現物」を見て感じるはずの、「なぜ!」も、「どうして!」も、すべて抜けてしまった、子どもたちにとってみれば、いわば「カス」ですこういう子どもの気持ちに「鈍感な!」人は教科書をつくったり、検定したり、指導したりしない方がよいと思います。なぜか? 興味を引きつけるような指導や結果が期待できないからです

 石ころと宝石の取り組み。河原にある石を観察します。
 「宝石や餅鉄を探す」わけですから、当然あちこち目を走らせ、「よく観察する機会ばかり」です。子どもたちの注意力が養われます。観察力が鋭くなります行動そのものが「学習」になります、野外では
 これらの能力は観察や実験に役立つだけではありません。当然、テストの際の見落としや見まちがいなどのケアレスミスの防止にも効果的です。今の受験指導一辺倒の保護者や先生が見落としていることは、こういう面においても、子どもたちがバランスよく成長するにはどう指導すればよいのかという視点です。

 子どもたちは日ごろの行動もテストの解答も、すべて「一つの同じ頭」で取り組みます。つまり、それぞれの行動に、それぞれのタイミングでの成長面が影響しないわけはありません。ガチガチの教育ママ・パパは視点が固定化しがちなので、時には広く大きく考えることが欠かせません
 また、それぞれの川で、景観をよく見れば、当然のことですが、おもしろいものがたくさん見つかります。「川の石にも注意すること」に目が向けば、まず、石の様々な姿や形・大きさ・ありようが比較できます。まず比較です。そこから科学は始まります
 それぞれの川の特徴によって、形や石の削られ方がちがい、大きさも変わることに眼が向けば、川の流れの広さ・深さ・速さにも「視点」が広がります。石を見なれ、縞模様の石や小さな粒の集まる石、粒が見えない石等の区別ができて、石の組成に考察が向かいます。「教科書の写真」から石のなりたちと組成に考えや興味が向かうことは、あっても稀です、小さい子たちは。現状では、教科書が「見知らぬ人のアルバム」だからです。

 石を見馴れたことによって、それぞれの石のなりたちに興味が向かい、生成過程に考えが及びます。火成岩が区別でき、目の前にある石基や斑晶の大小の実見で、教科書の説明を超え、火山や地球のなりたちと変遷・地殻変動への「身近さ」を手にします。学習対象が子どもたちに近づきます。
 団での石の体験は川辺の観察のみに止まりません。化石採集では、岩盤のなかから化石とともに小さな丸いチャートが見つかることがよくあります。この小さなチャートや川原で見つけた角が取れ始めた礫岩。チャートの成立の条件や教科書で学んだ丸い小石のでき方を振り返ることで、石たちが気の遠くなるほど長く生成と消滅をくりかえしているという過去が子どもたちの頭の中で育ち、悠久の地球の歴史をイメージできる下地もできあがります。

 つまり、これらはいずれも教科書や室内での学習をはるかに超える、学習が学習に終わらない「次のステージ」へ誘うきっかけになるのです。それは「抽象的な学習」では決してありません。 
 また補足ですが、川辺で見る風物や石の微妙な色合い、自然の色は人工色になれている子どもたちの色彩感覚や美的感覚に、大いに寄与してくれるだろうことも明らかです。先生方、これが団の総合学習です。
 野道や山道での自らの周囲や環境に対する気づきから発見や観察が始まる。季節や時間の流れのなかで微妙なちがいに目を留め、変化に気づくことによって、おもしろいことがはじまります

 そのきっかけをうまく生かすことによって、「『教科書と学習内容』が勉強!」という、「子どもたちの日ごろの意識のなかに存在する『抽象性の境界』」が溶解し始めるでしょう。教科書および学習内容は手の届かないところのものではなくて、いつも「となりにあるもの」だ、という現実に目覚めるはずです。それが勉強や学習内容に対する「なじみ」です
 先端科学の「実演」を見せる前に、まず、このような「現実認識と科学的な考え方や環覚」が生まれている経験が必要なのです。それが「先端科学」の紹介で飛躍するわけです。その「環覚」や、それによって生まれる『学体力』があっての「先端科学」です。エリート校の先生方、アドバルーンや見栄では生徒は大きく伸びません。

 それでは、「環覚」と「学体力」というアイデア、4回目の英文です。

To teachers all over the world 4

What is the proper way for the parents who are earnest about their children’s education to pursue?
 In order to solve these problems,the parents, who have dreams and responsibilities for their children, need to envision a new way. If not, the matter would continue to be fruitless.
 Many parents have made their children study at well-known cram schools only to pass the entrance examinations of prestigious upper schools and universities. They have a tendency to overlook their children’s feelings of accomplishment and satisfaction.

 Of course, there may be many unreliable schools and cram schools. But then, I guess, we often forget a more reliable way of teaching by ourselves. The people, who dared to choose to teach their own children are the very same people that have raised successful and world renowned are the sons and daughters.
 Everybody feels happy to have children, but there may be great differences of great people in the form of education while bringing them up. The hopes and dreams of the parents for their children to be wise, honorable come true in part, because,their consciousness of responsibility has greatly helped the developments of their children’s faculties.
Every parent hopes their children will become wise, and they must know what to do to achieve that. Feynman’s father and Edison’s mother and many other parents of great persons carried that out.
Feynman’s father’s dream was for his son to be a scientist, and Edison’s mother was sure of her son’s ability and hoped him to be an excellent person.

  What was that they did first to make their dreams come true?
Edison’s mother removed her son from school, because he was curious and neglected to follow Mr. Engle’s abstract teaching with textbooks and training only. But she never enrolled him in many schools as many parents do. She would not rely on other’s teaching methods. She tried to think about things that her son found out about nature and their surroundings, together.
And he developed KANKAKU(環覚) around his surroundings gradually.
 Feynman’s father’s effects on caused him to have interest in nature and his surroundings. He then thought about their mechanism and discovered their composition together.
Of course, these two parents must have been occupied with every day’s work and chores like ordinary parents do, so they made efforts to do as much as possible. I guess, and each parent may not have done very well, but certainly enough to motivate their sons to study hard and realize the joy of studying throughout their lives.
 Just wanting success and leaving it to others is not acceptable, these two parents took an active role in their sons quest to make their dreams come true.


最新の画像もっと見る