『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

お父さんとお母さんのための「母親教室」 ⑭

2015年09月19日 | 学ぶ

楽しいおばあちゃん発見
 業務用スーパーの店先。どこかのおばあちゃんの声。近所の人に出会ったようです。
 
おばあちゃん「久しぶりやねえ!」
近所の人   「ほんとですねえ」
おばあちゃん「あんまり出えへんから。会う人、ぜーんぶ久しぶりや!」
 (吹き出しました。つづいて・・・)
 

おばあちゃん「何、買いに来ゃはったん?」
近所の人   「ちょっと夕食の買い物に。おばあちゃんは?」
おばあちゃん「うちはトマト。ほか買うたら、キリがないさかい・・・」
近所の人   「トマトは身体にいいですもんねえ」
おばあちゃん「そうそう。切って砂糖ふったら、こ~んな美味しいもん、あらへん!」
 (!?ズッコケました、自転車に乗ろうとすると・・・)
 
おばあちゃん「こないだ(この間)なあ、ここで、フクオカさんにおおて(会って)なあ・・・」
近所の人   「フ、ク、オ、カさん・・・?  あっ、長崎さんですか?」
おばあちゃん「・・・そうそう、その長崎さん。ハハ、チョット近すぎたッ」
 
人名を九州で「ひとくくり」にしていました。
おばあちゃん、元気に三連発。半日、愉快にすごせました。
 

「子育て環境」の変容
 このシリーズでは、「ことな」と「おども」という比喩を使い、「子育て世代」の危機管理能力・依頼心や責任感の問題について考えてきました。そして前回は、「遺伝のタイプ」はともかく、行動の基準や倫理観、規範は「周囲」の大きな影響を受けて育つということ。つまり、「お父さんやお母さんは意識しなくとも、子どもたちはそれらの行動を眼にして影響を受けながら育つ」という、「日常への気遣いの必要性」の喚起でした。

 以前、「子育ての環境」が、現在は、がらりと変わってきたこと、そして変わりつつあることに触れました。もう少し掘り起こして、それらを考えてみます。「大人の日常生活への意識の覚醒」と双璧ともいえる「子育て」にたいせつな「条件」の変容です。

 「周囲の眼」です。かつては(今から数十年前ですが)、下町や田舎の村々、そして学校でも、まだ「周囲の眼」が生きていました。「子ども」に対する「暗黙の基準」や「行動規範」の共通認識が、いまだ健在でした。
 子どもの時に身につけるべきルールやアクションが、順調に社会生活が営めるように、「一定の歯止め」がかかる状況にあったのです。そして、それらを基にした、多人数の家族や周囲の眼も「子育て」に大きなアドバンテージをもたらしました。

 「人間の心の成立」をたどる、「ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか」(NHKスペシャル取材班・角川文庫)に、こういう一節があります。
 
 「チンパンジーやゴリラの場合、群れを支配するオスが、力で規律を守らせます。このオスが見えなくなれば、群れのメンバーはやりたい放題です。私が現場で観察してきた経験から言うと、彼らのなかに、罪の意識や後悔を見たことがありません。群れのメンバーがルールを守るのは、ボスが怖いからだけなんです。しかしヒトは違います・・・」(同書232頁)
 
 つまり、人間とゴリラやチンパンジー、類人猿を区別する最大の違いのひとつは、「規律を守るという自制心」があるかどうか、ということになります。セルフコントロールと倫理観です
 このように「警察がいなければ、人が見ていなければ、何をしても良い、恥ずかしくない」という「心」は、本来、人間がサルと別れるときに『捨てよう』としたものです。ところが、どこかの大国のようすや行動に限らず、昨今の日本でのさまざまな事件や出来事を見ていると、何か「先祖返り?」をしているような例が多くなっている・・・。そう見えませんか? 
 引用の続きです。
 
 「集団を構成するひとりひとりが、罰せられるのを避け、身勝手な行動を自省します。仲間の評判が気になるからです。ここからモラルや恥といった感情が生まれてきたのです。ヒトは恥をかくと顔が赤くなります。これは人類共通の現象として知られていますが、ほかの動物にはありません」(同書232頁)
 
 ここからは、「身勝手な行動」がコントロールできるように「させた」大きな力が「仲間や近隣の評判、つまり、他人の眼」だということが読みとれます。それによって、「自省」が生まれ、人間にモラルや恥という感情が育ってきた、というわけです。
 つまり、「身勝手な行動をすると恥ずかしい」という感情です。これを前提としていることが人間の証だ(だった)ということです。ここから振り返って、先週・先々週例示したお父さん方の行動を振り返ってください。「現状のレベル」と、今後「どのように軌道修正しなければならないか」が判断できるのではないでしょうか。

 また、一連の引用から、「人間らしい成長」には、「規律を守る」という自制心が必要(培われるべき)だし、そのために、仲間や近隣の眼、つまり周辺環境が大きな役割を果たしてきたことがわかります。そして、これは、「出アフリカ」から、人間が種の「生存」と「存続」を果たすために、培ってきた習性であり、身につけてきた(ざるをえなかった)習慣だったと考えられます。

 ところが、社会環境が大きく変化しました。車中で化粧をしたり、ルーズなファッションで下着を見せたりという、周囲の眼を意識しない、あるいは「意識しすぎる!」という感覚が、今は『異常』ではなくなってきました。それに付随して(逆かも?)、「精神作用」も『異常』が異常とは見えなくなってきてしまっているのが、昨今です。

 こうした外的・内的環境の大きな変化が『健全な』子どもらしい子育てをより難しくしているのでしょう。次回は、ぼくが『健全な子どもらしい子どもを育てたい』と考えて指導している、課外学習や立体授業での指導例を紹介します。(もう1ページアップしています)


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