寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

ウン(運)について (20130423)

2013年04月23日 11時32分46秒 | 日記・エッセイ・コラム

  運という文字を辞書で見ると”人知の及ばない成り行き”、”特に、よいめぐりあわせ”と書かれている。「運良く...できました」などと言うことがある。運というものが実際にあるものかどうかを知るよしもないがいろんな事例があることは事実である。
 例えば、私は仕事をしているときに勤め先まで自動車で通勤していた。有料道路を走っていると後ろから追いついてきた車が私の車のすぐ後ろにつくことがある。いやな感じがして、引き離そうと速度を増そうと思ったが、まあいいかと思いそのまま走っている。しばらくすると、さらに後ろからかなりのスピードで私の車を追い越していく車があった。すると私の後ろを追走していた車が、たちまち車線変更して先の車を追跡し始めた。追いつく寸前に赤ランプを回しサイレンを鳴らした。そして先の車は速度違反で捕まってしまった。私は追想されるのを嫌ってスピードを上げたら、私が捕まっていたのではないかと胸をなで下ろしたことである。このようなことがしばしばあった。そのたびに難を逃れた。このようなとき"運がよかった”というのだろうか。
 またこんな事があった。ある団体で研究テーマを募集した。私は核シェルターなどのいわゆる閉鎖空間での生存のための物質循環システムというテーマを考えて応募した。そのテーマがたまたま審査員をしていた方の目に止まり、非常に面白いテーマなので「有人宇宙システム研究会」で話して欲しいと言われた。発表申し込み期限を過ぎているが、会長に話して何とかするという。たまたま、その時期、宇宙開発研究者の間で月面基地構想を計画していて、そこで月面における生存システムを考えていたという。そんな時期に宇宙研究と関係ない私が、物質循環システムについて考察したと言うことになったらしい。そこでその研究会で発表するように言われたのである。発表当日、最後に追加発表の順番が来ると会場に人が集まってきた。そして立錐の余地もないほどになった。そして発表が終わると、名刺を持った人がたくさん列を作って私に挨拶に来た。そして世話役の方が、今の発表をそのまま自分たちの研究会でもう一度話して欲しいという。その発表が済むと、今度は学術会議の会場で、話をして欲しいという。とんでもないことになってしまった。しかしそこで宇宙飛行士の向井千秋さんと知り合うことができた。そんなことで私は宇宙生存システムの研究に関わることになった。考えてみればこれは私が運に恵まれたということだろう。
 ここで考えるのは、運というのはある努力の結果ではないだろうかと思うことである。 古今亭志ん生の落語のさわりに人力車に乗って、車が突然止まった拍子に乗っていた人が道路に放り出された。ちょうど道路が雨で濡れていたので頭から滑ってしまった。手を伸ばしたときそこに落ちていた財布をつかんでいたという。運がよいというのはこんな話かも知れない。