寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

年の初めに

2011年01月02日 00時46分39秒 | 日記・エッセイ・コラム

年の初めに
 元旦、お目出度うございます。何が目出度いのか? それか時期を見て議論することにして、本日の出来事を日本の風習から見ていこうと思う。筆者の家から見える日の出は、吾妻山のちょうど中央付近から7時6分頃に見える。
 筆者の部屋は、遮光性のカーテンにしてあるので外の光をある程度遮ってくれる。しかし変なことに寝室のカーテンは、遮光性のものではない。何故かというと筆者の書斎は、筆者の管理下にあるが、寝室の管理は妻が実権を握っているからである。したがって、寝室は日の出の前に室内が明るくなり目が覚める。今日も同様であった。そこで写真を撮った。
 恒例にしたがって、仏壇と神棚にお供えをして参拝した。それから朝食であるが、お雑煮とおせち料理を食べる。これも習慣で例年の通りであった。こうして2011年が始まった。
 今日はBTアダプターでプリンターの無線化を実行することにした。雑誌で見ると非常に簡単にできるようであった。プリンターはEpsonPM-T990、PCは自作の高性能機である。BTアダプターは、プラネックスコミュニケーションズ社製のBT-MicroEDR1Xを2個使用する。まず、付属のCD-ROMからドライバーとユーテリテイをインストールし、アダプターを装着し、ペアリングを行った。一連の操作は簡単に終了し、接続してみた。なんとうまく稼働した。これで筆者のプリンターは無線化出来たわけである。が、T990には無線LUN機能がありそれを利用することにした。4台のPCからルーターを通して使用できる便利さには一利があるからである。別に無線LAN 付きのものを購入する予定であったが不要になった。
 そのうちに郵便配達が通り過ぎたのでポストをみると年賀状が入っていた。約100枚、その中から自分のものを選別した。約80枚になった。年末に年賀状を書く状態になかったので直ぐに書き始めた。IT関係の方にはメールで送ったのだが、再送した。郵便局へ投函に行くと沢山の人が年賀状を出しに来ていた。
 さて風習と習慣についてであるが、風習というのは比較的広い範囲(地域)で社会的に繰り返し行われる事柄であり、習慣というのは個人的あるいは家族内のこと、少し広くしても風習よりは狭い範囲以内で行われることと解釈する。わが家の正月3が日の朝食は雑煮と決まっているが、子供達はほとんど餅を食べない。したがって我が家の習慣は既に近い将来消滅することになる。他方毎年行われる年賀状のやりとりは、範囲を考えてもやはり一種の習慣であろう。
 年末になると、居住地域の清掃が行われる。これは自治会のあるいは町の要請で行われるのだが、未だ風習にはなっていない。自発的に行うようになると風習に近い状態になるのではないだろうか。
 このような習慣や風習を商売にする人たちがいる。正月の飾りを商いにする、節分の豆まき、その豆を売る人、など一年を通して節目ごとの習慣や風習を行うことによって社会が丸く機能していくことが多い。しかしここでも、例えばお祭りの寄付行為をしない人がいたりして(いろんな状態があるので善悪(よしあし)の判断は出来ないが)もめ事になることがある。特に、年齢差が大きいと我が家のように習慣が消滅していく傾向がある。
 それから、年賀状に慣用句として「昨年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いします」というのがある。この一年間一度もあったこともないし、音信もなかった人からこのように書かれると、習慣とはいえ複雑な気持ちになる。気が弱いと何かをしてあげなければいけなかったのかなあなどと考えてしまう。
 最近の社会は、都会人と地方人が複雑に交流する機会が多くなったために習慣や風習も変化していくのだろう。それがよい方へ流れていけばよいのだが。そして、世界のいろんな人種の人たちが同じように交流していけば世界は平和になると考える。しかしそこには最も強力な習慣があるから簡単にはいかないことも想像に難くない。それは宗教の問題である。機会があれば宗教について言及したいと思う。