ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

営み

2013-12-15 14:44:05 | 日記

「ぬれたろうそく立てにご注意」との、記事があった。

乾いたろうそく立てと、ぬれたろうそく立てで、実験したところ、

ぬれたろうそく立てがまれにろうそくのもえつきる瞬間に火のついたままの芯がろうそく立てから落下したり、飛び上がったり、数センチも

飛ぶことがあることがわかったそう。

受け皿に残っていた水が、ろうそくの熱で沸騰、受け皿にのこっていたロウを破裂させるのだそうな。

 

線香を点ける時だけ、ろうそくを灯すのが一般的なのかはしらないが、無人となった、仏間のろうそくが、少しずつ、融けて行ってろうそくは、

自然に消えるというイメージがあった。

 

受け皿に水は少量なら、蒸発してしまう気がして、気にしない場合が多いかもしれない。

 

台所の、てんぷら油、寝たばこの火、灯油そばの洗濯物。

そうしたほんの些細なことが火災になることがある。

火災予防のPRが浸透してきて、こうした火災は、だいぶ減ったのではないかと思う。

しかしながら、最近、驚くような原因、放火の類が増えてきているようだ。

 

火の怖さを忘れた、現代人。

怖さを気にしない風潮があらゆるところに転がっている。

 

怖さを先人たちは、様々な方法で子孫や世間に教えていた。

年々、人々の意識が薄れ、先人の教えは闇に葬られ、周りの大人も、世の中には危険なことなど、無いかのように

平然と暮らすようになった。

 

危険なこと、危ないことは、周りにたくさんあるのに、誰も気にしなくなっている。

そんな気がする。

安全は神話。

 

身を守る手段は、自分で責任をもって、対処していかなければならないということを皆、忘れてしまって

いるのではないだろうか。

 

安全、安心は先人の知恵で築いてきたもの。すべてを網羅することはできない。

 

保護は必要だし、危険が隣り合わせではやってられない気もすす。

しかしながら、ぬくぬくとし過ぎではないだろうか。

考える予知をする、そんな人間にあるはずの、アンテナさえ人は失いつつあるのかもしれない。

 

 

 


合唱の練習

2013-12-15 09:13:47 | 合唱

練習期間は、団によって様々あります。

 

スパンが2年に及ぶ団もあれば、半年、あるいは3か月ほどで本番を迎える団もあります。

 

オーケストラが、半年に一回演奏会をやっているのを知って、驚かされたことが、あります。

月の練習が月に2回くらいなのにです。

 

そのころに所属していた合唱団は、土曜日の午後1時から4時まで、発声練習が30分ほどで、

連絡事項などがあり、間に休憩が2回から3回10分ほど入りました。

 

それでも定演は年に一回、間に、クリスマス会のようなイベントが一度。だいたい1年かけて、練習していました。

別の団に入ったら、年に一回、ジョイントコンサート、あと、チャリティコンサート。

まだ定演というものがなかったのです。

 

そのあとに参加した団は、スパンが3か月程度、但しそのころは、定演をしていませんでした。

次から次への新しい曲、一時期は、英語、ロシア語、ドイツ語、イタリア語、そして日本語の歌詞がありました。

週一の通常練習では、無理があるので、強化練習、自主練習などが組まれて、せわしい思いをいたものです。

 

臨時の入団をするようになり、スパンが半年程度に。

強化練習というものはないのですが、合宿が必須になったり、音取りが、じっくりとしたものでなかったり、一人ひとりの

責任みたいなものを感じたことがあります。

 

曲を、じっくり仕上げていくというのではなく、基本のことは各自でやって、練習では、本番に向けた、音楽を創っていく

ということになるのでしょうか。

復習、予習が一番問われた時期でした。

 

ぬくぬくとした、練習。

どんどん進む練習。

じっくり腰を据えて密度を高めていく、練習。

団の目標や方針は、様々でした。

 

言えるのは、いずれの団であっても、合唱においては、合唱練習は、合唱の練習になるように、団員一人ひとりが自覚をもって

望むことが求められているということです。

趣味のグループの発表会だけをしているところで無いかぎり、団員は、演奏するというお客様に聴いていただくということを

念頭において、練習に励んで欲しいと思います。