ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

浪費

2013-04-08 16:45:43 | 日記

大正生まれの母は、何でもとっておいた。

捨てることは、もったいないと何か捨てに行っても、逆に拾ってくることも、しょっちゅうだった。

似ているのか、影響を受けたのか、捨てるのが惜しいという、ため込みやの性分になった。

借家に移り、以前の半分以下の家になってからは、さすがにため込むと、物があふれて、場所をとるばかり。

「もったいない」なんて言ってられないので、時折、意を決して、物を捨てるようになった。

随分、家の中が片付くようになったものの、それでも、いまだに捨てがたい物はあり、半分以下に減った

納戸の中を占領している。

納戸からはみ出すようになったら、また、意を決して処分をしようと思う。

 

しかしながら、小さいころは、母の影響もあって、捨てることには罪悪感さえあった。

1年使わなかったら、不用品と言われることもあったが、3年も4年もたってから、あれを使おう。

あれが使えるということも時には起こるので、よっぽどでないと捨てられなかった。

バブルの最盛期は、使い捨てという商品も増えたし、捨てることがステータスという風潮もあった。

捨てないと、「ケチ」とか「貧乏人」扱いもされた。

バブルがはじけて、ようやく「もったいない」自然の災害の前に、節約とか、物を生かすとか、リサイクル

とかが、ようやく、普通のこととして扱われるようになったのかなと思う。

しかしながら、「どんどん捨てよう」という時代に、子ども時代を過ごしてきた、若者は、そうそう物を大切にという気持ちは、育まれてこないかった。

育まれることが、難しかっただろうと思う。

そうしたつけが今、回ってきているような気がする。

大事にしないどころか、消費することになんとも感じない若者が、そして、そういう若者を育てた、年配者がふえてきている気がする。