撮影、無事に終了したのですが団長間に合わずでした。
無念です。
名取市の成人式。
行きたかったなぁ。
そして、伝えたいことがあった。
(もうこりゃ無理だ、間に合わない。)
そう思った時、撮影をなんとか大急ぎで!なんて頭をよぎったけれど、その考えはやめた。
12名もの団員や副団長がいます。
もう、任せてしまおう。
そう決めて集中しましたとさ。
僕としては大勢に伝えることは出来なかったけれど、僕が撮影した人たちにはきちんと伝えました。
「今日はアレかい?友達と飲み会?」
「あ、はい。」
「そっかそっか。楽しそうでいいね。」
「はい!」
「でもね、今日はお父さんとお母さんにもさ、キチンと感謝するべきだと僕は思うんだ。約束は守らなくちゃそれはそれで大人としてダメだしね。仕事の約束は守るけど遊びの約束を守れない人は寂しい人だよ。」
「…はい。」
「だから約束をしてしまったのであれば十分楽しんでからさ、ちょっとでも早く帰ってありがとうを言う日にしたらいいと思う。もちろん家にいてもね、今頃友達はみんなでワイワイ遊んでるって思うとソワソワしちゃうのも分かるんだけどさ。大切なものを大切に出来る人にならなきゃいけないよ。」
「はーい。」
笑顔で聞いてくれました。
お父さんやお母さんも、嬉しそう。
「そうだそうだ!」
と笑って言うお父さんも。
そんな風にお父さんが言える機会を作る役になれただけでよい。
余計なお世話だけどもね、そんな人が少ない気がするからコレでいいのだ。
大人になるってなんでしょう?
出来ないことをごまかそうとしたり、嘘をついて煙に巻くことでしょうか?
小さな子どもは出来ないことが多いです。
それでも。
出来なくても愛されるし、器用じゃないからこそ愛される。
本来、僕たちがみんな持っていた「かわいがられる」「愛される」という武器は大人になろうとしてどこかに置き忘れてきたようですよ。
子どもみたいに夢中になって頑張る人は、もちろん周囲の人を振り回すし迷惑もかけるけれども、不思議と周りの人に愛されている。
知ったかぶりで、やりもしないで能書き垂れの人はやっぱり好かれにくいのかもしれないね。
周りは人を全体で見ようとするから、僕らは変に大人ぶってみたりする。
しかしです。
部分的に人を見てみたらいかがでしょうか?
尊敬する人の話や意見は、本当に全て正しいのだろうか。
ムカつくあいつの話はいつでも間違っているのだろうか?
そう思っておけば簡単だからとそうするのだろう。
いいことを言う人がいい仕事をしているわけではないし、性格が悪くたってその意見やしたことが正当でないとも言えないのだ。
その人やその子には、必ずいいところがあります。
人は多面性を持っていて当たり前。
その関係性の中で様々な顔を持つ。
当たり前だろう、そんなこと。
僕たちは、武器を取り戻すべきだよ。
かわいがられるということは、武器だから。
成人式でアホみたいに粋がってる場合じゃないよ。
昨夜、仕事から戻ると晴着のお嬢さん。
近所の子でした。
「君も成人かね、おめでとうございます。」
「ありがとうございます。この間、新聞見ました!平さんって何歳ですか?」
「40歳、今年で41歳だからバカボンのパパと同じ年齢なのだ。早いものだね、飲み会とかなかったの?」
「はい、少しだけ顔を出してきました。今日は家族で過ごそうと思いまして。」
えらい…
そして、美人。
日本の未来は明るい気がしました。
コレでいいのだ。
さて、今日はDo not festivalですね。
Do not=don't=どんと
festival=祭
YES!
どんと祭!
Do not festival!!
芭蕉せんべい買う。
「りんご飴買ってきてね〜。」
「お前はりんご飴は食べられないよ〜。」
無念です。
名取市の成人式。
行きたかったなぁ。
そして、伝えたいことがあった。
(もうこりゃ無理だ、間に合わない。)
そう思った時、撮影をなんとか大急ぎで!なんて頭をよぎったけれど、その考えはやめた。
12名もの団員や副団長がいます。
もう、任せてしまおう。
そう決めて集中しましたとさ。
僕としては大勢に伝えることは出来なかったけれど、僕が撮影した人たちにはきちんと伝えました。
「今日はアレかい?友達と飲み会?」
「あ、はい。」
「そっかそっか。楽しそうでいいね。」
「はい!」
「でもね、今日はお父さんとお母さんにもさ、キチンと感謝するべきだと僕は思うんだ。約束は守らなくちゃそれはそれで大人としてダメだしね。仕事の約束は守るけど遊びの約束を守れない人は寂しい人だよ。」
「…はい。」
「だから約束をしてしまったのであれば十分楽しんでからさ、ちょっとでも早く帰ってありがとうを言う日にしたらいいと思う。もちろん家にいてもね、今頃友達はみんなでワイワイ遊んでるって思うとソワソワしちゃうのも分かるんだけどさ。大切なものを大切に出来る人にならなきゃいけないよ。」
「はーい。」
笑顔で聞いてくれました。
お父さんやお母さんも、嬉しそう。
「そうだそうだ!」
と笑って言うお父さんも。
そんな風にお父さんが言える機会を作る役になれただけでよい。
余計なお世話だけどもね、そんな人が少ない気がするからコレでいいのだ。
大人になるってなんでしょう?
出来ないことをごまかそうとしたり、嘘をついて煙に巻くことでしょうか?
小さな子どもは出来ないことが多いです。
それでも。
出来なくても愛されるし、器用じゃないからこそ愛される。
本来、僕たちがみんな持っていた「かわいがられる」「愛される」という武器は大人になろうとしてどこかに置き忘れてきたようですよ。
子どもみたいに夢中になって頑張る人は、もちろん周囲の人を振り回すし迷惑もかけるけれども、不思議と周りの人に愛されている。
知ったかぶりで、やりもしないで能書き垂れの人はやっぱり好かれにくいのかもしれないね。
周りは人を全体で見ようとするから、僕らは変に大人ぶってみたりする。
しかしです。
部分的に人を見てみたらいかがでしょうか?
尊敬する人の話や意見は、本当に全て正しいのだろうか。
ムカつくあいつの話はいつでも間違っているのだろうか?
そう思っておけば簡単だからとそうするのだろう。
いいことを言う人がいい仕事をしているわけではないし、性格が悪くたってその意見やしたことが正当でないとも言えないのだ。
その人やその子には、必ずいいところがあります。
人は多面性を持っていて当たり前。
その関係性の中で様々な顔を持つ。
当たり前だろう、そんなこと。
僕たちは、武器を取り戻すべきだよ。
かわいがられるということは、武器だから。
成人式でアホみたいに粋がってる場合じゃないよ。
昨夜、仕事から戻ると晴着のお嬢さん。
近所の子でした。
「君も成人かね、おめでとうございます。」
「ありがとうございます。この間、新聞見ました!平さんって何歳ですか?」
「40歳、今年で41歳だからバカボンのパパと同じ年齢なのだ。早いものだね、飲み会とかなかったの?」
「はい、少しだけ顔を出してきました。今日は家族で過ごそうと思いまして。」
えらい…
そして、美人。
日本の未来は明るい気がしました。
コレでいいのだ。
さて、今日はDo not festivalですね。
Do not=don't=どんと
festival=祭
YES!
どんと祭!
Do not festival!!
芭蕉せんべい買う。
「りんご飴買ってきてね〜。」
「お前はりんご飴は食べられないよ〜。」
