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僕の消灯時間まで

ブログの引越しをしました。
愛する方々へ、遺書のように。

お誕生日おめでと!

2017-05-15 13:28:38 | 日記
今日は、取材から始まる日でした。
河北新報の18日の夕刊ということです。
販売店にて、100部ずつくらい買ってください。

いつもの材木屋さん。
宍戸材木店の光さん。
本日、お誕生日でした。

「おめでとう。これ、使ったやつだけどあげます。」
「やったーーー!」


廃材を利用した作品を作って、財を成す。
そんな話をしましたが。

財は成すまいな。
単価がやすいもの。
「アップ期待してまーす。」
「はーい、すぐアップしまーす。」
ウッドデッキの材料見積り、宜しくお願い致しまーす。


今はカカポです。


この多肉の寄せ植えが我が家に入院し、復活したので持って来ました。
ブーちゃんかわいいなぁ。


扉を営繕して帰る。
明日は雨漏り修理。

内装のリフォーム、承ります。
気分良く暮らしましょー。
ウッドデッキもやります。
お仕事ください。
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母の日を

2017-05-15 00:01:40 | 日記
子どもの頃。
母の日は、
「母親にカーネーションを贈る日」
というだけの日だった。
皆さんのお子さんはどうでしょうか。
うちの子たちも同じだと思う。

母親に感謝をしよう。
父親に感謝をしよう。

そんなことを思い始めたのは、自分が親になってしばらく経ってから。

それこそ、震災の後にとても強くなった。
「人が死ぬ」
ということを、僕は余りにもこの目で見過ぎてしまった。

若い頃は、何かにつけて僕の「イベント」に親が来るのが恥ずかしかった。
応援団の頃も(今も応援団だけれど)バンドをバリバリやってた頃も。
「ぇぇええ…いいよ来なくて。」
でも来てくれりゃ、それはそれで嬉しいし、来ないとそれはそれでつまらない。
そんなもんです、子どもなんてのは。

僕は自分の子どもを応援したい。
もうね、子どもが恥ずかしがろうが大声で「ガンバレー!」って言いたい。
そういう風に、先輩達に育てられたから。

僕はいつだって(できれば)大好きな人を応援したいと思ってんだ。

子が思うよりも、親が子を思う気持ちは強い。

立派な人間になって欲しいなぁ、なんて思ってない。
本当のところ、別に入って欲しい学校もない。
後悔のない生き方が出来ているのであれば、それでいいではないか。
元気で生きていてくれればそれでいいし、事故なく怪我なく無事に帰ってくることが当たり前だと思ってるけれども、それも実は違うということを僕たちは「頭では」分かってる。

夢があるなら、それだけでその子は本当に素晴らしい。
だけど、無かったとしてもそれを押し付けてはいけないと思う。
「夢がない」=「目的がない」=「意識の低い人間」ということにはならない。

夢は人に出会い、その時に生まれる。
憧れが夢の種です。

子どもの心と書いて憧れ。
憧れは己を磨き、努力し、いつかきっと芽を出す。

カッコいいモノを求める時期や迷い戸惑う時期に誰に会うか。

それが大切なのだと思う。

影響を受けやすい時に「悪い奴」がカッコよければそうなる。
「誠実な奴」がカッコよければそれを目指す。

せめて僕たちは「正義」は無理でも誠実でいたい。
なんと思われてもいい。
「ありがとう」と言われる人でいたい。
「ありがとう」を求めてはいないのに、そう言われる人はカッコいいなぁと思うから。

僕の根本にはレインボーマンがいる(笑)
アニメのレインボーマン。
マクロスの後にやってた。

五歳の頃。
近くのスーパーにね、レインボーマンショーが来てて、
「あれま!本当にいるんだ!」
と思った。
愛の戦士に憧れた。
愛の戦士レインボーマンとハウンドドッグに憧れた子だった。

アホな奴だと笑えばいいさ。
レインボーマンショーでは、彼等は仲間を応援してた。
ハウンドドッグは1秒で人を痺れさせていた。

だから僕は「ママ」の応援をしていた。
自転車で坂道を登る時「マーマ、がんばれ!マーマ、がんばれ!」と応援していた。

そして、マイクを持って人を痺れさせることばかり考えてた。

そんな僕を、母はいつでも応援してくれていた。
「俺、一高行くわ。」
と言った時も。
「応援団入るわ。」
と言った時も。

父は僕を、いつも凄いなぁと言ってくれた。
上から目線で「すごいじゃないか、なかなかやるね」ではなく「自分には出来ないよ」というような目線で僕を褒めてくれた。

そんな親にどうにか感謝をしなくちゃならんと思う。

それは母の日がどうのこうのではなくて、普段からだなぁと思う。
「ご飯でも行こうかね?」
とかそんなもんでいいと思うのだ。
だから、時間さえあれば「どうかね?」と親を食事に誘う。
イベント事にも「来たらどう?」と誘う。

息子達に誘われたら、きっと僕は応援しに行くだろうからね。

僕が思ってるよりも、両親が僕を思う気持ちは上回っていると思うけれど、それは僕も同じこと。

そして。

レインボーマンみたいに、それが誰に対しても出来るのであれば、ちょっと僕、いい感じじゃん?とか思ってる。

母の日を。
母の日を大事に過ごせた気がする。

人のために何かをし、寄せ植えをコッソリと置いて来た。

そんなもんでいい。

その人が恋しいと後悔をする前に、
色々なことを思い出せ。

毎日を母の日にするために、母の日はあるのだろう。
母の息子でよかった。

忘れてはいけないのは震災の日なんかじゃない。
愛する人と過ごす時間です。
そして、それは絶対に永遠ではない。
全員、永遠ではない。
記念日だけ大騒ぎすんじゃなくてさ、日常に組み込みたいものだね。

これは僕の話ではない。
皆さんの話です。

僕たち大人こそ、母の日をね。
その意味を考えなきゃ、社会が幼稚になっちまうよ。

社会を大人なものにしたい。
青空応援団は、そんな目的もあるな。
どれだけ心が震える日があるか。
それがポイント。

誰かのために、僕らはやる。
そんなことを、世の母たちは子どもに求めてる。
「世の中の役に立つ人に。」

なぁみんな。
少しでも役に立つ人になろう。


でもそれは「少し」じゃないんだな。
そこには人の人生があるから、軽くないの。


軽くないにょ。
コメント (2)
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