「へりくだる者は主によっていよいよ喜び、貧しい人はイスラエルの聖なる方によって楽しむ。」(19新改訳)<o:p></o:p>
人間にとって、自慢するのは簡単だが、へりくだるのはとてもむずかしい。その意味でヨブが一日に全財産と子供全部を失ったとき、「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」と、不信仰の罪を犯さなかったのはおどろくべきことだった。▼だがその彼でさえ、真にへりくだるためには、なお神の取り扱いを要した。友人との何日にもわたる激論の末、神に直接お会いしたヨブは初めて塵灰に伏し、へりくだるというのがどんなことかを知った(→ヨブ記38章以下)。▼イスラエル民族もまた、そのような転機を経験するだろう。今は苦しみと反逆の中にあるが、ヤコブのなやみを通って十字架につけた方にお会いし、くだかれるのである。▼主は今も勧められる。キリスト者よ、いよいよ心貧しくなり、自分自身でなく私によって喜び楽しむ者になりなさいと。 [教会の庭に咲くシャクヤク]<o:p></o:p>
天国憲法(ドン・ボスコ訳)<o:p></o:p>
・心の貧しい人はしあわせである、天の国はかれらのものだからである。<o:p></o:p>
・柔和な人はしあわせである、かれらは地をゆずりうけるであろうから。<o:p></o:p>
・悲しむ人はしあわせである、かれらは慰めをうけるであろうから。<o:p></o:p>
・正義にうえかわく人はしあわせである、かれらは飽かされるであろうから。<o:p></o:p>
・あわれみのある人はしあわせである、かれらもあわれみをうけるであろうから。<o:p></o:p>
・心の清い人はしあわせである、かれらは神を見るであろうから。<o:p></o:p>
・平和のためにはたらく人はしあわせである、かれらは神の子らと呼ばれるであろうから。<o:p></o:p>
・正義のために迫害される人はしあわせである、天の国はかれらのものだからである。<o:p></o:p>
(マタイ5章より)<o:p></o:p>