「英知をもって天を造られた方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。」(詩篇136:5新改訳)
天が造られたのは神の英知によってであるとは、旧約聖書がくり返し宣言するところだ。果てしない宇宙空間に浮かぶ星雲のふしぎで見事な形と美しさ、それに魅了され、一生を宇宙の研究にささげている科学者は数多い。今日、人間は何億キロ彼方の小さな惑星にも探査機を着陸させることができる。それは暗黒の空間にも精密極まりない物理法則が張り巡らされ、それに従って行けば、どのような地点にも到達することが可能だからだ。▼広大な真空空間も、じつは真空ではない。そこには創造主の英知が満ちている。しかも百億光年の彼方まで満ちている。人間のあまりにも小さな存在と、神のあまりにも大きな存在を思うと、私たちはこのお方の前に跪(ひざまづ)くほかはないことがわかるであろう。天の父はしかし、私たち無きに等しい者を愛し、いつくしみ、日々生かしておられる。どうして感謝せずにいられよう。どうして賛美と礼拝の一生を続けないでいられよう。
私たち人間が真に英知を持つとは、創造主とキリストに礼拝の姿勢をとることである。もちろんそれは、からだが平伏する姿勢であればよい、というものではない。身も心も思いも知恵も、すべてのすべてが御父と御子をこの上なく崇め、喜び慕い、その御心に従う事をもっていのちとすることをいう。▼キリストは人となられたとき、天の父を敬い、喜び、尊び、その御心に従う事を自分の食べ物のように重んじられた。その結果がナザレのイエスとしての御生涯であった。これが英知ということである。イエスはまさに地上に「神の英知が顕現した」状態にあられたといえる。天体を観測する、自然の神秘と法則を探求する、それらのすべてにまさって、すばらしいことは、神の英知が人となって現れ、全ての人々がそれを目にすることが出来たことにほかならない。「このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。」(コロサイ2:3同)