「愚かで、無知な思弁を避けなさい。それが争いのもとであることは、あなたが知っているとおりです。」(23新改訳)
キリストの御昇天から半世紀ほど経た頃、初代教会にはさまざまな論争が生じていたようだ。
使徒はテモテに、無益な論争を避けるよう人々を指導せよ、と命じている。なぜなら、不信仰から発した議論は聞く人を滅ぼし(14)、俗悪なむだ話は不敬虔を助長し(16)、無知な思弁はいがみ合いを生じさせる(23)だけでなく、愛や柔和といったキリスト者の徳を壊す結果になるからである。
私たちはイエス・キリストについて論争するのでなく、むしろ主とともに歩む聖潔の生活を説得の武器としたい。巧みな言葉での争いを避けたパウロが、「私たちの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです」(2コリント10:4同)と書き送ったとき、その心にあったのは、弱い自分をも圧倒的に用いられる神の恵みだけだったのだから。
[雌阿寒岳と阿寒富士]