しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 黙示録7章 <白衣の人々>

2017-10-20 | 黙示録

ひのき林「だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。」(黙示録7:15新改訳)

彼らとは、大患難から抜け出て来た人たち、すなわち殉教者たちを指すのであろう(14)。この人々はまだ復活体を与えられていないが、白衣を着ることがゆるされ、天の聖所、つまり神の御座の前で賛美と礼拝をささげるのである。▼大患難時にキリストへの信仰を告白することは、苦難の杯を飲むことであり、殉教を意味するにちがいない。おそらく、この人々は飢餓線上をさ迷い、炎熱に焼かれ、水に渇き、涙も枯れるような苦しみを受けたのであろう。「―この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした―荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。」(ヘブル11:38同)▼しかし彼らはひるむことなく、涙も苦痛も喜んで耐え忍び、信仰ゆえに殺された結果、その霊魂は神の前に出ているのだろう。「十字架なくば冠なし」の合言葉のもと、昔の信仰者たちは喜々として苦難の道を選び取った。理由は、地上でどんなに苦しんだとしても、永遠の御国において愛する主と共に生きることを思えば、その苦難は無きに等しいものと、彼らの眼に映ったからである。▼やがて天において、私たちはこのような先達と一緒になるのである。「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。」(Ⅱコリント4:16,17同)