「しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。天にかけて誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。」(マタイ5:34新改訳)
誓うという行為は、自分の未来を自分で絶対化することである。しかし、これから起きることに真の権威を持っておられるのは全能の神お一人なのだ。▼髪の毛一本さえ白くも黒くもできない人間が、どうして神に代われるだろう。だから誓ってはならないのである。私たちは、誓ったばかりに悲劇に陥ったエフタを思い出す(士師記11章)。また少女の前で誓い、自分から愚かな罠にはまったヘロデ王を知っている(マタイ14章)。そして最後にペテロ、彼は召使い女の言葉を恐れ、のろいをかけて「そんな人は知らない」と誓ったのであった(マタイ26章)。▼人間はかぎりなく「弱い」存在である。たとえどんなに愛に満たされたといっても、知識、能力、言葉使いなどにおいて、弱さと不完全さを持っている事実は変わらない。だからそれを知り尽くしておられる主は「誓ってはならない」と仰せられたのだ。しかもその上で、三度も否定したペテロをなお信任し、わたしのひつじを飼いなさい、とお命じになったのであった。