流浪オヤジの探検日記

KOBEを拠点に各種イベントや名所・旧跡を見て歩き、紹介していきます。

大久野島

2023-02-12 | お出かけ
大久野島(おおくのじま)は、瀬戸内海芸予諸島の一つです。

同島は、広島県竹原市に属する無人島(定住者なし、居住者あり)です。
また、『ウサギの島』もしくは『毒ガスの島』として知られています。
本州にある竹原市忠海から南方沖合い3kmに位置し、面積0.7k㎡、周囲4.3km、最大標高は島北側108m。
ほぼ全島域が環境省所有の国有地です。


「第二桟橋」
島内への交通手段は渡船のみです。
島には駐車場がありますが、それ以外での車両運行は不可となります。


「休暇村送迎バス乗場」
桟橋から休暇村へ無料シャトルバスが運行しています。


「遊歩道分岐点」
徒歩と自転車は、海沿いの遊歩道を進みます。


「第一桟橋」
主に弓場汽船(広島県三原市)による旅客船(高速船)が使用しています。
三原港(広島県三原市)ー須波港(広島県三原市須波)ー大久野島の航路(通称:ラビットライン)を運航しています。


弓場汽船・旅客船「しまなみ」
後方に見える灯台は、大久野島灯台(呉海上保安部)です。


「毒ガス資料館」
戦争の兵器として使われた毒ガスに関する博物館です。


「陶磁器製毒ガス製造器具展示場」


「自動交換器室跡」(通信壕跡)
約6畳の広さに電話の自動交換器が置かれていました。


「毒ガス研究室跡」
大久野島では、昭和4年(1929年)から昭和20年(1945年)終戦まで、秘密裏に陸軍によって毒ガスが製造されていました。


「休暇村大久野島」
一般財団法人休暇村協会が運営する宿泊施設です。
大久野島において、唯一の宿泊施設です。


「三軒家毒ガス貯蔵庫跡」


「毒ガス貯蔵庫跡」


「長浦毒ガス貯蔵庫跡」


戦後、米軍によって焼き払われた際の黒い焦げ跡が今なお内部の壁に残っています。


「北部外周道路」
崖沿いのクネクネとした道が続きます。


「発電機関舎跡及び地下兵舎跡」
日露戦争時代からの戦史を今なお残す島の史跡の一つです。


「北部砲台跡」


「24cm加濃(かのん)砲台跡」


「毒ガスタンク台座」


当地は日露戦争が始まる前の明治35年(1902年)に設置された大久野島堡塁北部砲台の跡です。
島内には北部・中部・南部の3箇所の砲台が設置が設置され、合計22門の砲が置かれていました。


「12cm速射加濃(かのん)砲台跡」


「砲測庫跡」


「火力発電所跡」
戦時中は、本土からの電力と当地による発電により電力をまかなっていました。
建物の造りから、重要な施設であったことが覗えます。


「桟橋跡」
明治35年(1902年)に完成した芸予要塞の桟橋です。
芸予要塞は大正13年(1924年)に廃止されますが、昭和4年(1929年)年に毒ガス施設が置かれた当初はこの桟橋が利用されました。
しかし、本土から見えやすかったため、間もなく新たに整備された表桟橋や長浦桟橋がメインとなり、こちらは資材の陸揚げに用いられました。


『地図から消された島』ともいわれていますが、明治・大正時代から芸予要塞司令部による検閲が入っており、地図では要塞秘匿のため来島海峡からこの島付近一帯まで赤く塗り潰されていたとの事。
注)芸予要塞(げいよようさい):瀬戸内海の忠海海峡と来島海峡の線に設置された陸軍の要塞


第二桟橋に戻りました。
外周路約3キロの行程でした。


島に生息するウサギについては、昭和46年(1971年)地元小学校で飼われていた8羽が放され、野生化し繁殖したとのこと。


その後も島内への投棄が繰り返されたことにより個体が増えていったのが定説であるといわれています。


平成30年(2018年)時点での推定個体数は、920羽以上(大久野島ビジターセンター調べ)との事。
今後は、観光客増加(給餌による)により頭数の増加が予想されるそうです。

沢山のウサギが住み着く島に戦争の歴史を感じることができました。
実地に歴史を体感できる地でした。
当地を訪問出来た事に感謝します。
ヾ(*´∪`*)oc<【。゚・+:.・ァリガトゥゴザィマシタ・.:+・゚。】ヽ(*´∪`*)ノ"

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