The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

ディヴィエリック

2007年11月30日 | Weblog

「ディヴィエリック」、フランス語だと(?)「DIDIERIK」と書きます。

以前ブログでもちょっと紹介した 「オペラ座タイムカプセル」の事とか質問した例の友達は「DIDIE」(ディヴィエ)という名前なのです。

 「オペラ座タイムカプセル」に関心を持った、と言ってくれたので早速オペラ座布教。その効果でこんなあだ名を自分につけているという・・・。

 

元々お地蔵さんとか日本の石屋で買ってパリに持ってかえると言う面白い人なのです。

「タイム・カプセル」ならぬ「タイム・マシーン」があったら「日本の江戸時代に行って虚無僧になる」とか言っていました。

最新のメールには「パリの小さなお寺」の写真が・・・。それはディヴィエっちの庭のミニチュアのお寺なのです。小さいお稲荷さんみたいなの。(心の仏教徒なんだろうなぁ。盆栽についての語りが禅ぽいし)

ま、ミニチュアがほしいっていう気持ちは分るような・・・。管理人もこのペーパークラフトがほしいです。オペラ座の怪人のお住まいです。ノートルダム寺院のもほしいです。

 

彼はもともとフランス生まれでなくてアルジェリア生まれなんだそうです。

戦火を逃れてお母さんの国であるフランスに移住した、と言っていました。

「戦争」なんて普段自分の生活に縁のない言葉なのですが、実際そんな事を聞くと驚いてしまいます。

 


日常

2007年11月29日 | Weblog
別館の更新も約二週間ぶりでどうにかこなし、だらけたい気分でいっぱいです。
でも、ここで原作についてあちこち調べものをはじめるとかかりきりになりそうなので自粛。



「ガーゴイルについて」をまとめて本館にUPする予定がまだだったので、そのくらいはしようかな、と考えています。
これはウィキペディアからの抜粋なので何も考えなくてすみます。(ルルーの奥さん情報もウィキペディアからです。ほとんどここが情報源です)


ガーゴイルと言うのは元々は異教の神をキリスト教が駆逐していく過程で、「駆除」と言うより取り込んでいった土着信仰みたいなものの一つなのかもしれません。

特にカソリックだと土着の信仰などを駆除・排斥するよりも上手く利用して取り込んでいったように思えます。

例えばクリスマスなども元来異教の神の祭日をイエス・キリストの誕生日にしてしまっただけだったりします。聖人の誕生日は異教の祭日である事が多いようです。


その方が軋轢も少なかったのかもしれません。



土着の信仰との融合と言うのは仏教などでも見られる現象かもしれませんね。興味深いです。


■ 原作では「ガーゴイル」と言う言葉は日本語版を読む限り出てきません。
でも、もともとがルーアンと言うエリックの故郷の伝説なので、これは書き逃せないですよね。

ルルーはノルマンディーよりもブルターニュの描写に力を入れているのが印象的です。

「黄色」や「黒衣」はどこが舞台なのかな?まだ未読です。


お知らせ

2007年11月28日 | オペラ座二次
別館第45話更新いたしました。
今回は冬宮での宮廷舞踏会(ロシア)と、造船所が出て来ます。
戦艦とか萌えるーーー♪

そしてダロガとダリウスが初登場だったりします。やっとオペラ座らしいキャラが出せたよぅ。

疲れました。


黒衣婦人の香り

2007年11月28日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

ポダリデス監督による『Le Mystere de la chambre jaune(黄色い部屋の謎)』(2003)に続いて、ガストン・ルルーの探偵小説を映画化したものを発見。

原作は『黒衣婦人の香り』(1909年)。サビーヌ・アゼマ、ピエール・アルディティ、デゥニ・ポダリデス、オリヴィエ・グルメ、ミヒャエル・ロンスダルという豪華キャストだけで観る価値充分だと思わせるが、実際彼らの競演が最大の見どころ、らしいです。


■あらすじ■ 

《黄色い部屋》で起きた奇怪な事件から二年の歳月が過ぎた。この間に、憎きバルメイエ――ラルサンは大西洋上の海難事故で命を落とし、スタンガースン教授は隠居し、マチルド嬢は正式にダルザック夫人となった。
その日、新婚旅行へ向かおうという夫妻に、挨拶もせず旅立っていくジョゼフ・ルールタビーユ。
 
彼は心を悩ましく支配する《黒衣婦人の香り》を求めて、幼少期を過ごした地へと向かうつもりだった。
 
しかしその旅先に転送されてきた電報には驚くべき内容が記されており、旅はあっけなく中断される。
以下略 管理人も後で読んでみたいです。

 

この記事を書いていて見損なっていた「パフューム」を思い出し、ネットで調べる。
「逃した魚は大きかった!!」
今更ながら見損なった事が悔やまれます。

 

でも「悩ましく支配する香り」ってなかなかエロティックで萌える設定ですね♪

 

 

 

ルルーとルブラン

2007年11月27日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

ルブランと言うのは「モーリス・ルブラン」の事です。

ルルーとほぼ同時期の作家です。
ピエール・ラフィット社で出版された「アルセーヌ・ルパン」シリーズが有名です。(連載は雑誌「ジュ・セ・トゥ」です。社長はピエール・ラフィット)しかも二人の背後には「ピエール・ラフィット」という編集者も見え隠れします。(ちなみに出身はルーアンでエリックと一緒です)

 

ピエールラフィット社刊"Arsène Lupin, gentleman-cambrioleur"(1907年)表紙(『怪盗紳士ルパン』)

 

 

 以前「奇巌城」の舞台がノルマンディー地方の『エトルタ』だと書きました。

エギーユ・クルーズのモデルとなった大針岩はエトルタの海岸に実在しています。エトルタの岸壁はその頂上に登ると崖の内部に潜れるようになっており、奇巌城で出てきた暗号がそのまま金属プレートで掲示されているそうです。

他にもエトルタには彼の住居を基にしたモーリス・ルブラン記念館、通称「アルセーヌ・ルパンの隠れ家」があるそうです。

また『カリオストロ伯爵夫人』などルブランの作品の舞台にもなりました。

 


エトルタ

 

 

■パクリ疑惑■

 

この『奇巌城』にはイジドール・ボートルレと言う少年探偵が登場します。

一般的に、この作品のみ登場するこの高校生探偵イジドール・ボートルレはルルーの『黄色い部屋の秘密』などに登場するジョゼフ・ルールタビーユのパスティーシュ(パロディ)であるといわれています。

このことからルブランとルルーの関係は、一時期、かなり険悪なモノになったそうです。

しかし1927年4月15日ガストン・ルルーが死去するとルブランはルルーの未亡人に宛てて、故人に対する哀悼と讃辞の手紙をしたためているそうです。

 

ちなみにこのルルー夫人はJeanne Cayatte といい二度目の奥さんです。
二人の間にはアンドレ・ガストン、マドレーヌと言う子供がいました。
(Andre-Gaston in 1905, Madeleine in 1908)
心底どうでもいい話ですがアンドレ君はサンクト・ペテルブルグで生まれたか、ルルーのサンクト・ペテルブルグ時代に生まれたみたいですよ。ルルーは新聞の取材でロシアに度々行っています。(日露戦争について?)
「マドレーヌ」と言うのは「マドレーヌ寺院」を思い出させます。好きな聖女だったのでしょうか?
しかも「オペラ座の怪人」は1910年執筆、しかも同時期に他の作品も書いていました。忙しい執筆の合間に子供と遊んだりしたのでしょうか?


 


モーリス・ルブラン



※ 類似の事件

モーリス・ルブランは1906年『遅かりしシャーロック・ホームズ』(“Sherlock Holmes arrive trop tard”) を発表する。この作品のなかで、英国の作家コナン・ドイル( Conan Doyle 1859-1930 ) に無断でホームズの名を使用したため、抗議の手紙を受け取った。以後、ホームズの名はつづり字を変えた“エルロック・ショルメス”( Herlock Sholmès ) として登場することとなった。

 


海に浮かぶ船

2007年11月26日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

 

Gaston Leroux naît le 6 mai 1868 à Paris, faubourg Saint-Martin. Il passe son enfance Saint-Valéry-en-Caux dans la Seine-Maritime, où sa famille possède d’importants intérêts immobiliers, et effectue ses études au collège de Eu, une ville voisine.

 

「faubourg Saint-Martin」はパリの地名でしょう。10区にあるフォーブール・サン・マルタンかと思われます。「Seine-Maritime」は県名で「セーヌ・マルティーム県」で県庁所在地がルーアンです。「Saint-Valéry-en-Caux」は「セーヌ・マルティーム県」の中の地名なんじゃないかと思えます。フランス語は読めません。

「Saint-Valéry-en-Caux」でググッてみました。そういう土地はあるようです。ルーアンの北へ60キロで、ルルーのママンの実家があるらしいフェカンから東に30キロ、Dieppeから西に30キロ。

ここがルルーの幼年時代を過ごした土地なら、上の写真のような光景を見た事があったかもしれません。

 

私が妄想しているのは、その海の遥か沖にに浮かぶエリック・ノルディンショルドの乗った「ヴェガ号」です。(1878年)

そしてそれをルルー少年や「オペラ座の怪人」を捧げられた弟のジョゼフが見ていた事があったら楽しいなぁ、と思っています。

 

 しかもノルマンディーの海!!エリックも見たかな?とファンは思ってしまいます。
ルーアンまでは車で一時間くらいみたいです。

ま、冷静になるとルーアンを流れるセーヌ河を見たという方が確実と言う感じがしますね。

 

 

 En 1905, il donne une série de neuf articles relatant l’expédition du suédois Otto Nordenskjöld. Leroux est en effet parvenu à monter clandestinement à bord du navire de l’explorateur en partance pour le continent Antarctique !

 

■WEB翻訳■
「1905年に、それはスウェーデンのオットー・ノルディンショルドの促進を報告する一連の記事9つ与える。
ルルーは、本当に、南極大陸大陸行きの探検家の船の船上に内密に上がることに成功しました!」

1904年にオットー・ノルディンショルドにインタビューして、1905年に記事にしたと言うことかのかなー?

にしても「ルルーは、本当に、南極大陸大陸行きの探検家の船の船上に内密に上がることに成功しました!」というWEB翻訳が正しければ、オットー・ノルディンショルドの船に乗ったんでしょうか?

下の写真はアーネスト・シャクルトンの「エンデュランス号」(1914年)オットー・ノルデンショルドの船の名前とか分らなかったのでこんな感じの船かな、と載せてみました。。

 

流氷に閉じ込められるエンデュランス号

 

その船はマディラ諸島に停泊していたのでしょうか?
下はオットー・ノルデンショルドの本
 


NORDENSKJOLD: ANTARCTICA, SOUTH POLE/ 1905

 

 

 


トップ絵

2007年11月25日 | Weblog
トップ絵を変えました。割と好評で嬉しいです。拍手ありがとうございます♪
嬉しいです。励みになります(^^)

でもこのトップ、もう既に自分では描いていないんですよね(^^;
画像をコラージュしているだけなのです。
しかも製作は子供だったりします。


「これとこれとこれで何となく『オペラ座』っぽく作ってね」と画像を別のパソに送り、フォトショで加工してもらいました。
フォトショってすごーい。(管理人はフォトショ使えない人です。機械に弱いのです。側で見てた)

「BLOG」という文字だけプレートを作り損ねてあとから付け足していたりします。苦肉の策ですね。

肝心のサイト名と「THE PHANTOM OF THE OPERA」のスペルミスは見て見ぬ振りしてください。もう直せないんです

l'Ange de la musique

2007年11月24日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

"Il est d'une prodigieuse maigreur et son habit noir flotte sur une charpente squelettique. Ses yeux sont si profonds qu'on n'y distingue pas bien les prunelles immobiles. On ne voit, en somme, que deux grands trous noirs comme aux crânes des morts. Sa peau, qui est tendue sur l'ossature comme une peau de tambour, n'est point blanche, mais jaune ; son nez est si peu de choses qu'il est invisible de profil, et c'est l'absence de ce nez qui est horrible à voir. Trois ou quatre longues mèches brunes sur le front et derrière les oreilles font office de chevelure.

 

音楽の天使の髪はブルネット。
大抵怪人イメージは「黒髪」か「金髪」に大別されると思う。褐色は少数派かもだ・・・。管理人も「黒髪」「金髪」派ですが、「褐色」に設定しなおそうかな?

 

絵と文章は関係ありませんが、なんとなく原作エリックを感じさせるので・・・。エリック・アンブラー作「The Ability to Kill」1963年?殺す能力?

 

■日本語訳■

やつは驚くほどの痩せようで、服が骸骨の骨組みの上で、ひらひらしていた。
眼は、動かない眼ん玉があるのをよく確かめられないほど、深く落ち込んでいた。
つまり、されこうべみたいに、二つの真っ黒な大穴しか見えないのだ。
太鼓の皮のように骨の上に張られたやつの皮膚は、白くなくて、いやらしい黄色をし、鼻は横から見ても眼につかないほど、あるか無きかのものだが、この鼻の欠除が見るも恐ろしいものなのだ。
ひたいの上と耳のうしろで三、四束の茶色の長い毛の房が、頭髪の役目を果たしている

ハヤカワp22

「ひたいの上と耳のうしろで三、四束の茶色の長い毛の房が、頭髪の役目を果たしている」

さすがにこれは勘弁してほしいです

「いやらしい黄色」っていうのも・・・。


掲載料

2007年11月23日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
ペルシアで1905年に立憲革命が起こって専制体制が終わりました。
そして王族への年金も打ち切られました。カージャール朝がなくなったから。


「1907-1905」なのでダロガは死の前の二年間くらいは年金がなかったとなります。
そしてエボック社へのエリックの死亡記事系掲載料はカージャール朝からの年金から出されたのではないかと思います。





調査

2007年11月23日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

 

His most important journalism came when he began working as an international correspondent for the Paris newspaper LE MATIN. In 1905 he was present at and covered the RUSSIAN REVOLUTION. Another case he was present at involved the investigation and deep coverage of an opera house in Paris, later to become a ballet house. The basement consisted of a cell that held prisoners in thePARIS COMMUNE, which were the rulers of Paris through much of the FRANCO-PRUSSIAN WAR.


「オペラ座の怪人」原作は冒頭でルルーと思われる「作者」がオペラ座図書室で「怪人の噂話」と「シャニュイ事件」の関連性に気づき調査している描写から物語ははじまります。
 

普通この箇所を読んだ人は「この人こんな所(図書室)に入っていいの?なんで突然調査を始めたの?」と思うのではないでしょうか?

調査自体はルルーが「シャニュイ事件」も「怪人」も知らない時点から開始されています。
なので「パリ・オペラ座の古い記録」を調べる動機が別にあったはずです。

 

上の英文から察するにル・マタン新聞の仕事だったのでしょうか?


とすればルルーがオペラ座図書室に出入りを始めたのが1905年くらいになります。
1907年にはジャーナリズムの世界を離れたようなので少なくとも1905年から1907年の間だと推測できます。

 

で、タイムカプセルは「寄贈 1907年6月28日」と書かれています。そして埋められたのは同年12月23日とも言われているのです。


とすれば、1907年のペルシャ人の出現により「シャニュイ事件」「エリック」に関する情報が得られるまである程度の時間があったのですね。

「私が真相を気づくのには時間がかかった。調査はいつも超自然的とも言える出来事に邪魔をされ、私は虚しい幻影を追い求めるのに疲れ果て、もう無駄骨を折るのはやめてしまおうと思った事も一度ならずあった。
だが、私は<オペラ座の怪人>がただの幻ではないという確証を得て、ようやく自分の勘が的中していたという証拠をつかんだ」

つまり、ルルーの調査の困難さと、カナダ帰りのフォール判事によってダロガを紹介され、ついに証拠である「ペルシャ人の手記」を手に入れた事を描写していますが、そんなこんなを考え合わせると、挫折しそうなルルーの様子とか微笑ましいです。

 


そしてルルーのオペラ座調査が史実なので、ルルーがパリ・コミューンの犠牲者の遺体の埋葬場所に詳しいのもそのあたりに関係あるのかなーなんて思います。

「コミューンの際、オペラ座の地下で虐殺された人たちは、あのあたりには埋葬されていない。包囲の間、あの広大な地下室には食糧が貯蔵されていたので、犠牲者の遺骨はそこからずっと離れたところで見つかるはずだ。」P11

 Ce corridor avait été créé lors de la Commune de Paris pour permettre aux geôliers de conduire directement leurs prisonniers aux cachots que l'on avait construits dans les caves…" ; "Les malheureux qui ont été massacrés, lors de la Commune, dans les caves de l' Opéra, ne sont point enterrés de ce côté

 ちなみにモンシャルマンの「一支配人の回想録」はフィクションだと思っていますよ。

 


特別桟敷・アナスタシア

2007年11月23日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

アナスタシア

 

 

昨日に引き続き桟敷席について。

管理人は桟敷席と言うと「アナスタシア」と言うアニメの中で主人公の祖母がいた席というイメージがあります。

それは長方形の部屋でとても奥行きがあり、出入り口の扉から舞台を見る椅子までが長い感じです。しかも赤い豪華なカーテンで奥の部屋と観劇する椅子の置いてある部分が仕切られています。
応接セットのようなものもあり、大きな時計、中国製の陶器、花瓶に生花・・・。豪華です!
そして柱の形状から左の特別桟敷つまり3番桟敷だと分ります。二階あたりでしょうか?

皇太后は、アレクサンドル三世の皇后であったマリア・フョードロブナなので多分特別桟敷席なのではと思われます。

 

そしてアナスタシアの桟敷席は正面ロージェ。椅子が並んでいるだけの桟敷席ですが、オペラ座の普通の桟敷席はまさにこんな感じなのです。

そして5番桟敷もこんな感じだと思われます。覗き込んだ感じだと特別桟敷ほどじゃなかったような・・・。外から見ても普通だったりしますよね。

 

マリア・フョードロヴナ(1864年)


■アレクサンドル三世の皇后であったマリア・フョードロブナ■
美しくオーストリア皇后エリーザベトの美貌と比べられたと言います


 

もちろんこのアニメがアヴァン・セーヌ(舞台側)のロージェ(桟敷席)を忠実に再現しているかは分りません。

でもアニメでパリ・オペラ座が描かれているのはこの作品くらいなような気がします。大階段などが登場します。

 

この作品はロシア帝国最後の皇帝ニコライ二世の娘・アナスタシアの物語です。
ロシア革命が1917年なので1920~30年代が舞台と考えられます。

アナスタシアが祖母を訪ねてパリ・オペラ座に向かう場面もあります。

このあたり「フランスからロシア(ニージニー・ノブゴロド)」まで行った原作エリックとは真逆のコースなので興味深いです。

ちなみにアナスタシアはサンクト・ペテルブルグ(現レニングラード)からですが、サンクト・ペテルブルグから原作で地名として明記されているニージニー・ノブゴドロ(現ゴーリキー)まではさらに1950年くらいで馬車で二週間もかかるのです。

このことからもエリックがロシアと言っても相当な僻地に行った、と言うのが忍ばれます。当時は汽車もありませんでした。

エリックはこの街の有名な定期市に伴う縁日に奇術師として行ったのですね。
そしてそれはペルシャ行きへの伏線であったとも考えられます。

 

 そしてアナスタシアの恋人のディミトリーは野々村誠に似ています。

 


初版本

2007年11月22日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

 

1911年アメリカでの初版本らしいです。ほぼフランスと同時期に出版されたのですね。
例のAndre Castaigneのイラスト付きの1911年本とは何がどういう風に違うのでしょうね?
カバーの有無でしょうか?
下の方まで見ると全部で三(?)種類の「オペラ座の怪人」が見られます。

管理人は当然「赤い死」の本に萌えています。


http://www.betweenthecovers.com/btc/item/49960

  ↑  商品の表示の仕方が素晴らしいですね。

 

管理人、アメリカにAndre Castaigneの挿絵付きを注文したのはいいのですが「NO IMAGE」だったので、どんな物が届くのかまったく分りません。(猛者)

今、持っているのはあの注釈文付きレナード・ウルフ訳です。
今度の本は翻訳者が違うかも知れないですね。

絵しか見ませんが・・・。

 


六角形の拷問部屋 または反射光の劇場

2007年11月21日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

We were in the middle of a little six-cornered room, the sides of which were covered with mirrors from top to bottom. In the corners, we could clearly see the "joins" in the glasses, the segments intended to turn on their gear; yes, I recognized them and I recognized the iron tree in the corner, at the bottom of one of those segments...the iron tree, with its iron branch, for the hanged men.”

 私たちは、小さな正六角形の部屋の真ん中にいた…部屋の六面の壁の内側には鏡が張ってあった…うえからしたまで…どの隅にも、あとから鏡が継ぎ足してあるのがはっきりわかった…シリンダーのまわりで回るようになっている小さな扇形…そう、そう、あれにも見覚えがある……さらに、隅のほう、その小さな扇形のうちのひとつのおくに、鉄の枝を広げる鉄の木……首つり用の木だ。(角川p372)

 

 

の箇所のモデルのような物を発見。管理人翻訳は出来ないので興味のある方はご自分で翻訳なさってください。
web翻訳するだけでも何となくエリック、と言うかルルーの考えた「六角形の鏡張りの拷問部屋」を彷彿とさせるのが分ると思います。

要するに反射光学を利用した拷問部屋なのですね。そしてそのモデル自体は存在したようです。

原作ではさにらにこれに

1 「(電気によると思われる)激しい温度の上昇」
2 「シリンダーの自動的な回転によって内部の光景ががらりと変わる」
3 「エリック自身による効果音」

などが加わり効果絶大です。(1、2は簡単そうですね)

 

 

これは個人的にこの拷問部屋は「苦しみの末の死」「狂気・錯乱」を目指したのではと思います。

 

 

Multiple scenes in one chest

Following is an explanation of the construction of a catoptric cistula to represent several distinct scenes of objects, when looked in through several holes. Provide a polygonous cistula, or chest, in the shape of a multilateral prism ABCDEF, as shown in the figure, and divide its cavity by diagonal planes EB, FC, DA, intersecting each other in the center G, into as many triangular cells as the chest has sides; for example, a hexagonal chest will have six cells. Line the diagonal planes with plane mirrors. In the lateral planes, make round holes, through which the eye may observe cells of the chest. The holes are to be covered with plain glass, ground on the inner side, but not polished, to prevent the objects in the cells from appearing too distinctly. In each cell are placed the different objects, whose images are to be exhibited; then covering up the top of the chest with a thin transparent membrane, to permit light, the apparatus is complete.
By the laws of reflection, the images of the objects, placed within the angles of the mirrors, are multiplied, and some appear more distant than others, so that the objects of one cell will appear to take up more space than is contained in the entire chest. Looking through each hole will produce a new scene, each seemingly too large to be contained in the chest. According to the different angles the mirrors make with each other, the representations will be different; if the mirrors are at an angle greater than a right one, the images will be immense. (see anamorphosis) One large scene Following is an explanation of the construction of a catoptric cistula to represent the objects within it prodigiously multiplied, and diffused through a vast space. Make a polygonous chest, as before, but without dividing the inner cavity into any apartments or cells; see the second figure for an example. Line the lateral planes CBHI, BHLA, ALMF, etc, with plane mirrors, and at the apertures, scrape off the tin and quicksilver of the mirrors, so that the eye can see through. Place any objects in the bottom MI, e.g. a bird in a cage, etc. Here, the eye looking through the aperture h i, will see each object placed at the bottom, vastly multiplied, and the images separated by equal distances from one another. Multiple scenes in one chest

Following is an explanation of the construction of a catoptric cistula to represent several distinct scenes of objects, when looked in through several holes. Provide a polygonous cistula, or chest, in the shape of a multilateral prism ABCDEF, as shown in the figure, and divide its cavity by diagonal planes EB, FC, DA, intersecting each other in the center G, into as many triangular cells as the chest has sides; for example, a hexagonal chest will have six cells. Line the diagonal planes with plane mirrors. In the lateral planes, make round holes, through which the eye may observe cells of the chest. The holes are to be covered with plain glass, ground on the inner side, but not polished, to prevent the objects in the cells from appearing too distinctly. In each cell are placed the different objects, whose images are to be exhibited; then covering up the top of the chest with a thin transparent membrane, to permit light, the apparatus is complete.

By the laws of reflection, the images of the objects, placed within the angles of the mirrors, are multiplied, and some appear more distant than others, so that the objects of one cell will appear to take up more space than is contained in the entire chest. Looking through each hole will produce a new scene, each seemingly too large to be contained in the chest. According to the different angles the mirrors make with each other, the representations will be different; if the mirrors are at an angle greater than a right one, the images will be immense.

One large scene

Following is an explanation of the construction of a catoptric cistula to represent the objects within it prodigiously multiplied, and diffused through a vast space. Make a polygonous chest, as before, but without dividing the inner cavity into any apartments or cells; see the second figure for an example. Line the lateral planes CBHI, BHLA, ALMF, etc, with plane mirrors, and at the apertures, scrape off the tin and quicksilver of the mirrors, so that the eye can see through. Place any objects in the bottom MI, e.g. a bird in a cage, etc.

 Here, the eye looking through the aperture h i, will see each object placed at the bottom, vastly multiplied, and the images separated by equal distances from one another

 

 

■そして拷問部屋の「光」について・・・■

オペラ座でアーク灯を使用していたのはわかりました。
エリック自身がポビュラーなこの技術を扱えたかどうか証明するまでもないですね。
しかも1878年からパリ市から電力が供給されていたのなら、さらに簡単ですね。
仮にそうでなくても電源は別に電池でも、発電機でもいいのです。
拷問部屋自体だけでなく、湖の家の水没の仕掛けや、大量の水を自由に扱っているので大量の電力を使います。
電池、発電機、蒸気、バリ市から盗んだ電力を臨機応変に駆使したとも考えられます。

 

炭素棒が段々短くなる、という欠点はエリックの天才性ならどうにかなりそうですし、何人もの科学者がこの欠点を克服すべく研究もしていました。

照明時間は拷問している時間くらいならまったく無問題なのです。

(管理人も二次創作でこの研究をロシア時代のエリックにさせています。ペルシャでの拷問の前になんとか照明時間や電源の事を解決しなきゃいけないですから)

 

おまけ
アーク灯はオペラ座工事にもつかわれたのではないかなー、とか思います。なぜなら「マンハッタンの怪人」の後書きによれば

「ガルニエは巨大な蒸気ポンプを八基も据付け、何ヶ月もの間昼夜をわかたず排水に努めた」

とあるからです。

闇夜を照らすのにアーク灯ほど最適なものもないですし、1812年に発明されたものなのでオペラ座を工事し始めた1862年頃なら問題もありません。
ガス灯で闇を照らすより、既にある技術を利用したような気がします。
(白熱灯はまだ発明されていません。1879年です)

 

*アーク灯とは?*

英国のデイビーが1812年にアーク灯を発明しました。
アーク灯は二本の炭素棒電極が放電で白熱する現象を応用したものです。原理はアーク溶接の時の発光のようなものです。
以後改良が試みられましたが、発光持続時間などの欠点がいくつかあり家庭内などでの照明としてはあまり普及しませんでした。
(管理人の資料では大きなホテルのロビーのアーク灯の絵などもあるので、屋内でまったく使われなかったわけではないと思われます)

特別な祭典・・・例えばサッカーの試合のような野外ページェントにも使用されました。
また改良され、燃焼時間が延びてからもアーク灯はまぶしすぎたので、照明として使われるのは灯台や工事現場などの広大な空間での使用が主でした。

あくまでも推測ですが、オペラ座ではあの広大な舞台裏に使われていたようにも考えています。

 

*アーク灯・白熱灯の電源である発電機についてーグラム発電機―*

1871年グラムは発生電圧を高く(約200ボルト)した実用モデルをつくり、更に改良が重ねられアークランプ点灯の事業に使用されました。
いよいよ、電気事業といわれる電気を一般家庭や工場等に供給する事業が始るのです。

それまではヴォルタ電池を数百セル接続してアークランプを点灯させていましたが、電池はすぐに消耗して長時間の点灯には膨大な費用が必要でした。しかし当時実用化された蒸気機関と組み合わせた実用的な発電機によって長時間の点灯ができるようになってきました。(うーん、やっぱり蒸気も併用したのですね)
また1879年の白熱灯の発明もあり、電灯に関する技術(アークランプから白熱灯へ)が急速に実用化されていきます。

 

コンコルド広場を照らすアーク灯(1844)
なんとなく「サーチライト」というイメージがします。

 

 


五番ボックス

2007年11月21日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

 

作品中よく登場する
『5番桟敷』は
どこにあったのでしょうか?

 

 原作の中の「五番桟敷」の描写を書き出してみます。

「それは一等桟敷よ、五番の(la première loge ,numéro 5)、よく知っているわね。下手の舞台前のわきの一等桟敷よ」 (ハヤカワ p.30)

 「五番の特等席よ。よく知っているでしょう。左手の前桟敷の隣にある特等席なの」(創元 p.30)

「五番のボックス席、ほら、左側の特別ボックス席のすぐ隣の二階ボックス席よ」(角川 p.23)

 

「なんとなくあの豪華そうな席かな?」という予測が浮かんできます。

 

 

「5番桟敷」は原作のフランス語で「la première loge ,numéro 5」や「la  première loge n°5」と書いてあります。

loge」は「桟敷席」という意味です。

 

で、その前についている「la première」ですが・・・。

「première」とは英語で「first」です。日本語で「最初」(web翻訳ですが)

 

「first」「最初」という事は「一階なのでは?」と思いますが、フランスの階数の数え方は日本とは違います
エレベーターなどに乗った時に「あれ?」となります。

旅行のガイドブックにも載っているのですが、

 


日本の一階 = フランスのゼロ階
日本の二階 = フランスの一階

 

です。なので「première」というのは「日本での二階」です。

フランス語の原作を直訳すると「一階五番桟敷」となります。ですが読者により分りやすいように意訳しているのでしょう。(角川親切♪)

 

さらに詳しく見てみます。

「五番桟敷の右隣りの桟敷は」と、モンシャルマンが尋ねた。
「ふさがっていたのか」「いいえ。番桟敷は左隣りの番桟敷同様、まだふさがってはいませんでした。 (ハヤカワP84)

「五番の右隣りにあるボックス席は」とモンシャルマンが尋ねた。
「ふさがっていたのかね?」「いいえ、番のボックス席も、左側の番のボックス席も、まだふさがっていませんでした。・・・」(創元p.84)

 「いいえ、番ボックス席にも、左隣の番ボックス席にもお客さんはいませんでした。・・・」(角川P75)

 

■「どうして五番が三番、七番にはまれてるの?」ですがオペラ座の席番号は「奇数」「偶数」で別れているのです。

なので「3、5、7・・・」「2、4、6・・・」と桟敷席は並んでいます。

  

写真ですと分らないですが、扉には一番奥から「3番」「5番」「7番」と書かれています。

 

 桟敷番号の書かれた扉。「6」という数は椅子の数らしいです。

 

この廊下から見た「五番桟敷」は奥から二番目なので舞台から二番目と誤解しやすいのですが、舞台から二番目ではないです。舞台からは3番目なのです。 

 

分りやすく図解してみます。
「バリ・オペラ座」(ミシェル・サラザン 音楽之友社)の座席票を参考に写真に桟敷番号を入れてみました。  ↓  

何故一番豪華な席が「6」なのかは謎ですが、上記の本やチケットを買った時についてくる紙にはこうなっているのです。
この写真の二階6番桟敷の正反対に位置する桟敷席は「一番桟敷」となっていて上記の本によれば「フランス大統領の席」となっています。

 ↑ 「一階五番桟敷は出入り口の近くにある」とも書かれています。

 

ですから「五番桟敷」とは具体的に矢印の席なのです。

 

Do反転 ↓

「その五番ボックスと舞台脇の特別ボックス席を仕切る太い柱を叩いてみなさい・・・そこには人が二人は入れるほどのスペースがある」角川p446

って書いてあるから3と6の間かと思っちゃいましたよ。3と5の間の柱に人間が二人は入れるとは思いませんでした。
3と6はやはり高貴な方専用桟敷で無理なのかな?なんとなくジリーおばさんには敷居が高そうだし・・・。

 

 

 

*おまけ*

原作では「二階5番桟敷席」を見た支配人達がそのあとに「一階5番桟敷席」に降りて行く場面があります。

 

そして支配人が「二階」から「一階」に降りるルートは書いてない・・・と言うかよく意味が分らない文章になっています。

「五番桟敷に通じる下の一階桟敷におりた」ハヤカワp121
「五番ボックスにつながっている、下の一階桟敷へ降りて行った」創元p120
「二人は一階へおりて、念のため、そこの五番ボックス席へ行ってみた」角川p111

角川訳文は日本語としてすんなりしていますね。しかし上の二つの訳文だと意味不明です。

「二階、一階をつなげるもの」といったら階段ですね。管理人の推測では「階段を通って」が抜けているような気がするのです。


よく見るとガラス張りの扉があります(ドアなのです)。緑の非常口のランプの下ですね。
これはバレエ・オペラの休憩時間には開いていない扉なのです。見学時にはロープが張ってあります。

 

そしてこの扉の向こうに階段があるのです。ですから・・・

 

五番桟敷に通じる階段を使って下の一階桟敷におりた」ハヤカワp121
「五番ボックスにつながっている階段を使って、下の一階桟敷へ降りて行った」p120

と考えればすんなりするような気がします。「下のボックス席につながっている。通じている」というのも分ります。

それにどう考えても扉が開いていれば一番の近道です。

どんな階段なのか興味のある方は管理人の旅行記を見てみてください。
旅行の際に二階の5番桟敷を見た後に、たまたまこの扉が開いていたので降りて一階に行ってみました。