The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

ルルーとルブラン

2007年11月27日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

ルブランと言うのは「モーリス・ルブラン」の事です。

ルルーとほぼ同時期の作家です。
ピエール・ラフィット社で出版された「アルセーヌ・ルパン」シリーズが有名です。(連載は雑誌「ジュ・セ・トゥ」です。社長はピエール・ラフィット)しかも二人の背後には「ピエール・ラフィット」という編集者も見え隠れします。(ちなみに出身はルーアンでエリックと一緒です)

 

ピエールラフィット社刊"Arsène Lupin, gentleman-cambrioleur"(1907年)表紙(『怪盗紳士ルパン』)

 

 

 以前「奇巌城」の舞台がノルマンディー地方の『エトルタ』だと書きました。

エギーユ・クルーズのモデルとなった大針岩はエトルタの海岸に実在しています。エトルタの岸壁はその頂上に登ると崖の内部に潜れるようになっており、奇巌城で出てきた暗号がそのまま金属プレートで掲示されているそうです。

他にもエトルタには彼の住居を基にしたモーリス・ルブラン記念館、通称「アルセーヌ・ルパンの隠れ家」があるそうです。

また『カリオストロ伯爵夫人』などルブランの作品の舞台にもなりました。

 


エトルタ

 

 

■パクリ疑惑■

 

この『奇巌城』にはイジドール・ボートルレと言う少年探偵が登場します。

一般的に、この作品のみ登場するこの高校生探偵イジドール・ボートルレはルルーの『黄色い部屋の秘密』などに登場するジョゼフ・ルールタビーユのパスティーシュ(パロディ)であるといわれています。

このことからルブランとルルーの関係は、一時期、かなり険悪なモノになったそうです。

しかし1927年4月15日ガストン・ルルーが死去するとルブランはルルーの未亡人に宛てて、故人に対する哀悼と讃辞の手紙をしたためているそうです。

 

ちなみにこのルルー夫人はJeanne Cayatte といい二度目の奥さんです。
二人の間にはアンドレ・ガストン、マドレーヌと言う子供がいました。
(Andre-Gaston in 1905, Madeleine in 1908)
心底どうでもいい話ですがアンドレ君はサンクト・ペテルブルグで生まれたか、ルルーのサンクト・ペテルブルグ時代に生まれたみたいですよ。ルルーは新聞の取材でロシアに度々行っています。(日露戦争について?)
「マドレーヌ」と言うのは「マドレーヌ寺院」を思い出させます。好きな聖女だったのでしょうか?
しかも「オペラ座の怪人」は1910年執筆、しかも同時期に他の作品も書いていました。忙しい執筆の合間に子供と遊んだりしたのでしょうか?


 


モーリス・ルブラン



※ 類似の事件

モーリス・ルブランは1906年『遅かりしシャーロック・ホームズ』(“Sherlock Holmes arrive trop tard”) を発表する。この作品のなかで、英国の作家コナン・ドイル( Conan Doyle 1859-1930 ) に無断でホームズの名を使用したため、抗議の手紙を受け取った。以後、ホームズの名はつづり字を変えた“エルロック・ショルメス”( Herlock Sholmès ) として登場することとなった。