The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

日常

2013年03月31日 | Weblog

 

こんな本があるのですね(*´∀`*)
アマゾンからの紹介メールで発見。佐藤賢一さんは知っていましたが、作品はアルビジョワ十字軍とカタリ派を扱った「オクシタニア」が読みかけ中というくらいです。

子供がフランスの歴史に興味を持ってるので、さっそく全巻(中古で)買ってみました。
興味を持ってるのは「レ・ミゼラブル」の時代で19世紀前半なのですが、フランス革命関連本も役に立つはず。

私が興味があるのは、19世紀半ばから後半なので、微妙にずれているのですが、資料が共有できて良かったです。鹿島本とかほとんど揃ってるし、「パリ歴史地図」とかドーミエやガヴァルニの版画などあるので、絵を描くのに役に立っているみたいです。

 

 

そういえば、別館小説ですが、書いているのですが、いよいよインド編も終わるので、色々広げた伏線やエピソードの回収をしなくてはならず、以前書いた部分を読み直したりしています。
あとは第一次シーク戦争の描写がネックで進まなかったりします゜(゜´Д`゜)゜

何というか下手くそすぎで「書くのやめようかな?」とも思ったのですが、拍手をくださる方もいらっしゃるので、頑張りたいと思います。

 

 

 


旅行

2013年03月30日 | Weblog

去年「南フランス~北スペイン 巡礼の旅」に行ってからほぼ一年、またぞろ旅行行きたい虫が騒ぎ出しております✩

去年はコテコテのカトリック旅(ルルド、サンティアゴ・コンポステーラ)だった上に、スコセッシ監督の「クンドゥン」(ダライ・ラマ14世の伝記的な映画)を見て、「チベット綺麗!!!」と感激したこともあって、チベットの方に行ってみようかと思っています。おととし辺り、四川省のチベット自治区に行って、(トイレ以外は)綺麗でしたし、ツアーによってはお祭りも見られるようなのです。

 

それにチベット・ホルンの音色も聞きたいし。


チベットホルン

 

 本当はシーク教の聖地アムリトサルのいいツアーがあったのですが、仕事の都合で何としても無理でしたorz

 
アムリトサル

 

インダス河も憧れます(´∀`*)

あ、チベットというかラダック旅行です。(チベットもラダックも頭の中でごちゃごちゃです)

 

 

 

 

 


オペラ座のガリバー

2013年03月28日 | Weblog

 

映画「ガリバー旅行記」でこんな面白い看板(ポスター)が見られるみたいですね。ごつい子コゼットも笑えます✩

 

明日、また「クラウドアトラス」行こうかな~、などと画策。1936年の音楽家フロビシャーとシックススミスの悲恋は物凄く腐女子心を揺さぶりますね。

http://www.nicovideo.jp/watch/nm19971723#!sm18465337

 

「レ・ミゼラブル」のアンジョルラスとグランテールの最期もかなり(*°∀°)=3萌えポイントの高い場面です。


名前すら出てこないが、緑ジャケットがグランテール♡
クールフェラックではないです。

 

 


クラウドアトラス②

2013年03月27日 | 映画について

 

昨日の「汚れなき祈り」の陰惨さを払拭すべく、「クラウドアトラス」を鑑賞してきました。

前回はちょっと寝てしまったのですが、今回はバッチリ✩しかもパンフレットなどで復習もしていたので、話もわかりやすかったです。

やはりなんといってもベン・ウィショーの純愛ホモ物語が最高すぎでした。天才作曲家には随分ひどいことを言われてました。「性的倒錯者で、異常者で男娼」とか。傷ついたロビンシャーの表情にハートを鷲掴みにされました。

 

女装もしています。

ちょっときつい顔の美人だなあ、と思ってましたが、まさか男(ベン・ウィショー)だとは!(@_@;)

 

今回気づいたのは、時間の流れが一定でないのかな?という点。天才作曲家が未来のネオ・ソウルを夢で見たりするのも不思議です。ソウルメイトではないですが愛し合う宿命の二人は時間を遡ったりするのかな、とも思いました。物語の時間軸が行ったり来たりするのもそのせいなのかもしれません。冒頭の「食人種の島だった~」あたりも未来のハワイのエピソードの食人族との繋がりを感じます。

 

直線的なヘブライ、西欧の「時間」と、「永劫回帰」的なものの対比でもあるのかと。「永劫回帰」という曲名も登場しますし。

この「永劫回帰」という言葉もよくわからないのですが。orz

1936年フロビシャーに関する話で、これのモデルはエリック・フェンビー(Eric Fenby, 1906~1997)ではないかというもの。梅毒患者の作曲家フレデリック・ディーリアスの手足となり採譜をしていたのですが、ディーリアスはニーチェ信奉者。

「カルマ」「因果」など東洋的な言葉がいっぱい。

原作者デイヴィッド・ミッチェルは「世界で最も衝撃を受けた結末」と言う三島由紀夫の夢と転生の物語「豊饒の海」にインスパイアされたらしいですね。「豊穣の海」を読めば、なお作品が理解できるかも、と思いました。

 

 


汚れなき祈り②

2013年03月26日 | 映画について

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。(マタイ11:28)」

 

という看板聖句の真逆を行くような展開でした。かと言って、被害者アリーナの身を寄せた修道院がカルトとか、異常性があったわけではありませんでした。貧しいながらも普通によくやっている修道院だったですし、最初はアリーナの登場にみんな笑顔でした。

ただ被害者のアリーナが物凄い問題を抱えた女性でした。少しレズがかっているし、もしかしたら薄く性同一障害かもしれないし、精神科で診断されたように分裂症なのかもという子でした。

修道院に来たのも、そこで修道女として暮らしている親友に会いたい一心でした。その「一心さ」が、トラウマを抱えた子なので異常というか病的なレベルだったのです。

アリーナは父親は死に別れ、母親は彼女と兄を孤児院に捨て、どこかに行ってしまい、相当心に傷を負っています。ただただ、修道女になった親友だけが救いなのです。

 

で、修道院に身を寄せているので、「懺悔をしたら」と勧められて、大して信仰心もないのに男の司祭に罪を告白して、懺悔したのです。その内容は映画を見ただけでは詳しくわかりませんが、「自慰の経験がある」とかいう言葉が出てきたので、そうとう何でも喋ってしまったみたいですね。隠し事なく罪を告白しないといけないのでしょう。

しかし、私の印象では、懺悔から帰ってきたあたりから狂ってきたような気がします。

うーーーん、発電所に勤務中、天使を目撃して信仰に目覚めて、聖職者になったような人物に、こんな複雑な心を持った女性の心のひだなど、相当に汚い、罪だらけのものだったのでしょう。五体投地1000回、その他の修行を言い渡されています。

親に捨てられた事から始まって、この子の苦悩に罪はないと思うのですが、やっぱり聖職者から断罪された事が心を傷つけたのでしょう。本来なら、カウンセリングや投薬が必要な人間に「罪」や「汚れ」とか言って、追い討ちをかけたのだと思います。

 

被害者のアリーナには罪の詳細な告白を要求していますが、アリーナが死んで、警察が入ると、あーだこーだ自分たちを庇って、嘘をついているのには呆れました。

 

それに修道女は実際には20人以上で、看護婦経験のある者もいたのに、厳寒のルーマニアで、ろくに水分も食事も与えないのは、異常。しかもお漏らしもしてるのに、下着も服も取り替えないで、拭いてあげるだけ。警察が、「(拘束されていた)十字架が臭い」とか、言ってましたが、糞尿が染み付いてるんでしょう。

「は?縛り付けたのはただの板で、そんな尊い十字架とは違います!」と司祭が怒って反論していましたが、警察官は「十字架に見えます」と言っていたのも印象的。罪のない人間が、無知・無明な人間に殺された、というの点では共通なのかな、と思いました。

アリーナの言動は異常で、憎々しく思う気持ちがあったような気もします。ただわざとでないにしても、最後に、十字架に縛り付けるのに、犬の鎖を使っているのは可哀想でした。ちょっとイジメ臭も感じました。


司祭、修道女達にとっては、肉体を痛めつける事が、悪魔を弱らせ、霊魂を清め事になるのだ、と確信していました。神の実在を信じることは、悪魔(サタン)の実在も信じる事と同じなのですね。映画の中でも、罪の一つとして「見たことがないからといって、天国、神、聖母、悪魔を信じない」と言うような項目があり、信仰の中には「悪魔の実在を信じる」という事が含まれるのだと確認できました。

人間の苦悩、苦悩からくる異常性、心の歪み=悪魔の仕業

という捉え方しか出来ない事自体は、遡ればゾロアスター教あたりの二元論やら、ギリシャ哲学も影響しているのでしょうが、正直「人間の精神という複雑怪奇なものに対してあまりにも単純すぎ」と思いました。

 

「こんなんじゃイエス様も迷惑だ」と下っ端修道女が言うと、おとなしく十字架に縛られていたアリーナが怒り出すのは、見ていて気の毒。信心深そうでないアリーナでも一応キリスト教圏の人間なので、神様に嫌がられてるとか、言われれば悲しいはずだし、神の心がわかるのか?と、ツッコミを入れたくなりました。少なくとも「親に見捨てられた経験がある人間にそういう事は思っていても言うな」と思いました。

結局迷惑なのは司祭と修道女達だし。
ただ修道女長と親友だけは、彼女達の考えの及ぶなかで、アリーナを救いたいと思っていたのは感じました。方法が「悪魔祓い」だっただけで、善意は善意だったのだと思います。司祭に「お願いします。悪魔祓いをしてください」と、頼んでる時点では。

罪や悪魔に憑依されているというより、深い深い「孤独」を感じました。

 

修道院の人たちにとって、アリーナが、途轍もなく忌々しく、迷惑な存在なのも、わかると部分もあるのですが、やっぱり監禁殺人罪には変わりがないです。終身刑から、14年くらいに減刑されているので、多少は情状酌量されたのでしょう。

 

 

修道院の中にこんなメンバーがいれば、重荷を取り除くことはできなくても、死にはいたらなかった気がします。


瀬戸内寂聴。
不倫の経験アリ、人生経験豊富そう。


マツコ・デラックス


中村うさぎ
あの手の子の気持ちが分かりそう。


倉田まゆみ。


柳 美里
なんとなくアリーナの気持ちが分かりそうな気が。

 


ユゴーの家

2013年03月22日 | Weblog

 

パリ、ヴォージュ広場にあるヴィクトル・ユゴーの家。

以前訪ねたことがあります。ただ資料館になっていると知らず、家の前に行っただけ。娘が「レ・ミゼラブル」のアンジョルラスにはまりまくっているので、また一緒に行ってみたいです。以前子供を連れて行った時は小さくてユゴーを知らず「有名な作家さんだから表札の前で写真だけでも撮ろうね」と説得して、やっと写真だけ撮った思い出があります。

内部は中華風の部屋があったり、小さな仏像が飾られていたりしているようで、ぜひ見てみたいです。

 

Je donne cinquante mille francs aux pauvres, je désire être porté au cimetière dans leur corbillard, je refuse l'oraison de toutes les Eglises, je demande une prière à toutes les âmes, je crois en Dieu

「私は五万フランを貧しい人たちに遺贈します。私は彼らの霊柩車によって墓所へ運ばれることを望みます。私はどんな教会の祈祷も拒絶しますが、私は全ての魂への祈りをお願いします。私は神を信じます」

 

ユゴーの遺言です。

「全ての魂」というからには、富める者も貧しいい者も罪人も異教徒も、ユダヤ人もすべて、という事なのでしょう。ユゴーは輪廻を信じていましたし、最終的には全人類が救われる、という宗教観を持っていました。輪廻の中で苦しむ人類を憐れむ絶対者のイメージも持っていました。
そういう心の大きさには惹かれます。

それに「テーブル・ターニング」(こっくりさん)でキリストを含む様々な過去の偉人と語り合いつつ(多分フランス語で)、その相手の口調が微妙にユゴーっぽかったり、テーブルの宗教は宗教界の「1789年!(フランス革命)」とか語っていて、なんだか面白いおじさまだな、と微笑ましく思っています。

 

をCD付きで買ってみました。娘に買ってやったので、持って行かれてしまうかもしれません。

他こんな本も。「フランス<心霊科学>考}というのはユゴーというより「オペラ座の怪人」のために買った本。

 


ナミビアの砂漠

2013年03月22日 | Weblog

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52121608.html

 

反薄明光線という自然現象だそうです。神々しくて、古代の人なら何らかの神秘的な感慨を抱きそうです。


反薄明光線は、太陽が雲に隠れているとき、雲の切れ間あるいは端から光が漏れ、太陽と正反対の方向に光線の柱が放射状に収束して見える現象のことで、裏後光(うらごこう)、裏御光(うらごこう)とも呼ばれている、そうです。

 

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52112814.html

 


必見番組

2013年03月22日 | Weblog

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0324/index.html

「完全解凍!アイスマン・・・5000年前の男は語る」

世界最古の冷凍ミイラ“アイスマン”が初めて完全解凍され、徹底的に調べられることになった。有史以前の暮らしを知る鍵が詰まった超一級の文化遺産は、私たちに何を語りかけるのか・・・?

“アイスマン”は、1991年にイタリア・オーストリア国境付近にあるアルプスの氷河から奇跡的な保存状態で発見されたミイラ。その身体は、人類にとって“至宝”とも言うべきものである。5千年前の人体、着衣、道具類が氷漬けになって保存されていたため、文字の無かった当時の暮らしぶりや文化、風習などを知る極めて重要な手がかりが詰まっているからだ。

発見以来20年間、厳重に冷凍保存されてきた“アイスマン”を解凍するという画期的な調査が遂に始まった。脳や内臓、骨、血管など149点ものサンプルを採取、世界中の研究者による分析で、5千年前の謎が次々と明らかになってきている。
“アイスマン”の解凍・調査に密着し、分析から得られた最新の知見を紹介。壮大な歴史ロマンの世界へいざなう。

 

すごく面白そうです!!!!!!!!!!!!!!

 


イングロリアス・バスターズ

2013年03月22日 | 映画について

 

 

「ジャンゴ」が面白かったので、今度はユダヤ問題の「イングロリアス・バスターズ」を借りてみました。

今度はクロストフ・ヴァルツの「ユダヤ・ハンター」の異名をとるランダ大佐の怪演ぶりが怖い!それにブラピの演じる「バスターズ」(ユダヤ系アメリカ人8名からなる特殊秘密部隊)の殺し方がインディアン風でグロい。(タラ監督にはインディアンの血も入っているそうです)


ショシャナ役のメラニー・ロラン

メラニー・ロラン自身ユダヤ人なのだそうです。ナチ殺しを決行する前のチークの入れ方がインディアンを彷彿とさせるような?

今回も痛快、というか「最後の哄笑、怖い(怖い天使か、魔女か悪魔のような怖い描かれ方だし)」と思いましたが、ストーカーなナチ将校にとどめをさせないあたりに、この女性の非情になりきれない優しい部分を見た気がします。映画を見て、ストーカーナチ将校に「ただただ憎いナチ将校」でありながら「人間味」を見てしまい、ためらい、それが故に死んでしまうあたり、うまいなあ、と思いました。

史実に反して映画が第三帝国を打倒する様を映像化されています。

 

 

額にナチスの鉤十字が刻まれるのは新約聖書の黙示録7:1~4節に記されている「神の印」(救われてて天国に行く人)と「獣の印」(地獄に落ちる人)あたりのメタファーなのでしょう。

ダンテの「神曲」煉獄編では、「ペテロの門の前でダンテは天使の剣によって額に印である七つの P を刻まれた。」という「額に印」という表現もありますし、旧約聖書の「エゼキエル9:1~4」にも「額に印」というのが出てきます。

 

いずれにせよ「額の印」というのは天国と地獄に振り分けられる審判の時の決め手になるようです。
バスターズに刻まれた「額の印」は生きている限り消えない「ナチスの制服」であり、「無実の人々を虐殺した」事の証拠で、冷たい視線を受けたり、報復される可能性をもたらす烙印です。

 

ナチスを裏切り、アメリカで悠々自適に暮らすことを夢想するランダ大佐は自分の額に「神の印」が刻まれていると確信していたかもしれませんが、そこに鉤十字が上書きされるというのは凄い皮肉だと思いました。

 


汚れなき祈り

2013年03月20日 | 映画について

 

2005年、ルーマニアの片田舎の修道院(正教会)に友人を訪ねてやってきた当時23歳の女性が、「悪魔祓い」と伝えられる行為によって亡くなった。そのニュースは国内だけでなく世界中に衝撃を与えた。
女性は修道院で発作を起こし、医師には統合失調症と診断されたが、修道院では彼女の病が悪魔の仕業だと考えられた。彼女を救うために、悪魔祓いの儀式が二昼夜続けられ、その結果、急性心肺不全が原因で死亡。

儀式に関わった神父と4人の修道女は、不法監禁致死罪で逮捕。2008年、裁判の結果、神父たちには実刑が下される。
彼らは現在、出所しているが、再び僧衣を着ることは認められていない。

 

という実話をもとにつくられた映画だそうです。めずらしく正教もので、小説の参考になりそうなので見にってみようかな?第65回カンヌ国際映画祭女優賞(主演の2人)&脚本賞受賞。2013年第85回アカデミー賞外国映画賞ルーマニア代表作品ですし。

http://www.kegarenaki.com/index.html

 

現代でもエクソシストがいて、悪魔祓いをやっているのは知っていましたが、・・・若い娘さんが死ぬなんて、一体どんな儀式を行ったのでしょう?エクソシストものの映画ですと、お祈りしたり、十字架を振りかざしたり、聖水かけたりしているだけで、死ぬ感じはしませんが。。。

 

【追記】

 [ブカレスト 19日 ロイター] ルーマニアの裁判所は19日、ギリシャ正教の司祭1人と修道女4人に対し、教会の地下室で別の修道女(23)を悪魔払いの儀式で殺害したとし、実刑判決を下した。被害者は2005年6月、飲まず食わずで3日間にわたって十字架にはりつけにされ死亡。

司祭と修道女らはその間、被害者から悪霊が退散するよう祈っていたという。
 検察側は被告の司祭に終身刑を求刑していたが、地元テレビによると、裁判所は禁固14年を言い渡した。また修道院長に8年、ほかの修道女3人には5年の実刑判決がそれぞれ下された。
 ただ被告らは5人とも罪を認めておらず、控訴する方針だとしている。
 地元メディアによると、殺害された修道女は統合失調症をわずらっており、これを見た他の修道女らが悪魔にとりつかれていると信じたという。 2月20日16時13分配信 ロイター

 

十字架に三日間・・・。明らかな殺意を感じますが、何をどう考えて集団でこんな事をしでかしたのか。。。。やりきれないです。

よく考えたら、それでもこの聖職者たちは世俗の法に裁かれているのですね。しかも正教からは僧籍を剥奪されている。これが一昔前なら、無罪だったかもしれないし、そのままこの連中は賞賛され、立派な聖職者として生き続けたかもしれないです。

両親のいない少女が一見エキセントリックな行動をとったくらいで、「悪魔」扱いって、非常に残念な発想です。身体を痛めつけることで霊魂が清められるのでしょうか?霊魂と肉体の二元論の悪しき終着点をここに見た気がします。

 

でも、魔女狩り的な事は今でも現在進行形なのですね。

 

2010年、アフリカ、コンゴの首都キンシャサでは、キリスト教原理主義をうたっていると伝えられる新興宗教団体による子供たちへの悪魔払いと称する行為が問題となっている。ナイジェリアにおいても近年、牧師を名乗る男や牧師の妻によって子供たちが魔女や黒魔術師と決め付けられ、悪魔払いとして火を点けられたり、釘を打ち込まれる等の虐待を受けたり、殺害されるという事件が起こっている。

http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2780993/6612320

http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2577969/3859842

 

正直に書きますが、無学だったり、電波な人に「悪魔(サタン)」とか「聖霊」とかいうアイテムを教えると、非常に危険だと思います。

 

 

 

 


ジャンゴ

2013年03月19日 | 映画について

 

見てきました!!!

実に痛快でしたッ(≧∇≦*)

残酷、流血シーンが多いので、苦手な方は注意が必要かも。銃撃戦のリアルさにびっくりしました。

 

レオ様の悪役ぶりが素晴らしく、ジェイミー・フォックスもかっこよかったです。ハムの子孫のカナン人(黒人、エジプト人)は本当に苦難を強いられたのですね。それと同時にそういった白人に擦り寄る黒人の狂気のようなもの、残酷な農場主の狂気も描かれていてます。黒人の執事役のサミュエル・L・ジャクソンが凄い!!!!最後の最後まで、骨の髄まで白人至上主義に蝕まれている姿が壮絶です。

個人的にはあれだけの悪逆な事しているにも関わらず、「自分たちは天国に行ける」と確信している白人たちにびっくり。「信じるものは救われる」のかもしれませんが、「やっぱりさすがに許されないことをしてるんじゃ・・・」とか不安にならないのかと思いますが、「清らかな岸辺~♪御国でまた会う日まで~♪」とか歌っていてムカっとしました。ま、黒人のような獣をいくら痛めつけて、殺そうが御旨に反してはいない、という自信があるのかもしれません。

 

映画の最初の方で黒人の罪無い少女を鞭打つ男が聖書を持っている上に、聖書のページをちぎって服に何枚も貼り付けているのには驚きました。

つまりこういう意味かと。。。

白人達は神も人種差別を認めているとして、旧約聖書の創世記、9 章の 21 節~27 節を根拠に主張しました。

カナン(エジプト人、黒人)は呪われよ。彼はしもべの下僕 ( しもべ )となって、その兄弟たちに仕える。」また言った。「 セム(ユダヤ人など)の神、主はほほえむべきかな、カナン(エジプト人、黒人)はそのしもべとなれ。神は ヤペテ(白人)を大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。カナン(エジプト人、黒人)はそのしもべとなれ。」

 

この節の前に、真っ裸で寝ていた父ノアの姿を見てしまったカナンの父ハムが兄弟を呼びに行く場面が描かれています。それだけの事なのですが、ノアはハムを激怒します。大事な所を見られたからとか、訳によってはハムがノアの局部をエロティックな目でしたとか解釈されるようです。

白人聖書学者の解釈によると、セムは イスラエル人の祖、ヤテベは ヨーロッパ人の祖、 カナン(子)の父のハム は アフリカ系人種の祖となったのだそうです。

白人たちは黒人を カナン に見立てて黒人は下僕に生まれついた人間であり、白人は生まれながらにして彼等の主人であると説きました。そして白人達は子供の頃から、親や学校、教会、社会から

有色人種 ( 黒人、黄色人種 ) とは神の創造物の 一つではあるが、人類的尺度から見れば白人よりも かなり下等な生き物 ( Sub Human ) である。故に彼等にはそれに ふさわしい扱い をすべきである 

という人種差別を教わっていたのだそうです。

実にくだらない部分に壮絶な人種差別の遠因があったりするものです。


実の息子であるハムが「父さんがスッポンポンで丸見えで寝てるぜ」といったのか「父さん、丸見えだ(ゴクリ)襲いたい」だったのか分かりませんが、ふるチンで眠っていたノア(父)も悪いのに、なぜかいきなり「孫のカナン君」に対して「呪われよ!兄弟の奴隷となれ!!」とか言うって・・・orz

 

 


クラウドアトラス②

2013年03月16日 | 映画について

http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id343488/rid48/p1/s0/c1/

いろいろググっていたらこんな感想を発見。私的には目からウロコで、「なるほど」と思いました。最後のあたりの「ソンミ様のお告げ」をギリギリの状態で無視するあたりの解釈は秀逸。その前のお告げでは従って救われていましたが、やはり最終的には「自己判断」なのですね。

ソンミの取調室での言葉は未来において聖典のようになり、ソンミ自身も女神として信仰の対象になっていますが、もともとは「こんな世の中間違ってる」と言った義憤からの言動でした。それが尋問者の質問者(シックススミスの生まれ変わり)の心に残り、宗教になった、というのは納得。ただそれが足かせ(死)になると思ったら、棄てるというのも大切なのでしょう。

言葉による教えを捨て去る、という場面は、「言葉を超えていく」という意味もあるのかもしれない、とも思ったりしました。

すべての存在は関わり合い、影響し合って世界を構成しているというのは「縁起」「因果」の教えのようだし、「6」というのも「六道輪廻」を思い出させます。

 

最後の高い山の上の雲の中から姿を現す「蓮の花型アンテナ」が一体何を意味するのか(何を受信するのか)、どうしてお皿が飛び交っているのかよくわかっていません。時間があったらまた見たいかも。個人的には作曲家と友人のホモの純愛がツボです(・∀・)あの二人の所だけ見直したいのです。

 

「ライフ・オブ・パイ」も映像が素晴らしく綺麗で見に行きたいとは思ってます。

 

【追記】

アンテナは地球がもう死にかけているから別の星に移住した開拓団と交信して救ってもらうためのようです。

「お皿割り」の場面は再会を喜ぶ二人(^ω^)らしいです。幻覚ですが゜(゜´Д`゜)゜ 

本当にこの1936年のロビンシャーとシックススミスの件はよい。ゲイだということで嘲られ、自殺するロビンシャーが「聖ジョージと竜」の彫刻を壊すのも胸を打ちます。聖人はゲイをかばってドラゴンのように恐ろしい老作曲家を退治してはくれません。むしろ逆に滅ぼされる対象です。ゲイはキリスト教的には断罪される対象という悲しみの表現なのかもしれません。このあたり監督の体験的なものが入ってるのかな、と邪推。
身体は神様からもらった、と考えている人の多い社会で、肉体を改造するというのは、なかなかすごい体験だと思います。

あと、シックススミスは生涯純愛を貫き、独身を通すというのも、ベタですが泣けます。゜(゜´Д`゜)゜
なにげにシックススミスはいい役です。ソンミの言葉を残す者(記録官)としても登場するし。

 

【追記②】ソンミの言葉

命は自分のものではない
子宮から墓場まで
人は他人とつながる

過去も 現在も
すべての罪が――
あらゆる善意が――

未来を作る

 

 


日常

2013年03月16日 | Weblog



こんなもの発見✩

よく見ていると面白いです。転生を繰り返して、善人になる人もいれば、最低の悪魔になる人も(「マトリックス」でスミス役の人とかwすごい邪悪ぶり(´▽`*)アハハ)
ソンミは一番清く、最終的に女神扱いで信仰の対象にすらなっています。

ベン・ウィショーはどこにいるんだろう?もしかしたら「クラウドアトラス六重奏」作曲エピソードにしか出演していないのかも?



ホモで音楽家なんて萌え(*°∀°)=3ですね。キスシーンもあって眼福ヾ(*´∀`*)ノ
上はベン・ウィショーのお相手役のジェームズ・ダーシー

最近スクリーンで見かける「蓮の花」

 

 

ウォシャウスキー兄弟(今は姉弟、兄妹?)といえば「マトリックス」。なんだか不思議なSFだなあ、と思っていたらこちらも東洋思想(仏教や老荘思想)がかなりベースになっているんだとか。

 

 


近況

2013年03月16日 | Weblog

 

色々私生活で忙しくしていますが、とりあえず小説の続きは書いています。随分サボっていますが、インド編はあと何話でもないので頑張らねば、とは思っています。

正直モチベーションやオペラ座萌えにも波がありますが、拍手を頂いたりすると「待っていてくださる方もいるのかな」と、ちょっと頑張る気になったりします。驚異的な遅筆で、自分でも嫌になります。

 

昨日は久しぶりに25周年と2005年版を見ました。それぞれ素敵で、オペラ座から離れていた気持ちが戻ったような気がします。やはり名曲ばかりです。