The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

オーギュスト・エマニュエル・ヴォーコルベイユ 

2007年10月31日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

 


「フィルマン・リシャールは有名な音楽家で、立派な紳士だった。彼がオペラ座の支配何に就任した時<劇場ジャーナル>はつぎのように彼の人となりを紹介している。

『フィルマン・リシャール氏は年齢50歳前後、長身でがっしりした体格だが、腹は出ていない、彼は押し出しが立派で気品があり、血色はよく、額は狭いほう、濃い髪を五分刈りにし、髭も髪と同じように刈り込み、顔はちょっと悲しげだが、明るい率直な眼差しと魅力的な微笑が全体の感じをやわらげている・・・中略・・・』

 

HPの「19世紀逍遥」UPいたしました!
内容はブログをまとめた感じです。



 


マスネ作曲「未発表の『ハンガリー行進曲』」

2007年10月31日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
とてもマニアックな内容です。
ずっとひっかかっていた「マスネ作曲「未発表の『ハンガリー行進曲』」


はっ?何それ、「オペラ座」とどんな関係があるの?ですよね(^^;




実は新支配人就任ガラの演目の中で「マスネ作曲 未発表の『ハンガリー行進曲』」と言うのがあるのです。(p29)


とても困りものの曲でした。


まず、そんな曲がマスネの作品一覧にない。
「ハンガリーの風景」はあるのです。1870年作曲。


で、管理人はベルリオーズの「ハンガリー行進曲」と呼ばれる「ラコッティー行進曲」なのではないか、と考えていました。



しかしやっとマスネ作曲「ハンガリー行進曲」について分ってきました。



ハンガリーのチャルダッシュの作曲家イグナッツ・スツァバディ・フランク(1825-1879?)の“ハンガリー風~トルコ風行進曲”というピアノ曲をマスネが管弦楽化しました。マスネのこの管弦楽作品は「スツァバディのハンガリー行進曲」というタイトルです。
ここで「トルコ風行進曲」から「ハンガリー行進曲」になっていますね。
リストはこの曲を献呈されるとさらにピアノ曲に編曲します。



1879年3月にティサ川(ユーゴスラビア、ハンガリーを流れる川)の氾濫によって被害を受けたセゲト(ハンガリー下部の大都市)の復興支援目的に、マスネがスツァバディの作品を編曲し、1879年6月7日に、パリ、オペラ座におけるチャリティコンサートで演奏しました。

リストはこのチャリティコンサートには参列できなかったため、このピアノ編曲版を贈ったとのこと。
リストによるフランス語のタイトルは「スツァバディのハンガリー行進曲、マスネの管弦楽編曲による」という感じです。


1879年2月25日を仮面舞踏会とすると、その前に行なわれた「ガラ」に「1879年3月作曲」の作品を演奏するのは不可能なのです。
残念です。(もしかしたら「いずれ『ハンガリー行進曲』と呼ばれる作品と言う意味かもしれません)


「トルコ風行進曲」が「ハンガリー行進曲」に確実に変わったのは1879年3月ですから、正確に「マスネの未発表の『ハンガリー行進曲』が存在しうるのは1879年3月から1879年6月7日」と言う期間なのです。



なんにしても1879年はマスネ、リストという有名な作曲家が「ハンガリー行進曲」と言う曲を生み出し、初演した年なのです。




しかもクリスティーヌはオペラ座でのチャリティー公演を断わっているのです。
p78
「・・・クリスティーヌは社交の場では歌わなくなった。それどころか、彼女は誰からの招待も出演依頼も断わり、ちゃんとした口実もないのに、まえから協力を約束していたチャリティー公演への出演もキャンセルしてしまった」

「それどころか」と強調されているので、歌うべき「オペラ座でのチャリティー公演」とも考えられます。


もしかしたら1879年のオペラ座でのセゲト洪水のチャリティーだったかも知れませんね。

少なくともそういうチャリティー活動を1879年にオペラ座がした、と言うのは事実なのです。






私の目は節穴だった! 私信

2007年10月30日 | 「オペラ座の怪人」

ロープを持ったファントムと縛られているラウルが声を合わせる場面、監督はどうやらふたりとも上半身で撮影するつもりでいたのが、ふたりから拒否され、それで着衣(ただし、肌蹴状態で)になったという噂が………。

>真実味のある噂ですねっ!
現実のものになったらまったく別物の映画でしたね。舞台も原作もファントムは厚着ですよね。原作エリックは年寄りだから着まくってるはず!



あの場面こそが、監督の撮りたかった「俺の、俺による、俺のためのオペラ座だったのではないかとオフ会仲間と言い合っておりました。

 

>まさしくその通り!適切です!言い切っちゃってます、M様っ!!
何百回と見ていたのに、秘められた監督の想いを見抜けなかったなんて、ふがいない気持ちでいっぱいです。
私の目は節穴です(><)!!



私も監督はジェリーとパトリックふたりを好きなのだと思っていましたが(特定の仲良し女子がいない分、よりジェリーを好きかと思っていた)、パトリックだけを濡らしたかったのですかね?

>撮影中に「濡れラウル(M)に開眼したのかもしれません!
「裸馬に跨る君もいいが、濡れて苛められている君はもっともっと美しいーーーーっ!!!」
そこに「鬼畜ファントム(S)をくっつけ萌え萌え、陶酔していたに違いありませんっ。
「もっときつく縛るんだっ」とか言ってたりして



もしも、あそこで脱いでいた場合、クリスにキスをもらう場面も上半身なら、猿ゴールを見つめつつひとり唄う場面も、舟で去っていくクリスを見送る場面も、鏡を割るのも、すべてがになってしまい、今とはまた違った感動を味わえていたのかも知れません。
(って、このネタで反応する自分が……)


いろいろ楽しすぎます!!

 
 

A様、M様、J様のお陰で「オペラ座の怪人」の奥深い一面に触れる事が出来ました!!

ありがとうございます!!!!

 

 


 

マスカレード  仮面舞踏会
紙の仮面のパレード・・・

 


僕の美しい人だから  私信

2007年10月29日 | Weblog

 

そ・・・そうだったのですかぁぁぁ!!

おっしゃる通りで御座います。

首から下げた「背徳」の十字架も、肌蹴た上になーぜーかーびしょ濡れのドレスシャツ。

濡れているからなんかすけてるっぽいし・・・。首まで絞められたり・・・・。

今、まさに今までの全ての疑問が氷解した!!と思っていましたら、A様が最初にお気付きになられたとはーーーっっっ。さすがで御座います。

「オペラ座」の秘密を一つ知った記念にイラストなど描いてみました!!

右下の人物は見えても見えなくてもラウルに鼻の下を伸ばしている監督ですっ。

 


マドレーヌ

2007年10月29日 | 「オペラ座の怪人」




本当は赤っぽいドレスにしようと思ったのですが、シックな色に・・・。
髪はエリックが金髪なので同じにしてみました。

えっと、これがリク絵ではありません。

教会を入れたりすると顔が小さくなり過ぎるので、マドレーヌのバストショットだけ描いてみました。

なんとなく私の描くエリックみたいな顔です。


リク絵

2007年10月29日 | Weblog

「マリー・ペローさんに叩かれるマドレーヌ」と言うリクがあったのですが、「マリー・ペローさんと教会に行くマドレーヌ」になってしまいそうです。
(全然違う絵じゃ・・
一応描いてはいるのです、下描きですが・・・。

もはやリク絵とは言えないのですが、そ・・・それでもいいでしょうか?

 リクエストしてくださった方も、すでに忘れていらっしゃるかも

 

セリフはもちろんは入りません。

 


不覚

2007年10月29日 | 「オペラ座の怪人」
2005年版の監督がホ●だと言うのは有名です。
「バトラー氏だったら美しいファントムになると思った」とか読んだ事があるので、てーーーーっきり「監督はジェリーみたいのがタイプなんだ♪」とか思っていました。(監督受●?>私の予想>いやだ、キモイ (><))


・・・が、某様のブログであんなにラウルだけびしょびしょで肌蹴ているのは監督の好み、趣味だからなのではないか?を読んで目からウロコ状態。

あああああ、言われて見れば思い当たる描写ばかり。
腐女子を自認していながら、そんな事にも気づかないで修行が足りませんね。不覚、不覚。


そういえば「300」で「アテネのホ●野郎」とか言うセリフがあったと記憶していますが、それは事実に反するらしい。

「美しきホ●伝統」と言うのはスパルタァァァこそ本場らしい。しかも軍隊の中でのようです。

ギリシャ世界と少年愛って腐女子心を揺さぶりますねぇ(うっとり・・・)




みゆき座

2007年10月28日 | Weblog
行ってきました。どうなる事かと思っていましたが、無事に見てまいりました。

やはり大画面はいいですね(^^)画面自体は他の映画館よりは小さいかな?

音も「大きいかなぁ」「ちょっとエコーかかってるなぁ」と言う程度でした。




ツボな場面では泣いてきました。

「Think Of Me」とか、オペラ座の着飾った人達と地下の寒々しい様子の落差、歌詞などなど・・・。いつも書いているので割愛しますがウルウル来ます。


そしてやっぱり最後のあたり二人を逃がしてから、絶望しているファントムのところにクリスティーヌが来る場面は泣かずにはいられません。



最後の「私の歌を羽ばたかせる事が出来るのは お前一人」と言うのにも感動。


「私の地を這うような闇の歌を羽ばたかせられるのは(救えるのは)、この世でクリスティーヌ、永遠にお前だけ」
と勝手に都合よく脳内変換。(TT)


本当は土曜に行っておまけをもらいたかったのですが、都合で今日に。お客も7~8割くらい入っていました。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

結局「美術館に行ってきまーす」と言って出て行ったのですが、夕食の時、小4の娘が「ファントムの仮面があったんだよー♪」でバレバレ。
「そんなことだろうと思ってたよ。お母さんも好きだよねー」と旦那は呆れ顔でした。


呟き・・・

2007年10月28日 | Weblog

● 今、本館HPの「19世紀逍遥」の考察のページをまとめています。
とりあえず「近日UP」と書いてサボっていた「シャニュイ事件とはいつだったか?」をやっています。
そう、こうしてブログで宣言すればやらざるを得ないですよね。

実際問題、原作も時間を特定する描写がなさそうであるから、めんどくさいです。特にオペラやバレエの製作年、初演など。

 ● 別館も更新したのですが、エリックも出てこないお話が二話も続くなんて・・・。
ま、私の書くエリックを楽しみにしている人もいないと思うけど、さすがに出てこないのも変かもだ。
↑「ロン・チェイニーがセーヌ川で生んだ子なの」と自分に言い訳しながら書いているくらい、標準エリックとはかけ離れてます。
思い描くイメージを上手く表現できないのは絵も小説も同じですね。涙。

 楽しいのは「メンドー」と嘆きつつ、エリックの生きた年代を調べたりできることでしょうか?(相当いい加減ですが、それでもオペラ・ガルニエと言う存在すら知らなかった頃を思えば進歩しています♪)

● しかし原作を「コンスタンチン」とかの美術のスタッフで映像化してくれないかな?

「黙示録」的なエリックの思い描いた壮麗な地獄絵図を見てみたい・・・!!!

あと「コンゴの森」とか!!!!

明日はもしかしたらバックドラフトするオペラ座がみられるかも・・・

 

 


「300」と原作エリック

2007年10月26日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

 

画像「・・・彼は、マザンダラン(ペルシャ)の宮殿の壁面を飾る人頭獣身の雄の石の口に歌を歌わせたことさえあった・・・彼は雷神のような声で歌った・・・」

角川p383

 →ミトラ信仰とか?聖牛だっ!
↓ クセルクセスの遺跡だっけ?

 

「300」見たいっ!!クセルクセス見たいっ!

 


蠍  ―サソリ―

2007年10月26日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

 

西洋で「サソリ」と言うと西洋占星術、キリスト教関係が浮かびます。

 

キリスト教で「七つの大罪」と言うものがあります。

1589年、ドイツのペーター・ビンスフェルド(Peter Binsfeld)は、罪と悪魔の関係を記した著作を著したが、その中で七つの大罪も特定の悪魔と関連付けました。

このような七つの大罪と悪魔との関連づけはキリスト教の本質的な部分と無関係だとされますが、通俗的なグリモワール(悪魔学)において引用されることになりました。

  七つの大罪とそれに比肩する悪魔
悪魔 英語名 大罪
ルシファー Lucifer 傲慢、高慢
レヴィアタン Leviathan 嫉妬
サタン Satan 憤怒
ペルフェゴール Belphegor 怠惰
マモン Mammon 貪欲、強欲
ベルゼブブ Beelzebub 暴食、食欲
アスモデウス Asmodeus 色欲

また、中世には悪魔でなくを動物の姿で表しているものも見られます。

これは中央に孔雀の羽を備えた悪魔を置き、傲慢は獅子、嫉妬は蛇、暴食は豚、色欲はサソリ、怠惰は熊、貪欲は狐、憤怒は一角獣の姿で現されことが多いようです。

エリックがクリスティーヌに肉欲を感じている事は原作を読めば一目瞭然です。

クリスティーヌの意思に関わりなく、「自分の欲望を遂げる=結婚する」の成就のための合図が「蠍」です。


その悪しき意思は「七つの大罪」として十分なのではないでしょうか?

「蠍・サソリ」の象徴する「色欲」を司るのは「アスモデウス」と言う悪魔です。
つまり「蠍」「悪魔、アスモデウスに支配された願い、支配」を表わしているのではないでしょうか?

 

「悪しき・・・」と言うのは、もう愛されていないことを完全に十分に知っているのに、その敗北にまみれるかのような、自他を苦しめる選択だからです。自分も他人も愛していない状態に陥ってる。

「Pitiful creature of darkness」という感じでしょうか?

蠍を選んで結婚しても「敗北」を噛み締めるだけかもしれないし、拷問部屋での悪鬼のごとき醜い姿(精神的)を見られているので、その自分が天使のようなラウルに代わって愛されると思っているとはこの時点ではもう考えにくいのではないでしょうか?

 

アスモデウス(Asmodeus)はユダヤ教とキリスト教の悪魔のひとつ。旧約聖書外典のトビト記などに登場する。

※ 語源はゾロアスター教の悪魔アエーシュマ

※ ゾロアスター教はペルシャの宗教。「トビト記」はイラン・ペルシャ地帯の影響下にあると言われる。

 

 

・・・・余談・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・グリモワール(悪魔学)のアスモデウス・

悪魔学によると、彼は元が激怒と情欲の魔神のためか、キリスト教の七つの大罪では色欲を司る。悪魔になる前は智天使だったとされる。

姿かたちは牛・人・羊の頭とガチョウの足を持ち、手には軍旗と槍を持って地獄の竜に跨り、口から火を噴くという。 丁寧に応対すれば指輪やガチョウの肉をくれたり、幾何学や天文学などの秘術を教えてくれるといいます。

・智天使・

「ちてんし」と読みます。ヘブライ語でケルブ כרוב、複数形ケルビム כרובים)。

このケルブの起源をアッシリアの有翼人面獣身の守護者「クリーブ(kurību)」とする説があります。

アッシリアは、メソポタミア、つまりチグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野であり、過去のペルシャの一部、現在のイラクにあたるようです。
そしてアッシリアの文化的偉業は、ペルシャ帝国に受け継がれていきました。

 

 で、「有翼人面獣身」と『オペラの怪人』の関わりとは?

角川p383


「・・・彼は、マザンダラン(ペルシャ)の宮殿の壁面を飾る人頭獣身の雄牛の石の口に歌を歌わせたことさえあった・・・」

「彼は私(ダロガ)が、それまで一度も聴いた事のないような雷神のような声で歌った・・・(オペラ座地下で)」
「私達のまわりで雷鳴が轟き、稲妻が閃いた(オペラ座地下で)」

 ケルビム炎の柱・雷に関わりがあるらしいです。怒り鎮魂ミサ曲を歌う「雷神」のように歌う姿はやはり「ケルブ」「アスモデウス」を連想させます。

 

有翼人面獣身の守護者「クリー(kurību)」≒ケルブ(天使)≒アスモデウス
(悪魔)のように歌った


とも解釈できるように書かれているのです。

↓ 有翼人面獣身の守護者
ケルブ、複数形ケルビムと呼ばれる智天使は、神殿前に配置される守護者めいた像のことを表し、守護者あるいは守護神として同じような役割の存在は中東に広く見られる。







有翼人面獣身・・・足を見ると「牛」「獅子」だと分ります。





「蠍」=「色欲」=「アスモデウス」≒「智天使、ケルブ(声だけ)」≒「有翼人面獣身の守護者クリーブ」

つまり「蠍」「悪魔、アスモデウス」を象徴しているのではないでしょうか?

 

翻って、クリスティーヌの意思に関わりなく利己的な欲望で結婚すると言うのも「蠍=悪魔アスモデウスの勝利(p412)・成就」であり、「飛蝗=復讐」と言うのもエリックにとっては結局悪魔的行為=地獄、永遠の闇に他なりません。



クリスティーヌはエリックが真人間になるための処方箋、薬じゃありません。
どれほど切なく、強烈な渇望でもやはりそれはクリスティーヌを無視した自己愛。
でもエリックにしてみれば誰かにキスさせてもらいたかった、愛されたかったと言う途轍もない妄執に縛られ、悲しみを抱いたまま死ぬ事になるのである意味極限状態かもしれませんね。




結局クリスティーヌがたった一人でラウルと観客を救うために「贖う者、犠牲者」になります。

クリスティーヌが 「THE IMITATION OF CHRIST  イミタチオ・クリステ」(「キリストにならいて」トマス・ア・ケンピス著)を読んでいる描写からも、その行いというものに作者が意図したものも表れているかもしれません。(名前自体とその表現するものの一致、をあらわしていると言うか・・・)

(また「愛徳修道女会のシスター」のように・・・という表現からは、エリックへの「忠誠の誓い」の再現と言うのも感じられなくもないです)

 

その後の展開は原作で読めば分りますので割愛いたします。

管理人、どうしても映画・舞台の

「暗闇に住む哀れな生き物よ
あなたは どんな人生を見てきたの?
神様が私に勇気を下さったわ
だから  教えてあげましょう
貴方が一人ではないことを」

あたりのクリスティーヌの心の変化・動きがよく分りません。怒っているとともに憐れんでいるのか・・・。(訳に関してはもっと素晴らしい訳を載せているサイト様もあって参考にさせていただいてます)

原作だと「キスさせてもらえた」それだけで泣いているエリックに激しく同情した、と言う一連の流れがあるのでわかりやすいと言えば分りやすいのですが・・・。
しかもラウルを監禁していた事も問いたださず、赦してくれたし・・・。

 

なんだか上手くまとまんないなぁ。ごめんね。日記だからゆるしてくださいな。

 

 

 

 

 

※ ケルビムの四つの顔、四枚の翼を備えた智天使の姿は、特にバビロニアで発展した占星術概念とも結びつく。すなわち、それは黄道十二宮における四つの不動宮を象徴したテトラモルフの図象であって、事実伝統的に智天使が支配権を持つ天体領域は黄道十二宮である。
らしい(占いとか占星術は苦手)・・・結局占星術とも薄く結びつくらしいですね(^^)。

 

聖母子と智天使
(聖母子と奏楽天使) 1508-1510年頃
(Madonna col Banbino, due angeli e cherubini)
20×16cm | Oil on panel | フィレンツェ, ウフィツィ美術館

楽器を持ってるのがケルビム?上のちっちゃいのがケルビム?分りません・・・。両方?

プット(putti)は、子供の姿をした天使達です。
プットは宗教画に良く見られる裸の子供が翼を生やした姿をした天使達です。
本来は智天使ケルビム( Cherubim )でしたが、最近ではクリスマスカードに見られる丸々とした赤ちゃん天使が銀のトランペットを持った姿になっています。
宗教画等に描かれる時には、プット単体ではなく何人かのプットが美女を中心にして描かれる事が多いようです。

プットは似た姿を持つキューピッド( Cupid )と間違われますが、そちらはギリシャ神話のエロスを元にしているとされています


悪魔

2007年10月26日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

「蠍と飛蝗」関係の悪魔の要約です。

 

アバトン (ヨハネの黙示録)  飛蝗≒イナゴ

ユダヤの魔神で、「疫病のイナゴ王」、「死の闇天使」、「奈落の魔神」などと称される。

「アアドン」はヘブライ語名であり、「ヨハネの黙示録」にはアポルオン(Apollyon)という名で出てくる。

その名は「破壊」、「滅亡」、「廃墟」、「墓」、「冥界」、「死」などの意味があり、ギリシアの太陽の神アポロンとも関係があるとされる。鎌状の翼を持った恐ろしい姿で、見たものはショック死するとされる

地獄の奥底に住む堕天使で 、最後の審判が訪れる時に、イナゴに似た使い魔を放って人間を苦しめ抜くという。 「ヨハネの黙示録」によれば、「底なしの淵の使い」であり、千年の間サタンを束縛しつづける天使とされる。

キリスト教などでは堕天使の一人とされ、ルシファーと同一視されることもある。

(ルシファー≒エリック・・・)

 

アスモデウス(七つの大罪)  蠍

ユダヤ教のタルムード文献などに見られる悪魔。「アシュモダイ(Ashmodai)」、「アスモデ(Asmodee)」、「カマダイ(Chammaday)」、「シュドナイ(Sydoney)」などの別名がある。ペルシアの魔神アエシュマが元となっている。「悪魔の頭」、「魔神王」、「剣の王」等と呼ばれ、配下に多くの魔神を従えている。

その顔は炎のように燃えており、天を駆けるための翼をもっている以外は、ほぼ人間と同じ容姿をしている。未来を見通して人の定めを知ったり、大地を見通して宝石や貴金属のありかを知る事ができ、また様々なものに変身する能力をもっているといわれる。夫婦の仲を邪魔し不和や嫉妬心を生じさせる。天界では熾天使であったとも言われている。ソロモン王に封印された72柱の魔神の一人。旧約聖書外典「トビト書」では好色な悪魔として描かれ、大天使ラフィエルに撃退される。

その顔は「炎のように燃えている」、消防士パパンの目撃したものを連想させます。
(p17「炎に包まれた顔が・・・」)

 

なお、「トビト記」に書かれた物語によれば昔々、アスモデウスはサラと言う美しい娘に取り憑き、サラが結婚するたびに初夜に夫を絞め殺した。そんなことが7度も起きたため、サラは悪魔憑きと呼ばれるようになった。

そんなある日、トビアとアザリアと言う二人の若者が街を訪れた。アザリアはトビアに「サラと結婚しろ」というが、トビアは「自分は一人っ子だ」と言って一旦は断る。しかしアザリアに「魚の内臓を香炉に入れておけば大丈夫だ」と言われ、イヤイヤながら結婚を承諾した。

結婚の初夜、トビアがサラの部屋でアザリアに言われた通りに香炉を焚いたところ、アスモデウスは部屋から逃げ出し、そのあとをアザリアが追いかけた。アザリアの正体は大天使ラファエルであり、天使の姿を現した彼は首尾よくアスモデウスを捕らえ、エジプトのどこかに幽閉したという。ちなみにアスモデウスはサラ自身には手を出さなかったという。

 

 


みゆき座

2007年10月25日 | 「オペラ座の怪人」
音響もよくなった、と噂のみゆき座。

私「再上映してるんだって」

娘「えっ?本当?行く行く!」(10回目?私は30回を超えていてもう分らなくなりました)

私「東京の美術館ですごく見たい絵があるって、お父さんに嘘ついてくれるっ!?」

娘「オッケー!」


なかなか地方の人間は大変です。交通費もかかるし・・・。×2
「オペラ座の怪人」のためにだと申し訳ないが、子供の美術鑑賞のためなら理由が成り立つように思ったり・・・。

行ければいいのですけどね(^^)




呟き・・・

2007年10月25日 | Weblog
「飛蝗」(バッタ)と来たら「蠍」(サソリ)でしょうね。
明日あたり書いてみたいと思います。

「オペラ座の怪人」はカソリックの長女とまで言われるフランスの文学です。ですからどうしてもキリスト教の下地が色濃いのは仕方ありません。宿命ですね海外ものの。

大体ヒロインが「クリスティーヌ(キリスト)」と言うことからしてアリアリですよね?

管理人はカソリックでもクリスチャンでもないので「0」から始めている、とまではいかなくて間違いも多いと思います。海外文学が嫌いではないので、比較的キリスト教的な文章に接していると言えば言えるのかもしれません。でも聖書を全部読んだかといえば「ヨブって誰?」なところもあるのです。(後からネットで読みましたよ)

いろいろ教えてくださる方がいらっしゃると嬉しいです。


一応、死んだ暁には仏教の真言宗(豊山派)でお葬式をあげる予定で、しかも墓まであったりします。変な宗教じゃなく、普通の仏教徒ですから。


私の一族は男女が別々に葬られる事になっていて、「○○家の女の墓」と言うのがあって私の先輩が眠っていたりします。もう、改宗とか不可能ですね(^^)