そして王族への年金も打ち切られました。カージャール朝がなくなったから。
「1907-1905」なのでダロガは死の前の二年間くらいは年金がなかったとなります。
そしてエボック社へのエリックの死亡記事系掲載料はカージャール朝からの年金から出されたのではないかと思います。
His most important journalism came when he began working as an international correspondent for the Paris newspaper LE MATIN. In 1905 he was present at and covered the RUSSIAN REVOLUTION. Another case he was present at involved the investigation and deep coverage of an opera house in Paris, later to become a ballet house. The basement consisted of a cell that held prisoners in thePARIS COMMUNE, which were the rulers of Paris through much of the FRANCO-PRUSSIAN WAR.
「オペラ座の怪人」原作は冒頭でルルーと思われる「作者」がオペラ座図書室で「怪人の噂話」と「シャニュイ事件」の関連性に気づき調査している描写から物語ははじまります。
普通この箇所を読んだ人は「この人こんな所(図書室)に入っていいの?なんで突然調査を始めたの?」と思うのではないでしょうか?
調査自体はルルーが「シャニュイ事件」も「怪人」も知らない時点から開始されています。
なので「パリ・オペラ座の古い記録」を調べる動機が別にあったはずです。
上の英文から察するにル・マタン新聞の仕事だったのでしょうか?
とすればルルーがオペラ座図書室に出入りを始めたのが1905年くらいになります。
1907年にはジャーナリズムの世界を離れたようなので少なくとも1905年から1907年の間だと推測できます。
で、タイムカプセルは「寄贈 1907年6月28日」と書かれています。そして埋められたのは同年12月23日とも言われているのです。
とすれば、1907年のペルシャ人の出現により「シャニュイ事件」「エリック」に関する情報が得られるまである程度の時間があったのですね。
「私が真相を気づくのには時間がかかった。調査はいつも超自然的とも言える出来事に邪魔をされ、私は虚しい幻影を追い求めるのに疲れ果て、もう無駄骨を折るのはやめてしまおうと思った事も一度ならずあった。
だが、私は<オペラ座の怪人>がただの幻ではないという確証を得て、ようやく自分の勘が的中していたという証拠をつかんだ」
つまり、ルルーの調査の困難さと、カナダ帰りのフォール判事によってダロガを紹介され、ついに証拠である「ペルシャ人の手記」を手に入れた事を描写していますが、そんなこんなを考え合わせると、挫折しそうなルルーの様子とか微笑ましいです。
そしてルルーのオペラ座調査が史実なので、ルルーがパリ・コミューンの犠牲者の遺体の埋葬場所に詳しいのもそのあたりに関係あるのかなーなんて思います。
「コミューンの際、オペラ座の地下で虐殺された人たちは、あのあたりには埋葬されていない。包囲の間、あの広大な地下室には食糧が貯蔵されていたので、犠牲者の遺骨はそこからずっと離れたところで見つかるはずだ。」P11
Ce corridor avait été créé lors de la Commune de Paris pour permettre aux geôliers de conduire directement leurs prisonniers aux cachots que l'on avait construits dans les caves…" ; "Les malheureux qui ont été massacrés, lors de la Commune, dans les caves de l' Opéra, ne sont point enterrés de ce côté
ちなみにモンシャルマンの「一支配人の回想録」はフィクションだと思っていますよ。
昨日に引き続き桟敷席について。
管理人は桟敷席と言うと「アナスタシア」と言うアニメの中で主人公の祖母がいた席というイメージがあります。
それは長方形の部屋でとても奥行きがあり、出入り口の扉から舞台を見る椅子までが長い感じです。しかも赤い豪華なカーテンで奥の部屋と観劇する椅子の置いてある部分が仕切られています。
応接セットのようなものもあり、大きな時計、中国製の陶器、花瓶に生花・・・。豪華です!
そして柱の形状から左の特別桟敷つまり3番桟敷だと分ります。二階あたりでしょうか?
皇太后は、アレクサンドル三世の皇后であったマリア・フョードロブナなので多分特別桟敷席なのではと思われます。
そしてアナスタシアの桟敷席は正面ロージェ。椅子が並んでいるだけの桟敷席ですが、オペラ座の普通の桟敷席はまさにこんな感じなのです。
そして5番桟敷もこんな感じだと思われます。覗き込んだ感じだと特別桟敷ほどじゃなかったような・・・。外から見ても普通だったりしますよね。
■アレクサンドル三世の皇后であったマリア・フョードロブナ■
美しくオーストリア皇后エリーザベトの美貌と比べられたと言います
もちろんこのアニメがアヴァン・セーヌ(舞台側)のロージェ(桟敷席)を忠実に再現しているかは分りません。
でもアニメでパリ・オペラ座が描かれているのはこの作品くらいなような気がします。大階段などが登場します。
この作品はロシア帝国最後の皇帝ニコライ二世の娘・アナスタシアの物語です。
ロシア革命が1917年なので1920~30年代が舞台と考えられます。
アナスタシアが祖母を訪ねてパリ・オペラ座に向かう場面もあります。
このあたり「フランスからロシア(ニージニー・ノブゴロド)」まで行った原作エリックとは真逆のコースなので興味深いです。
ちなみにアナスタシアはサンクト・ペテルブルグ(現レニングラード)からですが、サンクト・ペテルブルグから原作で地名として明記されているニージニー・ノブゴドロ(現ゴーリキー)まではさらに1950年くらいで馬車で二週間もかかるのです。
このことからもエリックがロシアと言っても相当な僻地に行った、と言うのが忍ばれます。当時は汽車もありませんでした。
エリックはこの街の有名な定期市に伴う縁日に奇術師として行ったのですね。
そしてそれはペルシャ行きへの伏線であったとも考えられます。
そしてアナスタシアの恋人のディミトリーは野々村誠に似ています。