The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

菌床シイタケ

2011年10月30日 | 原発問題

福島県は29日、相馬市でおがくずなどを混ぜた菌床で栽培されたシイタケから国の暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)を超える850ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。

原木を使わない菌床栽培のキノコが規制値を超えたのは初めて。県は同市の農家や関係団体に出荷自粛を要請。既に1070パック計107キロが地元JAから出荷され、自主回収が進められている。

 出荷されたのは「愛情野菜 福島県菌床しいたけ」の100グラム入りパック。24~27日にJAそうま(南相馬市)から県内のスーパー9店舗に出荷された。相馬市内の別の農家の菌床シイタケからも500ベクレルを検出したが、出荷していないという。

 国はキノコ栽培に使う菌床について基準値を設けていないが、8月12日、東京電力福島第1原発事故後に屋外に置いていたおが粉や原木の使用自粛を関係団体に要請している。それ以前は、汚染されたおが粉などが流通していた恐れがあるという。【関雄輔】

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/food_safety/?1319945514

 

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原木でないきのこ類から汚染が出たのは驚きですね。おが粉に関して、随分前から福島のおが粉を使ったきのこ類から放射性物質検出のニュースが出ていましたが、なぜ気をつけなかったのか不思議でなりません。

http://nanohana.me/?p=3848

 

 


はじまりのはる

2011年10月30日 | 原発問題

たまたま昨日子供が「アフタヌーン」(12月号)という買ってきました。(「ヒストリエ」目当て)

そこに「はじまりのはる」(端野洋子作)という原発事故後の牛を飼っている方とその友人を描いた漫画作品が載っていました。原発事故後(3月~4月)の福島の状況が見えてくる作品ですのでぜひ。 

 

【追記】
「原発問題」と趣味である「オペラ座の怪人」、「日常」が一つのブログに入っているのは、内容があまりにもかけ離れているために書いていて「う~ん、おかしいかな?」とは常々思っています。「素敵なファントム、きゃあ♡」とか「更新しましたw」とか落差が激しいのですが、かえって「プロ市民でなく、いい年してファントマーやってて、その上二次創作もやってる子持ちのオバサン」という一般人(変わり者?)っぽさがあっていいのかもと、新ブログを設置は延期中です。
カテゴリーを「原発問題」にしても「オペラ座の怪人」にしてもアクセス数に変化はありません。もしかしたら「オペラ座の怪人」ファンで私のブログを覗いてくださるような方は、年齢層が管理人と近い方なのかもしれませんね。(映画館も割と年齢層は高めっぽかったし)

 


ガレキ問題

2011年10月30日 | 原発問題



http://torajiyama.blog.fc2.com/blog-entry-239.html#comment1178

「上を向いてアンコウ(仮)」様にお伺いしたら驚きの記事がッ!
この環境省の方針は今のところ愛知県に関してだけのようですが「ガレキの受け入れ自治体を公表せず」って驚愕ものです。危険な物がどこに埋められているか知らされなければ避けることもできないじゃないですか?

知らず知らず被爆する可能性もあるわけで、住民にはどこに放射性物質を含むガレキがあるか知る権利があると思います。

 

こちらはガレキというか除染の際に出てくる汚染土の中間貯蔵施設についての記事http://www.asahi.com/national/update/1024/TKY201110240550.html

東京電力福島第一原発がある福島県大熊町の住民有志が24日、細野豪志原発担当相と東京都内で面会した。住民側は、放射性物質を取り除く除染の作業で出る汚染土を管理する中間貯蔵施設の町内設置を要望した。

 中間施設を福島県内に設置する方針の野田政権に対して福島県などが反発する中、地元から受け入れを求める意見が出るのは初めて。

 要望したのは6月に町民有志で発足した「大熊町の明日を考える女性の会」の11人。

代表の木幡ますみさんは細野氏に「(除染で)廃棄物がたまりにたまってくる。放射線量が全然低くならず、帰れるという現実ではないので(中間施設は)大熊しかない。

そのかわり定住の環境、土地、家や農業の土地を政府で示してほしい」と提案。帰還を当面あきらめて中間施設を受け入れる代わり、原発から半径20キロ圏内の警戒区域の外に町民が集団移転できる環境を整えるよう求めた。

 


武田先生ブログ

2011年10月29日 | 原発問題

武田先生のブログに気になる記事が

http://takedanet.com/2011/10/post_2cbb.html

http://takedanet.com/2011/10/post_a4a6.html

一関の事、本当でしょうか?
こんなブログを発見しました。これを読むといろいろわかってきます。高線量が病死を招いたのかは素人なのでわかりませんが「10μS/hで通常の部活動をやっていた。しかも教師が線量を測っていたのに、それ以上の計測に圧力をかけた」というのが真実だとしたら許せない事ですね。

ttp://daiken.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-6be7.html

 

 

 


西独・福島番組

2011年10月29日 | 原発問題

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=bevc_YG_cbE


新しいドイツのテレビ番組です。
さらに詳しくは「みんな元気でHappyがいい♡」様からの転記です。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1029.html#more

福島原発周辺の汚染地域に行きたいと思う人はいない。それでも行かなければならない場合…
このような防護が必要だ。
彼らが汚染地域に行くのは、そこにまだ人が住んでいるから。
年寄り、若者、赤ん坊、みんな援助を必要としている。
緊急に

お米、麺類、食用油、飲み水
三浦万尚さんは避難区域の世話を続けている。
私達は南相馬の彼の事務所を訪ねた。
ここで三浦さんは避難区域での救援計画を立てる。
老人や一人暮らしの人々に食料を届けるため。

この日台風が接近して空は陰鬱だ。
原発事故以来、雨は危険である。
「雨の日には被曝する危険が高まります。
雨水の中には放射性物質が溜まっていますので、
肌が雨に濡れるとガンマ線を吸収します。
ですから雨に当たらないようにしなければなりません。」

HCR =“ハート・ケア・レスキュー“
”心の救護者“と三浦万尚さんはこの組織を名付けた。
我々は一週間三浦僧侶と行動を共にし、
南相馬市での人々の日常を追った。

福島原発からは20キロしか離れていない南相馬市は、
原発事故のどん底にある。
羽田マサハルさんを訪ねる。
原発に最も近い家に住んでいる人だ。
三浦さんはまず家を一周して、線量を確認する。
雨水が溜まる場所は明らかに線量が高い。

「ものすごく高い線量ではありませんが、ここに住み続けるには高すぎます。
羽田さんは一刻も早く避難して賠償金をもらうべきです。」
羽田さんは絶望している。

繰り返し家の除染を試みてきた。
屋根も洗ったし、庭の土も取り除いた。
木の幹まで洗って、線量は数週間下がっていたが、
再び上がり始めたのだ。

何故逃げないかって? 私の家族は千年もここに住み続けて来ました。
「逃げるわけにいきません。死ぬまでここに留まらねれば…」
「やるせないです。ここの人々は土地との精神的な絆が深いのです。
早く逃げなければいけないのに逃げられないジレンマがあるのですね。」

庭で出来た果物は今では特別ゴミである。
三浦僧侶はこの果物を、羽田さんが使っている湧き水と一緒に測定所で検査してもらうことにした。
役人は「大丈夫」という結果を出したが、三浦さんは信じない。

実は羽田さんは東電に勤めていた。
事故の起きた時は原発内にいたのだ。
「3号基の爆発は普通のものではありません。
ウランとプルトニウムが核分裂を起こしてすべてを吹き飛ばした。
でも誰も測定を行いません。政府が望んでいないのでしょう。
嘘をついてるのは東電だけでない、国も真実を隠しています。」

本当にウランとプルトニウムの核分裂による爆発ならば、原爆のようなものである。
タサク・アユミさんにとっても雨は嬉しいものではない。
これから子供を学校に連れて行かなければならないのだ。
この若い一家は舅の家で避難生活をしている。
自分の家は汚染されてしまったから。

「事故以来生活は完全に変わってしまいました。
特に子供のストレスは大変です。
外ではもう遊べないので、いつも家の中にいます。
長袖の上にさらにジャケット着なければいけません。夏もです。」

あゆみさんは毎朝車で子供を学校に送る。
雨の日には子供達は校舎まで走らねばならない。
濡れるのが恐いから。
他の子供達は町中からバスで登校する。この一校だけが、津波と原発事故を生き延びた。

今日は生徒達に線量計が配布された。
線量計はずっと保護者の求めてきたものだが、
配布する教師の心は重い。
「この線量計は嬉しくないです。生徒達は実験台にされるのです。
現在の線量を表示するわけではなく、データを保存するだけです。
警報を出して逃げさせてくれるような線量計ならずっと良かったのに…」

久保木先生は子供達に気をつけて線量計を扱うように説明する。
寝る時につぶさないように…
服を洗濯する時ポケットから出すように…
線量計に縛られた子供時代。
「放射能はそれほど恐くないけど、線量計をなくして怒られるのが恐いです。
気をつけます。」

小林サダオ校長も新しく測定器を入手して、毎朝線量を測定している。
校庭は大掛かりな除染を行ったばかりだ。汚染された砂を取り除きいて2mの深さに埋め、線量は下がった。
「専門家が来て除染を行いました。教員や保護者も手伝いました。
しかしどうやって被曝から身を守るかわかりませんから、汚染された埃をずいぶん吸い込んでしまいました。
自殺行為だと思います。」

小林先生は学校の屋根に案内してくれた。
ここでは空間線量から身を守らなければならない。
津波の襲った3月11日の様子を説明してくれた。
「津波はあの松くらいの高さでした。
巨大な黒い波が瓦礫を押し流して来て、
ちょうど学校の壁の前で止まりました。」

津波の爪跡
瓦礫はアスベスト、ダイオキシン、そしてセシウムに汚染されている。
被災した沿岸一帯2千6百万トン残された瓦礫をどこに運んだらいいのか…
通常の百年分の量である。

津波の襲った日に人生が変わったのは…
菅原マサキさんと青田カツヒロさんも同じだ。
二人は昔からのサーファー友達
福島県の海岸はかつてはサーファー天国だった。
週に二三回、二人はここで波乗りをした。

「福島はサーフィンにもってこいだったのに、津波後はいい波が来なくなりました。
地震で海底が変わったのでしょう。」
3月11日は菅原さんにとって生涯忘れることが出来ない日となった。
彼の愛してきた波に両親を奪われたのだ。
「両親は津波にさらわれました。
兄は仕事から大急ぎで帰ってきたのですが、家は消えていました。
両親の消息を尋ね続け、
二週間後に遺体が発見されました。」

南相馬ではサーフィンはとっくに禁止されている。
砂も所々セシウムに汚染されている。
それでも時々誘惑に負けて海に入るサーファーがいる。

食料を買出しするタサク・アユミさん。買わなければいけないものは沢山ある。
オレンジは安心。福島産ではない。
原発事故以来、買い物には気を遣っている。
「福島産を買うのはためらいます。子供のためにはこの地方の物は避けたいです。
北海道産とか、なるべく遠い所の物がいいです。」

店主の大津ケイイチさんは事故後品揃えをすべて変えた。
九州産の野菜や北海道産のきゅうり、
福島産は検査済みの桃だけだ。
店長は二日ごとにセシウム汚染値を入手する。
「年寄りの方はそれほどでもないですが、若い方は気にされています。
食品が検査されているかよく聞かれます。」

汚染値ゼロ保証の新鮮豚肉
一つ一つのパックに安全シールを貼ってから冷蔵室へ、
いずれにせよ、福島産の食品は南相馬よりも他県での方が売れると店主は言う。
「福島から遠い所の人ほど、あまり深く考えていません。
東京では福島産の食品はよく売れます。
福島を応援しようと言うのです。
ここではみんな放射能の恐ろしさをよく知っていますから、福島産の食品を買うお客さんはほとんどいません。」

原発廃墟からわずか20キロのこの土地の方が、むしろあゆみさんにとっては安心して買い物が出来るというわけだ。
学校の昼休み。今までと違って子供達は毎日教室を掃除しなければならない。
福島原発からは今でも放射能が流出を続け、極めて危険な放射性物質が町に降り続けている。
掃除は効果があると言われるのだ。手を洗うことも。
この子にとっては、今日が最後の登校日。家族が南相馬から避難することになった。もう帰ってくることはない。。

「悲しんじゃだめ。一番のお友達ももう山形に引っ越したでしょ。」
大丈夫」
「放射能から身を守るために引っ越す家族もありますが、
別の苦労が待ち受けてます。

“福島から来た”というイジメが多く、それで精神科にかかった母親もいます。」
子供達はお別れ会を催した。
「椅子取りゲームをしようか?」
「それとも歌とかダンスがいい?」
“忘れないでね”“友達でいようね”と言う寄せ書き。

「もうクラスの子もたくさんいなくなりました。」
「ゆき、りょうご、みつる、ひかり」
「夏休みの間にいなくなりました。」
「黙って行ってしまいました。」
「原発事故がなかったら、みんな一緒に外で遊べたのに」

常に心配しながら生活することで心が壊れてしまうと三浦万尚さんは言う。
町を出て行く者もあるし、残っても人が変わる者もある。
食べるのを拒んだり、アルコールに溺れるようになったり、
自殺する者もある。
福島だけでも震災後70人が自殺をしている。

「墓地に響く海鳴りがまるで死者の声に思えます。
助けを呼んでいるようです。
私達はもっと団結しなければなりません。
そして放射能の恐ろしさをよく説明しなければ、本当の幸せは訪れません。」

市立病院に来たあゆみさん
子供達の内部被曝を調べるホールボディカウンターを受けるのだ。
「検査は大切だと思いますが、やっぱり落ち着きません。
結果が怖い、でも本当のことも知りたい。
複雑な気持ちです。」

事故以来医者や看護士は出来高払いで働いている。
南相馬の子供達75人は全員年に一回検査を受けることになったのだ。
「難しい説明をしなくても、ほとんどの子供はすぐに何を行うのかわかるようですが、
不安な気持ちはあまり言葉にしません。
隠している子が多いのだと思います。」

三台のホールボディカウンターは絶え間なく動いている。
骨に溜まったセシウムや甲状腺のヨウ素などの微細な放射性核種が、
スキャンされる。

福島市ではすでに結果が出ている。
子供達の二人に一人からセシウムが発見された。
今後小児癌が増加することを多くの保護者が恐れている。
妊娠五ヶ月のこの看護婦も不安に思っている。
「今のところみんな心配する必要はありませんが、
5年後10年後はわかりません。
いつか避難しなかったことを後悔する日が来るかもしれません。」

それでもしかし生活は楽しいものでありえるのだ…
我々は翌日南相馬のゴルフ場に出掛けた。
最近再開されたばかりなのだ。
オーナーの福躍好勝氏が案内をしてくれる。
原発事故前この松はまだ瑞々しい青色をしていたそうだ。
今は枯れ死してしまっている。
線量は毎時1マイクロシーベルト、
プレイ中レントゲンと同量の被曝を受けることになる。

「原発事故後の変化と言えば、南コースの汚染が激しかったこと。
丘の上に放射能雲が留まったからです。
この部分の閉鎖を検討中です。ゴルフには危険すぎます。」
鹿島カントリークラブの会員は4千人
そのうち20人が津波で亡くなった。
残りのメンバーは再び定期的にゴルフ場を訪れている。
チェック模様で汚染芝生に立つ。

「ストレス解消です。
心配ですが、何も変えられませんし、
気にしてばかりいるほうがストレスになります。」

福躍氏は本当はゴルフ場再開に反対だった。
弁護士も未知の危険があるから止めるように忠告した。
念のため毎日線量を表示することにしている。

私達にはお客様の健康が一番大切です。
20年後にどなたかが癌になる原因にはなりたくありませんから、
どんな状態のゴルフ場かお知らせし、ご自分で判断していただきたいです。」

三浦万尚さんはとっくに次の仕事に向かっている。
南相馬の端にある新興住宅地。二人の子供がいる若い家族の家だ。
この場所の一年間の被曝量は、ドイツの原発作業員の3倍だ。
三浦さんはその状況を改善させたい。

「今日どこまで行くかわかりませんが、屋根をまず除染、
それから家の壁、ベランダ、そして玄関前のコンクリート。」
家族は除染作業を気味悪がり、
事前に避難した。
けれど近所の人は逃げず、興味深そうに見に来た。
自分の家の除染したいと思ってるのだ。

「前もって電話で危険を知らされました。
けれどもびっくりです。
こんなすごい防護服で来るとは思ってもいませんでした。」
マスクをもらい、屋内に留まるようアドヴァイスを受ける。
三浦さんチームは警告シールを貼って、“死の仕事”の準備を整えた。
キャップ、マスク、そして防護服
この装備で三浦さんは家を放射能から解放するのだ。
大袈裟だと言う人もいる。

「家の除染? 考えてません。」
「手を良く洗って、うがいをすればいい。」
南相馬は段階的に除染されていく予定だ。学校、道路、そして個人宅。
それは危険な上に、終わりのない計画である。
冬になれば山おろしが再び放射性物質を住宅街に運んでくるからだ。

たまにはすべて忘れてリラックス。
あゆみさんはこの日を楽しみにしていた。
初めて赤ちゃん体操に参加したのだ。
「すごく安心しました。赤ちゃんのいるうちはほとんどないと思っていましたから。外ではほとんど見かけません。
でも他にもたくさんいるのを見て嬉しかったです。」

お母さん達に呼びかけたのは宮原けい子さんだ。
3月11日の震災以来助産婦の宮原さんは、若い家族のケアに専心している。
週に一度集まって母子体操を主催。
「どんな話でもします。
例えば散歩の時には木に近づいてはダメですとか、
放射性物質がたくさんついているから、
外出しないわけにはいきませんが、気をつけなければいけないことがあります。」

市の行政はなるべく沢山の若い家族が町に戻ってくるように呼びかけている。
しかしあゆみさん達は、母親の不安がまともに相手にされていないと感じている。
「食べ物も水も安全だと言いますが、信じられません。心配です。」
「避難した方がいいのかもしれませんが、夫が大丈夫だと言うので…
一人で逃げるわけにいきませんでした。」
「こんなことが後どれくらい続くのか知りたいです。
いつになったらまた元通りになるのか情報が欲しいです。」

菅原マサキさんも今日は海でリラックスをするつもりだ。
両親を失った息子にとってサーフィンはセラピーのようなものだ。
「津波に父と母を奪われましたから、
海が怖いということもありますが、
けれど海は偉大ですし、
海を友達にしたいと思います。
きれいな海を見ると心がすこし癒されます。」

菅原さんが選んだ海はよりによって東海村
サーフ場は福島原発から100キロ南にあり、
波乗りが許可されているのはこの場所からなのだ。
3月11日以来初めてサーフボードに乗る菅原さん
日常への回帰は、サーファーにとっては太平洋の冷たい波から始まる…

「また南相馬でサーフィンをしたいと心から思います。
原発事故が収束してくれることを願ってやみません。
故郷でまた不安のない生活がしたいです。」

不安のない生活… あゆみさんも望んでいるものだ。
今日は郵便が届いた。
ホールボディカウンターの結果
息子達は健康だろうか?

「大丈夫でした。でも弟の方がすこし値が高いようです。
でも基準値以下で安心しました。」
病院は「無害」と書いてきた。
子供達の被曝量は心配するものではないと、
福島事故による被曝はレントゲン検査が一回増えただけのようなものだと医者は言うのだ。

南相馬の週末
町はロックコンサートを催した。
人々が毎日の不安を忘れ、楽しめるように。
短い間でも

「いつも家にばかりいて、他の人に会うことがほとんどありません。
すごく楽しいです。」
南相馬の市長も参加して、
市民を守る約束をした
しかしどうやって? 三浦万尚さんは懐疑的だ。

「市長は人々の味方のように振舞っていますが、何も行いません。
子供達の検査もひどいものです。もっと正確に行わなければいけません。
ここでは誰もマスクをしていません。何も問題がないかのように見せたいからです。」

三浦さんはマスクを配った。人々に危険を教える義務を感じているのだ。
しかし主催者にパニックをふりまくなと抗議される。せっかくの晴れた楽しい日なのに…

人々が熱望しているのは原発事故のなかった福島なのだ。
以前のようなごく普通の生活だ。

 

 

【追記】こんな番組も発見。日参ブログ「院長の独り言」よりhttp://onodekita.com/

 http://www.youtube.com/watch?v=kH00psyB4lc&feature=player_embedded#!

 

 


経産省前線量

2011年10月29日 | Weblog

 

日比谷に「オペラ座の怪人」を見にいく前に、経産省前で座り込みがあったので、様子を見にいきました。

その時、誰かがガイガーカウンターで歩道脇の植え込みを測っていました。見た事のない機種で、もしかしたらエステーあたりの物かもしれません。手にすっぽり入る大きさで、まるっこい白いガイガーでした。

横目でピコピコ計測中の数値の動きを見ていたのですが、大体「0.39μS/h」でした。結構、高いので驚きました。γ線だけででしょうからね。

ここのところ驚愕のニュースがちらほら、ガックリしてます。

 


日常

2011年10月29日 | 「オペラ座の怪人」

もしかして劇場が増えた?
六本木ってあったかな?

六本木、品川、横浜、埼玉と時期的にバラツキがあるのでチャンスを狙って行けるかも!栃木の南部と言っても往復の時間を考えると一日つぶれるので、仕事の忙しい時期にインド旅行にも行くくせに遠出するのはなかなか難しいです(涙)。

2005年映画でも「遠出してでも映画館に来てよかった。家で観るのとは違う」と思った経験が何度もあるので、見られる限り見てみたいものです。日常の雑音を完全に遮断できるのは映画館だけですからね(--;)

ラウルや支配人の座っているのが本物の桟敷席とか、屋上の場面の背景が本物のパリ・オペラ座とか、マスカレードがパリ・オペラ座の大階段を意識した作りの階段とか他では見られない、でもすっごく見たかった部分もあるし、(逆にブルー・グレーの緞帳が映像だったとか、ハンニバルの象、なにより重要なアイテムである「クリス等身大人形」が出てこないというのは残念でなありません)、映画館の中に木霊する(←最重要)怪人の地底から響いてくるような声とか映画館で聴きたいです。

もう映画館で聴けなくなる!と思うと焦ってしまいます。(再上映もあるかないか分からないし)

それに今回の25周年映画は、「常に自分の席に固定された状態で鑑賞=一つの視点」という舞台芸術においての個人的に苦手な特性も若干緩和されているので、そこもよかったかな?
何台もカメラが配置されていて、映画並みのカメラワークとは行かないまでも、動きがあるのは「映画>>>>舞台芸術」な感性には有難いものがあります。(才能があるなら漫画家か映画のカメラマンになりたかった)

アルバート・ホールと言う赤と金が基調の劇場も、パリ・オペラ座を思い出させていいですね。その上、さらにアルバート・ホールに舞台「オペラ座」のプロセニアム・アーチが増量して装飾され、劇場自体もかなり「パリ・オペラ座」に近づいていて、観客のざわめきも加味されて、パリ・オペラ座を思い出させていいかも。シャンデリアも豪華絢爛だし、本物だし。それに「みじめで悲惨な怪人の人生」と「人生の勝利者の集う劇場」との対比が視覚的に分かりやすい。

シャンデリアの形状も、落とす事を念頭に入れているのかよく分からないのですが、平べったいのは、結構辛いものがあります。どうしても萎える気持ちを抑える事が出来ないのです。でも今回は落ちないのは残念ですが、ヴィジュアル的な異和感がないどころか、劇場内の中央で輝いている姿が感動的ですらありました。(落ちる場面は映画版で脳内補完する)

「Wishing You Were Somehow Here Again」を歌い上げたシエラ・クリスの満足そうな、感動に満ちた表情は「Think of me」や原作の中で「ロミオとジュリエット」などを歌って喝采を浴びるクリスティーヌのようで素敵だし、歌そのものも、熱心に歌い上げている姿も見ていて感動。
でもそのあと「十字架から出てくる(?)ファントム」というのは見てみたかった気が。

アン・マスクの場面も怪人が右をむけばちょこまか右移動、左を向けばちょこちょこ左に移動、「目を大きく見開き、悪戯っ子でハンターなクリス★ミャハ☆」を見た事があるだけに、よかった。
この場面のクリスの心理をどう解釈するかによって演じ方も違うのだと思いますが、あまりにも軽々しいのは(私の中では)マイナス・イメージだったりします。あれだけの上下感・主従感があったのに(しかもそこが萌えなのに)、「は?急にタメ口?」くらい急降下します。年齢的な事とか19世紀とか、そういう部分から考えてもフレンドリー過ぎるのはなぁああ。

そういう意味で最後のあたり、跪き、ファントムの手の甲にキスするような動作も萌えでした。
(ちなみにファントムに近づいていくエミー・クリスの動きも厳かな感じがしていいなあ、といつも思います)

色々ありますがもう一つ気がついた点。クリスの強力な巻き巻きヘア、少し緩和されてないか?という事。あんなにグルングルンしていて、髪型として(サラの髪型なんでしょうが)結構微妙だったので(もうすっかり慣れましたが)、パーマが緩くなって、自然な感じになったのは良かったです。

ダンサーもロイヤル・バレエ団の人とか加わっていたのでしょうか?映画の時も有名なダンサー(ホセ・ティラード)が踊っていたし、きっと上手なダンサーを選んだのかも(眼福)。
2005年映画のダンサー多数出演という事もあって、「Swan Lake」に何度も通った事が懐かしいです。生ホセの踊りを拝めたのは一度だけでしたが素晴らしかったです。

ま、とにかく3回目に行けるように時間を調整してみます★

 


どうでもいい話②

2011年10月28日 | Weblog

下の記事の続き。

やはりファントムの子供時代が入ってきたのは起爆力が半端なかったです。(この時も少女ジリーの表情もグッときます)

「子供時代」がなかったらここまではまったかは疑問。最初に舞台からはいったら、「原作を読んでみよう」とか「絵に描いてみよう」とまでは思えなかったのかな~などと思われ。

ファントムが若く、どこか少年のようにあどけないと言うのも魅力でした。蘭トムも「少年のよう」だし。

「コリン(コリム?)・ウィルキンソンさんの歌声も素敵だわ」と今は思うのですが、CDを買って聴いた当時は自分のファントム像(若い)とは凄い異和感でした(おじさんぽくて)。

子供時代は竹宮恵子先生や萩尾望都先生の信者だったので、未だにそんな影響があるのかもしれません。

 


どうでもいい話①

2011年10月28日 | Weblog

私は拙いながらも二次創作をしています。二次創作には相当な萌え、というか起爆力が必要だと思うのですが、自分を振り返ってどこがそんなにパッションを引き出したのか考えてみました。

その①クリスの子供時代。ちょ、このラトゥールの絵と言うか宗教画っぽい雰囲気、絵としても美しくて萌えますが、なんだかこう信心深い子供と言うのに弱いです。「上の方から声が聞こえてくるの」という言葉だけで、可愛いと言うか愛おしいと言うか、心が引きこまれます。こんな場面を暗い映画館のよい音響で鑑賞したら悶絶ものです。

北欧の暗い物語、音楽の天使のお話、(映画では出てきませんが)ブルターニュの自然、お父さんのヴァイオリン、幼馴染、街から街への放浪(これは原作設定ですが)…ツボ過ぎます。

エキセントリックでペシミスティックな雰囲気も漂っていてクリスの性格設定は私的には最強。


オペラ座の仲間ともうまくやってはいるのでしょうが、どことなく心はいつも別世界にいるっぽい所がいいです。多分それはファントムにも通じる部分だから。

よく「天然」と言われるクリスですが、それが音楽の天使を信じてることに起因するなら、その飲めり込み具合から一種の寂しさのような物を感じ、そここそが大変な魅力になって、彼女をして私の文学(映画)経験の中の金字塔にしていたりします。

もともと神の声を聞いたことがあるアッシジのフランチェスコとか聖母を見た聖ベルナデットとかも嫌いじゃないせいもあって、異和感はないかな?
まあ、見たとか、聞いたとか言われれば、そう言う事もあるのだろうな、と思います。昔の話だし。

カソリックの国の教会にはたくさん聖像が飾られている上に、薄暗く、蝋燭が揺らめいていて、しかもオルガンの音が聴こえてきたりするので、感受性の極めて強い子が神様の存在を感じて、姿を見たとか、声を聞いたとかになっても当然かな、と思います。

そういえば日比谷のTOHOシネマズの近くにブルターニュ料理のお店があるらしいですね。多分ここ。
http://www.le-bretagne.com/j/map_ginza.html

クリスが子供時代に住んでいたブルターニュの料理を食べようと思ったのですが、見つけられませんでした。

 

【追記】
ブルターニュに住んでてる日本人の方のブログで「オペラ座の怪人」のブルターニュの描写は素晴らしい!と書いてあるのを読んだことがあります。ブルターニュの文化や自然は独特みたいですが、その特徴がよく書けているらしいです。

 


今日は…

2011年10月28日 | Weblog

http://enbi.moo.jp/phantom/phantom-movie.html

を再度熟読。やっぱり素晴らしいサイトでした。ちょっとリンク切れの部分もあるのが、残念です。

2005年の映画を見た頃、普通の主婦で小さい子供に囲まれていたのでPCも持っていなかったし、家になかった(きょうび珍しい)ので、ネットカフェでこのサイトのほぼすべてをプリントアウトしたのでした。

だからリンク切れも部分も家の中のどこかにあるはず。最近見ていなかったのですが、大事にしていたから捨てたはずはないです。

いや~印刷代が凄かったです。その上、色々なサイト様を見るのも時間制で有料というのが段々苦痛になって安物のパソコンを買ってもらったんですよね。

 

原詩の味わいというのは、英語が苦手な私には耳で聴いただけでは分からないのですが、こういうふうに紐解いていただくと理解も深まります。本当に有難いです。

 


もしかして

2011年10月27日 | Weblog

 

よく見れば品川とか横浜とか埼玉とか行けるんじゃ?
オペラ座大好きな娘も「一緒に行く」と行ってるので、遠征成るか?ちょっとインド旅行と被るので微妙なんですが行けたら行きたいです。

そういえば今日も混んでました(よく考えれば最終日)。結構年配の男性もちらほら。若い男性が一人の場合もあったりして、ファン層の広さを実感しました。
それから聞こえてくる会話に「市村さんが~」「ゆうさんは~(山口さんと思われ)」とか聞こえてきたので、やっぱりオペラ座ファンの方が来ていらっしゃるのだな、と。

油断してネットで座席の予約をしなかったので、センターという訳には行きませんでした。見づらくはなかったのですが(J-9)、予約できるものはして行った方がいいですね。

 

 

 


二回目映画鑑賞

2011年10月27日 | Weblog

 

東京に行く用事があったので、また見てきました。DVDも買う予定ですが、あれだけの音響、大画面ではもう見られないので機会を逃さず行ってきました。

音楽の事はよく分からないので技術的な事は書けないのですが、ラミン・ファントムの歌声にはうっとりです。シエラ・クリスも大好きです。

3回目も見ようかと思ったのですが、12:40の回で見たので、次の回を見ると帰宅が遅くなってしまうので諦めました。3時間近くあるので、感動もしますが疲れもしますからね。

JOJの「ミュージック・オブ・ザ・ナイト」も(サビの部分だけでも)聴けてよかったです。左端のファントム以外は素敵でした。でもやっぱりJOJが一番素敵かな、と思いました。

 

カナダ版(↓)でお馴染みのコリン・ウィルキンソンとJOJ。

 

でも舞台全部を通すとラミン・ファントムの方が感動したかな?最後の演出を変えたせいもあるし、好みのクリスだったということもあるかも。

(支配人やカーラやピアンジ、ブケーはロンドンで観たキャストのままでした)

 

歌詞に関しては、こちらがお薦めです!映画を見た直後、こちらで随分教えていただきました。

http://enbi.moo.jp/phantom/phantom-movie.html

 

あとは個人的にクリス人形が出てこないのは残念でした。ラウルが見た目的にあまり貴族的でなかった気がするのもちょっと残念だったかも。

マイケル・クロフォードは歌わなかったけれど、どうしてだろう?残念です。家でもよく聴いていますが、やっぱりいい音響で彼のファントムを聴きたかったです。

 


「あすなろ坂」

2011年10月26日 | Weblog

子供が明治大正にはまっていまして、その時代の漫画が読みたい、というので「あすなろ坂」を買ってみました。今日最後の9刊を読んだのですが、感動しました。

幕末から昭和にかけて、主人公・芙美を主軸とした有馬家の家族の物語なのですが、里中満智子先生の力量に圧倒されました。

子供時代は他の漫画家さんにはまっていてあまり里中満智子先生の作品は読んでいなかったのですが、凄い方だったのですね。

主人公の芙美は親の決めた有馬家にお嫁入りします。でも幼馴染の新吾を愛していている事に気付いた上、深い関係にもなって、しかも妊娠してしまう。芙美は死んで詫びようとするのですが、夫はそんな芙美の事も愛おしいと言って、別の子を妊娠している芙美と結婚生活を続け、いつか自分を愛してくれる事を望みます。

そんな夫・武史の事を芙美は心から愛するようになります。でも初恋の新吾の事も決して心から消え去ることがないのです。

一人の女の心の中に二人の男が住んでいる、でも激動の時代を家族を守りながら懸命に生きている彼女に「二股」「不潔」という印象はありません。

最終巻はその芙美の死が訪れる場面も描かれています。いよいよ最後の瞬間、手を空に差し伸べて「あなた…」と言うのですが、(そこで左ページから見開きになる)初恋の人と夫の両方が描かれていて、最終的にどちらを深く愛していたか判然としないのです。

夫婦になりともに家族の歴史を作ってきた夫と、初恋の相手の「両方愛していた」と言う事になるのですが不自然でなく、「そんな事もあるんだろうな」と納得してしまいました。

上の場面を読んで、クリスティーヌの死の瞬間について、あれこれ考えてしまいました。

 

「あすなろ坂」はとにかく名作です。完成度の非常に高い作品だと思います。

 

 

 


また浅草

2011年10月25日 | Weblog

 

先日、親戚のおばさんやおじさんや実家の母を連れて浅草にどじょうを食べに行ったのですが、好評だったので今度は近所の仲のいい、というか仕事を手伝ってくれるおばさん達を連れて行きました。

仲見世でちょっとぶらついて、浅草寺をお参りして、どじょうを食べ、デパ地下でまた買い物+途中喫茶店で甘いもの、というコースでした。

今回は仲見世の絹製品を扱ってるお店で、薄手のコートとカーディガンを買いました。今の時期のように暑かったり、涼しかったりの時期の旅行にも持って行けそうなので。

子供が風邪をひいていたのですが、うつったみたいで体調が微妙です。皆様もお気をつけてくださいね。

早く治して、日比谷にもう一度行かねば!

 

【追記】
今夜は風邪の治った娘達と2005年版「オペラ座の怪人」上映会です。