The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

旅の準備

2011年03月31日 | Weblog

 

今日は娘の引っ越し予定のマンションに行ったり、家具やカーテンを買いに行ったり移動の激しい一日でした。

そんな訳で忙しくしているのですが、自分のロンドン行きももう間近。行きたい所はいくつかあるのですが、自分の力で探し出す気力がわかず、間に合わず、ガイドを頼んでみました。上手く行けばガイドと数時間回れるかも。

以前パリでも自分では行きにくい場所にはガイドと行きました。ストとかなければ確実に行けし、結構現地の方と色々話も出来たり楽しいものです。(銅版画の勉強中の若い日本人青年でした)

見つけにくそうな博物館なので行けそうもなかったら「オペラ座」のマチネの当日券でも買ってみる事にします。

帰国は4/7です。

 

色々日本の事も心配ですが、行ってきます。帰国したらまた自分のできる事をしたいと思います。

 


ピカデリー線

2011年03月29日 | Weblog

 

頭の中が色々心配事がいっぱいでなかなか気持ちがロンドンに行きません。とりあえず今日は服を少々と靴、新しい眼鏡、化粧品などをお買いに行きました。(眼鏡は今回の事で予備が必要と痛感)

今回は春の旅なので、トルコで買った革のコートとフランスで買ったコートとブラウスなどで行くつもりです。買い足したのは薄手セーター位。いつも同じような服装なのですが、私的海外旅行用制服みたいなものです。

やっとスーツケースを引っ張り出してきたので明日から荷物を詰め始めようと思います。

肝心かなめのロンドンの交通についてはこれから下調べです。幸い劇場と大英博物館が近いので、不慣れな地下鉄にはそれほど乗らなくても済むかな、と思います。というか現段階で皆目分かってない、という。。。

なんだかパリよりも面倒そうですね(--;)パリでは一日乗る回数分朝まとめて買って、足りない時はその分を自販機or窓口で買ってました。

イギリスのオイスターカードは駅で買えばいいようなのでチャレンジしてみます。

 


3/29 近況@栃木

2011年03月29日 | Weblog

 

昨日は行きつけのスーパーに久々に行きました。そのスーパーの周辺は地盤が緩く、今回の大地震(ここは震度5弱)で北・西側の道路が地割れしたのですが、店内も結構ひどい感じでした。元々安普請だったのだとは思いますが、天井がボロボロでビニールとガムテで応急処置してました。

後は我が家の蔵は見た目無事なのですが、裏のお宅の蔵が、屋根が斜めに傾いて、しかも壁も崩れてました。古い土壁というのも崩れやすいのですね。我が家の漆喰の壁も崩れましたし。
ま、ひどかったのは以前写真を載せた一か所なのですが、すぐに修理せずにいます。(また地震が来るかもしれないので)

スーパーは魚や肉などは普通どおりですが(宮城県産解凍刺身とかありましたw)、品薄の物も多いですね。牛乳とか、あると言えばあるのですが少ない。「被災地優先です」と書かれていました。

プルトニウム検出報道前でしたが、ミネラルウォーターは皆無。これも被災地優先と水道水に不信感を持つ人が買っていったためかもです。

今日(29日)近所の別のスーパーに行ったらやはりミネラルウォーターはなかったです。見た範囲では自販機の水も完売状態(たまたま3ヶ所位見たのですが)。ウーロン茶とか緑茶系は普通にあるんですけど。

「ミネラルウォーターは乳幼児を持つ方のみ」との張り紙がしてありました。

 

納豆はおととい久々に買えました。やはり「一人一個」と張り紙がw

最近は計画停電も見送りが多く、蝋燭の出番がありません。

 


3/28 近況

2011年03月28日 | Weblog

枝野幸男官房長官は28日午前の記者会見で、福島第1原発から半径20キロ圏内の避難区域について「(放射能に)汚染されている可能性が高く、大きなリスクがあるので決して立ち入らないでほしい」と述べ、家財道具などを持ち帰るための一時帰宅は控えるよう強く呼び掛けた。

――大きなリスク?やっぱり。

民主党の小沢一郎元代表は28日午前、東京電力福島第1原発の事故に関し「原子力の溶融がずっと前から指摘されていたが、原子力安全・保安院、東電、内閣は明確な話を避けてきた」と述べ、政府や東電の対応を厳しく批判した。

 小沢氏は、現在の事故対応について「思い切った手だてなしに(原発に)水を入れる、バルブを開けることを繰り返せば、放射能は広範囲に飛散し、汚染が広まることがある」と疑問を呈すとともに、「(政府は)国民、地域の皆さんに正直に話をして、理解を求めた上で、思い切った作業をするべきだ。このままずるずる行ってしまうと日本全体がめちゃくちゃになる」と強調した。 

「思いきった作業」というのが具体的に何なのか分かりませんか、政府がきちんと危機管理してほしいものです。

 

今日は一応、オプショナルツアーのバウチャーなど印刷。ロンドン市内観光とカンタベリー大聖堂などの一日ツアーを申し込んであったのです。
今後の大き目の地震と原発の方が心配ですが、今のところ行く予定です。

「オペラ座の怪人」自体は三回分のチケットを買ってあったので、二回は(現段階では)見られる見通しです。

イギリスに入国できるか心配ですが…。


パエトーン

2011年03月27日 | Weblog

今、山岸涼子さんの「パエトーン」という漫画が無料公開中です。

http://www.usio.co.jp/html/paetone/index.html

 

原発というものについても分かりやすく説明してあります。

原発がなくても電力は賄える、と言うのは目から鱗。

今日のニュースで「被曝した二人は退院しましたw」とかやっていて、「本当かな?これから症状が出てくるんじゃないの?出たとしても名前も会社名も顔も公開されてないから突き止められようもないけど」と不信感が否めません。

 


3/26 近況

2011年03月26日 | Weblog

 

今日は子供とデパートに行き、買い物。結構にぎわってました。ま、ガソリン不足で遠出もする気にならないし、電車も特急が運休ですしね。デパート内にある映画館はやはり休みでした(--)

(ガソリンは相変わらず並んで給油しているみたいです)

先日主人が用があって東北自動車道を使って東京に行ったのですが、随分空いているようですね。多分ここの最寄りのICからかなり北に向かっていくと状況は変わってくると思うのですが。

でも自衛隊や物資を輸送する緊急車両は(特に東北に向かう方)たくさん走っていたそうです。SAでは自衛官達が食事中で、上官が「向こうでは食べられないから」と言っていたそうです。現地入りする前にカレーやカツ丼を食べている自衛官。しっかり食べて頑張ってほしいものです。

逆にこれだけ物資が東北に向かっていても、なかなか届かない地区もあるようですが、いち早く隅々まで行きわたってほしいものです。

東北自動車道と言えば「楽しいところに行く高速道路」で、いつもワクワクしながら走ったものです。そんな道路を今は緊急車両が走っているのかと思うと、突然今までの日常から切り離されて、とんでもない世界に迷い込んだ感じがします。

 

時にそういう風に感じていても、とりあえず被災地ではないので普段の生活を送ってもいます。

電車があてにならないので(地震でストップしやすい)、成田行き高速バスのチケットを買ってきました。直行便のはずが、韓国経由になり、ヒースロー空港着が一時間遅れとなり、初日のオペラ座は無理っぽいですね。ガイドブックを研究する気分的な余裕もないので、徒歩圏の劇場に行って当日のマチネのチケットを買ってもいいかな?と思ってます。

日本がこんな状態で海外旅行もないのですが、キャンセルしてもお金は戻ってこないし、日本にいても普通に家にいるだけで被災地の皆様に出来る事は募金くらいなので行ってこようかと思います。

申しわけない気持ちと、向こうで「呑気な日本人がいる」と思われやしないか心配です。

 

そういえば今日可愛い小物屋さんで、計画停電用の可愛い蝋燭を見つけました。花の形で水に浮かべるタイプの物でした。今あるのも花の形の仏壇用の物の上、先日給油したガソリンスタンドの隣が葬儀屋で、店先で蝋燭を売っていたので、待っている間子供に買いにやらせて結構いっぱい買ってしまったので買いませんでした。

「今、電力使用状況93%」。90%台を見るのは初めてです。テレビを消しました。ちょっと気が緩んでPCしながらテレビも見てました。

我が家には熱帯魚がいるのですが、死なすわけにもいかないので、冷蔵庫を整理して二台から一台にしたり、自分の使う電力はなるべく抑えるようにはしています。他に水槽自体をプチプチで包みこみ、上部の開口部を狭くしたり、大きなバスタオルで包みこんだりしています。

 

サイト活動も今月中に更新してロンドンに行くつもりでしたが、今は無理っぽいので帰国してから書こうと思います。

 


3/25 近況

2011年03月25日 | Weblog

 

今回の被曝のニュースを見て、東電の作業員管理のずさんさに唖然としています。原子炉にカッパにスニーカーって。人間を人間とも思ってないの?と思ってしまいます。

誰かが東電幹部が新品の作業服を着て記者会見しているけど、協力会社の作業員には長靴すら支給されないのか、と。本当に怒り心頭です。

世間の東電への怒りを慮ってか今日の新聞には、東電社員も頑張ってます、と言った記事が掲載されました。東電の社員の方も頑張っているとは思いますが、協力会社の作業員への配慮を忘れないでほしいものです。

 

今日は来月娘が引っ越すので、それを機に家の中を大掃除。いらない本や衣類を大量に捨て、随分すっきしました。

天気も良かったので大量に洗濯物を干しました。最近は外に干しています。もう水道水も多分汚染されているので、どこに干そうが同じです。

 

すっかり忘れきっていたのですが、旅行会社からメールがありました。そういえばロンドン行きの計画を立てていたのでした。でも今後の地震が心配です。毎日3~4の地震が毎日数回ですから。

で、旅行会社によればガソリン不足で韓国乗り換えになるそうです。乗務員の入れ替えも行うそうです。

 


久々に

2011年03月23日 | Weblog

 

二週間以上給油をしていなかったのですが今日給油してきました。相変わらず長打の列で、途中で売り切れなのですが、午前8:30頃に並んだら待ち時間20分くらいで入れられました。(緊急車両のみのガソリンスタンドもあるのですが販売自体はしています)

備蓄を放出とかニュースでやっていたような気がしますし、車でないと持ち帰れない買い物もあったので。

市役所に住民票を取りに行ったらガラス張りの玄関ホールのガラスが割れていて、ベニヤ板で応急処置していました。室内は節電中で少し暗いです。行ったついでに避難している方々に必要なものはどんなものか聞いてきました。
地元の新聞を読んで分かってはいたのですが、写真を見ると結構集まっていた感じもしなくもないので、必要のない物を届けても仕方がないので。

聞いたところ、生活用品、保存食などだったので、買い物ついでにホームセンターで赤ちゃん用のおむつとか女性の生理用品とかシャンプー・コンディショナー、電池、米などを買い込み、家に戻って、貰って使いきれていない新品の毛布や夏掛け、バスタオル、普通のタオル、せっけんなど車に積んで市役所に届けました。

運び込むのは男の職員の方が手伝ってくださいましたが、車半分の物資(しかも米以外は軽い)でも、車がなくては(ほんの数キロ先の)被災者の方にすら届けるのは難しいものだなあ、と思いました。

 

そういえば…計画停電、来年(2012年)の冬くらいまで続くそうですね。仕方がないですよね。

今夜は久しぶりに外食したのですが(と言っても一番距離的に近いファミレス)、近くのテーブルのおばあちゃん、ママ、子供、と言った家族連れも停電の話をしていたらしく、おばあちゃんが「今までが使いすぎたのよ」とか言ってました。

中高年の方にとってみればそうなんでしょうね。死んだ義祖母もテレビでエレクトリックパレードを見ては「信じられない!もったいない!!」とか騒いでました。でもまあそういう時代はそういう豊かな時代だったんですから(過去形。涙)、華やかなエレクトリックパレードは悪いとは思いませんがw

今回の事で色々生活を見直し中です。

自分の町の農作物は出荷停止だし、東京の一部の地域でも放射性物質が検出されましたし、地震は毎日数回ですし(--;)

 

 

 


我が家の被害

2011年03月22日 | Weblog

瓦は大丈夫だったのですが(今のところは)、壁がボロッとなっていたり、ひびが入っていたり(--;)。市内で3000軒位の瓦の被害がありました。修繕が間に合わず、青いビニールシートに土のう袋を乗せている家がたくさんあります。

大人数人がかりでないとビクともしない、何百キロもあるギガンティア用スイレン鉢の水が跳ね上がって、ボッチャンボッチャンしてました。

震度5弱でした。

 


3/22

2011年03月22日 | Weblog

 

今日は用事があって東京は八王子の方まで出掛けてきました。上京する時は必ず使っている特急が節電で運休中なので各停でちんたらちんたら行ってきました。

時間がかかるのとドアの開け閉めの際、冷たい外気が入ってくるのでなかなか辛いものがありました。

駅や電車の中も節電しているようで、車内のエアコンはなし、電灯も間引いていました。ホームも少し暗めでした。昼間のエアコンは不要だな、と思いました。

今後東日本の電力もどうなるか分かりませんが、原発を造るのは反対が多くて無理、火力発電も大気を汚しそうですし、やっぱり色々考えなきゃいけない気がします。

今週中にも5に分けたグループが今後は25グループになるそうです。はっきりしてませんが、なんとなく少なくとも夏まではこの調子みたいですね。

電車の中の通勤会社の男性が「停電も昭和みたいで悪くないですね」と言っていました。同感です。企業や病院や電車に関しては困りものですが家庭内では蝋燭やランプの暮らしと言うのもたまになら悪くはないです。学生は困りそうですが(^^;)

東京から埼玉、栃木を電車の窓から眺めましたが、停電中の街は真っ暗。停電の終わった地元に帰ってきたら、やっぱりいつもよりは薄暗い感じでした。節電を心がけているんですね。家に帰ったらラジオと蝋燭がテーブルに乗ってました。

明日は福島から避難して来ている人に未使用の生活用品を届けに行ってこようかと思います。

私の住んでいる市では妊婦さんには母子手帳もすぐ交付、保健婦さんも様子を見にいっているそうです。元々宿泊施設なのでお風呂も大きいですし、自然は素晴らしいし、買い物も出来るし、畳に温かいお布団もあります。日赤をはじめ大きな病院もあるので避難所としてはなかなか良いと思います。

私の県の農作物の一部にも出荷停止命令が出たし、テレビを見ては一喜一憂してますから他人事とは思えません。

 

 

 

 


3/21

2011年03月21日 | メイキング

俳優の辰巳琢郎が、東日本大地震で被災した宮城県石巻市の友人が訴えた命のメッセージを自身のオフィシャルブログに掲載し、いまだ救援が行き届かない被災地の現状を代弁した。

 辰巳は15日に「地獄…」と題したブログで、安否を心配していた石巻市の友人と衛星電話で会話したとつづり、被災地の実情を多くの人に伝えてほしいと頼まれた。そして、「死体がゴロゴロなんですから。避難所にいるのに、食糧がなく、子どもが餓死してるんですよ」とメディアでは大きく取り上げられていない現状を記している。

 この衝撃的な訴えを公開した辰巳だが、「友人のいる避難所に救いの手を…」と訴えるためだけにつづったのではない、間違えないでほしいと18日に更新したブログで語っている。辰巳がほかにも伝えたかったメッセージは、テレビで報道される内容の表面だけを見るのではなく、奥にあるものを考えるということ。「被災地のこれからのことを想像してください。長い長い支援が必要でしょうから、この出来事をしっかり心に刻みつけて欲しい」と辰巳は訴えている。

http://ameblo.jp/tatsumitakuro/entry-10831822328.html

ネットで見つけた記事ですが、大変な事態ですね。まさかさすがに子供が餓死してるとは思いませんでした。

地元の消防団が地元の新聞に寄せた記事には、瓦礫の中から遺体が見える、想像を絶する悲惨さ、と言うのは読んでいて、それはそうだろうとは思っていましたが。

 

 


近況3/21

2011年03月21日 | Weblog

国際原子力機関(IAEA)は19日、日本の原子力安全委員会が地方自治体を通じ、福島第1原発の半径20キロ圏内から避難する人に対し、被ばくによる健康被害を抑える安定ヨウ素剤の摂取を勧告していたと明らかにした。(3/16)

最初、ヨウ素剤配布に対して、国の指導でなく県とか市とかの判断で判断しちゃったんだ。→市民の要請が強かったとか新聞に書いてあったような気がするし、テレビで安全です、と言っても当然不安が強いのね。

と思っていたらIAEAの勧告があったとネットで読んでビックリ。両方の理由から配布に踏み切ったのでしょうか?

格納容器内の圧力が安定したとのことで安心しましたが、原発の近くの方の不安と言うのはなかなか拭えないのもですよね。

管理人の住む地域は風船を飛ばすと、福島県の方から「風船飛んできましたよ(^^)」と連絡貰うくらいですから「雨にあたりたくない」とか言う人もいます。

 

被災地からの距離によって温度差があるのは仕方がないですが…

 『4月1日告示の大阪府議選に立候補予定の自民党の
長田義明・府議会議長が、20日に行われた事務所開きで、
東日本巨大地震に触れ、「大阪にとって天の恵みと言うと言葉が悪いが、
本当にこの地震が起こってよかった」と発言していた・・・』

この人、人間の屑だと思いました。


近況

2011年03月20日 | Weblog

 

ご心配くださった閲覧者の皆様、拍手を下さった方々ありがとうございます。
誰かが気にかけてくれる、というのは本当に嬉しいですし、励みになりますね。コメントは名前のある方だけに返していますが、本当にありがたい気持ちで読ませていただいています。

東北、北関東などで通常の生活からかけ離れた生活を強いられている方々の苦難を思うと本当に心配ですし、早く一時的に移住してでも普通の、例えば温かな食事を食べ入浴が出来る生活をしていただきたいな、と思わずにはいられません。

管理人の地域では計画停電(今日、明日は停電なし)とガソリン不足くらいのものです。

特に車を使わなくてはならない状態ではないので、ガソリンスタンドに並んだりはしていませんが、聞くところによると長蛇の列でパトカーも出動しているらしいです。(それでも10リットル位のようです)

自転車で一時間30分位の隣の市に映画館があるので(閉じこもり生活で子供も飽きてくるので)行こうかな、と思ったのですが停電のためか休業中らしく断念。

 

今後どのくらい計画停電が続くのか分かりませんが、被災地の方を考えればこの位の不便さは、今まで便利すぎた側面もあるので一般家庭としては不服はありません(それが一日二回でも)。

ただナイターをやる、と聞いた時には耳を疑いました。あと「天罰発言」には驚愕。

 

ここのところ朝起きて「原発はどうなった?」とまず頭に浮かびましたが、落ちついてきましたしね。と、思ったら保安院の会見、格納容器の圧力上昇に伴い、弁を解放するとの事。と言う事は放射能物質の外部放出量が高くなる事ですね。

原発から200キロくらいは離れているので安心なのですが、原発事故に伴い、このあたりも放射能量も微量ながら増えているので影響自体はあるんだな、と。(人体に悪影響はなくても)

ただ再臨界はないと言う事なので自分の身の上に関しては安心しています。福島県は今後どうなってしまうのか心配です。原発の作業員の方々の勇気にはただただ敬服しています。

3~4度の余震が続いている上に、気象庁でも大きな地震の可能性もあると言っているので、それも心配ですね。こんなに余震が続くのは経験がありません。

 


近況

2011年03月18日 | Weblog

今回の東日本大震災には本当に驚きました。震災の被害をうけられた方には心からお見舞い申し上げます。

そしてWEB拍手やメールで管理人の事もご心配いただき、本当にありがとうございます。管理人は栃木県に在住なので震度は5度強で、家の中の壁が崩れたりしただけで被害は全くと言っていいほどありませんでした。

最初の揺れの時は急いでストーブを消して、外に飛び出ました。庭の見上げるほど大きな木も揺れていて、家も古い木造住宅なのでギシギシ音を立てて揺れていたので、「壊れるかも」とは思いました。

揺れが収まって家に入りました。でも、いつでも外に出られるように扉を大きく開けて、靴を履きっぱなしでテレビで情報を入手しましたが、4時くらいに突然停電が起きたので、ラジオを聞いていました。

主人が遠くに出掛けてなかなか連絡がつかず、心配しました。埼玉県の市役所に用事があって行っていたようなのですが、一度目の揺れが収まって、油断してエレヴェーターに乗り、一時間閉じ込められてました。四人閉じ込められて、内部からエレベーター管理会社に連絡がついて脱出できたのですが、乗っていた中年の女性は恐怖のあまり失禁したそうです。

市役所もパニックだったようです。帰宅に車で6時間くらいかかりました。

携帯、固定電話もなかなか繋がりませんでした。

子供は一時体育館に避難、揺れが収まってから帰宅してきましたが、電車通学の子はなかなか帰れなかったようです。

停電してしまったので、蝋燭を探そうと家じゅうの仏壇を探がしまわりました。夕食は蝋燭の明かりで、あるものを食べましたが、余震が怖くてなかなか石油ストーブもつけるのが怖かったです。

とにかく家族で一緒にいよう、すぐに外に出られるところにいようと、玄関近くの板の間の部屋に適当に布団を敷いて眠りました。床の上に薄い布団では身体が休まらないし、寒いですね。避難所の方達も本当にお辛いと思います。

その後は生活はほ正常に戻ったのですが、99歳の義祖母が13日に亡くなり、この混乱の最中に通夜、葬儀(自宅)で大忙しでした。葬儀の最中に千葉県で大きな地震があり、こちらでもかなり揺れました(でも続行)。

交通網の混乱の中親戚は来るし、葬儀屋さんは来るし、その間余震は3度位のものが一日に何度も来る上に、福島原発の大事故で、テレビにくぎ付けでした。

福島県はすぐ近くですし、とにかく心配です。今のところ自衛隊と警察の高圧放水車での作業によって、どうにか原子炉に水が多少は届いたようなのですが、これで収束したわけではないので常にテレビ、ラジオで情報を入手しています。

栃木県でも南部なので、放射能の心配はないのですが、一応洗濯物は室内で干しています。昨日山の上の墓地に行かねばならず、帽子・手袋・マスクで出掛けたのですが、町の様子はそこまで慎重ではないようでした。公立の小中学校も普通に授業を行っているので、子供達は普通の姿にランドセルで登校していました。でも高校は休校しています。

生活面では、店頭からカップヌードル、インスタント食品、米などはなくなってしまいました。果物や肉、魚はちゃんとあります。でも心配で保存のきく食料を多少買い込んでしまいました。

ガソリンは一度なくなりかけて入れに行ったのですが(12日)、道路まで車が群がっていて、待っている間にガス欠になりそうで給油は諦めました。なので買い物は自転車で行ってます。

今日18日でもガソリンスタンドは給油が難しく、家に来てくれるクリーニング屋さんに聞いたところ、2時間待って給油しているとの事です。(待ってる間はエンジンを切ってる)

 

住んでいる市では福島県から避難してきた方々を500人程度受け入れる予定だそうです。(今は100人くらい到着)どうにかここまで辿り着いたそうですが、もうガソリンがないそうです。個人的に逃げてきて、県北の那須辺りで避難場所を案内されているみたいですね。
台所付きの町内会館みたいなのは結構あるのですが、まず最初は台所付き、畳があって、お風呂のある施設から入ってもらっているようです。

市の消防団は東北の被災現場で救助活動をしているのですが想像を絶する凄惨な現場だそうです。お茶の間に流す映像はショキングなものはある程度抜かしているでしょうね。

道路が分断されていなければ、物資も運べるし、避難所の方達の一時移住も可能になるのに、と歯がゆい限りです。それもガソリンがあって可能ですが。

 

計画停電も実施されてます。毎日3時間程度、明日は予定では3~8時間(時間は決まってますが、その時にならないと分からない部分があります。→実施するか、一回か二回か)。停電になってもストーブの明かりや、蝋燭があるので困った事にはなってません。節電は心がけています。市内のTUTAY●みたいなレンタルビデオショップに自転車で行ったのですが、店内も薄暗く、BGMもかかっていませんでした。お店はみんな節電してます。

この記事を書いているのは栃木県南部で、子供も大きく、石油ストーブもあり、スーパーも近いので恵まれています。

被災地の方は本当にお辛い思いをしているだろうな、と胸は痛みます。

 

心配してくださった方々本当にありがとうございます。また、以前アメリカの女の子をホームステイさせた事があったのですが、メールの中にその子からのものもあり、驚くとともに、嬉しくなりました。

今回の未曾有の災害に対しての世界の国々からの支援、励ましも本当に有難いことだなあ、と感激しています。

なんだかまとまりがない記事なのですがお許しください。

 

 

 


欲しい物

2011年03月10日 | Weblog

 

カスタマーレヴューコピペ

当時の歩兵聯隊は大隊ごとに独立して行動したが、1個中隊が約100人余りと小規模で、それが9個中隊あり、横隊を組んで鼓笛に合わせ堂々と前進して敵前約300メーターの有効射程距離に至ると、連続して斉射を加え、しかる後に銃剣突撃に移った。遠くから見ると赤の制服の隊列が横に伸びた長い線となって見えるので、thin red line(細い赤い線)と称されて、敵に恐れられたのはご承知の事と思う。
ところが、その列外にウロウロする雑兵がいて、それが適当に各個射撃をしては駈足で遊動する、これが軽歩兵中隊と云われる狙撃兵であり、聯隊の射撃の名手を選抜して編成し、銃も滑空銃(マスケット)ではなく、狙撃能力に優れた施条銃(ライフル)で、敵の将校などを適宜射殺し、さらに敵の同様な軽歩兵を迎撃してこれを撃退するのが任務であった。その軽歩兵をまとめてひとつの聯隊にしたのが、このシャープ・シリーズに出てくるライフル兵で、制服も暗緑色、行進も駈足という機動兵力。
シャープは下士官から戦時特別任官した将校で、当時の英国陸軍は買官制度であったから、異色の存在、これが非エリートの視聴者の同感と支持を生んで、成功したシリーズとなった由縁だろう。海軍小説にも非貴族や水兵から成り上がった艦長の出世物語が幾つか人気を博しており、さしずめ我が国の太閤物語と云える。そういう観点から見れば興味深いストーリーであり、時代考証もしっかりしているので、軍事史研究に必見のDVDである。

 

ちょっとお高いので来月買えたら買いたいです(^^)似たようなテレビドラマで「ホーンブロワー 海の勇者」というのもあるようですね。