【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー」

2011-08-10 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

ゴダールとトリュフォーを中心にヌーヴェルヴァーグの軌跡を追ったドキュメンタリー映画。
最初は同じ仲間として行動していたのに、いつの間にか考え方にずれができて袂を分かつことになる。
音楽の世界でも何の世界でもよくある話だ。
天才ゴダールとトリュフォーにしても免れ得なかったっていうことね。
後年の二人の映画を観ると、水と油くらい違うもんな。
トリュフォーの「アメリカの夜」を観てゴダールが怒り心頭に達していたなんて知らなかったわ。
トリュフォーの映画としては、映画製作の内幕を描いた映画として興味深かったくらいの印象しかないのに、案外重要な映画だったんだな。
あれはもう、ヌーベルヴァーグっていうよりジャンルとしては既成の映画に近かったからかもしれないわね。
どこまでをヌーヴェルヴァーグっていうのか知らないけど、トリュフォーの後年の映画は斬新というより老練な映画が多かった。
でも、このドキュメンタリー映画で斬新な発見はそれくらいかな。
ヌーヴェルヴァーグの入門篇といった趣の映画だからな。
一本のドキュメンタリー映画として観ると、いままで撮られた映像の再構成が多いから、映画を通して人やものごとが変化していくスリリングさは期待できないんだけど、“ヌーベルヴァーグって何?”と思う段階の人が観ると、わかりやすく解説してくれていていいかもしれない。
カンヌの狂騒やヌーベルヴァーグにおける俳優ジャン・ピエール・レオの存在とかな。
同じ人物を演じ続けてきた果ての悩み。
ハリー・ポッターシリーズにおけるダニエル・ラドクリフみたいなもんだな。
・・・あなた、例えが最近、微妙にずれてるわよ。
そうかな。
そうよ、ずれてる。
じゃあ、俺たちはもう同じ仲間として行動できないってことか。ゴダールとトリュフォーみたいに。
だから、そういう例え方がずれてるって言ってるの!


「モールス」

2011-08-09 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

スウェーデン映画「ぼくのエリ 200歳の少女」をマット・リーヴス監督がリメークしたアメリカ映画。
オリジナルは、バンパイアものなのに冷やかな感触がいかにも北欧って感じで、主演の少年少女も透き通るような切なさを湛えていて、拾い物だった。
でも、それだけに、とっつきにくいというか、こちらを拒否しかねないところがあった。
そこを補ったのが、今回のリメーク。
角のとんがった映画に少し丸味を帯びさせたっていう印象ね。
だけど、海外の映画をハリウッドでリメークすると、だいたい肝腎なポイントをスルーして、オリジナルとは比べようもない凡作になってしまうことが多い。
「インファナル・アフェア」をリメークした「ディパーテッド」とかね。
オリジナルにあった哀感がすっぽり抜け落ちていたもんな。
そう言う意味で、「モールス」も単なる見世物映画に堕していたら嫌だなあと思ったんだけど。
出だしは、ちょっと騒々しくてそんな危険も感じたけど、全篇通して観ると、「ぼくのエリ 200歳の少女」が持っていた静謐な悲劇のトーンは、きちんと残っていた。
大胆に言えば「お熱いのがお好き」と同じで、“好きな人が女でなくても愛せるか”っていうお話しなんだけどね。
「誰にもひとつやふたつ、欠点はある」って?それを言っちゃあ、身もふたもないだろう。もっと、純粋に胸に沁みる映画なんだから。
キック・アス」のクロエ・グレース・モレッツが、あの映画とは打って変わって、寡黙な少女をミステリアスに演じている。
彼女が活躍する暴力シーンもあるんだけど、まったく違った意味合いだからな。
でも、あの暴力シーンはもうちょっと抑えてほしかったな。ちょっとマンガっぽくて、せっかくのムードを壊しちゃう。
今回はむしろ、彼女が見せる悲しげな表情に注目ってところか。芦田愛菜ばりの演技だ。
ちょっと違うと思うけど・・・。
ラスト近くのプールのシーン、彼女の表情を切り返しで写すのかと思ったらそれはなかった。
演出に品があるってことよ。観客に想像の余地を与える。近頃のアメリカ映画にしては珍しい奥ゆかしさ。
あのときの彼女の表情が観てみたかったなあという気持ちもあるけど、確かにかえって押しつけがましくなってしまったかもしれないな。
原題は「LET ME IN」。最初はなんだか工夫のないタイトルだなと思ったけど、映画を観終わってみると、このタイトルの意味が切なく心に響いてくる。
日本題名の「モールス」は原作のタイトル。
あ、そうなんだ。「LET ME IN」じゃどうにも和訳のしようがないから、日本の配給会社が苦肉の策でつけたタイトルかと思っていた。
これはこれで、映画の内容を表わすタイトルではある。
雪のシーンが多いから、この夏、避暑にもぴったりかもね。
この映画を観るために家を留守にするってことか。
そこに誰かがやってきたとき見せる反応は?
もう、るす?
はい、おあとがよろしいようで。


「SUPER8/スーパーエイト」

2011-08-05 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

嫌いじゃないよ。
それが感想?
アメリカの田舎町に得体の知れない生物が現れて、少年少女たちが活躍する・・・そんな映画なんて、新味も何もない。これ以上、何を言うことがある?
だけど、嫌いじゃないんでしょ。監督がJ・J・エイブラムスだから?
J・J・エイブラムスなんて、彼が製作した「クローバーフィールド/HAKAISHA」しか観てないよ。
じゃあ、この映画、製作がスティーブン・スピルバーグだから?
まあ、この映画を観りゃあ、誰だって、スピルバーグ映画だと思うよな。70年代から80年代のスピルバーグ映画。以上、終わり。
それじゃあ、何を気に入ってるんだかわからないって。
どこかで観たような映画なんだけどさ、それがなんだか無性に懐かしいんだよ。
どこかで観たような感じだけで作っているっていうのが凄いところなのかも知れないわね。
少年の顔のアップの切り取り方とか、空を見上げるシルエットとか、お父さんと子どもの関係とか、あの頃、何度、目にした光景かわからない。
あの頃って?
「E.T」とか「未知との遭遇」とか、あのあたりの映画の感触。
スピルバーグだけじゃなくて、あの頃彼に影響されたアメリカSF映画って、大小問わず、みんなこんな感じだったもんね。
得体の知れない生物の造型。あれも、あの頃はあんな感じだった。
その後も実は同じような趣の映画が続々つくられているけど、ここまであの頃の映画の感触を残している映画はないかもしれない。
こういう種類の映画の力をナイーブに信じていた時代。
この映画というより、こういう映画があったという映画史的な興奮を覚えるのかもしれないわね。
お、たまにはいいこと言うねえ。一本の映画として傑作かどうかということではなく、ひとつの時代の記憶を包括している映画だってことかもしれない。
いまは遠い過去だけどね。
ああ、いまはなきスーパーエイトみたいにな。