【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「南極料理人」:大島一丁目バス停付近の会話

2009-08-22 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

ハトにエサをやるのはまずいかもしれないけど、南極観測隊にはエサをやらないとな。
エサ?お国のために極地でがんばっている人たちにエサとは失礼でしょ。
あ、これは失言。でも、「南極料理人」に出てくる観測隊員は、探検家というより、我々と変わらない、ごく一般の男たちに見える。
たしかに、みんな自動車会社とか通信会社とかから派遣された、ただのサラリーマンだもんね。
そういった混成部隊の南極での日常を、専属コックの視点からユーモラスに描いたのが沖田修一監督の「南極料理人」。
堺雅人演じるコック自身、いやいや南極に派遣されてる。
娘の抜けた乳歯をお守り代わりにしてな。
高良健吾扮する、大学院から派遣された青年なんて、高い電話で一生懸命恋人と会話を交わすものの、結局ふられてしまう。
あれは、心の旅だな。
心の旅?
ああ、チューリップの“心の旅”。 遠く離れてしまえば愛は終わるといった  ってな。
そして、一番近くにいた女性と恋に落ちる。
恋愛に距離は大事だってことだ。
でも、南極で一番近くにいる女性っていったって、実際には相当離れていることには変わりないわよ。
いいんだ。俺は心の旅の話をしているんだ。
よくわからないけど、南極観測は心の旅なのね。
堺雅人も最後に呟いている、「僕は本当に南極に行ったんだろうか」って。長くて遠い心の旅をしていたってことだ。
その割に何かを学んだとか成長したとかっていう話でもないけどね。日本に戻ってくれば、また日本の日常が始まるだけ。
過酷な状況に置かれた人間たちがどう変わっていうか、っていう視点よりは、南極での日常生活を淡々と描くほうに力点を置いているからな。
人間ドラマではなく、生活の点描に軸足がある。そこがいいんじゃない?
そこが今風でもあり、ちょっと物足りないところでもある。
もっと濃密な人間ドラマを期待していた?
いや、そんなことはないけど、あれだけ隔離された場所なんだから、人間の本質がぬめっと現れる場面があってもよかったんじゃないか。
ラーメンが底をついて隊長がパニックになるシーンなんてそれに近いんじゃないの?
でも、それを深く掘り下げるわけでもなく、一エピソードとして扱っている。
そうは言うけど、南極を極限状況としてとらえ、その中に人間の本質をあぶりだそうとした韓国映画の「南極日誌」は、みごとに失敗に終わっているわよ。
ああ、あれは、ホラーだかなんだか、スタッフ自身が南極の白い世界の前に混乱しちゃった壮大な失敗作だった。
それに比べれば、「南極料理人」はスケールは小さいものの、結局、人は食べることが第一なんだという、誰もが食いつきやすい視点から入っているから、観ていて共感を覚える。
うん、少なくともラーメンが食いたい気分にはなった。
そうそう、ラストシーンはやっぱりラーメンで締めてほしかったな。
隊長の名前は小池さんにしてほしかったな。
そんなことしたら、あなたの期待する人間ドラマとはますます遠く離れてしまうけど。
 遠く離れてしまえば愛は終わるといった  
この人、混乱してる・・・。




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ふたりが乗ったのは、都バス<亀29系統>
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