突然目の前に出現した、俄かには分からない「もの」に驚いた。タイトルには「七面鳥」とある。それが今まさに六曲一双の屏風の上を、体を膨らませたりデフォルメさせながらコロコロと動いているようで、見る者もその動きとともに余白のうちに巻き込んでしまいそうだ。一般の絵の概念、それも流派に分かれ、チマチマとした約束事に縛られた日本画という狭量なカテゴリーなど、吹っ飛んでしまうような、命あるもの実相をまさに写し取ってダイナミックな存在感がある。これを見られただけでこの展示会に来た甲斐があったと思った。
平福百穂というと、どのような作品を描いた作家なのか皆目知らなかった。角館にありながら中央画壇でも大家として業績を残した経歴から、地元を中心に過大評価されているのではとも思っていた。展示会の案内チラシの代表作とされる小さな作品写真からは、やはり表面的な美しさを基準にした日本画のステレオタイプの静力学を抜け切れていない印象で、正直あまり期待はしていなかった。それが入り口近くで16歳のとき描いた「武尊誅梟帥図」を見て、いやこれは違うかもしれないと思った。当時の美術雑誌「繪畫叢誌」に「筆力勁健なり」とまで評されたとあったが、少年期にして既成の枠を突き破って魂から迸る力があった。
平福百穂の父、穂庵も東京の中央画壇で活躍した画家であったが、13歳の時に早世している。手持ちの資料から作例(「乳虎」)を見たが、不思議な深みを持った絵だ。自然の実相を写そうとするDNAがすでにここにあるように思う。この父から百穂はほんのひと時だが、絵の手ほどきを受けたという。才能を認めた父のパトロンの援助もあって、上京。円山派の分派、川端玉章の内弟子に入り、次いで東京美術学校日本画科選科にも通った。そこには当時は岡倉天心を校長として、その理想を体現しようとする日本画革新の流れがあった。
その模範的な具現者として菱田春草があげられると思うが、その傑作と呼ばれる絵を見ても、それを実現した非凡なテクニックや才能には感心するが、計算通り一部の隙もなく完璧に仕上げられた、結局は学校や公募展に受けの良い綺麗な、文字通り「絵空事」のような絵に見えて好みではない。むしろ、期待に応えようと日夜精進し命を縮めた人生に、天心というカリスマ、強烈なイデオローグに振り回された無惨さを思う。
百穂は、大見得を切って進められるような、この主流の動きには馴染めなかったようだ。画家の本能は、観念から入って完成された綺麗な日本画を描くことに抗っていた。友人に「自然のままを描くのが本当の絵だ」と語っている。そこから、小坂象堂の日常の生活風景を描いた「養鶏」に感銘を受け、自然主義を標榜する无声会に加わり、写生の追求を始めた。入学した東京美術学校西洋画科では洋画デッサンを経験し、着実に写生手法の幅を広げて行った。
日本画の画材にはなかった市井の働く人々を描いて、雑誌や新聞の挿絵の仕事を求められるようにもなった。当然、自分の思う絵を描いていくための経済的な裏付けを得る、というリアリスティックな計算もあったであろう。「國民新聞」に入社して描いた帝国議会の挿絵は、江戸の近代人渡辺崋山ばりの写実で、線の運動の中から自然に対象の性格が浮かび上がり、ユーモアさえ滲み出て来て、世間の評判もよかった。
一方で、文展にも繰り返し出品を続けた。「アイヌ」「木槿の頃」「桑摘み」などの出品作品を見ると、入選を狙って企むことなく、探求している写実の姿を素直に見せていて、いづれも清々しい印象を持つ。先の「七面鳥」は、大正3年(1914)、第8回文展に出品した作品で、三等となった。墨のにじみを活かした「たらし込み」技法が用いられている。「たらし込み」は琳派の手法とされ、カタログでは同時代の琳派再評価の機運に触れるが、その不思議な「粗々しさ」(斎藤茂吉)から滲み出た精神性は、光琳より宗達に近いところを志向していると思う。
この後、新南画に取り組むようになるが、百穂は蕪村の絵画を評して「筆墨の形式にとらわれず直ちに自分のかき表わそうというものをつかまえている。即ち直接性がある」と書いている。写実主義と言っても主観から独立して物を捉えることは不可能だ。百穂の方法は、対象の概念化が始まる前に、感覚や心に捕らえられた「もの」の存在感、生命感をどう定着させるかというところから来ている。自ら「直接性」と言い、また「放脱的」と評されるのは、この故であろう。そこに、近代の絵画が失ってしまった、雪舟や仙厓の古画を産み出した精神への強い憧れを見る。
しかし、百穂の庶民の生活を描いた写実画や欧州旅行のスケッチは、欧米の画家が描いたと言ってもおかしくないモダンな感覚に富む。夏目漱石が「七面鳥」を賞賛したという話は興味深いが、他に優った近代精神を持ちながら、そのことに批判的なアンビバレンツを生きた二人に、ジャンルを超えた共通性を思う。百穂については、続けて書く予定。
(写真は「牛」(六曲一双)。「七面鳥」の写真は、著作権で厳しく保護されているようで入れられなかった。展示会では個人蔵の表記すらなくて、どこにどう保存されているのだろう。)
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