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美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

青野文昭 ものの,ねむり,越路山,こえ 11/2~1/12 主催 せんだいメディアテーク

2019-11-06 11:48:16 | レビュー/感想

2011年3月11日、巨大な何かが、たくさんの生命を呑み込んで通り抜けていった。記憶という名の霊となって物質に張り付いているそれらの痕跡を、仙台の卓越したアースダイバー、青野文昭さんのアンテナが捉え、掘り起こし再生し、見事に視覚化している。あの出来事への美術家からの初めての深く内的な反応だと思う。古くから霊が越える場所だった八木山越路(「こえじ」は、仙台市南面の住宅地となっている。伊達政宗も、江戸、東京と同じく、近世に仙臺を造るとき、霊的な設計をした)から、今も見えざるものたちは、ついにはクルマとスマフォだけが残ったように見える、プラスチック都市の未明の暗闇にもボウボウと吹き下ろしてきている。いや、近代人の眠りを揺さぶる常人を超えた力仕事にびっくり。今年二番目の収穫。一番目はウチでやった野中&村山展😅 この作品の背景として次のささやかな経験を追加で書き留めて置く。震災の翌々日、車で妻と海辺へと向かった。高速道路の下を通るトンネルを抜けると、見慣れた風景は一変して、うず高く積まれた瓦礫の山が延々と続いていた。夢のようだった。かろうじて一台取れるぐらいの道を農家の人の軽トラだろうか、被災した住居との間をただオロオロと行き来していた。その切迫した様を見ながら、黒沢明初のカラー映画「どですかでん」で六ちゃんがゴミの山の間で電車ごっこしているシーンを思い浮かべている、変な自分がいた。信じ頼っている合理性に基づいて作られた文明も、実は一瞬のうちに崩壊する不条理な、しかしあまりにもリアルだから、むしろ夢のような現実の唐突な出現。この展示は、その時の目と心を蘇らせる。一人の美術家を通して、様々な生活の痕跡とともに再生された「霊」の宿る街。これがわれわれの住む街の真実の姿かもしれない。1月までやっているようだから、ぜひ遠方の方も来仙の際は立ち寄ってほしい。


青野文昭インタビュー


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ストラスブール美術館展 9/13~11/4 宮城県美術館

2019-10-20 17:51:58 | レビュー/感想

40年以上前、学生時代に譲られて、パラパラと写真を見てつまみ食い的には読んでいたが、ほとんど積ん読になっていた美術本を、ここ3、4日で今度は付箋を付けつつ読了した。その本の名前は「中心の喪失」(ハンス・ゼドルマイヤー)。ここでゼドルマイヤーは、近代絵画から現代絵画への歴史を、絵画が様式を通して神への信仰を表していた時代が解体された後に出現した、ネガテイブな中心の喪失過程として著述し、そこで生み出された作品を、いわば病気の症例として提示している。


読了後間を置かず行ったせいもあるが、ストラスブール美術館展には、この本が説くところをより説得的に感じさせるものがあった。多くは流行に乗り遅れまいとしつつ、オリジナリティーを狙った自己顕示的表現になっていく。そういう作品は、他と表層的に違っていたり、技術的に習熟はしても、時代とともに影が薄くなり、今や公的な美術館の収録対象になる歴史的な意味しか持たなくなっている。しかし、この劣化の時代にも美の奥殿に到達する天才はいた。いやこの数少ない天才的個人がいることが、近代絵画の唯一の「中心」であるのだろうと思った。しかし、それは人類の喪失を身に受けた痛みの表現とならざる得ない。そして、そこには社会の無理解による悲劇や不幸が必ずつきまとう。


さて、入口近くには印象派に影響を与えたコローやバルビゾン派の作品が並ぶ。意外だったのは、のどかな自然観に基づき、牧歌的な風景ばかり描いていると思っていたコローが、建築物を主題に据えて、造形性を追求していることだ。当たり前のことだが、病んではいないが彼も近代人であったのだ。この時代の写実絵画に見られる対象への無私な姿勢は、やがて技法のユニークさを誇るようになっていく。若い時に引かれたカリエールも、今見れば写真のソフトフォーカス手法のようであり、ゼーバッハの一連の肖像画は、明らかに時代の寵児ホイッスラーのクールさを薄めた二番煎じのようだ。そしてマチスの真似、色と形のデザイン技術に堕してしまった抽象画の数々。流行の枠の中での表層的な差異による競い合い。教科書のように頭で描いた絵。


好き嫌いという次元を超えて、目を引いたのは、ゴーギャン、ロダン、シャガール、ブラマンク、カンディンスキー、ピカソ、そしてモネ。ゴーギャンは、強烈な個性と真にオリジナルなものを作り出そうと格闘した思いの深さ、すなわち「絶望的に自分自身であろうとした」者の苦悩が伝わってくる。あのゴッホとぶつかるのは当然、と思う。ロダンは、デッサンの段階から非凡な立体の姿が見える。デッサン自体に、天才的個性が刻印されている。シャガールはこれまでピンとこなかった画家なのだが、その魅力が初めて分かった。特にエッチングの作品。線刻のタッチには喜びの中で心が踊っているシャガールがいる。


ここではブラマンクは、どことなく理屈っぽくしかつめらしい印象の、ブラックに優っている。飾られた2作品どちらも素晴らしいが、とりわけ「午後の風景」のブルー。奇跡的なブラシタッチと色彩のコンビネーション。言葉がない。カンディンスキーの「冷たい隔たり」は、娘から教えられて、その良さが遅れて分かった。まず抽象の理論家として見てしまう先入見が鑑賞を邪魔していたが、ここには魅力的な赤のバックに染み込んだ彼の内奥の魂の音楽が鳴っている。


ピカソは強い。圧倒的に強い。しかし、家に置きたくない絵だ。破壊してやまない不気味な何かが最後の雄叫びをあげている。そして、自分の中で今回の展覧会の頂点は、やはりモネの絵だ。前に立つとそよ風やラベンダーの香りまで漂ってきて、そのまま草原の中に入っていけそうに思う。これは視覚だけではない、五感を総動員して描かれた絵に違いない。しかし、五感で感じたことすべてが、音楽家が音符に置き換えて行くように、タッチと色彩に置き換えられ得るものだろうか。これはテクニックなどと言うものではない。まさしく、近代にあっても、「中心を失わない」幸福な天才がここにいる。


 



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純粋な「絵心」の共有を喜ぶ。(野中光正氏のミックスドメディア作品、最近作の展示から。)

2019-09-28 12:24:04 | レビュー/感想

おそらく15年以上にはなるだろうとはご本人の弁ですが、野中さんは、何事もなければ月曜から金曜までの毎日、朝の9時から12時まで3時間の間に、1枚の作品を仕上げるのを日課にしています。今回の展示会では、そうして積み上がったここ2、3年の作品の中から、私がピックアップしたものを時系列に従って並べて見ましたが、彼の内部で生起する出来事および事実がより一層鮮明に感じられるようになりました。過去から現在まで、一作家の濃密な「今」の連続を一気に眺めわたすことができる、企画者であり鑑賞者であるがゆえの特権と喜びを同時に味わうことができました。

彼にはシュルレアリストのように内奥の自我を探ろうという、あるいは、西洋の抽象画のように、概念的な思考のレベル、シンボリックな形而上的世界へと探求を進めようという意図もありません。むしろ、最初にそういう作為的な意図があることを、創作の喜びを疎外するものとして、彼は嫌うのです。日々移り変わる、天候や自己の感情も含めた自然から触発される、カント的に言えば、感覚を元にした悟性の揺らめきが正直に描かれていると言って良いかもしれません。二次元的フレームの中で、絵画表現のミニマムな要素を用いてなされた、一種の化学実験を日々たんたんと続けてきたのです。

かたちもない世界の中では、美的ベクトルだけが、唯一の指標となリます。人間のうちにこんな判断力が備わっていること自体が、非常に不思議なことだと思わされます。50年以上にわたる修練がブラシや木版画の手法を自在にして、彼にしかできない内発的な表現を可能にしています。漠然と今日はこの色を使いたいというような初動的意図はあります。そして思った色が最初に置けたならば、作品は完成の道を歩み始めています。

しかし、そうした最低限の意図さえなく、自分ではわからないままに勝手に手が動いて作品が出来上がってしまったというときがあると、彼は言います。今回選んだ作品の中には、そういう外部からの働き(そういうものがあると信じています)があって生まれた作品が一点あります。上の作品がそうです。ここに美しいというより、幻妖な気配を感じるのは、なんの故なのでしょうか?

煎じ詰めれば、「絵心」がある絵という時の、本質的で純粋な姿を、日々探求し続けるための、最もシンプルな、どこにもない形が彼の「抽象」なのだと思います。長い間の経験を通して培った技術も、観念的作為的な「偽物」を成り立たせるためではなく、全面的にそこへと奉仕させるために用いられています。その意味で彼の抽象は、見る者にも純粋な「絵心」の所在を常に問いかけ、同じ喜びを共有することを求め続けています。

「過去はすでに存在しない。未来はまだやって来てない。あるのはただ現在だけである。人間の霊魂の自由な神的根源の本質が発現されるのは、現在においてだけである。」(トルストイ)

野中光正展開催中!  東京・関東方面にお住いの方はぜひご覧ください。
10/19((土)〜28((月) ギャラリー枝香庵 東京都中央区銀座3-3-12銀座ビルディング8F 03-3567-8110


野中光正作品集






野中光正&村山耕二展 9/20(金)〜28(土)

2019-09-13 11:29:51 | レビュー/感想
この二人のコンビでの展示は、今年で何回目になるだろうか。野中さんの展示はもっと長く10年以上になると思う。野中さんの展示を続けているのは、一人の作家の具体的な作品を通して、「抽象とは何か」ということを、今まで観念的に展開されてきた知識や既成の理論の受け売りに基づかず、自分で感じ考え続けて行くためである。言葉を変えれば、画家にはある必然性を持ってなされている行為の意味を画家ではない私が知りたいという願望に基づく。その自分の側の勝手な要求に、野中さんは作品を持って応答してくださる力量を十分にお持ちの作家であった。自分自身の覚書の意味もあって、以下にこれまでの自分が関わった展示に際してのコメントをまとめてみた。

まずは身近に迫った展示会の案内から
●野中光正&村山耕二展 2019.9.20~28
確かに確かにモノと心がぶつかり合い、 作家の手が動いた至福の瞬間があった。 いま、見る者を、魂に映った命の鳴動と 音楽的運動の出来事、美の世界へ誘う。『ミックストメディア(木版)』と『ガラス作品』の 絶妙なコラボレーションを再び。

●野中光正展 2019.2.1〜10 ギャラリーアビアント 墨田区吾妻橋1-23-30-101

1971年、当時西新宿に超高層ビル群を次々出現させつつあった、急激な社会変化の波は、戦後の強烈な生活の匂いが漂よう下町の風景をも、かろうじて余命を保っていた江戸の面影もろともに、一気に消し去ろうとしていた。
同じ頃、野中が描いた東京下町の姿は、まるで幻の生き物のようで、建物は喘ぎ揺らいで見える。ためらいのない筆の運びで、大胆に省略が施された風景描写は、一瞬の若い魂のエッセンスと陰影を映しつつ、誰もが逃れ得ない無常の真実を浮き上がらせている。
これらの風景が、包装紙やレコードの宣伝帯、薬の袋、書店の注文票など、生活の中で出会う雑紙の切れっ端に描かれているのに驚きつつ、一層の興味を引かれる。現場にそれら多様な肌合い、色合いの紙を持参して、その場で風景にふさわしい材料を選んで描く。その独特な手法に心に働きかけてくるものに即応しようとする純粋な意志を感じる。スケッチブックを用いることが、構えて「絵」を作り上げてしまう小賢しさにつながる。そのことを強く厭う気持ちがあったのだろう。
後年、写実を離れ、画室において独自の「抽象」を描くようになっても、この製作流儀は根本的に変わらない。「絵を描くことに具象も抽象もない」という日頃の彼の言葉に、改めて得心が行った。

以上は来年1月発刊を予定されている野中光正の若き日の東京下町の風景素描集に寄せた序文である。

関連して時代はもう少し後になるが、1974年の自分自身の記憶を記しておこう。この年の夏、わたしは東京を去ることになり、何か用事があってのことなのか今や判然としないのだが、久しぶりに新宿の西口に降り立った。そこで見たものはかつての風景ではなかった。空を映して広がっているはずののどかな浄水場(淀橋浄水場)の風景は跡形もなく消え去り、広い道路とそそり立つ高層ビル群の重なりがかつての風景をいっぺんさせていた。そこには今も加速される一方の近未来的な風景が出現していたのだ。政治と情念の季節を葬り去った、そのあけっら感として明る過ぎる風景の前で、浦島太郎のように唖然とするばかりの自分がいたことを今も思い出す。

●野中光正&村山耕二展 生成と変容 2018.9/21〜26 東北工業大学ロビー

少しでも多くの方に見てもらいたい、との思いで、今回は皆さんにも立ち寄りやすい一番町の東北工業大学ギャラリーで以下展示を企画いたしました。野中さんについては人物と画家としての生き方も含めて惚れ込んで10年近く毎年のように展示会を開いています。少しでも流行や西洋の借り物ではない彼独自の抽象を理解し評価してくれる人が増えてほしいと願っています。村山さんとも付き合いが長いですが、そのオリジナルを作り出す勇気とユニークな才能にはいつも感服させられています。

1970年、20歳前後、野中は東京下町の風景を憑かれたように描いた時期があった。この今なお見る者に迫ってくるリアリティの質は、30歳前後から手がける版画の技法を駆使した「抽象」(ミクストメディア)においても変わらない。野中が自分にとって「具象」と「抽象」の区別はない、と言うこととも繋がるところだ。野中の「抽象」とは、絵画史の紋切型と化した1ジャンルではなく、心と魂の旋律を純粋状態で記述するための、彼なりのぎりぎりの本質還元への手法なのだ。顔料、ブラシ、馬連、定規、布、版木、そして門出和紙。最良の音楽家が楽器を綿密に吟味、調整するに似て、これら道具は身体に馴染むものとして、ときには自作される。何十年も日々淡々と制作を続けてきた。そのうちに、意識的営為を超え、手が滑らかに動き出し、作品が自ずから生まれていく「生成」の奇跡にも遭遇する。制作日だけを記す彼の作品は、作品がついには「名づけ得ぬもの」としてしか成立し難い、こういう事情を物語っている。

地球内部で起こっている生成と衰滅。その見えざるメタモルフォーゼを可視化する作業。砂に命を吹き込むガラス作家村山の営為は魅惑的な色とかたちの日用の器を生み出してきたが、一方で彼のうちには、太古に錬金術師が抱いた夢を思わせるより原理的な志向があった。それが炉から取り出したばかりの溶けたガラスに石を入れるという無謀な試みをも唐突に誘発させたのだろう。石は彼の手の内で爆発の危険を帯びながらも、水を注ぎ入れた瞬間、まるで生命ある物質であるかのように変容を開始したのである。それは彼にしか分からない驚きの瞬間であった。錬金術には2つの方向がある。1つは世界を追創造し、至高の価値「黄金」を作ろうとする道、自然科学の先行者となった道である。そしてもう1つは究極の奇跡「賢者の石」を極める道、人間自身の変身と変容の道である。この2つは芸術と言われる営為の本質を言い当ててはいないか。彼のうちにこの2つの芽がどのように内包され、花開いていくかこれからも注目して行きたい。

●野中光正&村山耕二展  2018.6/14〜23 杜の未来舎ぎゃらりい

創るもの、生まれるもの。このふたつがうまくミックスされ、バランスされたところに作品が生まれる。創り込みすぎてもだめ、生まれたままでもだめ。作品として成り立つには、分かたれないひとつのもの=美として成立していなければならない。このふたつを絶妙にバランスさせるものは何か。神というか、自然というか、それは人間の知恵においては、永遠の謎なのだが、作家のモチベーションの大元にあるのものに違いない。個性も年齢も出自もすべてが違うふたりが年に一度の展示会で出会い続けられるとしたら、この共通点においてだと思っている。

村山の作品は、日本からモロッコまで、世界を巡る幅広い行動力から生まれてきている。無辺の大地から抽出されたエキスが感界で捉えられ、美とつながる野生の思考に育まれ、手の内でいのちあるかたちとなって吹き出している姿を見る感動。もちろんこの錬金的変容は稀有な個性のうちだけでは生まれない。真っ先に砂や炎や光や自然の計り知れない力、そして同じ魂を持って器を日常に引き入れてくれる人々、このふたつの強力な坩堝を持つ作家の幸せ。

野中の立体作品には、地方人には真似のできない、東京下町浅草の生活に根づいた昭和モダニズムと、彼の中核にある部分、戦時中、中島飛行機の部品を作る町工場主であったという、父のDNAを受け継ぐ堅固な職人魂が見て取れる。綿密に構築する美的設計がないと、彼の「零戦」は飛翔しない。一方、従来の平面作品(木版画モノタイプ・ミックストメディア)が繊細な調和を見せるのは、それが音楽のように軽やかに優雅に舞い降りた瞬間であったのだろう。このふたつの美を成り立たせる複合的な人格の不思議さ。

●野中光正・村山耕二展  2017.4/22~30  ギャラリー絵屋 この作品展は6/5〜18杜の未来舎ぎゃらりいでも開催

新潟の町屋を再生した趣あるギャラリー「絵屋」での「野中光正・村山耕二展」。3年前初めて2人の展示会を「絵屋」代表の大倉宏さんに持ちかけた経緯もあって、私もラスト2日間会場に赴いた。今回も2人の作品が出会って心地よい協和音を奏でていた。
絵(木版を用いた混合技法)とガラスとジャンルは違うが、2人には似通った点がある。野中は、自らの創作に毎日午前中の同じ時間に始めその日のうちに終えるリズムを課している。それは日記を書くのと同じようなものだから、タイトル代わりにそっけなく日付が入っているのみだ。一方の村山の創作は、野中と違って物理的な制約に基づくものだが、炉から取り出した高熱で溶けたガラスが固まるまでの時間に限られている。
2人とも油絵や陶芸のようにかたちや色をいつまでも持て遊ぶことを避けた、あるいはできない中で創作を続けている。それは彼らの執着しない、まっすぐな性格にもあっているのだろう。そんな中でどこで手が止まるかは創作のもっとも深い秘密に属することであろう。2人とも頭で考え思いを膨らましながらではなく、手が勝手に動いてかたちができていく時があって、そういう時が気持ち良く自分が好きな作品ができていく時だと語っている。雑念を去って素の心が働く瞬間とでも言ったらよいのだろうか。
そういうとき、野中の作品であれば、もう一筆も加えられない感じで絵は絶妙なバランスで止まっているし、村山の作品であればこれ以上かたちを変えると崩れてしまいそうな繊細を極めたぎりぎりのところでかたちが止まっているように見える。止まっているというのは、そこで終わっている、ちんまりまとまっているということではない。それは次の瞬間には動き出すように生きているように止まっているのである。
そこはこの世界の向こうの美の領域の瀬戸際でもあるのだろうか。創り続けることに究極のモチベーションがあるとしたら、ヤコブの梯子のように突然降りてきた美(あるいは永遠)への階梯が垣間見られるこのめったにない瞬間を体験すること以外にはないように思う。天性の才能に加えて、当然この瞬間を呼び込むためには長い間の単調な技術的な修練も必要とされるのだろう。才能や修練の度合いでは到底及び難い単なる鑑賞者も、作品をただ見るだけで、この瞬間を盗み見ることできるとしたらなんとも幸いなことだ。

●日々の邂逅 野中光正新作展 2016.5/31~6/12

例年初夏に開催している野中光正新作展(5月31日~6月12日、10・11・12画家在廊)のポストカードのコピーを書いた。心で受け止める色とかたちとテクスチャーの世界。頭から入らずに抽象を音楽のように楽しむ人がもっと増えてほしい。

日々の邂逅
使い込んだ道具類や顔料が整然と置かれた野中氏のアトリエはラボラトリーのようだ。東京、元浅草、ビルの谷間から漏れる淡い自然光をたよりに、朝のいつもの時間、画家は支持体の和紙に対面し、毎日一枚のペースで作品を仕あげていく。永遠のようでありながら、確実に終局に向かう時間の中、その時々の感情の波立ちが微妙な色調や形の差異となる。しかし、時々向こうからやってくる何かが、自己を超えたところで奇跡のように働き、画家の手を通して、自然な美の痕跡を残す。 心地よい音楽を聴いた時に与えられる、偶さかの静かな幸福な時を見る人と共有したい。

●野中光正展 2016.2/3~12 (ギャラリーアビアント)から野中語録

野中光正さんは、浅草の画家であり版画家であり、毎年展示会をお願いしている作家さんだが、実は色彩とかたちで音楽を演奏されている方と言った方が良い気がする。すばらしい音楽を演奏するために、彼は持って生まれた才能はさることながら(20歳の時描いた風景スケッチを見ただけで、ずば抜けた才能の片鱗が見えてこの人は特別な人だなと思う)、40年以上の長い間、日々日記のように欠かさず作品を描いて、一人で何種類もの楽器(筆、色、和紙、キャンバス、版木、馬楝など)を感性が導くままに自在にこなせるまでに技量を磨いてきた。その総決算として、最近の作品には誰にも真似のできないようなすばらしいオーケストレーション(主としてクラシックの)の響きが聞かれる。
自分に与えられているものに正直な方でその自然なまっすぐさが作品にも出ている。これは受けそうだから、流行りだろうから、取り入れてやろうなんて小賢しくいやらしい計算が微塵もない。もっともそんなことをしたら、すぐ演奏に出てしまい人を感動させるようないい音楽は奏でられない。これが人の魂を表現の核に置いた抽象というジャンルの正直なところだ。
ときどきハガキをお送りいただけるがそこに書かれた言葉にはいつも心動かされる。最近届いた本所吾妻橋のギャラリーアビアントでの展覧会の案内状。そこにも作品(1980年代の旧作。線のいろんなタッチがあって面白い。上方の山のように見えるのは意図してやったわけではないが、マックスエルンストのフロッタージュのようになりましたとは本人の弁)とともに自筆の言葉が添えられていた。「描くことが生きること」である画家の言葉を、味わいのある文字といっしょに紹介したい。

●野中光正&村山耕二2人展  2015.2/5~15 新潟絵屋

木版画もガラスも外部との、それは「版木」であったり「火」であったりするが、そうした手強い物質との闘いが制作の大きな要となる。和紙に押し付けた版木は、あるいは、炉から取り出されたガラスは後戻りできない。一瞬にして魂を作品に宿らせる。
ガラス作家の村山さんは、制作に先立ち構想をスケッチしたりしない。ぶっつけで溶けたガラスをかたちにしていく。木版画家の野中さんもほとんどの作品を下絵なしで創る。いずれも生き生きとした命の流れを写すライブ・パフォーマンスなのだ。だが、これがなかなか難しい。長い間の技術的修練だけでは、心の嫌なものが出てしまうのを防ぎようがない。自然のエッセンスをつかみ、美へと昇華させることができるとしたら、天与のセンスとナイーブさをおいて他にない。かつて「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と評されたボクサーがいたが、力技をエレガントに、豪快に繊細に見せることができる点で、2人のコラボはいつも心地よく響きあうものがある。

●木版画家野中光正さんのこと 2012.4~6

浅草在住の版画家野中光正さんが電話で唐突に「モランディはやはりいいですね」という。確か2年前仙台に来られたとき、大分前東京銀座のでデパートで偶然モランディ(Giorgio Morandi, 1890年 - 1964年)の絵に出会って、しばらくその場を動けなかったという話をしたと思う。その時から大分時が過ぎていたから、彼からモランディの名前が出て来るとは全く思いもよらなかった。しばらくして4月末の展示会用に新作の版画が送られて来た。野中さん手づくりの木製の送り箱を開けると、モランディに近しい穏やかな色彩の作品が出て来た。彼の中ではモランディは長い間静かに発酵を続けていたのだろう。そのことがとてもうれしい。
野中さんは木版画という江戸以来のメディアで、モランディのように色彩と形の探求を40年近く続けて来た。毎日のように作られた版画のタイトルは製作年月の数字を羅列したものだ。この文学性を交えない素っ気なさは内なる魂と外なる自然の出会いの出来事を日々描き止めているアノニマスな記録者という感じがする。「絵をつくるとは人や人を含む自然を思うことであり、又思われることを期待する心の現れである」とは彼の言葉だが、自然を反映しながら移ろい行く命の流れの中にいる自己に何より正直で、鍛えられた手技はそれを紙面に定着するためにもっぱら用いられている。修練を重ねれば重ねるほど企みや嘘が磨かれるのか、一般には受けのよい饒舌な表現となって魂が減失していくのは凡庸な証拠だが、それがないのを天賦の才といわずして何と言おう。
20代に描き続けた東京下町の木炭デッサンにも、30になってから始めた版画に見られる純粋な一貫性が見て取れる。かって高度成長を支えた下町の風景がそこにはあって、光や空気、臭いまでがモノクロームの画面から立ち上って来るようだ。一見心を鷲掴みにするピカソのデッサンのように、描かれた線は風景のいのちをひと掴みし、画家の魂を滲ませている。何処に行くのか、すべての風景は命を持って悲しく美しくゆらいでいる。「日々を慰安が吹き荒れて 帰ってゆける場所がない」。(吉野弘)宿なしのように東京の雑踏をさまよっていた若い時を思い出す。
やがて風景デッサンは極度に省略され解体されて、キュービズムばりの試みへと移っていく。これを見ると彼は突然抽象を描き始めたのではないことが分かる。モンドリアンの百合の花の連作のように、必然の流れは写実を徐々に抽象へと導いてゆく。めざすのは自然と魂が分離しがたく結びついた世界。木版画は、ねちねちとこねまわすことが宿命的にある油絵と違って、彫る、摺るという製作過程で、物質との格闘を通して、粘着する本質的でない「私」が削ぎおとされる。5月20日からの杜の未来舎での展示用に送られて来た作品を見て「野中さんはついに自然をつくっちゃったね」と言った若い画家の言葉が、今、彼が行き着いた世界を端的に言い当てている。
展示会の終盤我が家に投宿する彼と近くに住むアルゼンチンの彫刻家ビクトル・ユーゴーさん(本名)を交え、初鰹の叩きを魚に日本酒を飲むのが楽しみだ。

●浅草が面白い 2010.5~25

セミナーでの講義修了の後、版画家の野中光正さんのアトリエを尋ねて浅草を訪れた。昨年の11月から半年ぶりだ。今回は野中さんの案内で浅草の町をうろうろした。といっても銭湯に入り、定食屋で東京湾の魚の刺身をつまみにビールと酒をいただいただけだが。何度来ても浅草はいい。40年程前学生時代の浅草は、高齢者が訪れる郷愁の街、定番の観光地である浅草の仲店周辺だけで成り立っている裏錆びたまちという印象だった。ところが一昨年からたびたび訪れている浅草は、活気に溢れ東京で今いちばん面白い町と言える気がする。久しぶりに訪れて以来、浅草はかって訪れたパリのバスチーユと空気感がいっしょだな、と思っている。両方とも職人町の趣を残す庶民の町である一方、バスチーユでは新オペラ座、浅草ではアサヒビール本社ビルや東京スカイツリー(半分まで出来た)といったポストモダンなランドマークが辺りを睥睨している。このアンバランスな訳のわからなさがグーだ。

タイニーハウス界のウィリー・ワンカ Kirsten Dirksenのyoutube映像から

2019-09-10 12:12:29 | レビュー/感想
 →タイニーハウス界のウィリー・ワンカ

カーボウイハットにロン毛結び、ランニングシャツ、短パンで筋骨隆々の日焼けした肌を露出させ、モーゼのように杖を片手に、しかも「裸足」で、テキサス郊外のロードサイドのだだっ広い敷地をエネルギッシュに歩き回って始めから終わりまで、マシンガンのようにしゃべりぱなし。こういうエキセントリックなキャラの爺さん・・正直、大好きだ。この爺さん、こんなバカなこと誰もしないような、しかしエコロジーの時代にすごくいいことをしているのだ。

それは何かというと、アメリカでも次々古い住宅が壊されゴミにされているのだと思うが、その古材を大量にかき集めて来て、タイニーハウス、それもアーリーアメリカの伝統的な様式の家を作り上げ、ホームレスを始めプアな層に破格値で建売として供給しているのだ。理不尽な法律をクリアーしながら、使い捨て礼賛の消費文化に真っ向から挑戦している、エコロジー思想のラディカルな実践者である

この解体され、ゴミとして捨てられた部材がいかに貴重なものであるかを爺さんまくし立てている。さらに、トイレもシンクもシャワーもあるよ、そして古い窓の作りの素晴らしさと、一軒一軒事細かに設備やクラフトマンシップの作りの良さを説明して、間絶するところがない。組み立て工場(?)では何人かの大工が働いている。そいつらにも大きな声で𠮟咤激励し指示を与えながら、時には口笛を吹きながら、洞窟や倉庫の中まで縦横に歩き回る。

この名前で検索するとブログ記事が出て来た。タイニーハウス界のウィリーワンカ(あの「チョコレート工場の秘密」の)なんだそうだが、確かにいい命名だ。こういうぶっ飛んだアウトサイダー、反骨の人が存在を許され、ただ住宅を供給するだけでなく、今や得難い長い時間を生き抜いたアンティーク部材(今流行りのチープな合成部材を使っちゃガンになるよ)で造られたアメリカの伝統的な家をトランスフォームして将来の子供達に残そうという、堂々とした信念を持って実事業に取り組んでいる、ファッショナブルなニューヨークではないテキサス、アメリカの深部にはこんな迫力ある人物が生息する。まずは破格のインテリジェンスを持ったこの魅力的な人物を見てほしい。




橋の下の隠れ家 Kirsten Dirksenのyoutube映像から

2019-09-08 08:01:58 | レビュー/感想
橋の下の隠れ家

高速道路の橋の下にはたっぷりした空間がある。しかし、スペインの配管工Fernando Abellanas以外に、これを利用してこんな遊び場を作っちゃおうなんてことは考えもつかないし、まして実現した人なんていなかったに違いない。手回しのゴンドラを動かして橋梁に押し付けると、誰にも邪魔されずに本を読んだり、絵を描いたり、ビデオを見たり、夜はマットを引いて寝ることさえできるインビジブルなプライベートルーム(まるで子供の隠れ家のようだ)が出現する。

彼が住むペイポルタはスペインのバレンシア市近郊の小さなベッドタウンだが、彼のリアルな生活空間である自宅もこれまたユニーク。通りに面したアパートメントの裏に接合してたてられていた粗末な建物を解体し、3年かかって構造体以外はすべて自分で少しづつデザインし立て直したものである。彼は18の時に高校を辞めて工場で働いたが、現職の配管工のトレイニングを受けたり、いろんな仕事を経験して2年後には独立した。本人も言うように基本的に独学の人なのだ。そして扉が一切ないオープンスペースの室内。そこに設置された家具や階段やキッチン、椅子など、彼の望むところを独自な発想とセンスを持って形にしたものである。

廃棄された公共物を利用した痛快な企みが映像の最後に出てくる。理屈っぽく、分からないのはバカだと言うばかりで、その実ビジネスをしっかり考えたインチキ現代美術よりよほどこちらの方が面白い。アートのエッセンシャルな部分は、子供の純粋な遊びのようなものによってなりたていることを教えられる。言葉で説明してもその面白さは分からないと思うので、とにかく映像を見てほしい。しかし、これは何かとうるさい日本では、難しいだろうな。ゲリラ的にハプニングとして実行しないとダメだ。おそらく山のような許可書類を書くうちに気持ちも萎えてしまうことだろう。




忘れられた巨人シリーズ Kirsten Dirksenのyoutube映像から

2019-09-08 07:51:59 | レビュー/感想
忘れられた巨人シリーズ

トップ映像の野原や森林のあちこちに置かれたいろんなポーズの巨人像にまずびっくりした。登ったり、滑り台にしたり、くぐり抜けたりして、夢中になって遊んでいる子供たちの姿が見られる。もっと驚くのは、これら6つの魅力的な巨人像がすべてコンテナなど廃材のみで作られていることだろう。

デンマークのトマス・ダンボ(と二人の従業員)は、通勤途中はもちろん、ビッグシティ、コペンハーゲンの街中のゴミ集積場所や大きなゴミ箱や建築現場、マーケット、フェスティバル会場などを漁ってあらゆる使えるゴミを集めてくる。運転免許をとる時間もトラックを買う金もないので、それらを運ぶのはもっぱらリアカー付きの自転車である。

ワークショップのための倉庫には、それらありとあらゆるところから集められてきたマテリアルが、種類別に本当に実に綺麗に合理的に整理され保管されている。中には彼の祖母が一年間かかってためてくれたプラスチックの食品コンテナもある。これらを使って多様なリユース製品を作って売っているが、それら製品の一つ一つは、トマスが詳しく出どころを含め紹介しているので映像を見てほしい。

プラスチックは、彼に言わせれば丈夫で可塑性を持ったアメージングなマテリアルだそうだ。それをパーツに解体して作った動物や人のスカルプチャ(無許可でゲリラ的に街角に設置して歩いている)は、元がプラステイックゴミとは思えないアート的にも素晴らしい出来ばえだ。子供達にも100パーセントリサイクル素材で作られたクリスマスビレッジなどイベントや学校のワークショップを通して、リサイクルの必要性と楽しさを教えている。

2016&17年にはそれら活動の集大成だったのだろう。河畔にテーマパークLIMBO PARKを作り上げた。あらゆるリサイクルゴミに再びクオリティを与えるその芸術的センス、無尽蔵のアイデア、そして活動を多方面に市民を巻き込んで継続的に展開し、社会に浸透させているエネルギーとパワーにはほとほと感心する。同じゴミ問題を抱える日本にも、彼を真似するポリシーを持ったリサイクル業者やポジティブなアーティストが現れないかなあと思う。

何年か前からKirsten Dirksenのyoutube取材映像をアップロードされるごとに見逃さずに見ている。以上に取り上げたのはその映像の一つである。ここには、スマフォを片時も手放せない人や漫然と評判のラーメン屋に長い列を作っている人は決して登場しない。皆、世の通勢に流されず、また既存組織などに依存せずに、自分で生き方や暮らしを考え選んで、たくましく生きている自立した個人である。

Kirsten Dirksenがどういう人かはまったくわからない。ただ、名前からするとドイツ系あるいはスウェーデン系のアメリカ人のようだ。おそらくこのビデオの実質的にはプランナーであり、ディレクターであろう、夫とともに、ビデオカメラを回して、世界中を飛び回って(日本にも何度か来ている)、自分たちが面白いと思ったユニークな生活を実践している人を取材してyoutubeにアウトプットしている。主役の登場人物に、バック音楽なしでそのままもっぱら語らせて、余計な誇張した編集をしないのがいい。初めは二人だったが、途中からよちよち歩きの幼児が加わり、それも姉、弟となり、最近の映像では姉の方は、小柄な母親と見間違うほどの背丈になってきた。

縄文の炎・藤沢野焼祭2019 8/10(土)〜11(日) 一関市

2019-08-20 12:08:32 | レビュー/感想
44回を迎える「藤沢野焼祭」に今年も参加した。これに参加しないと夏は終わらない。しかし、例年ほど熱くなれなかったのは、比較的涼しかった天候のせいばかりではない。いつもの窯焚き仙台チームのメンバーである、かつての勤務先の上司であるW氏や、毎回洒脱で奇想天外な作品を出してみんなを驚かせる90歳(たぶん)のK氏が、体の不調ゆえに参加しなかったのが大きかった。しかし、W氏から預かった作品は慎重に窯に入れた。そこで翌朝5時過ぎにはいそいそと起き出して、鎮火した窯へ、作品取り出しに向かった。

そこにはすでに窯から取り出した作品を眺めているH氏がいた。H氏は毎年縄文土器のレプリカを作り続けている。その力あふれる作品を見て並みの情熱ではないなあ、と思っていた。しばし、その彼と話す機会を得た。彼は各地に赴いて実にたくさんの縄文の出土物を見ている。火焔街道と言われる信濃川流域の出土地域では、見事な火焔土器に触れさせてもらった体験を嬉しそうに語る。こうした実物を見て触った感覚的体験と、本業である電子部品の技術開発に基づく、綿密な分析設計能力がミックスされ、作品制作にフルに生かされている。

目の前に置かれた今年の作品は、群馬のもので、インターネットを通して出土物の情報や写真を入手し、図面を書いて再現した。この文様は踊る人だと言われているが、彼は実際に作って見て、そうではない、これは女性の顔だと直観したという。女性器も埋め込まれているから、豊穣への呪術的な祈りと関わりがあることも想像される。彼の話では、文様とその呪術的な意味合いは小集団ごとに違い、相互に秘匿されているのだという。くびれ部分に付いた取っ手が、装飾と思っていたら、上部を支える構造的な役割を担っていることを知ったという。情念的な観点からのみ見られがちな縄文土器と言えど、その形は合理的な思考によって制御されいると知るのは、製作して見て初めて分かることだろう。

一次資料となる文献がないことをいいことに、出土物や遺跡跡などから想像をたくましくて作り上げた様々な人の知見を読み込んで、縄文像を作り上げることには、どこか胡散臭さを感じていた。しかし、彼の話を聞いているうちに、縄文探求のために実際に作って見て、プリミティブなやり方で火にいれてみるというのは、結構悪くない方法だなあと思い始めていた。なぜなら縄文人であれ現代人であれ、同じ感覚と思考機能を持った共通の人間である。その連続性の上に、制作し火と相対するうちに古層と呼ばれる深いところに眠っていたものが蘇ってくることはあり得ないことではない。

もう一人、窯出しの場にいた作家のお名前をあげておこう。児玉智江さんは、祭りの初期の頃から参加し、大賞、池田満寿夫賞を始め何度も賞を取っている常連アーチスト&詩人。(だから、実名を上げても許していただけるだろう。)幾分これまでのものより小さくなったが、彼女ならではのスタイルのトルソを今年は無事に焼き上げた。今はお一人だがかつては車椅子に乗ったご主人と毎年のように来ていた。ご健在で、精力的に制作を続けておられるのがとにかく嬉しく、駆け寄って握手をした。一方では、年々、好きな人がやってよとばかりに、メインの野焼きはそっちのけで、しつらえた舞台で次々繰り広げられるエンタテーメントを、スマホ片手につっ立って見るだけの人たちが増えてるように感じる。これは今形を変えてどこでも見られる光景だと思うが、彼女のような(最大の実質的功労者の陶芸家の本間伸一氏はもちろん)本当に野焼祭の精神を担っている人たちを大事にしてほしいと、心から思う。

もっとも里帰りの若い人は、とにかく都会でのストレス多い仕事にクタクタで、昨今は一段と余裕がなくなっているのだろうなあ、と想像する。私のような作家でない凡庸の人も、燃え盛る炎を掻い潜り、汗みどろになって薪をくべるだけで、うちにある本能や命のほとばしりを感じる、本当の意味で贅沢な経験ができる、いいチャンスなのに、残念だ。
(写真右はH氏の作品、本物の上端の飾りはもっと大きい。しかし、支えきれず一回り小さくなった。左はH氏が私淑する大木義則氏ー実験考古学的活動を中心に縄文文化の謎を探求する縄文文化研究会の主催者ーの思いがたっぷりこもったディープで存在感ある作品である。)

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平福百穂展 実相観入の道行き 7月13日(土)〜9月1日(日) 宮城県美術館

2019-08-16 15:43:56 | レビュー/感想
突然目の前に出現した、俄かには分からない「もの」に驚いた。タイトルには「七面鳥」とある。それが今まさに六曲一双の屏風の上を、体を膨らませたりデフォルメさせながらコロコロと動いているようで、見る者もその動きとともに余白のうちに巻き込んでしまいそうだ。一般の絵の概念、それも流派に分かれ、チマチマとした約束事に縛られた日本画という狭量なカテゴリーなど、吹っ飛んでしまうような、命あるもの実相をまさに写し取ってダイナミックな存在感がある。これを見られただけでこの展示会に来た甲斐があったと思った。

平福百穂というと、どのような作品を描いた作家なのか皆目知らなかった。角館にありながら中央画壇でも大家として業績を残した経歴から、地元を中心に過大評価されているのではとも思っていた。展示会の案内チラシの代表作とされる小さな作品写真からは、やはり表面的な美しさを基準にした日本画のステレオタイプの静力学を抜け切れていない印象で、正直あまり期待はしていなかった。それが入り口近くで16歳のとき描いた「武尊誅梟帥図」を見て、いやこれは違うかもしれないと思った。当時の美術雑誌「繪畫叢誌」に「筆力勁健なり」とまで評されたとあったが、少年期にして既成の枠を突き破って魂から迸る力があった。

平福百穂の父、穂庵も東京の中央画壇で活躍した画家であったが、13歳の時に早世している。手持ちの資料から作例(「乳虎」)を見たが、不思議な深みを持った絵だ。自然の実相を写そうとするDNAがすでにここにあるように思う。この父から百穂はほんのひと時だが、絵の手ほどきを受けたという。才能を認めた父のパトロンの援助もあって、上京。円山派の分派、川端玉章の内弟子に入り、次いで東京美術学校日本画科選科にも通った。そこには当時は岡倉天心を校長として、その理想を体現しようとする日本画革新の流れがあった。

その模範的な具現者として菱田春草があげられると思うが、その傑作と呼ばれる絵を見ても、それを実現した非凡なテクニックや才能には感心するが、計算通り一部の隙もなく完璧に仕上げられた、結局は学校や公募展に受けの良い綺麗な、文字通り「絵空事」のような絵に見えて好みではない。むしろ、期待に応えようと日夜精進し命を縮めた人生に、天心というカリスマ、強烈なイデオローグに振り回された無惨さを思う。

百穂は、大見得を切って進められるような、この主流の動きには馴染めなかったようだ。画家の本能は、観念から入って完成された綺麗な日本画を描くことに抗っていた。友人に「自然のままを描くのが本当の絵だ」と語っている。そこから、小坂象堂の日常の生活風景を描いた「養鶏」に感銘を受け、自然主義を標榜する无声会に加わり、写生の追求を始めた。入学した東京美術学校西洋画科では洋画デッサンを経験し、着実に写生手法の幅を広げて行った。

日本画の画材にはなかった市井の働く人々を描いて、雑誌や新聞の挿絵の仕事を求められるようにもなった。当然、自分の思う絵を描いていくための経済的な裏付けを得る、というリアリスティックな計算もあったであろう。「國民新聞」に入社して描いた帝国議会の挿絵は、江戸の近代人渡辺崋山ばりの写実で、線の運動の中から自然に対象の性格が浮かび上がり、ユーモアさえ滲み出て来て、世間の評判もよかった。

一方で、文展にも繰り返し出品を続けた。「アイヌ」「木槿の頃」「桑摘み」などの出品作品を見ると、入選を狙って企むことなく、探求している写実の姿を素直に見せていて、いづれも清々しい印象を持つ。先の「七面鳥」は、大正3年(1914)、第8回文展に出品した作品で、三等となった。墨のにじみを活かした「たらし込み」技法が用いられている。「たらし込み」は琳派の手法とされ、カタログでは同時代の琳派再評価の機運に触れるが、その不思議な「粗々しさ」(斎藤茂吉)から滲み出た精神性は、光琳より宗達に近いところを志向していると思う。

この後、新南画に取り組むようになるが、百穂は蕪村の絵画を評して「筆墨の形式にとらわれず直ちに自分のかき表わそうというものをつかまえている。即ち直接性がある」と書いている。写実主義と言っても主観から独立して物を捉えることは不可能だ。百穂の方法は、対象の概念化が始まる前に、感覚や心に捕らえられた「もの」の存在感、生命感をどう定着させるかというところから来ている。自ら「直接性」と言い、また「放脱的」と評されるのは、この故であろう。そこに、近代の絵画が失ってしまった、雪舟や仙厓の古画を産み出した精神への強い憧れを見る。

しかし、百穂の庶民の生活を描いた写実画や欧州旅行のスケッチは、欧米の画家が描いたと言ってもおかしくないモダンな感覚に富む。夏目漱石が「七面鳥」を賞賛したという話は興味深いが、他に優った近代精神を持ちながら、そのことに批判的なアンビバレンツを生きた二人に、ジャンルを超えた共通性を思う。百穂については、続けて書く予定。

(写真は「牛」(六曲一双)。「七面鳥」の写真は、著作権で厳しく保護されているようで入れられなかった。展示会では個人蔵の表記すらなくて、どこにどう保存されているのだろう。)

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馬渡裕子展 5/3~6/16 リアス・アーク美術館(気仙沼市)

2019-06-27 19:48:33 | レビュー/感想
昼間に我々が経験したことや見たことは無意識層の中に積み上げられ、夢の中で唐突に予想外のイメージとなって蘇ることがある。馬渡さんの絵は、この夢のイメージをスナップショットのように、キャンバスに定着させたもののように見える。しかし、夢の形や色をそのまま写実することは難しい。なぜなら夢は眠っているときの脳の働きによって生まれる極めて主観的な閉じた体験だからである。目が覚めて我々は夢の片鱗を元にそれを再構築しようとするが、それはすでに意識の世界の出来事であり、「そのような夢を見た」と言ってるに過ぎないのかもしれない。まして、色や形を正確にとなると‥‥

さて、馬渡さんの絵についてである。そう言うことだから、その一見夢のように見える世界は、精神分析の対象になるような夢の報告ではなくて、画家が意識的に作り出した世界ということになる。画家自身、「毎日を過ごす日常の風景とそれを眺める目の間に、スライドのように今そこにない光景を挟み込む」と創作の秘密に触れているが、こういう常人には真似のできない意識的な操作と高度な絵画技術が合間って、画家のユニークな絵画世界を形作っているのである。

それは主観と客観(一般認識としての)の間に精緻に打ち立てられた中間領域のようなものだ。どのような場所かというのを譬えるとするなら、自分の幼年時代のことを思い出したら良い。女性なら片時も離さない人形やぬいぐるみがあったであろう。そしてこれら無生物に想像力を発動させ、極めて生き生きとした生活世界を形作っていた。だが誰もがここから卒業させられる時がくる。それが成長していくことだ、大人になっていくことだと言われつつ、また自分でも納得しつつ。

馬渡さんの絵は、大人になってしまった我々にもこの世界を再び蘇らせてくれる。画家が扱うモチーフには、人間はもちろん、ウサギやネコやクマやトリなど様々な動物が出てくるだろう。しかし、それらはどこか人形っぽい、ぬいぐるみっぽい、あるいは置物っぽい。かといって無生物かというと、微妙な仕草や表情はまさに命のあるもののそれだ。画家が繊細な造形センスとスキルによって作り上げた世界の中で、それらは確かにリアリティーを持って生息している。

ほとんどの作品は平平たる日常の中で、画家のアンテナが捉えた生活風景や物が基本のモチーフになっている。しかし、ときに衝撃波が襲う。例えば、あの大震災はどうだろう。その前には予兆のように一群のお化けが登場してたり、その後には変幻する霊のようでもある巨大な盆栽がクラシックカーと合体するなど、画家の穏やかな絵の世界にも黒雲が広がり不穏な嵐が感ぜられた。この現実の災厄から呼び起こされたかのような異世界からの強い力は、最新作「VS」に例をとれば、力士の目から発するビームとなったり、画家の静止的な世界を時折揺り動して、白昼夢のようなちょっと怖い異様なイメージを喚起する。

勤め先の広告用ポストカードの元絵を始め多くの小品には、言葉にしすぎると魅力が砂のように滑り落ちてしまう程の、ささやかなストーリーが見る者の想像力を刺激する。お馴染みの馬渡アイコンと彼らが生息するギリギリまでシンプル化された舞台装置を通して、誰もが幼年時代に持っていた想像力を働かせて、小さなフレームの中に立ち上がった馬渡世界の構築に参加できる。その開かれた自由さが美術ファンのみならず、一般の人も深く魅了する馬渡絵画の持ち味であろう。

今回は、東北で活躍する若手作家の一人として選ばれ、美術館での初めての展示となったが、一連の馬渡作品が大きな公共空間にあっても、それに負けない絵画としての夢の堅牢さを持っていることを改めて確認できた。

佐立るり子「デジタルと感覚」5/28~6/9 Gallery TURNAROUND

2019-06-09 18:13:02 | レビュー/感想
コンピュータのデジタル環境で作られたものであっても、モノとして出現するときにはアナログとして存在し始めなければならない。佐立さんがトライしているように、コンピューターソフトで作られたものでも、出力時点では紙や布といったアナログ素材を抜きにしては存在できないからである。故に「純粋デジタル」というのがあるとしたら、我々の脳内にしかあり得ないし、それは純粋には取り出し得ないし、我々が五感で触れて見れるものは「デジタル的なもの」でしかない。

だから問題があるとしたら、目の前の驚くべき現実を忌避して、別の現実(バーチャルリアリティ)を創り出せると思っている、本質的にイデオロギーの発生装置である脳に実装された宿命的な指向性の問題なのであろう。しかも、そのような「脳化」の方向は、世の権力を後ろ盾としている。そういう指向性の強い人たちが常に世を支配し、ときには教育というかたちで政治や経済や文化の仕組みを強化し、世の中はそうしたものによって発達し進歩し、良い方向へ歩んで来たように思わせているから厄介なことだ。マトリックスに出て来るような脳内幻想だけで成立する逆ユートピアへと我々は歩んでいかざる得ないのだろうか。

見て触れることができる自然の物質にこだわって、その美とパワーに後押しされて作品を作り続けている佐竹さんは、この脳化社会の逆ベクトルを遡行する歩みをしているかのようだ。この展示会では、「デジタルと感覚」というタイトルから想像されるようなデジタル的な作品が展示されているわけではなかった。佐立さんがデジタルとは何かと思考したあとが、たくさんのプリントや文字によって示されているだけで、展示されている作品とはほとんどつながりを持たない。だから、ここにあるのは「デジタル的なもの」がテレビやインターネットや、ビデオなど映像文化を通して日常に浸透している現代社会に対する、彼女の強い問題意識であろう。農業体験をベースにした子ども教室の主催者であり、母親でもある作家が、余計にそうした社会状況に敏感であらざる得ないのはわかる気がする。

佐立さんの作品は、脳化の先進国である欧米渡りのフレームの中では、抽象画のカテゴリーに入るのだろうが、それは形態や色彩を頭の中で煮詰めて、人工的な材料で造形するという作業から生み出されたものではない。今回の作品では炭と蝋が用いられている。これまでの作品でもそうだが、彼女の作品においては「自然の中で見い出した」素材が素材以上の大きな存在感を持っている。この素材を見出した時点で、もう作品の出来不出来は半ば以上決定されていると言ってもいい。素材の選択と仕込みを重視する料理人のようなものだ。優れた料理人がそうであるように、佐立さんは自然に実在するモノが発する磁力を五感でキャッチし、その素材の力を生かして美味しい料理ならざる美しい作品を作りだす力に優れている。

佐立さんのそうした力は、自然の中で作物を愛情を持って育てていく、淡々とした労働の日々の中で(彼女は美術大学ではなく農業大学を出ている)育てられて来たもので、料理人がそうであるように、天性のセンス、自然にポエジーを感じる力を背景にしている。今回のメインの作品を見ていると、柔らかい日差しを受けて所々に黒土がのぞく雪道を長靴でさくさく歩いているような感触とともに、人工的な都市環境の中ではすでに感じられなくなった春を迎える喜びが鮮明に蘇って来る。

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第6回とうほく陶芸家展inせんだい開催にあたって 東北の地から、暮らしに美と潤いを与える器をこれからも。

2019-05-21 08:46:25 | レビュー/感想
東日本大震災の2年後、2013年、当展示会は、窯の倒壊など被災した陶芸家を支援する取り組み(東北炎の作家復興支援プロジェクト)の一つとして開催されました。展示機会を失った陶芸家たちに展示場を提供し、そこでの作品の展示販売が、作り続ける気持ちを応援し、復興に必要な経済的支援につながればとの思いがありました
当初は、伝統窯、個人窯の作品の展示販売だけでなく、ネットを通して取り組みを知った英国の陶芸家グループ(Kamataki-Aid)から寄せられた作品をオークション販売したり、江戸初期から続く相馬駒焼(東北最古の登窯は、整備され、相馬市によって現在一般公開中)の支援をアピールしたり、啓発的な企画を加えておりました。
現在はシンプルに作家との交流を図りながら、作品を選んでいただくことを中心に、東北にも土地土地に古くから伝統を受け継ぐ窯元や質の高い器づくりに励む作家たちが存在することを、少しでも多くの方に知っていただきたいと思っております。
2016年、集中豪雨による土砂崩れのため休止の止むなきに至ったこともありましたが、今年で第6回を迎えることになりました。一般に支援の思いが次第に冷えていく中で、2年度目から、震災以来「東北器の絆プロジェクト」を展開し、東北の窯元に支援の手を差し伸べてくださっているAGF様から、思いがけずご協賛をいただき、ここまで続けてまいりました。
今回は昨年より1窯少ない18窯の出展になります。参加者を見ると、かっては会場にも元気な姿を見せていた東北陶芸界の長老たち、堤焼の四代針生乾馬氏が2016年、続いて平清水焼の四代丹羽良知氏も今年2月になくなり、また、昨年まで参加していた青森の南部名久井窯は経済的な理由から今年3月で廃業(今回は展示品のみ参加予定)に追いやられるなど、陶芸という生業を取り巻く時代の厳しさと、伝統を残す難しさをひしひしと感じております。
東北の生活風土に芽生え育まれた手づくりの器が、新しい世代にも新たな魅力を持って受け入れられ、これからも暮らしに美と潤いを与え続いていくことを願っております。

あとがき
器は使い手の確かな目によって選ばれ、使われてこそ、成長する。だから魅力ある器は作家と使い手との交流から生まれると言っても良い。ところが作品を単なる商品と見るマーケティングの発想からは、結果的にはどこも同じトレンドものが氾濫する結果になってしまう。それなら工業製品で言い訳だ。お客様の思いに励まされ、世の流れへのささやかな抵抗のつもりで、これからもこの展示会を継続して行きたい。

横山崋山 4/20~6/23 宮城県美術館

2019-05-04 21:41:10 | レビュー/感想
入り口を入ったところに墨画の蝦蟇仙人図が2幅かかっていた。左が横山崋山、右が曽我蕭白である。曾我蕭白は横山家と交流があった画家で、父の横山喜兵衛宛の書簡も展示されていた。これが何とも不思議な魅力を持ったいい字なのである。さて、蝦蟇仙人図は一目瞭然、曽我蕭白の方がいい。迫力に歴然とした違いを感じる。崋山の蝦蟇仙人図は蕭白のこの絵の本歌どりのわけだが、雷神図において光琳が宗達に叶わない以上に見劣りがする。足や衣の位置を変えたりして崋山独自の蝦蟇仙人にしようと努力しているのだが、また技巧を凝らして丁寧に描いているのだが全体的にちんまりまとまっていて弱々しい。

それでもこれは若い時の作なのでだんだん面白くなって行くのかなと思い期待しつつ見ていったが、そして橋本雅邦風の濃淡画法にこの作家独自の魅力を次第に濃厚に開花させて行くのかなと思って見ていたが、やはり心に入ってこない。多くの流派の画法を身につけた技術力には舌を巻くものがあるのだろう。でも、心を引かれないというのは如何ともし難い。それともこの手の作品に私が鈍いのか?

やはり、最初に曾我蕭白の作品と並べて比較展示したのが良くなかったのかもしれない。この蕭白があまりに凄すぎた。蕭白は特別な技巧を凝らさなくても筆が生きていて、それだけで摩訶不思議な世界を出現させ、心を鷲掴みにし、何度でも見たい気持ちにさせる。岡本太郎ではないが「これはなんだ!」というわけだ。一方、崋山は唐子や動物や歴史上の人物、山水などどれも丁寧に破綻なく描いている。しかし、印象がフラットで薄いのである。人も動物も虚ろな感じで生動感に乏しいと思う。

この展覧会の目玉は、祇園の山車の行列と人々を長尺2巻本の紙本に描き切った、「祇園祭礼図巻」である。この展示会のキャッチフレーズ、「見れば分かる」はこの作品を指して言っているのであろう。確かに誰にもなし得なかったような凄まじいボリュームの作品である。おそらく綿密な観察と取材スケッチを重ねたのであろう。その上で少しの筆の乱れもなく描き切ったその「イラストレーター」としての力量は、確かに「見れば分かる」。千年の都に受け継がれてきた祇園祭の知識を得るための、これに勝るビジュアル歴史資料はあるまいという貴重な作品だろう。しかし、美術品としての価値は一枚の蕭白の墨画に及ばないのである。まさに「見れば分かる」。

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いつだって猫展 4/19~6/9 仙台市博物館

2019-05-01 17:49:22 | レビュー/感想
帰ってきていつになく疲れを感じた。一緒に行った私の娘も同じことを言っていたから、必ずしも年のせいだけではあるまい。ゴールデンウィークが始まったばかりで、天気が良くて、思いのほか博物館が混んでいたせい?しかも、左右に振り分けられた狭い展示場にこれでもかと詰め込まれた作品を、うねうねとした列に連なりながら見たせいか?それもあるかもしれないが、主たる原因はそうではないと思う。絵自体に疲れたのだ。何しろこれでもかこれでもかと猫の図像を見せられた。それもパターン化された大量の猫キャラの図像である。連続で猫のアニメーションを見せられたようなものだ。または猫をアイキャチにした広告チラシを次々と見せられたようだ、と言うのは言い過ぎだろうか。

しかし、まあ、猫だけに限ってもこれだけの量の図像を生産し続けた江戸時代とは何だったのだろう。大衆の欲望を満たす安価な装置としての版画が隆盛を誇った、そのバックグラウンドにある心性は、今アニメ大国と言われる現代日本の実情と変わらないのではないか。そして、それを追いかける人々も、車に乗って、スマホをかざして、欧米と同じ服に身を包んでいても、それは表面上の差異に過ぎなくて、その心底は江戸時代の民衆とあまり変わらないのではないか。そんな江戸と現代をつなぐ大衆文化の帰趨を考えさせる展示とはなっていた。

江戸時代とは謳っているがここで出てくる猫は、図録の年代を見ると江戸中期以降の版画に載ったものがほとんどだ。この猫絵の歴史をざっと辿って見よう。最初はおそらく暮らしの点景として描かれていたのだろう。一緒に暮らすうちに何か変だな、不思議だなと言うことになって、猫自体に焦点があたり、猫又のような妖怪、さらには歌舞伎との結びつきで化け猫まで妄想的イメージ進化を遂げることになる。一方でネズミをとる益獣としての側面が、ネズミよけ商品の格好の広告キャラとして使われていく。そして図録の解説に曰く、「天保末期、最大の猫ブームは猫の擬人化によって訪れる」。

擬人化された猫(ほとんどが歌川国芳作)は、この展示会の展示作品の圧倒的な多数を占める。しかし、それはいかに巧みな技法を駆使してケレン味たっぷりに描かれていても、なぜか猫好きの心は踊らない。役者や庶民の姿が猫として描かれているのだが、体はすっかり人間の姿であり動きになっている。顔だけが猫にすげ変わっているが、人間と違って猫は目と口の表情にあまり変化がないから、百面相を描いても案外つまらない。人文字にして見たり趣向を凝らせば凝らすほど、「なぜ可愛い猫ちゃんをこんな風にしちゃうの」と猫好きの反発を招くだけかもしれない。

もっとも擬人化された猫自体に目が行きすぎては困るとの計算が働いているのかもしれない。なぜなら猫はネズミよけ商品や歌舞伎興行の趣向の変わった「引き立て役」に過ぎないからであり、これは浮世絵美女が皆判で押したように同じ顔をしているのも、本筋の呉服商品へと誘導する「出し」にされているからだと言うのと同じだろう。
かくてプロの手練手管を持って巧みに作り上げられた大量の広告図像パターンを見、頭はその意味するものを読み取ることにもっぱら使役させられて、展示場を出るときには疲労困憊の体となったというわけだ。猫の絵画的な魅力は、本当はその猫らしい姿態の微妙な変化と切り離せない。顔だけでは単なる猫キャラになってしまうのがオチだ、と改めて確認させられた。

その点、猫の生態を描いた歌川広重のスケッチは、対象に寄り添うような穏やかな筆致で、パターン化されていないから、見るものにも「そうそうこんなポーズするなあ」と言うあたたかい共感の思いを生じさせる。そこには江戸時代の浮世絵師が描いたものとは到底思えない、近代画家と同質のヒューマンな精神さえ感じられ、いっそう興味を引かれた。伝達意図に縛られているイラストではなく、画面の端から端、手前から奥へと、目と心をたゆたわせる時間がゆったり流れ、まさしく味読を誘う「絵」がそこにはあった。(上掲:名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣 歌川広重)

意外と面白かったのが各地から集められた招き猫の土人形や焼き物、張り子人形だ。もうこうなると「これが猫なの」と言う出来損ないのようなものも含めて、どれもこれも絵付け職人の意図せざる個性が満開状態なのが好ましく、愛着がわく代物となっている。

ブログ主の運営するギャラリーshop。ユニークな「手あぶり猫」を販売してます。





古田愛美 『私がいなくなる時』 4/23〜28  ギャラリーTURNAROUND  

2019-04-28 19:25:41 | レビュー/感想

ギャラリーターンアラウンドのそばを自転車で通りかかった。窓際にオーナーの奥さんが立っていてなんとなく目があってしまい、立ち寄ることになった。白い手で呼び入れられた訳ではないが、「アミナダブ」の主人公よろしく、こういう時は素直に従うことにしている。展示していたのは、美術大学を卒業して2年という若い女性木彫家の作品である。

入り口には船越桂風に部分着色された彫刻がある。ポストモダニズムを経過した若い世代には船越保武より、やはり息子の桂の方が圧倒的な影響力を持っているのだろう。しかし、神なき時代、ブリューゲル親子のような、アノニマスな継承は受け入れがたい。個性的であることが芸術の至上命題である時代であるから、作家は当然別の個性の発露を欲望する。

はじめはおずおずと控えめに、聖者とは違う、普通の人間の装いをまとわせ現代を生きる魂の形象化が図られる。そこでは見えないものを見つめていた聖者の眼差しは、あらぬ方へと向けられた単なる多義的な仕草の一種に脱色され、しかも眼自体は虚ろと化して、無機的な大理石の玉眼さえ埋め込まれている。その脱構築ぶりに現代批評的な意識があったのかどうか分からないが、皮肉なことに、それは軽い時代のトレンドとも結びついて、高い評価と人気を得て、斯界の寵児となった。

船越桂の90年代からの異形の彫刻は、父から完全に離れて独自の「進化」を求めた結果であろう。しかし、親と子の信仰の非連続は、啓示を受けた神の似姿の形象化とはベクトルを全く異にして、物質とも混交してしまうなんでもありの世界に帰着する。実は、父とは逆ベクトルの多神教的な神像の人間の側からの追求だったのかもしれない。それは物思わしげな空虚な謎を投げかけ続ける現代的な「スフィンクス」を偽装する。

デペイズマンやデフォルメを人体構築にも大胆に適応してなされた、正統的セオロジーからずれた反自然のリアリティが彫刻にも成り立ち得るかどうか、未踏の領域への問いを秘めた、ひとつの実験のようだ。かろうじて残存する原初的人間のイメージと頭脳から生まれた、ある意味邪悪な相反するイメージが、皮一枚でバランスしているようなものとなった。受け継いだエレガントな素質と繊細な美的才能、そして楠木のナチュラルな素材感のゆえにグロテスクを免れているが、この解体に意味があるのか、解体の末にあるものは何か、と言った疑問が絶えず立ち上がってくる作品ではある。

閑話休題。吉田さんの彫刻について書こうと思ったらどんどん船越桂論になってしまった。船越と同じ楠の木に彫られた吉田さんの彫刻作品には、女性の自然な命が溢れている。荒々しい木目を活かした手法がその効果を上げている。ここにある肉体は、船越流の人体のイデアと反イデアではなくて、いろんな思いを秘めた女性の肉体の現実の姿である。だから正直な思いの分だけ、しっかりと重力が感じられ、単純なフォルムに健康的な力強さがある。とりわけギャラリーの真ん中に据えられた赤ん坊を持った女性像はそのように感じた。

ふとこのブログでかつて取り上げた「成島毘沙門堂の巨像」(岩手県花巻市)を思い出した。5メートルに近い一木づくりの像で、この坂上田村麻呂に擬したと言われる神像を支えている地天女の姿に似ていると思ったのだ。彼女の出身を聞くと塩釜だという。いづれにしろこの神像と同様の東北の女性が持っている、寡黙だが自然に立脚して男性にも増してたくましい姿が出ていると思った。さて、この作品は子供を突き出すような形で前方に抱えている。少なくとも子どもを慈しむ母の姿ではない。自分の肉体から生じたなんとも言い難い異物とも言える生命体に戸惑い、不安な表情を見せている。しかし、現代の若い女性の姿としてはこれがむしろ自然なのだと思う。

ここに出ている不安や恐れは、やがて家庭を築いて、一人が二人となり、三人となる時、自然に乗り越えられていくものだと思う。だから次には子供を胸にしっかり抱きとめている像が浮かんでしまう。それを凡庸とは言うなかれ。彫刻家は、観念的な領域に入り込んでしまう男性には持ち得ない、現実の具体と接続したその喜びを、日常の現実、常態とする中から、肉体や魂の帰趨といった、作家が今抱いているもっとも普遍的な疑問に、女性なりの直観や感性を働かせて挑んでいってほしいと願う。展示場には彫刻のためのデッサンが展示されていたが、彫刻のための設計図であることを超えた独立した表現となったものが、今はない物ねだりとは言え、作家なりの彫刻作品の深化とともに見たいと思った。

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