美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

三十九回 縄文の炎 藤沢野焼祭 8月9日~10日 火炎の中で 

2014-08-13 19:07:26 | レビュー/感想
四国に台風が迫りつつある中、東北には長く停滞前線が伸びて、雨が断続的に降り始めていた。最悪の気象状況での野焼祭りだった。出品者の中にはもし大雨になったら手塩にかけた作品が溶けてしまうのを恐れて、窯入れをためらう者もいた。しかし、雨脚が衰えた時を見計らって、例年より1時間早い午後5時、窯のまわり、矩形の土手に置かれた藁に一斉に火がつけられた。雨で湿った藁束は最初こそ白い煙をあげていたが、またたくまに燃え落ちて灰になって行く。その藁灰を窯の端に落として、さらに薪を次々と土手に積み上げて火力を強める。今年は昨年と違って窯炊きの助っ人が格段に多い。仙台で陶芸教室を主宰しているO氏も若い頼りになる助っ人を連れて来てくれた。そのせいか、火の回りは、いつもより早い。降ったり止んだりの不安定な天候にともなう突風の力も借りて、みるみる窯の回りを赤い炎がなめて、さらに窯の上に積まれた油分をたっぷり含んだ皮付きの薪にもバリバリと音をたてて火が回り始めた。7時半を過ぎた頃には、分かれて燃えていた炎が一つとなって渦になり始めた。こうなると、窯には容易に近づけない。赤い炎を避けても見えない熱風が膚を焼く。いつもなら11時頃になってもまだ残っている薪の山が、9時頃には残り少なくなっていた。雨水を十分に吸い込んだ薪を投げ入れても難なく炎は呑み込んでしまう。もう炉の温度は800度は超えたろう。
焚くモノがなくなって、9時半には引き上げ、近くの施設で床についた。ところが疲れきってるはずなのにいつまでも眠りに落ちた感じが持てない。意識がはっきりしたまま時が経ち、明け方を迎えてしまった。隣でいびきをかいて寝ていたはずの者に聞いたが同じ状態だったという。数時間の野焼き体験が普段閉じている意識の領域を全開にしてしまったようだ。88才の常連参加者が「火は面白いなあ」とぽつり呟いたのが頭に残るが、ときに幾多の生涯を引きずり回すデモニッシュな芸術の愉楽も、自然や無意識という名の、ある意味で暴虐な未知の領域に接して、無限に開きあらわになっていく何ものかなのだろう。そこでは作品なぞわずかに焼け残った骨のかけらに過ぎない。