おそらく15年以上にはなるだろうとはご本人の弁ですが、野中さんは、何事もなければ月曜から金曜までの毎日、朝の9時から12時まで3時間の間に、1枚の作品を仕上げるのを日課にしています。今回の展示会では、そうして積み上がったここ2、3年の作品の中から、私がピックアップしたものを時系列に従って並べて見ましたが、彼の内部で生起する出来事および事実がより一層鮮明に感じられるようになりました。過去から現在まで、一作家の濃密な「今」の連続を一気に眺めわたすことができる、企画者であり鑑賞者であるがゆえの特権と喜びを同時に味わうことができました。
彼にはシュルレアリストのように内奥の自我を探ろうという、あるいは、西洋の抽象画のように、概念的な思考のレベル、シンボリックな形而上的世界へと探求を進めようという意図もありません。むしろ、最初にそういう作為的な意図があることを、創作の喜びを疎外するものとして、彼は嫌うのです。日々移り変わる、天候や自己の感情も含めた自然から触発される、カント的に言えば、感覚を元にした悟性の揺らめきが正直に描かれていると言って良いかもしれません。二次元的フレームの中で、絵画表現のミニマムな要素を用いてなされた、一種の化学実験を日々たんたんと続けてきたのです。
かたちもない世界の中では、美的ベクトルだけが、唯一の指標となリます。人間のうちにこんな判断力が備わっていること自体が、非常に不思議なことだと思わされます。50年以上にわたる修練がブラシや木版画の手法を自在にして、彼にしかできない内発的な表現を可能にしています。漠然と今日はこの色を使いたいというような初動的意図はあります。そして思った色が最初に置けたならば、作品は完成の道を歩み始めています。
しかし、そうした最低限の意図さえなく、自分ではわからないままに勝手に手が動いて作品が出来上がってしまったというときがあると、彼は言います。今回選んだ作品の中には、そういう外部からの働き(そういうものがあると信じています)があって生まれた作品が一点あります。上の作品がそうです。ここに美しいというより、幻妖な気配を感じるのは、なんの故なのでしょうか?
煎じ詰めれば、「絵心」がある絵という時の、本質的で純粋な姿を、日々探求し続けるための、最もシンプルな、どこにもない形が彼の「抽象」なのだと思います。長い間の経験を通して培った技術も、観念的作為的な「偽物」を成り立たせるためではなく、全面的にそこへと奉仕させるために用いられています。その意味で彼の抽象は、見る者にも純粋な「絵心」の所在を常に問いかけ、同じ喜びを共有することを求め続けています。
「過去はすでに存在しない。未来はまだやって来てない。あるのはただ現在だけである。人間の霊魂の自由な神的根源の本質が発現されるのは、現在においてだけである。」(トルストイ)
野中光正展開催中! 東京・関東方面にお住いの方はぜひご覧ください。
10/19((土)〜28((月) ギャラリー枝香庵 東京都中央区銀座3-3-12銀座ビルディング8F 03-3567-8110
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