美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

野中光正&村山耕二展 2023/11/20Mon.~26Sun. 11:00~18:00 杜の未来舎ぎゃらりい

2023-11-06 18:57:21 | レビュー/感想

静寂と躍動。

抽象画の登場によって、絵画は対象やテーマの呪縛から解き放たれて音楽と同じ力を持つようになった。野中氏の個人史においては、20代終わり、60年になんなんとする画業の初期にこの転換は起こった。幼年期にすでにカラーチップで飽かず遊んでいるような子供であったそうだから、それは遅すぎる発露だったのかもしれない。

楽器で心の赴くまま即興的に音を鳴らすように、抽象画にはまったく自由に色彩とフォルムを置いて、コンポジションを形づくる喜びがある。水平と垂直の矩形が交差する画家の作品に特徴的なシンプルなフォルムは、物思わしげな形がつくってしまうお定まりの具象風景や俗な物語世界に流れ、抽象画の基準線から逸脱してしまうことを拒んでいる。

自作の絵の具によるオリジナルな色とその物質感、和紙特有の色彩の重なりが生み出す絶妙な予期せぬ奥行き、そしてブラシタッチや木版刷りの強弱が織りなす躍動感。そこには温もりのある和の伝統的テーストを感じさせながらも、純粋な抽象画、それ自体が持つ普遍的な魅力が溢れている。

江戸とモダンが調和する浅草に住む画家が日頃感じる外界の変化や心の波立ちがどれほど反映されているのかは知るべくもないが、ときに私情を超えたところから来る、静かな喜びの訪れとでも言いたくなる瞬間が刻印されている作品と出会う。鑑賞のテーブルについて、画家が具現した得難い美の世界を垣間見、共有できる幸せを思う。

MIXED MEDIA NONAKA MITSUMASA

1949年東京都鳥越生まれ、現在元浅草在住。78年木版画展(現代版画センター)、84~95年ゆーじん画廊(東京)、89-91年新潟高柳町移住、紙漉きを学ぶ、2001年~新潟絵屋、2009年〜杜の未来舎ぎゃらりい(仙台)、2010年〜ギャラリーアビアント、2011年~ギャラリー枝香庵(以上東京都)などで毎年個展開催。制作を午前中の日課にして、15年前から淡々と門出の和紙を支持体にした抽象作品を作り続けている。

●野中光正在廊日 11/23(木)~24(金)

野中光正の版画及びミックスドメディア作品のご購入は下記サイトで

杜の未来舎ぎゃらりい

 

 

 

 

 

地球とのコラボ。

村山氏の非凡な造形力は、オブジェからグラスまで、作品の安定したフォルムの美しさに余すところなく示されてる。日用の器であればその美は奇を衒ったものではなく、いわゆる使える、あるいは使いたくなる器としての「用の美」を満たしている。

一方、作品の原素材である岩石へのラディカルな探究心に作家の特異性が際立つ。サハラから月山まで土地固有の砂のエレメントを抽出したユニークなガラス作品、そして地底世界の動的メカニズムを模して、白熱のガラス玉の中に自然石を閉じ込め、その変化のプロセスを作品化する営為、近年の「ジオロジカルグラス」もこの熱情から生まれた。それはまるで外在性としてある美という名の生き物が、作家の手を介して高熱の流動体であるガラスのうちに一瞬のうちに捕獲された様を見るようでもある。アートと地球科学を融合するプロジェクトから次は何が飛び出してくるか楽しみ。

GLASS WORKS MURAYAMA KOUJI 

1967年山形市生まれ。1996年仙台市秋保に海馬ガラス工房設立。2007年モロッコ王国・王室への作品献上。土地土地の砂の特質を生かしたユニークな造形作法で知られる。

村山耕二のオブジェ及びガラス作品のご購入は下記サイトで

杜の未来舎ぎゃらりい

 


馬渡裕子新作絵画展 「蟹座のスペクタクル」 6/29(木)〜7/9(日) 杜の未来舎ぎゃらりい

2023-06-30 18:35:06 | レビュー/感想

時代の兆しを鋭い感性で読み取ってきた馬渡作品、さて次の展開は。独特の幻の世界が、細部にわたって習熟した技術によって物質的リアリティを持って迫ってきます。*先の1年、デ・スティル・コーフィーのポストカードに掲載された作品 、そしてこれまで20年間に亘り、隔月で同ポストカードに描いてきた作品120枚のうち今画家の手元にある36枚も展示しています。

蟹座 キャンバス 油彩 45.5×45.5  120,000円(額装なし)

馬渡さんの絵を見ているうちに、いわゆる日本の伝統的なミニマリズム演劇、能の世界を思い浮かべた。初期の頃からそういう気配はあったのだが、近年の作品は習熟した能役者によって演じられた演目に近いものがある。能役者の磨かれ切り詰められた仕草と口上が、見るものの想像力を刺激して、心に響く幻の世界を作り出す。シンプルな色と形だけで構成された絵の世界であるが、能と似通った演劇的空間へと誘う。

馬渡さんの一連の作品は二つの系列に分けられる。一つはほぼ隔月で描き続けてるコーヒー豆店の宣伝用ポストカード。それは1ヶ月のカレンダー仕様となっていて、カレンダーを入れるレイアウトスペースを確保する、その月に応じた季節や祭事を意識したモチーフにする、またコーヒー豆店の広告であること(必ずコーヒーカップや豆が出てくるのはそのため)などの制約がある。そういう制約がかえって絵に緊張感を齎してきたようにも思える。同時に、ぬいぐるみ的な動物やキャラが描かれていると、若い女性からも「可愛い」という声が上がる。絵としてのレベルの高さを確保しつつ、一般のファン層も理屈なく引き込むエンタテーメントの要素を持っている画家は珍しい。ユーモア、エスプリ、あるいは和語に直せば、浮世絵や俳画にも見られるような肩の力が抜けた「諧謔」の要素もあって、かつて彼女の作品を続けて求めてくださったフランス人のコレクターがいたのも納得できる。

もう一つは、彼女とモノや画像との偶然の出会いに基づいて描かれた作品で、ときに世に起こる事象の予見であったり、何かのアレゴリーとして現実のディープな読みへと誘う作品もある。毎年何が出てくるかちょっと怖くて、楽しみなシュールな作品系列ではある。今回の展示は「蟹」、「雲」、「煙」が主題となっているが、何が彼女にこれらのモチーフを選ばせたのかは彼女自身も説明はつかないだろうが、人の深層に渦巻く何かを感知し画像の形で無意識に掴み出す才覚が彼女にはあるようだ。天性のセンスに長年に渡る技術的熟練が加わって、それらはアワアワとした幻ではない物質的リアリティーが感ぜられるものになっている。

馬渡裕子の油彩作品コレクション 作品のお求めは下記サイトから

杜の未来舎ぎゃらりい

 


フェルメールと17世紀オランダ絵画 10/8〜11/27 宮城県美術館

2022-11-15 20:38:25 | レビュー/感想

 

修復後のヨハネス・フェルメール「窓辺で手紙を読む女」が見れるとあって、いつもはガラガラの美術館は平日の火曜日にも関わらず人で溢れていた。絵の前に張り付いてぞろぞろと人の列が続くが、自分はゆっくり見る時間がなかったので、後方から見渡してこれぞと思う絵だけに絞って見ることにした。

17世紀オランダの経済的繁栄とそれがもたらした文化遺産の豊かさが十分感じられる展示会となっていた。肖像画、人物画、風景画、静物画と、お馴染みの典型的な西洋絵画のジャンルが総登場している。

宗教的主題であっても、そこにはカトリック国のような三位一体の厳密なイコノグラフィーによる縛りや宗教道徳のストレートな絵解きはもはやない。むしろ超越的な神にかたちを与えることを偶像礼拝として忌避するプロテスタントの信仰が、多様な世俗的な生活の様を見つめることへと絵画を解放したのだろう。ヤンステーンの「ハガルの追放」や「カナの婚礼」などを見ても分かるように、聖書の登場人物たちも市井の人々の生活シーンの中に、溶け込むように人間臭く描かれている。

この絵画展の目玉となっているのが、修復後のフェルメールの『窓辺で手紙を読む女』である。修復前のおなじみの作品(複製)も展示されており、両作品を比べることができる。前者には後方の壁面にキューピットの画中画が描かれている。私は正直、前者の方がいいなと思うのだが、これがフェルメールが描いた本来の姿なのだそうだ。

謎であった主題の意味はよりはっきりしたように思える。だが、ほかの教訓的な意味合いを込めた風俗画の延長で見えてしまう。フェルメールであっても絵画に分かりやすい意味を認める当時の顧客への配慮が必要だったのだろうか。やはりこの作品を時代のパラダイムを超えた純粋な絵画につながるものとして見たいと思ってる自分には素直に喜べない感じがする。キューピットの画中画自体がやたら大きくて薄ぺらい印象で、リアルな前景の女や静物へと集中する眼差しにとっては邪魔になるように思える。後世、これを塗りつぶした画家(あるいはそれを依頼した所有者)も同じ思いであったのではなかろうか、と想像する。

この絵は確かにフェルメールによって描かれた。その最初の状態に戻すのはオリジナリティ信仰の学者にとっては重要であろう。一方、絵画の「価値」は見るものによって歴史的に作られていくものである。その絵画に動かされた人々の感動体験が重なり合って国の至宝とも称される傑作になったのである。確かに元の価値を台無しにする付け加えもあるだろう。しかし、この改変は、やがて絵画が過剰な言葉による意味づけを離れて絵画としての自立性を獲得していく近代絵画の道(具体的に印象派や抽象絵画の登場を指すが)を図らずも示唆している点で、自分には当を得ているかのように思える。

次に目を引いたのはレンブラント・ファン・レインの「若きサスキアの肖像」だった。この二点の天才の作品には、当時の歴史的フレームの中で、類型化された油絵技法と流行の主題処理の中で卒なく描かれた作品とは違う何かがある。目に見えてるものを超え出てリアルを成り立たせているもの、それを掴もうと志向している画家の営為は、長い時間を越えて現代の私たちの心も揺り動かす。

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野中光正&村山耕二展 2022/11/21Mon.~27Sun. 杜の未来舎ぎゃらりい

2022-10-27 11:06:06 | レビュー/感想

白という光の色。

なぜ世界に光とともに色彩があるのだろうか。そんなことを考えるのは、野中氏の作品を覆っている色彩は、絵画理論の構成要素である「色」とはまったく別のものと感じたからだ。それを「純粋色彩」とでも呼ぼうか。野中氏が顔料を既製品ではなく自作し続けてるのも、この色彩への強いこだわりがあるからだろう。色彩は、最も鮮明な知覚である「視覚」を通して魂に直接呼びかけてくる力を持つ。最新作でも、野中氏の生活の記憶庫から呼び寄せられた色彩が重なり合い、独特な奥行きのある世界を形づくる。彼の作品の特徴的骨格である矩形の「形」はもはや自然にそこにあり、真ん中には太い柱のような白色の光の帯があって天から降り注いでいる。誕生前の赤ん坊が目で見た、あるいは来世で見るかもしれない、純粋な色の世界へと誘うかのように。

 

MITSUMASA NONAKA

1949年東京都鳥越生まれ、現在元浅草在住。78年木版画展(現代版画センター)、84~95年ゆーじん画廊(東京)、89-91年新潟高柳町移住、紙漉きを学ぶ、2001~22新潟絵屋、2009年〜杜の未来舎(仙台)、2010年〜ギャラリーアビアント、ギャラリー枝香庵(以上東京都)などで毎年個展開催。

●野中光正在廊日 11/26(土)~27(日)

 

誕生と衰滅のリアルプロセス。

村山氏は、卓越したセンスと腕を持つガラス工芸作家である一方、リスクを恐れず未知の世界に向かう探検家のような魂を持っている。人を魅了する生きた美は、向こうから唐突にやって来て、人が頭と技で作り出したものからは得られない。彼の持続的な創作エネルギーは、この出会いを求めて、地球創造の源へと遡る中から生まれてきた。新作は、高温で石が溶解しガラス化して行くプロセスを巻き戻し、逆に石に帰っていく、ダイナミックな自然の永劫回帰の過程を見せられているかのようだ。彼の手の内で、瞬く間に高温で溶解し破裂する石に美しい形が与えられ、その究極の姿が光を透過して固有の色を帯び変化するガラスになる、毎度アルケミストの夢を見させられているような、不思議な作品に魅せられる。

KOUJI MURAYAMA

1967年山形市生まれ。1996年仙台市秋保に海馬ガラス工房設立。2007年モロッコ王国・王室への作品献上。土地土地の砂の特質を生かしたユニークな造形作法で知られる。

●杜の未来舎ぎゃらりい

野中光正の木版画作品/ミックスメディア作品

村山耕二のグラス・オブジェ作品


尾崎行彦・田村晴樹 木版画二人展 5月10日(火)~15日(日) 晩翠画廊 仙台市

2022-05-14 13:23:21 | レビュー/感想

晩翠画廊に次の展示の案内カードを置きに行ったら、たまたま旧知の二人の展示をやっていた。最初は田村氏の版画の方に目が行った。彼の版画とは前に萬鉄五郎記念美術館で見てファンになってから10年来の付き合いで、夢とも記憶とも言い難い茫洋とした中から滲むように生まれて来る色と形の造形に魅せられて来た。

しかし、今回の展示作品は、これまでの作品と比べて、色も形も明瞭でシャープになった印象を受けた。彼の頭の貯蔵庫にはこれまでの色と形の膨大な数のサンプルがもう出来上がってるのだろう。そこから必要なものを取り出しただけで、思うままに手は動き、作家の美のスタイルの中で破綻なく絵は成立する。それを熟練というのかもしれない。自在な組み合わせの中での面白みはあるが、その分、偶然のように浮き上がって来た形と色が作りだす不思議さが薄らいでしまうのはいたしかたないことなのだろう。そんな物足りなさも感じつつ、原点にあったような頭より心との連動がしっくり来る単純な色と形の世界を追い求めている自分がいた。

さて尾崎氏の作品である。氏は昨年まで仙台のギャリーJのオーナーだった。ときどき伺っておしゃべりしたり、地元新聞社が立てたギャラリー巡りの企画に際しては会合でご一緒したこともあった。一方で、彼は木版画の作家でもあり、定期的に自分のギャラリーで個展を開いていた。その時は、木口木版という技法にこだわって身の回りのものを主題としている点に好奇心と面白みを感じたのみで特別な感慨はなかった。ところが今回の展示はなぜか胸に素直にすっと入ってくるものがある。

聞けば(以下は後日私の娘が聞いたところによる)今回の作品には「記憶の共有」というスタンスがあると言う。なるほど絡みついてくる私=自己を脱色した目が感じられる。木版という和の技法にこだわることで、必然的に抱えてしまう私が持つ情緒的臭みがここにはない。彼はデューラーの名前を挙げていたが、確かにその雰囲気がある。聖書的主題とは別にデューラーが画面の端に稠密に描いた草木を思わせるものがある。

このデューラーへの思い入れがエッチングのようなタッチで版を刻ませた。一方で彼は「自分の木版の線は魅力がないんですよ」と言う。しかし、彼はそうした欠点が、エッチングのように彫ることで、かえって過剰な私的情操が削ぎ落とされ、誰もがどこかで見たような風景として「共有の記憶」を呼び覚ます要素になりうることを、彼はある段階で知ったのだろう。

尾崎氏は自分の絵を「トイレに飾って欲しい」と言う。その言葉に幼い頃、独りトイレにしゃがんだ時のことを思い出す。すぐ目の前の床板には節目があって、その節目が意図せずに形づくった造形は今でも鮮明に覚えている。作家が注視する目になりきったとき、風景は万人と無言の会話を交合わせつつ、深層に消え難い像を結ぶ。

今日尾崎氏の作品が届いた。包みを開けるのをワクワクしながら待った。近年見て求めて幸福感を感じる絵は珍しい。

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開拓移民の家を再生 Kirsten Dirksenのユーチューブ映像から

2021-09-21 20:42:14 | レビュー/感想

https://www.youtube.com/watch?v=Tub5vWLKB1o&t=1s

夜遅く自転車を漕いで家路を急いでいると、街角の暗闇に突然女性の人影が現れた。思わず、急ブレーキを踏む。光に照らし出された青白い顔が暗闇に浮かびあがってスマフォをいじっているのが分かった。なぜ、こんなところで、今の時間にと思うが、最近はとみにこういう老若男女たちが増えた。スマフォが彼らの唯一の生命維持装置になっている。

さて、何年か前からKirsten Dirksenのyoutube取材映像をアップロードされるごとに見逃さずに見ている。ここには、スマフォを手放せない人や漫然とラーメン屋に長い列を作っている人は決して登場しない。皆、世の通勢に流されず、また既存組織などに依存せずに、自分で生き方や暮らしを考え選んで、たくましく生きている自立した個人である。

Kirsten Dirksenがどういう人かはまったくわからない。ただ、名前からするとドイツ系あるいはスウェーデン系のアメリカ人のようだ。おそらくこのビデオの実質的にはプランナーであり、ディレクターであろう、夫とともに、ビデオカメラを回して、世界中を飛び回って(日本にも何度か来ている)、自分たちが面白いと思ったユニークな生活を実践している人を取材してyoutubeにアウトプットしている。主役の登場人物に、バック音楽なしでそのままもっぱら語らせて、余計な誇張した編集をしないのがいい。初めは二人だったが、途中からよちよち歩きの幼児が加わり、それも姉、弟となり、最近の映像では姉の方は、小柄な母親と見間違うほどの背丈になってきた。

彼らがどういうところにシンパシーを感じているかは、見続けているうちに自ずと分かってくる。多くは人里離れた山の中や人の住めないような砂漠に住んでいるから、当然Off-gridでの生活になり、電気は自前で作る(太陽光発電)、あるいはランプで生活することになる。家の建て方も森の木を切り出したり、資源ごみからの再生品を用いたりして、基本的にDIYで自分で長い時間をかけて建てる。あるいは大都市に住んでいても、狭い隙間のような空間を収納にアイデアを凝らし多機能的に住んでいる例も紹介されている。

いずれも商業資本がお金と引き換えに供給する、ステレオタイプの当てがいぶちへのレジストである。アメリカの場合、タイニーハウスというコンセプトの家づくりが一種の流行現象になっているが、ここには中産階級の多くが、サブプライムローンを借りて大きな家を建て、結局は破産に追いやられたあのバブル時代の教訓が生きている。アメリカには、今も広大な自然の大地があり、破産に直面しても、一人で立ち向かう勤勉な精神と健康な肉体さえあれば、再び人生を取り戻すことができる。むしろ都会のインチキにまみれた生活を離れて、ヘンリー・ソローの「森の家」ならぬ、シンプルな生活の場を再建することができる。ここにアメリカ人の決して疲弊しない楽天性の原点があるように思う。

さて、ここで最初に紹介したいビデオには、最新のポスト映像であるが、ミネソタの草原(いまや立派な森になっている)に20ドルで購入した廃屋となっていた開拓移民の住居を、たった一人で、それも特別の道具を使わず、なんとほとんど手斧のみで17年近くかかって見事に再生した男が出てくる。たくましい二の腕と活力に満ちた体躯は老いを感じさせない。森の家といえど、杣屋ではない。アーミッシュの生活への憧れがあるようだが、天然木を用いて質朴にシンプルにまとめられた内部空間は、満ちたりた生活の本当の姿を体現しているようで、わたしの理想にも近い。

ちょうど2年前に書いた記事です。アップロードし忘れてました。

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野中光正新作展 2021年 10月16日(土)〜22日(金) 13:00~18:00 杜の未来舎ぎゃらりい

2021-09-21 16:30:57 | レビュー/感想

野中氏の「抽象」(ミックストメディア)は、俗に思われている観念的な産物ではまったくない、彼の身体に蓄積された五感の経験が、生活の座という制約された時のフラスコの中で、化学変化を遂げて、魂の直接的変容である作品を生む、そのようなものだ。むろん、そこに色彩の選択と濃淡、ブラシタッチの強弱、コンポジションの 差異など、技術的営為は関わっているが、時に鍛えられた名演奏家の演奏さながら、楽曲に仕えて調和を崩さない。

異様さが際立つ世相を忘れて、永遠と向き合って変わらぬ世界を今回も楽しみたい。

 

●同時展示  村山耕二ガラス作品


予告「祝祭と予兆ー馬渡裕子の世界」  9月21日(火)〜30日(木) ギャラリーアビアント 東京浅草・吾妻橋駅より徒歩5分

2021-08-11 18:45:40 | レビュー/感想

「祝祭と予兆ー馬渡裕子の世界」

馬渡裕子の「絵」の世界に登場する縫いぐるみじみた生きものや無表情な人間たち。それらおなじみの記号化されたキャラは、ミニマムな舞台に立つ能役者の沈黙の芸を見るように、うっかり見逃しそうな些細な仕草や日常的道具立を伴って、見る者に謎解きを迫る。そこには子どもの遊びに見る祝祭感と同時に、深層から滲む何かの兆しもほの見えて、ミステリアスな混合的魅力を醸す。シンプルな色彩配置と独特な形態造形の緊張感に満ちたコンポジションでリアルな幻の唐突な出現を支える職人技も見どころ。「絵」は図らずも都市生活者特有のペーソスやユーモアも描き出す。モダニズムと江戸が交差するまち、浅草に初お目見えの馬渡世界をお楽しみください。

  • 1976 仙台市生まれ
  • 1998 東北生活文化大学卒業
  • 仙台をホームグラウンドに個展多数
  • 東京では、個展「Dummy」(Gallery銀座フォレスト)、
    個展「惑星」(日本橋gallery unseal)など
  • 2008以降、毎年新作個展開催(仙台・杜の未来舎ぎゃらりい)
  • 2019 馬渡裕子展(リアス・アーク美術館)

 


香月泰男展 7月3日〜9月5日  宮城県美術館

2021-07-18 16:53:14 | レビュー/感想

久しぶりに訪れた宮城県美術館。マスクに検温、ソーシャルデスタンスを促す放送と、絵をじっくり見る気を削がれること著しいが、コロナパニックの最中仕方がない。しかし、そのせいかどうかは分からないが期待したような感興が起こらない。香月のシベリアシリーズは6年前に同美術館の展示で見ている。針生一郎という、ある世代にはメジャーな地元出身の美術評論家と関わりの深い絵を選んだ展覧会(針生一郎と戦後美術 2015 1/31~3/22 )の中であった。その時書いた感想を以下に再掲しよう。

「シベリアの大地に追いやられ人間性を剥ぎ取られて、丸太のように無造作に埋められた者たちが唯一見たものは、圧倒的な星の瞬きであっただろう。創世記のアブラハムがふり仰いだ星空は、神の約束のしるしであったが、無残な大量の死に対置して、画家香月泰夫が出会った星空は、透明な無言の美に満ちた不条理の表象であった。戦後、彼がシベリアシリーズという絵を描き続け、ヨブのように問い続ける必要があったのはそれ故であったのだろう。

しかし、むき出しの現実に出会う者は常に少数者であった。多くのものは同時代を生きただけでまるで特権を得たかのように、実は解放された自己のイデオロギーをにぎやかにエネルギッシュに語ったに過ぎない。「針生一郎と戦後美術」を見て、ほとほと疲れる感じになったのも、結局はポリティカルな体裁を取りつつ、色や形になって噴出した情念のるつぼのような作品ばかりを見せられたからであろう。

対照的に、この情念を脱色したかのように、厚みのあるマチエールを失い浮遊しているのが現在の画家の絵だ。いずれも時代の表層的空気から出てきた絵だ。しかし、個性を競い合った一連の戦後美術の中で、ほとんど香月泰男の作品だけが、その中で特異なまでの静けさに満ち、かえって独創的に感じたのは、戦争という重い主題を据えたからではなく、過酷な体験を通して究極の外部性という重力を魂の奥底に刻み込まれたからであろう。」

この時の評の元になったのは、シベリアシリーズの一枚であったが、戦前からの彼の画家としての歩みを物語る他の絵についてもまとめて見る機会が与えられた。シベリアシリーズとはそれらは趣きを全く異にしていた。そこにあったのは日本のモダニズムを疑いもなく受け入れて才能を開花させていった若き画家の姿であった。大胆な構図で形態と色彩を単純化し、具象から抽象化への瀬戸際まで追い詰めたのが彼の絵の特徴だった。そこにあるのは近代日本画と共通するような静かな平面性である。

この画風は復員の後もしばらく変わらないが、より一層主題は圧縮されシンプルになり、オリジナルな形態の展開を目指し抽象化が進んでいく。しかし、彼は完全抽象化へと進むのではなく、マチエールに独自性を開拓するようにある時期から方向転換を図ったように思える。「方解末」との出会いがそのことを決定づけたようだ。彼は日本画的な造形手法では得られない、遠近、または奥行きの表現を厚みのある素材を用いることで確保しようとしたのだろうか。

この技法上の変化は彼をシベリア抑留の体験を描くことに向かわせる。フランス、スイス、イタリアへのヨーロッパ旅行で見た、西洋絵画の数々が西洋の表層的なまねに過ぎない日本のモダニズム絵画の底の浅さに気づかせたのかもしれない。そこに過酷なシベリア体験がクロスするとき、真似事でない絵画への模索が始まる。それはシベリアでの抑留体験に自己のアイデンティティを禁欲的に掘り込んでいくことと並行してなされていく。

しかし、絵画に華やかさを添える形態と色彩を捨ててのシベリアシリーズの画業は、果てることない陰鬱な、そして窮屈な旅であったろう。モノクロームに近いシリーズに現れる唯一の色彩といえば、アリの巣穴から見たような星空の青しかなくなる。当然、絵画への模索という意味合いより、このシリーズに対しては世間は倫理的な意味合いにを持って見るようになる。戦後の論調の中では、絵画というより鎮魂の思いや反戦の意志が問われ、それが絵画の深度として期待されることにもなる。

さて不条理に満ちた「パンデミック」の最中に考える。彼は、借り物ではない無意味を超える確かなものを見い出したろうか。絵画においては、物質性やそこに滲む叙情性に頼ることしかないとしたら、造形の意味はあるのか。存在論的意味では、累々たる死者の行く末は、結局は土に帰り、自然に飲み込まれることにしかないのだろうか。それはシベリア抑留者ではなくても一人一人に例外なく重く背負わされた運命のリアルな姿でもあるが。特異なシベリア抑留体験を元にした絵画と生における意味の追求も、最晩年の絵を見ると、新しいベクトルを見出せず、なし崩し的に凡庸な画家の自然な営みになっていったように思える。

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馬渡裕子絵画展 続き

2021-01-17 15:02:18 | レビュー/感想

続き。

馬渡さんの絵は、一つの重要な要素として、どこか予見的なものを漂わせてる。彼女がインスピレーションを受けて描いた様々なアイコンが、ビジュアル言語としてオートマチックに働いて、描かれた時に分からなかった意味を後に開示しているように思うからである。以下前作から最新作まで、その観点から私が気づいたことを述べておこう。深読みかもしれないが、一つの踏み込んだ解釈として寛容に受け止めて欲しい。近年は、絵というものが古来から持っていた役割、感性を魂と結びつけてある深度を持って働かせ、悟性によって形象化に導く作用が軽視されているように思う。

学校教育の弊害もあるのだろうが、絵が知的営為のみで作られる色と形の図式のようになってしまっている感がある。しかし、もともと絵にはそういうアンドレ・ブルトンが「魔術的」と呼ぶような働きがあるのである。シュルレアリズムのように大々的に対抗イデオロギーを振りかざすのはもはや時代錯誤だが、この魂の地底湖に届く表現手法を取り戻すことで、絵は今の限られた階層の人たちの好みや知的教養の枠組みを飛び出して、これまで無縁であるように思っていた大衆をも掴む表現を獲得でき、もっと面白いスリリングな豊かさ秘めた装置になると思う。そのためには彼女のような才能が必要だが。

 

東日本大震災の時もそうだが前年の2010年に展示会をしたとき、彼女にそれまでの作品には見られない奇妙なものが現れた。画面を横断する「子どもお化けたち」である。それらは糸の切れた凧のように画面を百鬼夜行のように横断していく。だんだんと行動をエスカレートさせ、疾走するクラシックカーに、箱乗りする暴走族のように絡み始めたかと思うと、何処へやらとフアフアと去っていく。見たときにはこの訳のわからないものは何だろう、と思った。しかし、それから数ヶ月たってあの未曾有の災害である。波に飲まれた無数の車、そしてそこで命を失ったたくさんの人たちを私たちは見ることになる。

                      浮遊する子どもお化け

そしてクラシックな車に結束されて。

 

さらに同時に、浮遊するお化けたちと一緒に不思議なチロリアンハットの男性が現れた。(面白いタイトル「頭だけ使うから寝不足になるのだ、目を閉じても思考は拡大して拡大して拡大してゆく 1-8トレーシングペーパー、油性水性ペン、クレヨン)この唐突に現れた奇妙なコスチュームの人物は、一体誰なのだろうと思っていたが、今コロナ禍の最中、世界の行く末を左右する台風の目となっているトランプ大統領を見て、ハタとそれが誰だったのか気づいた。帽子をとったらあの独特のヘアーが現れるかもしれない。この「なぞとき」にはおよそ10年かかった。

お化けたちはチロリアンハットの人物を目指して飛翔を続ける。

取れた首は無数の首に分裂して走り出した。

富士山を仰いで首とお化けの戯れ。

 

と思ってると、コロナの出現を予見しているような作品も現れた。2019年の新作展、彼女のメイン作品「VS」(キャンバス、油彩、1167×910mm)を見て欲しい。朝青龍を思わせる力士の前方足下には「アメリカザリガニ」(本人曰く)がハサミを広げたポーズで同方向にビーム光線を放ってる。これが出現したときも、これは何と思ったが、今回展示された3作品にもしっかり描かれていて、そうかザリガニはコロナの予兆だったかもしれないと思った。

その絵の一つ、タイトルは「対話の可能性」。ソファーに沈む人物(なぜか菅首相を思わせる)の目線の先には、ザリガニが宙に浮かんでいる。さらにもう一つの絵(「出現」)には、寒々とした冬の最中、路上に出現したザリガニを彼女の絵には珍しく眉間にシワを寄せて見つめる女性が現れる。人物に比べるとザリガニは小さい。しかし、その禍々しい赤の色彩、空中に浮かんだエイリアンのような存在が、今世間を騒がせ人々を理不尽な恐怖に陥れている目に見えないウィルスの形象化だとすると、実に的確なシンボル表現だと思う。

力士と一緒にビーム光線を発するザリガニ

エイリアンの唐突の出現を畏怖する少女と対峙する男。

6枚の絵葉書の下絵シリーズ。ネズミが主役なのはこの年の干支にちなんで。6シリーズは珍しくストーリー仕立てだ。お茶を運ぶネズミと女性。ドーナツやチーズの坂を登り、「右へ」「左へ」、そして最初に書いたように「折り返し点」にやってきた。ユーモア(エスプリという表現の方が合ってるかもしれない)、そしてほのかなペーソスをも感じる表現で、彼女の淡々とした人生行路を象徴的なストーリー仕立てにしたようだ。

今回のシリーズはエレメントがギリギリに絞られているので、天性のセンスとこれまで培ってきて技術的な洗練が集約的に現れている。単純な色と形の組み合わせで出来た世界は表現の引き締まった抽象画の小品を見ているようだ。制約がある身近な事象とクロスした広告宣伝的な表現(これらは某コーヒー豆店のカレンダー仕立てのポストカードの下絵として描かれた)と自由な魂の絵画表現との緊張関係から生まれたものだ。ロートレックやビアズレーなども置かれた商業環境だが、それが理解あるオーナーの存在もあって、彼女においては抑制ある良い方向に作用して来たと思う。

 

 

 


馬渡裕子絵画展 「何か、がやってくる」 2021.1.11~17 杜の未来舎ぎゃらりい

2021-01-15 11:08:11 | レビュー/感想

もうそろそろ終盤にかかった馬渡裕子展。今回は深読みを恐れず彼女の絵について突っ込んだところを書いておこう。彼女の今回の作品に「折り返し点」というタイトルの作品があったが、ここに至って初めて見えて来たこともあるからだ。まあ、そんな思い巡らしに誘導してくれる作家はきょうびあまりない。その意味で10年以上前に出会って毎年うちのギャラリーで開催し続けられたことを幸せな邂逅と言わずして何と言おうか。

さて、今回メインの展示となったのが「南から風が吹いている」との作品だ。5匹の犬が後ろ足で立ち上がって何かを待ってる。ここでも彼女の描く動物、この場合は見かけはプードルなのだが、ヌイグルミなのか、血の通った存在なのか、判断停止の中間状態に置かれている。メルヘンやファンタジーの記号的存在にはない、しっかりリアルな感触があるのだ。同じことが、ギリギリまで単純化され抽象化された背景の繊細な処理についても言える。場所は南極か北極か分からない、しかし、見るものは確かにこの光景を目の前にしていると感じる。白い雪原は見ている私の足元まで繋がっているかのようだ。

はるか向こうの雪原の向こうには帯状の海面が見える。盛り上がって、さらに対岸の奥にはうっすらと岬か、島影が見えているような気がする。刷毛ではいたような薄い雲がたなびく空は、そして氷が溶けた鉛色の海の色といい、右端にのぞく空の色も、画面に満ちる光も、「南から風が吹いている」というタイトルが示唆しなくても、明らかに春の訪れが近いことを感じさせる。光を強めた太陽のほんのりとした暖かさすら感じられる。

彼女の作品には、前にも重要な要素として指摘したが、どれにも不思議をかもす絶妙な仕草の表現があるが、ここではプードルたちの口元にそれが現れている。口をポカンと開けている先頭をはじめ、微妙な口元の表現に否応なく注視させられる。白マスクを強いるこの不条理なコロナ禍の状況を逆照射しているかのようだ。彼ら彼女たちは雪原の彼方からやってくる春の訪れを待ってる。果たして待ってるのは、脳内に恐怖を植え付けて果てることを知らない、このコロナ禍を収束させるシンボルとしての希望の春かもしれない。

他の絵についても今回はご紹介し、おしゃべりしたいことがたくさんあるが、お客さんがいらしたので、ひとまず筆を置こう。

 


野中光正&村山耕二展 2020年11月17日(火)~24日(火) 11時〜18時 杜の未来舎ぎゃらりい

2020-11-05 11:36:21 | レビュー/感想
 
 
蘇生する記憶
 
絵画を美術史と言う名の、西洋の線形モデルの中で考えると、近代のタブロー絵画の歴史は、抽象画でピリオドを打ってしまう。このピリオドの中には、私たちを魅了してきた無数の絵の記憶が層となって蓄蔵されている。野中氏の「抽象画」(ミックストメディア)もまさしくそうで、色彩やタッチやコンポジションから、西洋画であればヴァトー、ロートレック、そしてモランディやロスコなど、浮世絵であれば鈴木春信、広重まで、そこに表現された自然の動態が多重露光のように浮かび上がって来ることがある。作家の生まれ育った場所、江戸、東京と続くモダン文化の中心点、浅草という環境が、西洋近代の文化的精華とも通底する普遍的な目と身体を画家のうちに育んだのであろうか。膨大な記憶の層から引き出した美を今の時のうちに蘇生させる変奏の技術は、抽象というと、すぐ色と形でちまちま作為したデザインか、理屈っぽい形而上の死の世界に固化してしまう、多くの野暮天には真似のできないセンスと芸当だといつも思う。
 
NONAKA MITSUMASA
1949年東京都鳥越生まれ。67年木版画・絵画を始める。68−71年太平洋美術研究所、73-82渋谷洋画人体研究所で描く。89-91年新潟高柳町に移住、紙漉きを学ぶ。ゆーじん画廊、ウィリアムモリスギャラリー、アビアント(以上東京都)、新潟絵屋(新潟市)などで毎年個展開催。
 
 
オリジンへの遡行
 
名付けるところのジオロジカルグラス Geological Glassは、地中深くの白熱のスープの中から光のガラスを纏って飛び出してきた原初の石に見える。しかし、これは作家の言によると、むしろ還元的営為から生まれたものだ。オレンジ色の燃え盛る火の玉となったガラスに地底の鉱山から拾ってきた石を投げいれ、その分解過程を目前にする時、作家は物質の歴史を創世の時へと瞬間のうちに遡行する感覚を抱くという。作家の五感と手は、作り始めの頃から比べるとこの過程をアートへと秩序づけ昇華させる技術を習熟させて来たように見える。しかし、岩石内部の未知の組成が、作家のコントロールの限界を超えて危険をもたらす可能性はゼロではない。このギリギリのところで、掌の中にチリとガスが集まって惑星が出来ていく、その不思議を見てしまい、もう後戻りができない作家がいる。
 
 
MURAYAMA KOUJI
1967年山形市生まれ。1996年仙台市秋保に海馬ガラス工房設立。2007年モロッコ王国・王室への作品献上。土地土地の砂の特質を生かしたユニークな造形作法で知られる。
 
 
Free Talking   作家を交えて
11月23日(月)2:00~4:00
今回は野中さん、村山さんを交えて、抽象画を描く喜び、見る喜び、語る喜びをシェアし合いたいと思います。ご参加の方はあらかじめご連絡ください。人数を制限する場合がございますのでご了承ください。

 


セコイヤの森に自給自足で暮らす50年 Kirsten Dirksenのユーチューブ映像から

2020-05-16 17:22:32 | レビュー/感想

セコイヤの森に自給自足で暮らす50年

チャールズ・ベローと妻ヴァンナは、52年前、北カルフォルニアの水も電気も何もないセコイアの森に、自給自足のシンプル生活に憧れて移ってきた。240エーカーの土地を買うために預金をほとんど使い果たしたので、家は彼ら自身の手で建てなければならなかった。最初の家は、パネル構造のAフレームキャビンで、2~3の家族の協力も得ておよそ5日で建てた。トータルコストは2,800ドル(今のレートで30万円というところ)だった。

彼らの土地は30分ほど未舗装の道を降ったところの裸地だったので、家に通じる橋や道やインフラも自分たちで整備しなければならなかった。冷蔵庫も電話もない生活が電話のケーブルを引き太陽光パネルを整備するまで数10年続いた。

Aフレームキャビンでの生活が15年続いた後、森の中に、また家を建て、周りの木々が視界を遮るようになるまでそこに10年住んだ。1991年にチャールズは、かって有名な建築家リチャード・ニュートラの弟子だったが、彼がデザインしたのは放物線状のガラスの家(Parabolic Glass House)だった。曲がったまっすぐの木の屋根と曲がった2つのガラスの壁を基本構造とし、樹木ですっぽり包まれている感じがする家のイメージだった。

二人はその家を、ドアノブからストーブまで廃品を用いながら自分たちで製材した材木で8,500ドルで建てた。電源・熱源として太陽光や太陽熱、ガスを用い、家に繋がった掘り込んだ温室からは彼らの食物の多くを得た。それらを缶詰にして保存することで、食料品店に行くことなしに何ヶ月も暮らした。二人の子供たち(少年)は家で教育し、クリスマスツリーを売ることで彼らを養った。

土地の古木のほとんど全ては、20世紀初頭に切り倒され薪にされたが、チャールズは半世紀かかってその土地を元のように再生させた。引き続き森の手入れと保存に努めるため、二人は1997年に「セコイヤの森協会」を設立した。彼は注意深く1000本の木を選び、古木に変わる次世代の木として2000年の間保存されるべきものとした。

現在チャールズは妻を失って88歳となり(映像を見ると信じられないくらい元気だ)、継承者を見つける決意をした。この地(現在4〜6百万ドルの価値がある)を大切に守り続けてくれることとを条件に、ここに住みたいと思う3組の夫婦を探したいというのが彼の願い。その資金繰りを助けるため、自然体験のためのゲストハウスを何棟か建ててようと思っている。3組の夫婦によるコミュニティは自給自足では成り立たない。外部との関わりがもっと必要になってくると、チャールズが描いたシンプルライフの理想とコミュニティ経営の現実との難しいバランスの問題が出てくるように思う。

アメリカには表立ってマスコミでは取り上げないが、独立自尊とDIYの精神でたくましく生きる人たちがいる。これらの人々はアメリカの自由主義思想の基底部にいる人たちなのだろう。チャールズもその一人。タイニーハウス運動も、都市に依存せずに自立した生き方をしようという流れの中から生まれた。この傾向は、コロナ騒動で都市崩壊が進む中で、ますます加速されるだろう。しかし、タイニーハウス は、ともすると借金せずに収納に優れた個性的な小さな家を建てるそれだけの流行現象に終わってしまう。日本ではなおさら商業主義的な傾向に流されて、「生き方の革命」という根の部分は薄れてしまっている。車をつけた家で風光明媚な自然豊かな場所に短期間停車しつつ暮らす気ままな「ジプシー生活」は若いときにはいいだろう。しかし、やがてそれも虚しく思うときがくる。やはり生きることの充実感は、定着した土地で苦闘しつつ、暮らしを一歩一歩作っていく中からしか生まれない。

一方、2年前からカナダの森に一人でオフグリッドのログキャビンを建てて住む男のチャネル(My Self Reliance)もときどき見てるが、彼はキャビンをはじめ、サウナや調理場などを電動器具を一切使わず、自作の道具だけで建てた後、今新たに森を開き、そこにパーマカルチャー(永続する農業)の考え方に基づく畑地を開こうと、苦闘している。この寡黙な不屈の男にも弱音を吐かせるぐらい、家を建てるのとは違って、はっきりした工程のない、単調な重労働を強いるだけの困難な仕事だということが映像から伝わってくる。持続的な生活の拠点を作るのは、自分で家を建てる以上に大変だ、ということを教えられる。

チャールズはカリフォルニアの森の中に家を建てただけでなく、50年間自給自足の暮らしをし、二人の子どもを育て上げた。その歴史には自立して生きるために必要な構想から実現まで、参考になる具体的な豊かな経験と知恵、そして自然と生きる哲学がたくさん詰まっている。ストーリーとしても面白いが、初めから最後まで途切れることなく喋り続ける中から、自然とともに生きた本物の実践家の含蓄のある言葉を拾いたい。

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小さいけどより美しく快適になった普及版アースシップス Living in Tiny Houseから

2020-03-19 13:32:38 | レビュー/感想

より美しく快適になった普及版アースシップス←  

センターのガラスの開口部を大きくとった斬新なデザインに、ギリシャや中近東にでもありそうな白い家のイメージをセットしたおしゃれな外観。それを見ただけで憧れる人が多いのではないか。これはKirstenの映像で先に紹介した、アースシップス(Earth Ships)をダウンサイズした良くできた普及版と言える。オリジンのSF映画を思わせる異次元の印象と、ちょっと過激なサバイバルを啓蒙しようという意図はなく、新鮮なスタイル&仕組みの、お金がかからないタイニーハウスで、サスティナブルなオフグリッド生活を、より快適に心地よく楽しもうという一般向けの提案がある。

何しろ周りは荒涼とした砂漠ではなく、緑に覆われた南オーストラリアのリゾートである。この環境に合わせて、デモニッシュなものを漂白し、Earth Shipsの基本コンセプトをよりコンパクトにして洗練させ、しかもより一層快適さを実現する新しいシステム&テクノロジーも取り入れることで、普通の人への訴求力は格段に大きくなっている。実際的に、ああ、いいなあ、できそうだなあと思わせられるものに変わっている。

アースシップスに魅せられたマーチンとゾーエはアメリカのニューメキシコまで行って、1ヶ月滞在し、マーク・レイノルズから直接教えを受け、お墨付きももらった。だから、この70m四方の家は、決してアースシップスのフェーク、表面的真似事ではない。オーストリアの地方政府の認定まで受けた、オーストラリアで最初の本格的なEarth Shipsの家なのである。建築過程では、映像にも出て来るが共鳴するたくさんのボランティアの人たちの多大な助力があったようである。彼らはEarth Shipsをオーストラリアの人々に普及させるために、ビジネスとしての構想もすでに持っているのかもしれない。

マーチンは、根が開放的な親切な人であるようで、オリジンのアースシップスでは良く分からなかったところを、映像も加え詳しく説明してくれる。屋根から流れ落ちた雨水を効果的に集め、汚水も地下に引き入れて植物の生育に無駄なく役立てる処理システム、そしてユニークな一年中温度環境を快適に保つためのフリーエアーコンデショナーの仕組みも良く理解できた。あの廃品素材、タイヤやガラス瓶も、ここでは暮らしを美しい彩る造形素材として、より一層効果を上げている。両端のエントランスやバスルームを見ていると、廃品のガラス瓶が信じがたいぐらいゴージャスで美しい建築素材に思えて来るから不思議だ。

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イタリアンアルプス麓、中世の村の再生に取り組む Kirsten Dirksenのユーチューブ映像から

2020-03-17 12:39:53 | レビュー/感想

中世の村の再生に取り組む

ヨーロッパの農村部、山岳地帯など僻遠の地も含めて、中世あるいはもっと古い時代にオリジンを持つ歴史的集落が無数にあるが、それらはたいてい石造りでかろうじて外形を保っていても誰も住むものがなくなって石の廃墟に変わりつつある。Kirstenは、それら打ち捨てられた建物に特別な思いがあるのだろう、それらを再生しようとしている試みを数多くレポートしている。ここではそれらのうち、ゴーストタウン化したイタリアの中世の村に家族ともども住み着き、他にも誘いかけて往時の集落の姿を取り戻そうとしている建築家の試みを紹介しよう。

こうした試みの多くは建築家によって行われていて、古い石造りの小屋を外観はそのままだったが、中は建築家のプライドを投影させて、まったくのモダンデザインに変えてしまった例(朽ち果てるままより良いが、正直使いにくそう)も出てきた。こういうのをカッコいい、クールだと思う人はその方面の日本人には割に多いのだろうが、私は使えない器のようであまり好まない。

例えば同じ北イタリア、アルプス麓の家。便器までコンクリート打ちっ放し、そこまでこだわる?→古い小屋とアップトゥデートの融合

ここで紹介する例は、そうした例とは違って、何よりも原点に、これら貴重な暮らしの遺産への情熱的な愛がある。構想者自身、頭だけ使って、あとは人任せにするのではなく再生のために自ら協力者とともに汗を流している。だから自らの労力も加えて完成した家には、自然とそうした愛が反映されていて、地に足がついたものとなっている。

マオリツィオ・セスプリー二は、妻のパオラ・ガーデンとともに、25,000ユーロと1,000時間の労力を注ぎ込み、スイスとの国境に近い、アルプスの麓に点々と残る中世の村の一つ、ゲッシオの廃墟化した家の再生に取り組んだ。そこには中世以来引き継がれている石工の豊かな伝統の技術的遺産を後世に保存継承したいとの願いがあった。この土地の権利を得るに当たっては、アメリカに住まう子孫と交渉するなどの苦労もあった。

できるだけ昔の家と同じ材料を使おうとしているが、もちろん昔の家そのままでは現代人は住めない。彼らは一日のほとんどの時間を外で過ごしていたので、現代人には標準的な快適の概念がない。例えば、内側も石の壁に漆喰が塗られているだけであった。マオリツィオは、漆喰との間に厚い断熱材を入れて冬の寒さに備えた。彼らのこだわりから天然素材の藁を用いたが。丸い膨らみを持たせて塗られた漆喰がいい雰囲気を醸している。

映像に出てくるように、村の再生のために、世界中からたくさんの若い学生たちが集まってきた。彼らのボランティア労働の多くは、この集落に崩れ落ちるままになっていた石材を主に使って、それらを削り、ボールトを使わず組み上げる作業に費やされる。誰も歴史的な石の建築技術の実際的な知識などないから、それは彼ら自身が「ビレッジ・ラボラトリー」と呼ぶ、作りながら実験し、時には19世紀の古い文献にあたり知識を得る、まさしく試行錯誤の工程となった。

彼ら家族の住まいを建てたのち、4軒の家族用の住まいと、学生のための食堂やシアターなど、彼自身の言葉によると、ゆっくりゆっくり構想し建築中である。この村の中心にある富裕層の廃墟の一部を再生し大きなパン&ピッツア窯を設けた。かつて盛時には富裕層の人々は誰もがこうした窯を持っていたという。この窯を設けて、労働のため、そしてパーティや夏場コンサートのため集まった人々に振るまうだけでなく、この中世の村に往時のような賑わいが戻ることを願っている。

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