美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

ぐりとぐら展 7/16~9/4 宮城県美術館

2016-07-31 13:17:54 | レビュー/感想
これまで全国を巡覧してきた一番最後の展示のようである。夏休みにちょうどあたっているため子供づれが多かった。常設を見にいったときに、予告の看板が出ていて、そこに描かれていた「ぐりとぐら」の足先が鳥獣戯画の動物のそれを連想させて可愛らしかったので、のぞいてみることにした。美術の本流と言うと「泰西名画」(まだ使える?)だった時代を知っている人間からすると、このような童話のさしえやアニメなどエンタテーメントが美術館にかかること自体に多少の抵抗感と気恥ずかしさを感じ、隔世の感を覚えるのはいたし方ない。しかし、きばった「美術作品」ばかりを見ていた頭には適度ないやしとなった。

蘇ってきたのはポケモンGOどころか、まだテレビすら家庭に入っていなかった時代のことである。もちろん「ぐりとぐら」が発刊されたときには、家庭にはテレビが行き渡りテレビアニメもすっかりお馴染みになっていたが、母親の寝物語の時代によって育った世代のノスタルジーが生きている。かくいう私もテレビが登場する小学校の低学年ぐらいまで、母親の寝物語を聞いた経験を持つ最後の世代に入る。

「ぐりとぐら」の代表作、森の中でホットケーキを焼いて動物たちで分け合う話は何度も何度も聞いた気がする。ある意味でこの話は昭和20年〜30年代の貧しかったけど、戦争が終わり、母と子がやっと共同で夢を見ることができるようになった平和な時代の訪れを反映している。森の中で様々な動物たちと交わる中で食事をともにする。誰も飢え渇くことなく満たされる、我々の深層に沈んでいる楽園の風景のようだ。すべてをやさしく包む母親の愛がある。「ライオンはこないの」「夜になったらどうするのだろう」。子供の発する質問を種火にしつつ、この単純なストーリーは、母と子の対話の中でホットケーキのようにふくらみ続けた。

帰宅途中の公園にはスマートフォンを手に持ったポケモンハンターたちがあちこちに立っていた。画面の上の記号を見つめ指を動かすだけの擬似狩猟。彼らの足元には、名も知らぬ多様な植物が繁茂し、きっとその中には爬虫類や昆虫や目に見えない微生物などがひしめき、めくるめく世界が展開されているに違いない。しかし、彼らが関心があるのは頭脳の限られたフレームの中を右往左往する記号なのだ。命がないものから、生きるエネルギーは生まれない。

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宮城県美術館コレクション展示 7/5~9/4

2016-07-13 19:02:20 | レビュー/感想
宮城県美術館のコレクション展示はときどき入れ替えられるが、庄司福が2ヶ月ほどの期間、特集展示となるというので久しぶりに足を運ぶことにした。庄司福は、東北地方をテーマにした作品を多数描いている仙台にもゆかりが深い作家で、92歳で亡くなるまで画壇の重鎮として現役で活躍し、「戦後の日本画の質の高い到達点の一つを示す」と賞賛している展覧会評もあって、かなり期待していた。庄司福は、ときどき通る青葉通り地下道で、陶板で創られた作品を目にしており、この作品を絶賛する方もいて、「雄渾」な作品という言葉も浮かんだのだが、自分には今ひとつピンとこなかった。そこで、これは陶芸家の力倆が加わって別の作品になっている面があるので、庄司福の完全な自作を見たら違うのではと思っていた。しかし、正直のところ、どの作品も自分には響かなかった。少し残念。テーマといい、構図といい、画壇の流行を意識しながら、そこで喝采を浴びる要素を巧みに落とし込んで造形されているように感じた。つまりは出来上がった日本画のカテゴリーの中で、大画面を使って、力強く見せられる非凡な、持続的な力量に恵まれていた、しかし、優等生なのである。晩年はさすがに「石」「風景」「海峡」といったそっけないタイトルが語るように、意図的な造形はやめて、自然とシンプルに向き合った作風になっている。しかし、変な衣装がなくなっただけで、やはりつまらない。画壇の枠に従って作り上げたスタイルは、そこで大成した人だけになかなか壊すのは難しかったのだろう。

つまらないのはなぜなのだろうと考えながら、次のコーナーに行くと長谷川潾二郎の小品「道(パリ郊外)」があった。1年ほどの短いパリ生活の間に描いた数少ない作品の一つだ。画面真ん中にまっすぐに続く、パリではおそらくありふれた道なのだろう。脇の赤い煙突の建物、道にそって端正に切りそろえられたような雑草、モコモコと葉を茂らせた樹木、そして道の果てには門柱があり、どこに通じているのか黒い暗渠が異界への入り口のようにポッカリと口を開けている。(この部分を拡大した別の絵(上掲)には黒い鉄製の門扉がはまっているがこの絵では暗渠になっている)この全体が醸し出すなんとも「怖〜い」感じは何だろう。潾二郎は、パリの風景を題材に何かを上手に造形してやろうなどとは微塵も思わない。この風景の不思議さを探求し強調するかのように絵筆をとっているだけなのである。
だが、もっと上手がいた。岸田劉生の「早春?日」という作品。これを見ていると、潾二郎は謎に直面して描いているが、岸田劉生という存在そのもののが謎であるかのようだ。構図などはどうでもいいかのように大きく画面を占める鈍調な空。梅原龍三郎の数々の風景画のように、お得意の色彩とタッチで華やかな空の表情を見せようなんて気持ちはさらさらないようだ。下の方に固まるように、木々の間に点々ばらばらに建った家々、そして道とそこを通る二人の子供の姿。それを連関させまとめ上げる手法がまったくもって見えない。しかし、もちろん素人絵ではない。これがあなたが本当に見ているものなのだよ、と心の芯の記憶庫に入ってくる、このリアリティの確かさはどこから生まれてくるのだろう。何度でも見ていたくなる絵だ。でも、さてこれを「絵」と言っていいものだろうか。少なくても本人は「絵」を意図的に描こうなんて毛頭思っていなかっただろう。

この絵の存在感を前にしては、松本竣介のまるで欧州映画を見てるような、ポエジーに満ちた、当時としては最高にお洒落だったであろう風景画も、決して凡庸ではないのだが、すっかり霞んで見えた。いずれにしろ、どのようなかたちであれ、残った絵は、良し悪しの評価は別にして、それぞれの人となりや生き方を正直に反映しているようで面白い。
(掲載の絵は「マロニエと門」1931)

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