浅草在住の版画家野中光正さんが電話で唐突に「モランディはやはりいいですね」という。確か2年前仙台に来られたとき、大分前東京銀座のでデパートで偶然モランディ(Giorgio Morandi, 1890年 - 1964年)の絵に出会って、しばらくその場を動けなかったという話をしたと思う。その時から大分時が過ぎていたから、彼からモランディの名前が出て来るとは全く思いもよらなかった。しばらくして4月末の展示会用に新作の版画が送られて来た。野中さん手づくりの木製の送り箱を開けると、モランディに近しい穏やかな色彩の作品が出て来た。彼の中ではモランディは長い間静かに発酵を続けていたのだろう。そのことがとてもうれしい。
野中さんは木版画という江戸以来のメディアで、モランディのように色彩と形の探求を40年近く続けて来た。毎日のように作られた版画のタイトルは製作年月の数字を羅列したものだ。この文学性を交えない素っ気なさは内なる魂と外なる自然の出会いの出来事を日々描き止めているアノニマスな記録者という感じがする。「絵をつくるとは人や人を含む自然を思うことであり、又思われることを期待する心の現れである」とは彼の言葉だが、自然を反映しながら移ろい行く命の流れの中にいる自己に何より正直で、鍛えられた手技はそれを紙面に定着するためにもっぱら用いられている。修練を重ねれば重ねるほど企みや嘘が磨かれるのか、一般には受けのよい饒舌な表現となって魂が減失していくのは凡庸な証拠だが、それがないのを天賦の才といわずして何と言おう。
20代に描き続けた東京下町の木炭デッサンにも、30になってから始めた版画に見られる純粋な一貫性が見て取れる。かって高度成長を支えた下町の風景がそこにはあって、光や空気、臭いまでがモノクロームの画面から立ち上って来るようだ。一見心を鷲掴みにするピカソのデッサンのように、描かれた線は風景のいのちをひと掴みし、画家の魂を滲ませている。何処に行くのか、すべての風景は命を持って悲しく美しくゆらいでいる。「日々を慰安が吹き荒れて 帰ってゆける場所がない」。(吉野弘)宿なしのように東京の雑踏をさまよっていた若い時を思い出す。
やがて風景デッサンは極度に省略され解体されて、キュービズムばりの試みへと移っていく。これを見ると彼は突然抽象を描き始めたのではないことが分かる。モンドリアンの百合の花の連作のように、必然の流れは写実を徐々に抽象へと導いてゆく。めざすのは自然と魂が分離しがたく結びついた世界。木版画は、ねちねちとこねまわすことが宿命的にある油絵と違って、彫る、摺るという製作過程で、物質との格闘を通して、粘着する本質的でない「私」が削ぎおとされる。5月20日からの杜の未来舎での展示用に送られて来た作品を見て「野中さんはついに自然をつくっちゃったね」と言った若い画家の言葉が、今、彼が行き着いた世界を端的に言い当てている。
展示会の終盤我が家に投宿する彼と近くに住むアルゼンチンの彫刻家ビクトル・ユーゴーさん(本名)を交え、初鰹の叩きを魚に日本酒を飲むのが楽しみだ。
野中さんは木版画という江戸以来のメディアで、モランディのように色彩と形の探求を40年近く続けて来た。毎日のように作られた版画のタイトルは製作年月の数字を羅列したものだ。この文学性を交えない素っ気なさは内なる魂と外なる自然の出会いの出来事を日々描き止めているアノニマスな記録者という感じがする。「絵をつくるとは人や人を含む自然を思うことであり、又思われることを期待する心の現れである」とは彼の言葉だが、自然を反映しながら移ろい行く命の流れの中にいる自己に何より正直で、鍛えられた手技はそれを紙面に定着するためにもっぱら用いられている。修練を重ねれば重ねるほど企みや嘘が磨かれるのか、一般には受けのよい饒舌な表現となって魂が減失していくのは凡庸な証拠だが、それがないのを天賦の才といわずして何と言おう。
20代に描き続けた東京下町の木炭デッサンにも、30になってから始めた版画に見られる純粋な一貫性が見て取れる。かって高度成長を支えた下町の風景がそこにはあって、光や空気、臭いまでがモノクロームの画面から立ち上って来るようだ。一見心を鷲掴みにするピカソのデッサンのように、描かれた線は風景のいのちをひと掴みし、画家の魂を滲ませている。何処に行くのか、すべての風景は命を持って悲しく美しくゆらいでいる。「日々を慰安が吹き荒れて 帰ってゆける場所がない」。(吉野弘)宿なしのように東京の雑踏をさまよっていた若い時を思い出す。
やがて風景デッサンは極度に省略され解体されて、キュービズムばりの試みへと移っていく。これを見ると彼は突然抽象を描き始めたのではないことが分かる。モンドリアンの百合の花の連作のように、必然の流れは写実を徐々に抽象へと導いてゆく。めざすのは自然と魂が分離しがたく結びついた世界。木版画は、ねちねちとこねまわすことが宿命的にある油絵と違って、彫る、摺るという製作過程で、物質との格闘を通して、粘着する本質的でない「私」が削ぎおとされる。5月20日からの杜の未来舎での展示用に送られて来た作品を見て「野中さんはついに自然をつくっちゃったね」と言った若い画家の言葉が、今、彼が行き着いた世界を端的に言い当てている。
展示会の終盤我が家に投宿する彼と近くに住むアルゼンチンの彫刻家ビクトル・ユーゴーさん(本名)を交え、初鰹の叩きを魚に日本酒を飲むのが楽しみだ。