美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

ヘレン・シャルフベック――魂のまなざし 8/6-10/12 宮城県美術館

2015-08-25 15:21:51 | レビュー/感想
フィンランドの画家というと、ムンクはノルウェーだし、ムーミンのトーべ・ヤンソンぐらいしか頭に浮かばない。そういえばこのポスターの自画像の全体にトローンとしたつかみどころのない感じはなんかムーミンのようだなあ、と思いつつ会場に入った。19世紀から20世紀に至る時代、日本と同様、フインランドもフランスやイギリスなどをメインストリームとする西洋近代絵画の圧倒的な影響下にあったのだろう。そうした中で、シャルフベック自身も早くから画才を見出され、フィンランド芸術協会の素描学校に11歳の異例の若さで入学し、18歳で奨学金を得てパリ留学のチャンスを得る。この展示会のポスターにもなっている「快復期」がパリ万博で銅メダル獲得というお墨付きも得て、この画家はトントン拍子で早くから国民的な作家としての名声を得て行ったのだろう。

確かにうまい。しかし、どこかそれは西洋画の技法を自家薬籠中にした優等生的なうまさで深く魂に響いてくるものがない。この本質に切り込まない薄いムードが時節にあって、今日本で巡覧する理由かなとも思ってしまう。例えば「お針子」は明らかなホイッスラーの模倣であるけど、この黒と真横の構図に必然的に結びついたホイッスラーの挑発的なダンディズムに代わる独自のスピリットがあるかというと疑問だ。ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ、セザンヌ、エル・グレコと、一目見てその高度な模倣と感じられる作品が並ぶが、いずれにもこれらの画家の表現の核にあったものを掴んでいるとは言い難い。関心もなかったのだろう。

若い頃物事を深刻に感じすぎると人に言われた、と会場のパネルに書いてあったが、それはきっと自分自身のこと、自分の個人的な人生のことなのだろう。そういう彼女にとって画家としての成功は、果たして幸福なことであったのだろうか。二人の男性と関わりがあったという。しかし、思いは叶えられず結婚には結びつかなかった。彼女が生涯描いた女性像はすべて自画像のようで、しかも顔の色彩はメイクアップのそれのようでときどきの感情を引き写しているように見える。絵の唇の色から鮮やかさが消えていく過程は、実人生への希望を喪失していく過程を象徴しているのだろうか。晩年に描いた果物の静物画には、黒いリンゴがひとつ前面に添えられている。人生への悔恨の思いのように。

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Beyond All Directions 

2015-08-05 11:12:54 | レビュー/感想
たまたまH氏から作品のタイトルを英文にしてほしい、と言われ翻訳した。その作品のエスキースはここにあげた通りだが、日本語のタイトルは「向性の先」ということであった。彼の説明では「方向性は各々違うが、その先がある」ということであった。この抽象的な言い方に、抽象に至るアートの本筋とはなんだ、という疑問が解ける糸口があった。
カントが定めたように、人間の「認識」には限界がある。量子論的な疑義はさておき、物質的な、見える世界であれば、科学がひとつの真実を指し示すことができる。そして我々の文明はそれに基づいてできている。起きたら虫になってしまっていたなどということは金輪際起こり得ない。そういう生活感の中で通常われわれは安定的に生きている。しかし、認識を超えた超越論的な世界では、われわれの「構想力」に基づいてあらゆることが可能となる。そのことを表しているのが芸術の世界だと言える。
すべての芸術家がこれが絶対だと思って作品をつくる。また、そう思わない限り、彼のモチベーションは働かない。しかし、それは普遍性には到達し得ない。知り合いの陶芸家が「自分の考えている美をつかんだと思うと、すぐその先がある」といっていたが、美は永遠に捕捉不可能なものとしてある。カントは、この探求に「思惟」という名を与えた。哲学史的に言えば、プラトンを遠源とするギリシャ以来続く、形而上的な探求の道をこのことによって留保したのだ。それはニヒリズムが常態となる近代へのカントなりの抵抗だったのだろうか。
印象派は、光と色の関係を解いた色彩科学を道具に遠近法の発明以来なかった視覚的な認識の世界を極めたと称した。その究極はスーラの点描の世界だった。しかし、それはなんとリアリティーのない浮遊する世界(H氏のもうひとつの絵のタイトルがこうであった)であったことか。
ここで俄かに蘇ったのが、古代以来の形而上学の世界であった。それが東方宗教のセオロジーが生活感情として色濃く残るソビエト、ロシアで花開いたのは偶然ではない。ロシア構成主義、カジミール・マレーヴィチ、ウラジーミル・タトリンがその代表者者だが共産主義という政治的理想主義に行ってしまった後者はさておき、前者はロシアの形而上的な風土の魂を宿した作家だった。この作家はシュプレマチズムと称されるアバンギャルドな探求を続け、最後は「黒の正方形」という絵画自体の否定に至ってしまう。マレービッチの悲劇(幸福なのかもしれない)は、正教的な厳格なセオロジーを絵画に体現したかのように、それを生きてしまったことにある。
だが、絵画は、イコンように神学には支配はされない、自由な「思惟」の範疇にある。しかし、それが厄介なのはこれこそ「啓示」と思う信仰に近いものがないと現実に描くことはできないことだ。カントが「善意志」の働きを人間の側に残したように、これなくしては純粋芸術の世界は成立しない。あとは大衆社会向けに便器(マルセル・デュシャン「泉」)をアートと言い立てても成立する、巧みなブランディングに基づいた詐術の世界でも良いことになってしまう。

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